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深読みインランド・エンパイア② Act

「The Return」を解読するための『インランド・エンパイア』解体シリーズ

第2回「自己投射に映るもの」

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前回では『インランド・エンパイア』という映画の大枠の話をしましたが、今回も構造の大枠の話になります。

内藤仙人さまは『インランド・エンパイア』について "テレビ" という媒体を挟んで "ダブル2本道" と解説していました。2本道というのは、ユング的に言うとペルソナ街道とシャドウ街道の2本道、仏教的に言うとあの世街道とこの世街道の2本道ということになります(合ってるのかな?)。それがダブルということは、ペルソナ街道の中にあの世街道とこの世街道があって、シャドウ街道の中にもあの世街道とこの世街道があると。それが高速道路みたいに地上にも地下にも幾重にも絡み合っている状態で、あっちこっちにジャンクションがあって、カーナビなしじゃ無理でしょ!わかったかい、チミは!って事だと思うのですが、まあ、普通になんのこっちゃという感じでもあります。

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このDNA螺旋のように入り乱れている構造を一つ一つ解体していってもなんの解決にもなりません。そもそもヒトゲノムをプログラミングに置き換えて0か1の組み合わせとして考えると、解体したって "ある" か "ない" かの区別にしかならないのです。だったら、ツイスト・ドーナツのようにまるっと美味しく食べてしまった方がよっぽど簡単です。

そこで『インランド・エンパイア』です。この映画にもまんべんなくパウダーシュガーがまぶされています。そのパウダーシュガーとは何か?というと "映写機" です。

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おわかりでしょうか?初っ端にブウンと映写機が回り始めて映画が始まると、撮影を重ねていき、最終的にこの物語は「あなたの内面を撮影したものなのだよ」と劇場の映写機が映し出されて映画は終わり、内なる宮殿のエンドクレジットが始まるのです。全てはスクリーンの中の話でした、めでたしめでたし。こんな感じです。

では、そのスクリーンに映し出されていたものは何か?というと、端的に語ってしまえば、ニッキー・グレイスという魂の自己投射ということになるのです。類語で言えば自己投影。僕たちがジャッキー・チェンの映画を観て、おおっ!オレもビルの五階からオーニング伝いに飛び降りることができるんじゃないかっ!と錯覚してしまうのが自己投影。トム・クルーズの映画を観て、おおっ!オレもMA-1を羽織ってバイクをかっ飛ばせば美人教官とチョメチョメできんじゃねぇかっ!と妄想に走るのが自己投射です。例えが80年代映画で申し訳ありませんが、ニュアンスは伝わるでしょうか。自己投影してしまった人は大怪我をした挙句、警察に事情聴取を受けるハメになり、最終的に器物破損でお店から損害賠償を受けることになります。自己投射してしまった人は己の自我とは別の人格、別の容姿を手に入れようと行動を繰り返し、最終的に自分はトム・クルーズでもマーヴェリックでもないと気がつくまで、妄想の世界で生き続けることになります。そんな精神の遍歴を映画にしてしまったのが『インランド・エンパイア』であると。うん、妄想が激しいというヤツですな。

なので、劇中劇の中に劇中劇があるという、なんともややこしい構図になっていて、マーヴェリックがテレビを観ていると、その中ではアイスマンバットマンになっていて、アイスマンバットマンはなぜかトム・クルーズの奥さんニコール・キッドマンと仲が良くて、それを観ていたマーヴェリックは嫉妬してバーに走ったら、いつのまにかストックカーレースに出場していて大事故を起こしてしまい、気がついたら目の前にニコール・キッドマンがいましたみたいな、そして、それを体験しているのは先ほどのMA-1を羽織ってバイクにまたがったオレ!みたいな、こんな感じなのです。パロディとかツイスト・ストーリーとかそんなまともな話じゃなくて、完全に連想ゲームです。

「ツイン・ピークス The Return 考察 第14章 根幹」の中で「感覚映像-自由連想仮説」の話をチョロッとしているのですが『The Return』も『インランド・エンパイア』も、このリンチ監督の "自由連想" を映像化したものであり、物語の構図は両作品とも似通っているのです。とは言いつつ、片方はマーク・フロストという稀代のエンターテナーが携わっているので『インランド・エンパイア』に比べると数百倍わかりやすくなっています。なので『The Return』の17章では、ぼんやりクーパーが現れて「僕らは夢の中で生きている」なんていうネタバラシをしてしまうハメになっています。ナイドの顔がパキパキッと割れて中からダイアンが出てくることも然りです。

 

さて、2000文字が近づいたところで、次回は劇中劇の舞台について語っていきまっせ、姐さん。

深読みインランド・エンパイア① Axx on n'

「The Return」を解読するための『インランド・エンパイア』解体シリーズ

第1回「意識の階層を下りていく」

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てなわけで『インランド・エンパイア』です。『The Return』の18時間を経た今となっては、この3時間もある超大作も、ニッキー・グレイスという女性のトラブルをダイジェストで観ている感覚に陥るような、そんなかわいいものに感じます。

前作『マルホランド・ドライブ』が『ツイン・ピークス』同様、テレビ向けの連続もので企画されていながら、結局、映画として制作され、圧倒的なリンチ・カムバックを果たしたのは、ひとえにそのわかりやすさにあると思います。さらにナオミ・ワッツのあのミニマム・キュート、ローラ・ハリングのダイナマイト・セクシーが作品に華を添えていた事実は、僕が語るまでもないでしょう。

それに比べると『インランド・エンパイア』は難解で、ほぼ3時間まるまるローラ・ダーンの独断場になっています。『マルホランド・ドライブ』に存在していたコメディ要素もほぼ皆無で、ひたすらニッキー・グレイスという女性の内面へと潜っていくストーリーが展開されていきます。それをわかりやすく図解すると、この映画のようになります。

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2010年に公開されたクリストファー・ノーラン監督の『インセプション』。この映画は夢から夢へと階層を下りていき、最終的に "虚無" と呼ばれる深い領域、深層心理、もしくは潜在意識と呼ばれる部分まで落ちていくのですが、『インランド・エンパイア』も全く同じ構造になっているのです。この構造さえ理解できれば『マルホランド・ドライブ』と同じように、この映画を数倍、楽しめるのです。

 

では、その "意識の扉" はどこに存在するのか?ということになるのですが、それが "Axx On" になります。カタカナにすると "アックス・オン" です。間違っても "エー・チョメ・チョメ・オン" ではありません。いや、もしかしたら "エー・チョメ・チョメ" なのかもしれませんが、そんなリンチ・ダジャレはここでは触れないことにします。

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さらに、意識の階層を下りていくということは、おっと、また出ましたユング!みたいな感じになりますが、顕在意識から潜在意識へ、さらには集合的無意識へとダイブしていく行為とイコールになります。『The Return』の第8章で原爆のグラウンド・ゼロへ向かってカメラがどんどん進んでいく映像がありましたが、あれと同じような感じで、ニッキー・グレイスという魂のグラウンド・ゼロに向かってカメラがどんどん突き進んでいくイメージなのです。地球のコアに向かってカメラが進んでいくみたいな。

 

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で、映画の冒頭です。ここで既に第一の意識の扉が開きます。"Axx on" なんて、どこにも書いてないじゃないか!と思われるかもしれませんが、いやいや、ラジオDJの語りによおく耳を澄ましてください。

"Axxon N., the longest running radio play in history tonight, continuing in the Baltic region."

そうなんです、『インランド・エンパイア』という映画は「アックス・オォン!」の叫び声から始まるのです。ここで既に第一の扉が開かれているのです。では、次の階層に進みましょう。

 

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映画が始まってちょうど1時間ぐらいで第二階層の扉が現れます。リンチ監督も優しいですよね、ちゃんと下に降りて行けと矢印まで書いてくれています。時間もちょうど1時間くらいというのも憎いです。デジタルカメラで好き放題に撮ったんだと言いながら、編集でちゃんと緻密に計算しているのだから、侮れません。

ローラ・ダーンの家に引越の挨拶に来た "来訪者ローラママ" が語っていた「小さな女の子が市場で迷子になった。市場は通り抜けちゃいけない。裏の路地をいかなくちゃ」というセリフを体現するように、ニッキー・グレイスは裏路地から第二階層へと潜り込んでいきます。その先は潜在意識の世界。"来訪者ローラママ" は「宮殿へ行く道」と語っていました。

顕在意識の世界では女優としての自覚、妻としての自覚があったニッキー・グレイスですが、潜在意識の世界に潜り込むと世界は一変し、己自身の中にある欲望が剥き出しになっていきます。そして、憎しみは雪だるま式に膨れ上がり、最終的に『The Return』でいう "化身" トゥルパが産まれます。そこで次の第三階層の入口が開きます。

 

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第三階層のスタートもほぼ映画が始まって2時間後になっています。こうして観ていくとリンチ監督は各階層を1時間ごとに描いていることがよくわかります。内藤仙人さまが「リンチ監督は神経質な設計士」と断言していた所以もここらにあると僕も思うのですが、この緻密な構成は『The Return』にもしっかり継承されていて、巷で言われている "老害ノロノロ映画" とは本質がまるで違うのです。

ここからは集合的無意識の世界に突入し、ポケベル・ナイドが宮殿の話をしだしたり、ニッキーが肉体的な死を経験したりと、物語はとにかく魂の深く深くと潜り込んでいきます。そして、その先には "劇場" が存在し、さらにその先に『インセプション』でいう "虚無" の世界、集合的無意識の先にある世界、"己" が待っています。

 

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この第四階層の扉に辿り着くまでの魂の軌跡を描いたのが『インランド・エンパイア』なのです。『The Return』でいうところのグレート・ノーザン・ホテルのボイラー室にあった扉と同じってやつです。その先でニッキー・グレイスは己と対峙することになります。そして、それに打ち勝つことによって宮殿に辿り着くことができた。

 

てなわけで、第1回は映画の全体像を把握するに留めておきます。次回は『The Return』第17章のぼんやりクーパーの謎がわかるのか?、"劇中劇" についてさくっと語っていきまっせ、姐さん。

「深読みインランド・エンパイア② Act」

『インランド・エンパイア』を紐解いてみようと思う

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【作品情報】

タイトル:INLAND EMPIRE

監督:デイヴィッド・リンチ

脚本:デイヴィッド・リンチ

日本公開:2007年7月21日

上映時間:179分

 

『The Return』のナイド論を整理する際に避けては通れないのが、このリンチ史上最強に意味不明で最高にイマジネーションに溢れた超イミフ映画『インランド・エンパイア』ではないでしょうか。

21世紀を迎え、なんでもかんでもデジタル化された世界で、フィルム代を気にしないでいくらでも撮影ができるじゃないかっ!ヤッホーイ!と、SONYデジタルカメラを片手に、こんなん思いついたからどうよ、とりあえずローラ・ダーンの家で撮影してみようよ、ヤバッ!めっちゃ楽しい、これはどうよ、それもいいじゃない、ええい、ポーランドまで行っちゃおうぜ、スゲェ、デジタル最高!と、まあ、リンチ監督が2年半かけて好き放題に撮った作品です。なので物語は脈絡がなく、もっとわかりやすい作品にしてくれ!と配給会社がせっついても聞く耳を持たず、お金がなくなれば前妻から借金をし、挙句の果てには主演のローラ・ダーンが「しょうがないから私が制作者として名前を出すわよ、でなきゃ公開もされないんでしょ?」とスタジオ・カナルを説き伏せ、映画のプロモーションにかけるお金もなくなると、ハリウッドのど真ん中に牛を連れて「チーズ」を連呼、ホント、爺さん、気が狂ったのか?と言いたくなる状況でした。

そんなキチガイ爺さんの映画を3時間も観続けるのは、観てる方もキチガイではないのかと思いますし、それを最高傑作と騒ぐのはもっと気が触れているのではないかと思います。そんなキチガイが僕です(笑)。でなければ、こんな映画を何回も何回も観るわけがありません。

さらには2時間半経ったところで、そろそろラストに向かって何かエライことでも起きるのか?と思っていると、天下のポケベル裕木奈江先生がたどたどしい英語でヴァギナを連呼、ちょい役の割には重要なセリフをどんどん語っていくわけです。それはいいとしても、どうにもこうにもこのたどたどしい英語が耳に触り、一気にリンチ世界から興ざめしていくわけで...。2時間半も意味不明な映像を観て最終的に興ざめするなんてこんな拷問はありませんぜ、姐さん。

しかし、世の中とは不思議なもので、10年前はポケベルがリンチ作品を台無しにした!と騒がれていたのに、今では国際派女優だそうです。手の平返しとはスゴイものです。そして、その役柄である "ナイド" が『The Return』の中ではかなりの重要なキャラクターときたもんだから、まあ、見過ごすわけにはいかないわけです。ただ、リンチ監督もお勉強したのでしょう。"ナイド" にはいっさいセリフがありません。ピーピー鳴いているだけです。まあ、これにも深い意味がありそうで、なかなかなのですが。

そんなわけで、秋クールの連ドラがどれもこれもつまらないので、完全にリンチ・マニアしか興味を示していない『ツイン・ピークス The Return』を振り返ろうかと思い、さらには、その前菜として、この『インランド・エンパイア』を、またまた小出し連載の形で紐解いてみようかと思います。

ツイン・ピークス』同様、映画公開から10年の間にいろいろと考察、もしくは妄想され続けている映画ですので、今さらファントムはスー自身の影なんだぜっ!とか、劇中劇の内容はシーンの彩度で見極めていけばつながっていくんだぜっ!とか、ロコモーションガールは単なるリトルピープルなんだよなっ!とか語るつもりはありません。どちらかと言うと、ググってもあまり語られていない部分に焦点を当てながら、内藤仙人さまが語っていたようにダブル2本道、鯵の開きをおいしく食べる方法を書き込めていければと。

では、姐さん、次回の『インランド・エンパイア論』は "AXX ON... and" ですよ。

「深読みインランド・エンパイア① Axx on n'」

【dele #8】削除と附与

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『dele (ディーリー)』

第8話(最終回)

監督:常廣丈太

脚本:本多孝好

 

いいドラマだった。

そう思う。

でも、なんだろう。

最後にやっちまった感が残る。

何をやっちまったんだろう?

たぶん、あれだ。

たぶんね。

 

第1話「横領事件」

第2話「生前葬

第3話「公安」

第4話「超能力」

第5話「同性愛」

第6話「いじめ」

第7話「冤罪」

第8話「薬害」

各話のテーマをこうして並べてみるとケイと祐太郎くんの人生が見えてきます。うん、見えてはくるのですが、その反面、オカズにされた問題たちが深刻すぎて、それを上辺だけ掬ったようになってしまっているのです。

前々から事件の核心を語らないドラマだとは思っていましたが、それはあえて "語らなかった" わけではなく "語れなかった" のです。それが今回わかりました。なぜ語れないのか。わからないから。理解できないから。というよりも、僕と同じように単にググっただけで知った気になっていたから。うん、わかったつもりでいても、結局、こうなんだよね。

浅はかだな...。

 

第6話の「いじめ」の時にも思いましたが、今回の「薬害問題」も、古沢氏脚本の『リーガル・ハイ』と比べてしまうと、『ディーリー』はどうにもこうにも正々堂々と正面から戦ってないんですよね。戦うように見えて小手先に逃げてしまう。いや、物事を見る視点が偏りすぎている。もちろん、他の視点も見ているんだろうけど、それを混ぜてしまうと収拾がつかなくなるから、あえて見ないことにしている。この目をつむってしまっている所が春樹チルドレンと呼ばれる所以でもあるんだろうなぁ...。

もちろん『リーガル・ハイ』は弁護と検察という対局する同士が戦うドラマなので、どうしてもテーマに対して正面から向き合い、いろんな視点の中から主人公としての答えを導き出していかなければならない所はあります。それを毒を喰らわば皿までと、酸いも甘いも腹に落とし込んで、とりあえずゲラゲラ笑っていたのが古美門研介という男でした。

そういう視点で見ると、祐太郎くんがただただ被害者として怒りをぶちかまし、被害者として無力感に捕らわれ、被害者として周囲に "優しさ爆弾" をバラ撒いているのは至極当然の姿だとは思います。しかし、"物語" が祐太郎くんに寄り添ってはいけないと思うのです。"物語" はあくまでも祐太郎くんを通して僕たちが生きているこの "世界" を描くべきなのです。

期待していた最終回ですが、結果として、祐太郎くんの復讐劇で終わってしまいました。ムカツクあの野郎をとっちめてやった。はあ、スッキリした。さ、ゼロから始めようぜ!

 

マジか?

マスかいただけじゃねえか!

 

たぶん、こういうところが小説とドラマや映画の違うところなのかもしれません。もしかしたら、本多脚本はもっと違うエンディングが描かれていたのかもしれない。しかし、映像作品を総合的に作り上げていくのが監督さんです。監督さんが、このエンディングは違うっ!と思えば、簡単に書き換えられてしまうのかもしれません。というか、そう思いたい。あの『正義のミカタ』や『at HOME』で幾重もの視点から現代の救いを導き出していた本多作品がこれとは思いたくないのです。本当に『ストレイヤーズ・クロニクル』で勘が鈍ってしまったのか?集英社なんかで中二病をこじらせた少年マンガの原作みたいなものを書いちゃうから、こうなっちゃうんだよ(泣)

 

ケイが笑った!とか、

舞姉さんの色気がヤバすぎ!とか、

麿 赤兒さん、ラスボス感ハンパない!とか、

なんだかんだ言いながら楽しかったです。

楽しかったんですけど、

マスはかいちゃいけません。

そういうことはこっそりやってください。

【dele #7】猜疑と拠所

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『dele (ディーリー)』

第7話「死刑囚の告白」

監督:常廣丈太

脚本:徳永富彦

 

巷では「結局、犯人は誰なんだ?」とモヤモヤしてる人が多発しているようですが、そんなモヤモヤを解消するため、今さらのように5年前の未遂事件を引き出して、犯人に祀り上げられてしまったのが今回の笹本清一だったと言えます。物的証拠もなく、地域住民の証言だけで死刑判決が下され、8年間、ひたすら無実を訴えても棄却され続け、挙句の果てには死刑が執行されてしまう。世間的にはこれで事件は解決、悪者は始末された、とスッキリしているのが現状だと。やっぱり犯人はあいつだった。めでたし、めでたし。しかし、裏を返すと、5年前の未遂事件で被害者は一命を取り留めており、今回の毒物混入事件が冤罪だとしたなら、笹本清一という男は誰一人殺してもいないのに死刑が執行されたことになります。それに対して祐太郎くんは「すっげえ、気持ち悪い!」と吐き捨てます。ホンット、このドラマいいですね。

 

ミステリーという性質上、どうしても誰が真犯人なのかを考えたくなります。ドラマを見てパッと思いつくのが下記の4点。

①「余所から来た」と女の子が言っていたからやっぱり笹本隆が真犯人。小瓶には処方された薬を入れていたと父親が言っていたのは嘘で、あれが青酸だった。

②最後に笑っていた5人が共謀してそれぞれのターゲットを殺害した。その様子をスマホで撮影していた笹本隆は女の子に「飲むと死んじゃうよ」と忠告した。

③女の子にジュースを飲むように勧めたおばちゃんが真犯人。上記の5人の裏事情を知り、それぞれのターゲットに致死量の青酸入りジュースを当時配り歩いた。

④笹本隆を自殺に見せかけて殺害した13年前の未遂事件の被害者が真犯人。あえて犯人を登場させず、物語の裏で物語が流れているというのが狙い。

こんな風に、あいつが怪しいとか、あの時のあの言動が裏付けだとか、そういえばあの時こんなLINEをしていたとか、いろいろ疑うその "猜疑心" が今回のテーマだったと言えます。それをミステリーという道具を使って視聴者をうまくミスリードした徳永脚本が秀逸だったと。

 

では、今回の物語に登場した人物たち、それぞれに焦点を当ててみます。

 

◆笹本清一(自称・派遣社員

2005年、自身が経営していたメッキ工場が倒産寸前になり、従業員である一人の工員に青酸を飲ませ保険金をだまし取ろうとするが未遂に終わる。殺人未遂として懲役5年の実刑判決を受け、出所後、児童施設に預けられていた息子の隆を引き取り、埼玉県川本市に移り住む。2010年8月、町のバザー会場で発生した毒物混入事件の容疑者として逮捕され、取り調べに対して犯行を自供する。しかし、裁判が始まると無罪を主張し、一審では証拠不十分として無罪判決になるが、検察側の控訴による二審で逆転有罪になり死刑判決が下される。弁護側が上告するも最高裁がそれを棄却し、2018年、刑が執行される。享年53才。

【猜疑的解釈】

物語で語られていたように自身の身を守るためなら従業員を殺害してでも生き延びようとする卑劣な男として見ることができる。舞さんも面会した後「信用できる人間かどうか正直わからなかった」と語っている。人を威圧するところがあり、マスコミに対して暴力を振るう様子が撮影されていることからも、前科者として世間から蔑まされていた腹いせに犯行に及んだと解釈することができる。

【拠所的解釈】

そもそも従業員殺害未遂の犯行が笹本ではなく、役員など笹本の部下による犯行だった場合、部下の罪を被って自らが実刑判決を受けた可能性もある。今回のバザー毒物混入事件も、息子の隆の犯行だと知り、息子の罪を被る為、同じように犯行を自供したのかもしれない。しかし、前科者だと罵られ、世間からの冷たい視線に怒りを覚えた笹本は、裁判になると町の住民たちのせいだと語り始めた。息子が罪を犯すまでに追い詰めた町の住民たちが悪いのだと。

 

◆上野兼人(レストラン経営)

南鳩山にあるレストラン「ビストロ・プルミエ」の店主。定番メニューはハンバーグ。妻の成美、母の美奈子と暮らしている。8年前の毒物混入事件で娘の幸子(当時5才)を亡くす。穏やかで人当たりが良い。レストランは町内会の会合に利用され、ある日、市議会議員の宮川新次郎が土木会社社長の中山剛から談合を持ちかけられている姿を目撃する。また、その市議会議員の宮川と妻の成美が不倫の関係であることを知り、2010年頃には二人の様子を密かに撮影していた。8年前の事件当日、母に娘を預けていたと語っているが、事件が起きたバザー会場に上野の車が駐車されている様子が撮影されており、サイドミラーが折りたたまれていなかったことから、事件が起きるまで車内に隠れていた疑いがある。

【猜疑的解釈】

妻の不貞をことごとく追い掛け回し撮影していることから陰湿な性格の持ち主なのかもしれないということ、またその写真を利用して市議会議員の宮川を脅していた可能性もある。妻の成美と宮川の不倫がいつから始まったのかは描かれていないが、仮に娘の幸子の父親が宮川であったなら、その関係を終わらせるため、あえて娘の命を奪ったと解釈することもできる。その結果、母親の痴呆が始まり、介護に追われる妻の姿に今では満足している。最後の笑顔は8年前の事件で今の地位を築いたことへの優越感でもあると。

【拠所的解釈】

8年前の事件が起きるまでは妻の不貞に嫉妬し、バザー会場に車を乗り付け見張っていたりもしたが、娘を亡くしたことをきっかけに夫婦仲が戻ったと解釈することもできる。事件を契機に妻と宮川の関係も終焉し、8年の月日が経ったことで、今ではお互いに笑って話せるまでになった。

 

◆和田保(小売店経営)

南鳩山にある食料雑貨店「和田商店」の店主。未婚。上野と同じように表面上は人当たりが良いが、一旦ブチ切れると途端に暴力的になる。近くのアパートで病気がちの母親と暮らしていたが、8年前の事件でその母親を亡くす。店を訪れた祐太郎には8年前のバザー会場には行ってなかったと証言するが、隆が撮影していた映像には会場の準備を手伝う姿が映っていた。また、母親の介護に苛立ち、日常的に家庭内暴力をふるっていた様子も撮影されている。

【猜疑的解釈】

町の小売店を経営していることから町内会の会合に彼も出席していた可能性は十分にあり、そこで宮川や上野と裏で結託し、8年前の事件に関与した疑いがある。未婚である理由も母親の介護に携わっていたからだと決めつけ、人生を母親に奪われたと憤っていると解釈することもできる。地主である宮川から土地を借りていると語っていたが、ラストの仲睦まじい姿は、どちらかと言うとリーダー的存在の宮川とつるむ昔ながらの悪友のようにも見受けられる。

【拠所的解釈】

母親の介護に疲弊し、家庭内暴力をふるっていた事実はあるが、それも8年前のことである。小売店の経営という決して稼ぎが良い状況ではない上に、痴呆を患った母親は上野の母親と同じように商品を勝手に開封したりと、病院の治療費の他にも金銭的に和田を圧迫していた可能性もある。8年前の事件で母親を亡くすことにより、介護からは解放され、保険金が入ったことにより金銭面でも余裕が生まれた。それでも上野の母親への態度から垣間見えるのは、過去の母親の姿を目の前にすると咄嗟に暴力的な態度に出てしまうという、その介護生活が相当のトラウマになっていることである。8年ぶりの町内会バザーへの参加は、そんなトラウマから抜け出す第一歩であると解釈することもできる。

 

◆宮川新次郎(市議会議員)

川本市の市議会議員であり、南鳩山の地主。妻と娘の茜と暮らしている。世間的には町おこしに熱心な人物として人望を集めているが、市議会に出馬した際、地元の有力企業である土木会社社長の中山剛の力を借りて、票を買収していた疑いがある。また、隆が撮影していた映像には、事件の核になるウォータークーラーに不審な粉末を混入していた姿が映っていたが、本人は「ジュースの粉末を入れただけ」と事件への関与を否定した。上野の妻である成美と不倫の関係にあり、その姿を夫の上野や娘の茜に目撃されるなど脇が甘いところがある。

【猜疑的解釈】

長いものには巻かれ、不倫現場がことごとく目撃されていることから、相当な跡取りお坊ちゃんであることは否めない。中山からの圧力、上野からの圧力から解放されるため、ちょうど町に引っ越してきた笹本親子に目をつけ、毒物混入を企てた可能性がある。ジュースの粉末に青酸を紛れ込ませばウォータークーラーに毒物を混入させることが可能で、その結果28名もの町民がその被害にあってしまう。しかし、本当に殺害したい人物には致死量の毒が入ったジュースを渡しており、そのターゲットが土木会社社長の中山と、上野から指示された不倫でできた子供である幸子であった。上野はその行動を監視するためにバザー会場に駐車した車内で宮川を見張り、和田はこの計画を聞きつけ、どさくさに紛れて自分の母親を殺害した。

【拠所的解釈】

市議会に出馬したのは土木会社社長の中山の策略であり、本人は至ってあけっぴろげな不倫に興じているおとぼけ君である可能性もある。ウォータークーラーに入れていた粉末は、本人が言うように本当にジュースの粉末であったが、疑われてもおかしくない行動をわざわざしてしまうところが、宮川のおとぼけ具合を助長している。議員でありながら不倫に興じているのがバレバレなところも然り。事件によって偶発的に中山が死亡すると、カセが外れ、この南鳩山を住みやすい町にしよう!と、これまたお坊ちゃん的な発想で能天気な献身愛を発揮する。根は素直で良い男だが、周りから持ち上げてもらわないと何もできないお坊ちゃん気質は、ある意味、今回の事件をひっかき回した張本人とも言える。

 

◆宮川茜

宮川新次郎の娘。詮索好きで、自宅を訪れたケイに興味を抱く。8年前に方々で撮影をしていた笹本隆を目撃し、ケイに「なんか気持ち悪かった」とつぶやく。父親が車中で浮気をしている現場を目撃し、8年前の事件の首謀者は父親ではないかと疑いを抱く。隆が撮影していた動画の中に売人とドラッグの取引をしていた姿が映っていた。ケイに突然キスをしたかと思うと、次には平手打ちを喰らわすなど、父親に似て自己中心的な典型的なお嬢様気質であることが伺える。

【猜疑的解釈】

ケイが疑いの眼差しを寄せたように、売人との間でトラブルが発生していたとしたなら、もともとの詮索好きが高じて父親の毒物混入計画を知り、和田と同じようにどさくさに紛れて売人を殺害した可能性がある。世間的には仲睦まじい議員の父親とその娘を演じてはいるが、腹の中では何を企んでいるのかわからないところがある。

【拠所的解釈】

父親と同じで根は素直で良い娘である。偶然に父親の浮気現場を目撃してしまったこと、本人が使用していたかどうかは定かではないが、ドラッグの売人と関係があったことなども、父親と同じで世間的な立場を考えないうかつでおとぼけなキャラであるとも言える。見た目は地主という育ちの良さを醸し出しているが、無邪気ですっとぼけているところは、宮川家の血筋なのかもしれない。

 

と、このように毒物混入事件で死亡した4人の被害者にまつわる人物たちには、どちらとも意味が汲み取れるダブルミーニングが用意されています。これらをどちらの視点で世界を覗き見るかで、その見え方は変わってくるのです。そして "猜疑的" な世界はケイの視点、"拠所的" な世界は祐太郎くんの視点で描かれているところも秀逸なのです。

ケイの視点で世界を覗き見てみると、毒物混入事件は宮川を中心にそれぞれがターゲットを殺害したというのが真相であり、笹本親子は無実の罪を背負わされてこの世界から去って行ったことになります。しかし、今さらそんな真相を世間に訴えたところで世界が変わるとはケイは思っていません。消したいと思うなら消せばいい、ない事にしたいならない事にすればいい、オレはそれにほんのちょっとだけ手助けをしているだけ。これがケイのスタンスになります。

祐太郎くんの視点で世界を見ると、世間からの蔑みに耐えかねた笹本隆が、町民への報復のために事件を起こしたというのが真相になります。13年も前から犯罪者の息子として世間から蔑まされ、学校ではいじめられ、母親は過労と心労で死亡、児童施設に預けられても犯罪者の息子という蔑みの視線は変わりませんでした。耐えに耐えかねて毒物混入事件で町民へ報復するのですが、その結果、自分の思いとは裏腹に、父親はマスコミのターゲットにされた挙句、逮捕からの死刑判決を下され、事件で死亡した4人は報復するはずだった町民たちを却ってトラブルから救い出すことになってしまった。事の真相を知っていた父親は息子の身代わりであり、8年もの間、これは町の人間たちのせいだと訴え続けた。その声を聞きながら隆もひっそりと生き続けたが、父親の刑が執行される頃を見計らって、まるで足並みを揃えるように自殺をした。そんな悲しい世界が祐太郎くんには見えているようです。そして、祐太郎くんも、隆と同じように悲しい世界を見てきた青年なのかもしれません。

 

いよいよ来週は最終回だそうです。

ケイと祐太郎くんの過去がとうとう明らかになりそうです。

その結末が笹本隆と同じように悲しい世界でないことを願っています。

【dele #6】純心と絶望

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『dele (ディーリー)』

第6話「雪原に埋まる少女の死体と消された日記」

監督:常廣丈太

脚本:金城一紀

 

からあげ。

からあげ。

からあげ。

どうやらケイはチャキチャキな江戸っ子なようです。てやんでい。

 

第1話の地下通路の逃亡劇、第3話の寂れた港町の商店街、第4話の奥深い森の光と影、第5話のゴムで髪を束ねる後姿など、毎回毎回ハッとするような絵を魅せてくれるこのドラマですが、今回はその極致とも言える絵でストーリーが始まりました。

"生きていた時より美しく華麗に死ぬ方法はただ一つ、あの死に方しかない。あの澄んで冷え冷えとした死"

阿寒湖の畔で自死した初恋の人を想いながら綴った渡辺淳一氏の初期傑作『阿寒に果つ』と同じように、"純子" と名付けられた14才の少女は長野県の山奥でひとり雪の果てへと旅立っていきました。その姿がハッとするほど美しいのです。

もちろん死を賛美するわけではありませんが、時として、死は美しく魅力的な姿として僕たちの目の前に現れることがあります。いじめに悩む学生だけではなく、大人になったって、イヤな仕事や会社の人間関係に悩む時は、今にも大地震でも来てなにもかもうっちゃらないかなぁなんて思う時があります。近寄ってくる電車の姿を見て、飛び跳ねちまえば一瞬で楽になるのかなぁなんて想いながら、結局、満員電車に揺られて鬱屈するだけみたいな。誰だってしんどい時はしんどいんです。そんな時に "死" って奴は、まるで宝くじが当たるみたいに人生を一変させる魅力的なものとして目の前に現れます。でも、その先に未来はない。未来は生きていないと変えられないのです。まあ、しんどいですけど、筋トレみたいなもんだと割り切って、過剰な負荷の後にはそれなりの筋力がつくのだと思って僕は生きてます。

 

まあ、僕の死生観なんかどうでもいいですけど、今回の金城脚本、なかなかに "死" というものを考えさせられるストーリーでした。冒頭の祐太郎くんの「因果な商売だよね。人が死ぬのをじっと待ってなきゃいけないなんてさ」というセリフに反発するように "生" を求めた回でもあるのかなと思います。死んで消えるより、生きて足跡を残せと。ケイは轍だけどね。

でも、時間軸がイマイチわかりにくかったと思います。

◆半年前に家出した少女。

◆自殺する3ヶ月ほど前から学校を休みがち。

普通にドラマを見ていると上記の2点だけが語られ、なんとなく半年前に自殺したんだろうなぐらいしかイメージできません。そこで舞姉さんが見せてくれたネットニュースを細かく見てみます。

 

「家出の女子中学生 遺体で発見」

4月29日 12時25分

昨年12月22日から行方不明となっていた家出中の女子中学生が28日午前9時、長野県諏訪群富士見町立沢で遺体で見つかった。死因は凍死だった。

遺体で見つかったのは東京都渋谷区の石森純子さん(14)。石森さんは昨年の12月22日、渋谷区の自宅から家を出たまま、行方が分からなくなっていた。警察によると、28日午前9時前、長野県諏訪郡富士見町立沢の別荘地にある石森家の別荘を捜索にあたった男性巡査が、同敷地内で倒れている石森さんを発見。発見時、石森さんは全身のほとんどが雪に埋もれた状態で、その後、死亡が確認された。検視の結果、死因は低体温症による凍死だった。石森さんは赤いダッフルコートを着用していたが、その後マフラーが別荘近くの路上で発見されている。

警察は、石森さんに外傷はなく、別荘が荒らされた形跡もないことから、第三者が関与した可能性が薄いとして石森さんが自殺した可能性が高いとの見方を強めている。

 

このニュースから読み解ける時間軸としては、

◆昨年の春頃に純子ちゃんと彼氏(田辺くん)の交際がスタート

◆昨年の夏休みに純子ちゃんと田辺くんが別れる

◆昨年の9月頃に優菜ちゃんが田辺くんと付き合い始める

◆それを見て傷つき嫉妬した彼女は9月22日に最後の日記

◆翌日からホワイトデイジーのハンドルネームでSNSに投稿

◆10月26日にtapir030623から返信あり、やり取りを始める

◆11月7日、tapir030623が「世界の汚さを見せる」と投稿

◆12月5日、世界の汚さに絶望する

◆12月17日、「綺麗なまま死にたい」と投稿

◆12月22日、両親の別荘地へ赴き凍死

◆雪に埋もれ発見されずに時が過ぎる

◆4月28日、雪解けと共に巡査に発見される

 

こんな感じで、舞姉さんが依頼を持ち込んできたのは6月半ばであり、優菜ちゃんたちは中3になっているというストーリーラインが見えてきます。普通にドラマを見ていると、こんな時間軸はぜんぜん頭に入ってきませんが、しかし、裏のタイムラインもしっかりと作り込まれていることがはっきりしています。金城先生、本多に負けてられっかとばかりに気合入れ過ぎな練り込みようです。

さらに毎回毎回ですが、昨今のドラマとしては珍しいくらいに、この『ディーリー』というドラマは物語の裏設定を語りません。あくまでもケイと祐太郎くんが依頼人と対峙することを主軸にしていて、そこで語られていることは、これまた毎回毎回ですが、死者への慈しみなのです。神すぎる。

 

純子ちゃんのハンドルネームである "ホワイトデイジー" も、第3話のバラの本数と一緒で、密かな暗喩がありそうです。ホワイトデイジー花言葉は「無邪気」。デイジー自体の花言葉は「美」「純潔」などがあります。純心だからこその無邪気な悪意。田辺くんと手もつながなかったのは純心ゆえの照れであり、もちろん中2男子の田辺くんはそんな女心を察するデキメンではない。そして、生まれて初めて味わった "嫉妬" という狂おしいほどの混乱に、純子ちゃんは無邪気なまでに毒を吐いた。素直であどけないからこそ、クズ獏のようなオッサンに騙されてしまった。こんな内容を、ホント、よくまあ1時間ドラマに詰め込んだもんだと、感動を超えて平伏すらしてしまいます。

予告編で匂わせていた "いじめ" という問題を正面きって描くのではなく、どこか話題転換された感もあります。どちらかというとミスリードされたみたいな。そういう点では古沢氏が『リーガル・ハイ』で描き切った「いじめの根本的な原因は "空気" だ」の方が僕的には腑に落ちるのですが、それはそれ、いずれにしても野島伸司氏のようなただ面白がってタブーを描くのとは次元の違う話ではあります。

 

14才の女の子の思い詰めた表情を見抜いたり、「ブスでごめんなさい」と泣きじゃくる彼女を抱きしめている祐太郎くんを見ていると、まるで亡き妹への償いのようにも感じました。あの時、こうして抱きしめて救い出してあげていれば...、そんな想いが祐太郎くんの表情からヒシヒシと伝わってきます。

さらには舞姉さんが語っていた「ある日突然、家族を亡くして、あとに取り残された人間の気持ち、あんたにはよくわかるんじゃないの?特に自殺の場合、遺族は自分たちを責めてつらい思いをする事になる」というセリフ、もんのすごく意味深です。ケイと舞姉さんのお父さん、もしくはお母さんは自殺したのでしょうか?もしくは、ケイの親しい誰かが、そういう状況にあったということでしょうか?この辺の伏線回収もこれからの楽しみでもあります。

 

まあ、ドラマの中なので、お父さんは普通に不倫をしているし、お母さんは簡単に学校の担任先生とこれまた不倫をしている。ここまで書いて最後になんだけど、世界は汚いと言いながら、これはちょっと設定が軽すぎます。クズ獏がアイコラして作り上げた偽物だと思いたい。汚いのはクズ獏が汚れているからであって、純子ちゃんを取り巻く世界はそんなに汚れていなかった。そう思いたい。まあ、田辺くんはやっちまった感があるけど、中2男子はそんなもんだ。小僧はいきがるもんです。

【dele #5】情愛と悔恨

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『dele (ディーリー)』

第5話「婚約者は別の顔」

監督:常廣丈太

脚本:本多孝好

 

ケイと祐太郎くんの過去が徐々に明らかになり始めた第5話。そして、本多先生が脚本を務めた2本目とあって、まあ、以前にも増して神回でした。いいドラマだ。

 

まずはケイが車イスの生活を余儀なくされているのは、高校時代に発症した何かの病気が原因ということでした。病気が発症する以前は、普通に高校生活を送っていて、遅刻しそうになったら校門に駆け込み、しかもテニス部で、さらには音楽の教育実習生だった沢渡明奈先生(柴崎コウ)と親しい関係になったと。ただ、その親しい関係というのは病気が発症してからのことらしいので、実際にどういった経緯で親しくなったのか、さらにはその病気が明奈先生と何か関係があるのか?まではまだ謎のままです。今後が楽しみです。

そんな明奈先生とは一年に一回、必ず定期的に会っているようです。まるで乙姫と彦星みたいですが、いつもは全身真っ黒なケイが、この時ばかりは白いシャツを羽織るようです。しかし、白い服、似合わねぇ~。と、言いつつ、ドラマも5話目まで来ると、ケイのこの仏頂面に妙な親しみを感じてきてしまったというか、でも、明奈先生の前ではどこか心を開きつつあるというか、感情を表に出さなくても、ケイが何を考え何を感じているかは明奈先生にはお見通しのような、そんな見透かされている弟感がまた面白いんですよね。

逆に明奈先生の登場によって、今回、舞姉さんこと麻生久美子さんの出番はなし。んん、目の保養が...。

 

祐太郎くんは祐太郎くんで、9年前に14才だった妹を亡くしていたことが判明。今回の依頼人である天利聡史くんの婚約者である楠瀬百合子さん(橋本愛)から、「いいお兄さんだった?」と問われ、ガラにもなく遠い目をする祐太郎くん。過去に何かしらの事情があったこと、そして、言うほど仲のいい兄妹でもなかったことが伺えますが、その辺も今後の展開が楽しみな材料であります。

でも、ちょっと思いました。じゃあ、祐太郎くんって何才なの?

仮に妹が生きていたとしたら現在23才になっている計算になります。今回の調査開始の時に聡史くんと小学生の同級生という設定で祐太郎くんは事務所を飛び出していきますが、その時に「オレ、27才に見えるかな?」とケイに確認しています。ということは、27才よりも下であると。じゃあ、いくつなのよ?と公式サイトを見てみたら、どうやら25才だそうです。祐太郎くんが16才の時に妹が亡くなってしまった...。この辺も今後の伏線になってくるのでしょうか?しかも、次週の予告編では「家出した14才の女の子が死体で発見されたの」と舞姉さんが語っています。いじめとか、なんかイヤ~な鬱要素があることを匂わせていましたが、"14才で亡くなった妹" というキーワードとどう絡んでくるのかが楽しみでもあります。

 

今回は本多先生の脚本とあって、小学校の校舎や鉄棒、公園のすべり台、病室や川べりなど効果的な舞台が数多く登場したり、百合子さんがゴムで髪を束ねるシーンや、最後のどんでん返しなど、『MISSING』や『MOMENT』『FINE DAYS』辺りの往年の本多作品を彷彿させる神回でした。やっぱ、このドラマ見ててよかったわぁと思ったのですが、物語的にも "死" がテーマでありながら、誰も死んでいないというのも、なかなか特殊な回だったような気もします。

また、今回も黒猫チェルシーなんていうマイナーバンドのボーカル渡辺大知くんがゲスト出演していますが、彼も銀杏ボーイズの峯田くんと一緒で、ミュージシャンでありながら役者としても結構な作品に出演しています。方や、野島伸司大先生の説明台詞をこれでもかと棒読みさせられているのに比べ、逆にこのドラマはそういった説明台詞が極端に少ない、しかも、最後のどんでん返しなんて手を握っただけ。それだけでいろんなことが理解できてしまうという、すごい恵まれた作品に出演しましたねぇ~みたいな。

劇中で流れていたショパンの『ノクターン夜想曲)第21番 ハ短調』も、おうおう、春樹チルドレン丸出しの選曲じゃないか!とほくそ笑んでしまったのですが、プレスリーの『ラブ・ミー・テンダー』よりぜんぜんいいでしょ。ショパン最晩年の曲をセレクトしたところに何か意味があるのかないのかはわかりませんが、意味がありそうで実は雰囲気だけで選びましたっていうオチだとしても、それはそれでありじゃないですか。しかも、このドラマ、主題歌もないんですよね。まあ、これだけミュージシャンが参加していたら、逆にアタマ張って主題歌を歌う人の方が大変な気もしますけど。

 

いずれにしても、百合子さんの恋心、聡史くんの秘密が胸にキュンキュン来るなかなかな回でした。これでこそ本多作品です。来週はそんな本多先生の盟友で、このドラマの企画発案でもある金城一紀先生が脚本を担当した第6話。いじめの鬱要素を気持ちいいぐらいに吹っ飛ばしてくれる、金城先生ならではのストーリーテリングを期待しています。ああ、来週は舞姉さんがいっぱい登場したらいいなぁ。