that passion once again

日々の気づき。ディスク・レビューや映画・読書レビューなどなど。スローペースで更新。

【連続テレビ小説「なつぞら」】第7週 やってみたいのさ。挑戦してみたいのさ。

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なっちゃんはアニメに魂を吹き込みたい。

天陽くんはキャンバスに魂を吹き込みたい。

そんな若い二人の姿を見ていると、

「何かをやりたい!」なんて気持ち、

いったい、いつの頃から消えたんだろう...?

そんな風に思ってしまいました。

 

まるでミケランジェロの如く、

木の中から魂を掘り出している弥市郎さん。

その達観した人生観なんて到底、辿り着けない。

 

一目で砂良さんに恋に落ちた照男兄ちゃん。

夕見子ちゃん好き好き雪次郎くん。

よっちゃんに乗り換えた番長。

いずれにしても、

そんな情熱もトキメキもとんと昔に消え失せた。

 

なっちゃんを想いビンタした富士子さん。

諦めることが思いやることと腹を括ったおんじ。

気まずい食事。

気まずい暮らし。

そんな居ても立ってもいられないような、

なんとも もどかしい気持ちなんて...。

 

大志を抱け!

夢をつかめ!

そんなセリフが昔はごまんとありましたが、

この『なつぞら』では、そのキーワードが出てきません。

出てくるのは「魂」と「挑戦」、そして「家族」です。

 

毎回毎回なっちゃんの涙につられて涙腺崩壊。

同じように泣いている日本中の視聴者たち。

がんばれ、なっちゃん

みんな、そう思ってるんじゃないかと。

でも、それと同義語なセリフがあります。

それは「がんばれ、自分!」

 

会社勤めで仕事をしている人、

育児や家事に精を出している人、

勉強に追われている人、

もしくはそんな季節もとうに過ぎて、

今日もやることがなくて途方に暮れている人、

代り映えのない普通の暮らしをしている人、

そばに誰もいない人。

 

ドラマのような「魂」とか「挑戦」はないけど、

みんな「生きること」をがんばってるんではないかと。

「生きること」をがんばらなきゃいけない時代なんだと。

だから、がんばれ、なっちゃん!と思いながら、

がんばれ、自分!って思ってる。

そう思える素敵なドラマが毎朝放送されている。

 

夢はない。

大志もない。

だけど、生きている。

感情移入できる心がある。

それだけで充分だと思う。

 

がんばれ、なっちゃん

明日も陽が昇る。

祝!永井真理子、トレンド入り

ナガマリ、一瞬だけどトレンド入り。

マジか、姐さん。

こんな日が来るとは...(泣)

SNSで昔の曲を懐かしむのもいいけど、

新しい曲たちもいいぜよっ!

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そして、7月にはニュー・アルバムだぁっっっ!!!!!

ヤッホゥ~~~イ!!!

映画『ミックス。』を観て、その一歩を踏み込めっ!(観た後にやる気が出る映画10選付)

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ガッキーがカワいかった。

さあ、その一歩を踏み込もう!

 

ご都合主義?

だから、なんじゃい。

キスいらない?

そりゃ、そうだ。

大団円?

人生、そんなに簡単じゃないわな。

 

でも、いいじゃん。

映画観て気持ち良くなれれば。

 

ただ、『獣になれない私たち』もそうだけど、

ガッキーに酷なことをさせちゃダメ。

みんなのガッキーなんだから、

『逃げ恥』ぐらいの妄想女子がちょうどいい。

テーブルひっくり返したり、

重い荷物持たせて倒れさせたり、

妙にリアルなドジさ加減はフィクションにならない。

 

てなわけで、『エイプリルフールズ』に続き、(個人的に)観た後にやる気が出る映画10選です。

 

1.『ハスラー2』(1986年)

プールバーなんて言い始めると、また昭和のおっさんがウンチクを語り始めたと思われそうですが、とりあえずビリヤードの一大ブームを巻き起こした映画。トッチャン坊やのトムクルはさておき、人生の再起を賭けたポール・ニューマンに胸が熱くなります。原題は『The Color of Money』、直訳すると「お金は見せかけのもの」。なかなか哲学的なタイトルです。ラストの「I'm Back!」にシビれます。(シュワちゃんは「I'll be Back」だけど、それに匹敵する名台詞だと思います)

 

2.『摩天楼はバラ色に』(1987年)

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言わずと知れたマイケル・J・フォックスの代表作。「僕の成功の秘訣」なんてタイトルからしてご都合主義も甚だしい映画ですが、いいんです、楽しけりゃいいんですよ。逆に難しく考えるから鬱になっちゃうんです。まあ、頭がいい証拠ですわ。一度きりの人生、楽しんだ者の勝ちですよ。昔はワーカホリックとかハードワーカーな人ってスゲェ!と思っていましたが、この作品で描かれているように、それはあくまでも自主的なものでした。成功したいから、お金持ちになりたいから、そんな野望があったからこそのハードワーカーだったのです。

 

3.『再会の街/ブライトライツ・ビッグシティ』(1988年)

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すいません、好きだったんですマイケル・J・フォックス。特にこの『再会の街』はビデオ時代に何度繰り返して観たかわかりません。ジーパンにジャケットを羽織ってネクタイ締めて、そんなスタイルにも憧れました。サングラスかけて、フランスパンかじって、かぁぁぁぁぁっ、なんでDVDにもならないんだろっ!また観たいなぁ!ニューヨークの若者が現実に押し潰されて、どん底に落ちてからまた再出発を誓う。映画の最後に描かれる夜明けは、観る者それぞれの夜明けでもあるのです。

 

4.『魔女の宅急便』(1989年)

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もう説明不要ですよね。希望を抱いて社会に出て、現実に直面してひたすら努力する。んでもって挫折して、最後はその挫折を乗り越える。これほどはっきりとした起承転結もないでしょう。でも、名作として長く愛される作品というのは、やっぱりシンプルでわかりやすくて、人生の真実をついているものだと思います。話は変わりますが、グーチョキパン店でトンボが「これ、ください」ってキキに差し出すラムレーズンのクッキーみたいなのがおいしそう。他のパンもどれもおいしそうだけど、あれが一番食べたい。ニシンのパイはおばあちゃんには悪いけど、自分もいらないかも...。ニシンだよ?

 

5.『ドク・ハリウッド』(1991年)

再度、すいません。好きだったんですマイケル・J・フォックスが。巷では『カーズ』がまんまパクッたと大騒ぎしていましたが、いずれにしても田舎暮らしの人にはなんの魅力もない作品かもしれません。かのスティーブ・ジョブスが禅をしていたおかげで、今では座禅だヨガだマインド・フルネスだと意識高い系の人は大忙しですが、要は田舎に行ってスローライフをするのが一番心に効く薬なんだよと言っている映画です。なので、もともとスローライフを送っている方々にはなんの効力もない映画です。

 

6.『ショーシャンクの空に』(1994年)

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原作がスティーブン・キングで、このブルーレイのパッケージを観たら、完全にホラー映画だと思われそうですが、ホラー要素ゼロですからねっ!なんで、よりによってこんな雷に打たれてショック死してるようなジャケットを選んだんだろ。真逆だからね。この雨に打たれるシーンが一番感動的なんだから。ソフト会社も少し考えてくださいよ、頼みますぜ。とにかく素晴らしい映画。人生の希望を決して捨てない、そんな男の信念に胸が熱くなること受けあいです。その効力がもったいなくて、ここぞ!という時にしか観ないようにしてます。

 

7.『ザ・エージェント』(1996年)

爽やかなトムクルが拝める最後の作品。『ブリジット・ジョーンズの日記』のレネー・ゼルウィガー出世作でもあります。キャメロン・クロウもここまでかなぁ。とにかくいろんな人がピーク時に製作したフィルムです。サントラも最高。「Show Me the Money!!!!!」も名台詞ですね。仕事に誇りを持つこと、家族を愛すること、クライアントを信じること。こんなどこかの自己啓発書みたいな内容ばかりですが、それが人生を豊かにする真実なのかもしれません。だから、同じような自己啓発書が何度も売れているんでしょうね。

 

8.『アメリカン・ビューティー』(1999年)

観た後にやる気が出るか?と言われると微妙な感じもしますが、ただ、中年男のケヴィン・スペイシーが女子高生に一目惚れして、ピンク・フロイドを聴きながら大麻を吸って自らを鍛え上げていくという "男の再生" を描いているという点では、世のおっさん達も捨てたもんじゃないんだぞっ!と、恋をして輝くのは何も女子ばかりじゃないんだぞっ!と言いたくなる作品です。シニカルで救いのない物語ではありますが、男性諸君、たまにはアイドルにうつつを抜かして、若さを取り戻すのもいいんではないかい?とも思えるのです。その代償はあまりにも大きいかもしれませんが...。

 

9.『プラダを着た悪魔』(2006年)

世のお仕事系ドラマとか映画って、だいたい『プラダを着た悪魔』が下敷きになってることが多いですよね。それだけ男女の差がなく、どちらかというと女性の感性がものを言う時代になってきているのだと思います。ただ、今ではパワハラだぁ、モラハラだぁとなんやかんやのハラスメントが問題になっておりますが、それを言ったらメリル・ストリープは鬼のようなパワハラ上司です。エミリーなんて腰巾着もいいとこ。こんな職場は速攻でブラックと叩かれそうです。それでもアン・ハサウェイが食い下がるのは、やはり仕事、というよりも自分に "誇り" があるから。

 

10.『マイ・インターン』(2015年)

僕も65歳とか70歳を迎える頃には、こんなロバート・デ・ニーロのような紳士になっていたいです。憧れますねぇ。アン・ハサウェイも好きです。ただ、職場があまりにもフレンドリーなのは、ちょっと ン... となってしまいそうです。そこがニューヨークや映画とは関係ないけどシリコンバレーと日本の違いでしょうか。で、ふと日本に目を向けてみたら、憧れる老紳士ってあまりいないなぁと思ってしまいました。『なつぞら』のおんじは偏屈だしなぁ...。そう、偏屈な人しか思い浮かばない。それが国民性なのかなぁ...。

【連続テレビ小説「なつぞら」】第6週 もう家族には戻れんよ...!

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ぶち壊してくれました、おんじが。

やってくれました、おんじが。

朝ドラ評論家の華丸先生が予言した通り。

マジかよ、おんじ。

でも、おしるこ食べてるから、大丈夫っしょ。

 

土曜日のなっちゃんが可哀そうすぎて、その週に起きたことのほとんどがすっ飛んでしまいました。爆弾発言の破壊力抜群です。でも、なんかうっすら感じたのは、なんで周りからなっちゃんと天陽くんをくっつけようとしてるの?みたいな空気です。本人たちそんなに意識してなかったのに、言われたら急に意識しだしちゃったみたいな。って書きながら、そういえば、小学校の時とかあったかもしれないなぁ、なんてふと思い出しました。「おまえ、なんとかちゃん好きなんだろぉ~!」ってなんとかちゃんの前でからかわれて、「んなわけねぇだろっ!」って本人の前だからもちろん否定するんだけど、その時のなんとかちゃんの表情が妙に色っぽくて、"なに、この甘酸っぱい感情は..." みたいな、なんか急に意識しだしちゃったみたいな。もちろん、なっちゃんと天陽くんの関係は、こんな虫に刺された程度の小さな恋心ではないでしょうけどね。どちらかというと雪次郎くんの "夕見子ちゃん好き好きオーラ" がスゴすぎて、そっちの方を応援したくなります。雪次郎、がんばれっ!手紙も40通毎日手渡しすると梅ちゃん先生と結婚できるみたいだぞ。

 

おんじの策略結婚と並行してなっちゃんに忍び寄っていたのがアニメーターへの道。東京での天陽くんのお兄ちゃんとの再会、そして、解剖医の中堂...、いや、東洋動画のアニメーター仲さんとの出会い、さらに映画『ファンタジア』。なっちゃんは随分と楽しげに映画を観ていましたが、周りに座っているちびっこ達はみんな爆睡してるっていうのもいいですねぇ。『2001年 宇宙の旅』と一緒で、世の金字塔とされている名作映画は大概、眠くなるものです。

 

「自分の生きる場所は自分で選べるような人間になりたいのさ」

そう語っていたのは今週の夕見子ちゃん。お嬢な感じで、ものの高みから下々を見下ろしてばかりだと思っていましたが、伸さん登場からメキメキと "生きる道" を模索している感じがめちゃめちゃ好きです。

思えば、戦争から帰ってきた父親が見ず知らずの女の子を連れてきて、今までかわいいかわいいで育てられてきたのに、牛の手伝いをする他人の子がじいちゃんに可愛がられ始め、いつのまにか家族の一員になっている。夕見子ちゃん目線で物語を見ると、もっとなっちゃんに意地悪をしてもおかしくない状況なのに、同じ部屋にいるのもイヤなんじゃないかと思うのに、逆に影響を受けて、自分の道を模索している。その突破口は大学に進学して家から外に出ていくこと。憎まれ口を叩きながらも健気に未来を見据えているその姿が愛おしくてしょうがないです。たぶん、剛男さんも雪次郎くんも置いてけぼりを食らうんだろうなぁ。

 

裏切り咲坊がとりあえず天然マダムに1万円を返したようで、ヤツもヤツなりにケジメをつけようとしているようです。よかったよかった。ってか、おんじ、もうなっちゃんを泣かさないでくれっ!

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マルセイバターサンドが食べたくなりました。

映画『エイプリルフールズ』からテレビドラマと映画の違いを考えてみた(群像劇映画10選付)

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いつの間にか大ヒットドラマとして扱われている『コンフィデンスマンJP』。確かに審査する方々の評価は高かったものの、世間的にどうだったかを思い返してみても、言うほどでもなかったんじゃないかなぁというのが個人的な印象です。で、その映画プロモーションの一環として、5月17日(金)の封切に合わせ、過去のフジテレビ系古沢良太脚本の映画作品を一挙に只今放送しておりまして。んでもって、映画とは別の『コンフィデンスマンJP 運勢編』なる新作スペシャルドラマも放送されると。さらには『コンフィデンスマンIG』なる五十嵐が主役のミニドラマまで放送...。いくらメディア・ミックスとはいえ、ここまで畳みかけてくるものか?と思うのですが、テレビ離れ・映画離れが甚だしい昨今では、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たると、相当に予算とエネルギーとサービス残業をつぎ込んで制作されているようです(え...、残業代はちゃんと払ってる?それは失礼致しました)。

ただ、たぶん僕は映画館には行かないと思います。わからないですけど。もしかしたら、気が向いて行くかもしれないですけど、そもそも邦画を映画館で観たことが今まで一度もないのです。あ...、『魔女の宅急便』は観ました、中学生の時に。ただ、それ以降、話題になった邦画でさえ映画館で観ようとは思えませんでした。ビデオやDVDがレンタルされても観たいと思って手を伸ばすことも少ないです。テレビで放映されても、やっぱり観ません。特に90年代以降の作品はトンと観ません。80年代でも『あぶない刑事』シリーズぐらい(同世代のみんなと同じように柴田恭平さんにめちゃくちゃ憧れたのです)。それより前だと黒澤明監督ものしか興味が湧きません。というよりも橋本忍さんに興味があると言った方が正しいかもしれません。小津さんは眠くなってしまいます。

なので、ドラマ放送時は大絶賛していた『コンフィデンスマンJP』の映画化は完全に嘘であって欲しかったんですが、どうやら先述したように想像以上の予算をつぎ込んだビッグ・プロジェクトとして来週末から公開されるようです。んん...。

 

人それぞれ "映画" に何を求めるかで、その楽しみ方というか満足度というのは変わってくると思うのですが、僕の場合は、とにかくハリウッド病、もしくは海外映画病に若い頃から疾患してしまっているので、普段、目にする景色をわざわざお金を出して映画館で観ようとは思えないし、テレビドラマと邦画の区別もつかないのです。さらにはだいたいの作品が一過性でしかなく、その作品がスタンダードになることも稀だとも思っています。やれ "たまごっち" だ、やれ "エアマックス" だ、やれ "ハンドスピナー" だ、そういう類のものと変わらないのではないかと(エアマックスハンドスピナーの間がだいぶかけ離れてはいますけど...)。

なので、たぶん『コンフィデンスマンJP』も一過性のはずです。いや、もしかしたら『北の国から』のフジテレビです。毎年恒例のスペシャルドラマとして、今後、半期に一度、もしくは年に一度、放映される可能性はあります。そういうポテンシャルを持った自由度の高い作品であるとも言えます。ただ、往々にして俳優さんたちのイメージが役に固定されてしまうと煙たがられる傾向があるので、やっぱり一過性で終わってしまうかもしれません。全ては長澤まさみ様、その腹づもりにかかっています。おぅよ、アタシは一生ダー子でもかまわないゼヨ!と言ってくれるなら、『コンフィデンスマンJP』は向こう10年制作され続けるはずです。それについては私は大賛成です。定期的にエロでキュートでインテリなダー子が拝めて、古沢脚本を楽しめるのなら、それに越したことはありません。『リーガル・ハイ』も捨てがたいですけど...。

 

で、『エイプリルフールズ』です。世の映画評を眺めてみても、真っ先に上がるのが語るまでもない映画ということです。誰々がカッコいいとか、誰々がカワイイとか、誰々が素敵とか。そもそも映画の内容となんも関係ない感想しか出てきません。コアな映画ファンはクソミソにけなして終わりです。けなす時間さえもったいない感じです。

僕的には、良く言えば「安心して観てられる物語」、悪く言うと「可もなく不可もない有体の物語」となります。どちらにしても "映画" である必要性があまり感じられない。テレビ畑の監督が撮ると、結局はテレビの延長線上にしかならない。そんなことが昔からずっと言われ続けています。

では、テレビと映画の違いはなんなのでしょう。

 ①映像表現の規制が違う

 ②テレビ=不特定多数の視聴者、映画=入場者数

 ③テレビ=日常、映画=非日常(行楽・イベント等)

両者を比べると、そこで描かれている物語性や芸術面、技術面についてはどちらも映像作品を制作しているということに優劣はありません。重要なのは、その "非日常" をどこまで楽しめるか?なのです。テレビをつけたら普通にやっているような内容を映画館で観る必要はない。テレビドラマが映画化されても、あまりパッとしないのはそういうことではないかと。僕たちは貪欲です。お金を払ったら、その対価に応じた非日常を経験できなければ、そこに価値を感じられないのです。

では、『エイプリルフールズ』が2時間ドラマではなく映画でなければならない理由はなんなのでしょう。...、...、...。儲けたいから。それしか考えられません。もちろん、儲けようとすることは非常に大事なことです。それを否定しているわけでは決してありません。ただ、商業映画というのはスタンタードにはならないのです。映画ファンから反感を買うのは、おもしろいでぇ~、おもしろいでぇ~と前評判だけ高めるだけ高めといて、蓋を開けたら単にハトが出てきただけだからなのです。ハトかよ!みたいな。そこらにワンサカいるじゃないかと。せめて、そこはゾウにしてくれよ。コアラにしてくれよ。パンダにしてくれよ、と。

なので『コンフィデンスマンJP』の映画化が非常に心配です。蓋を開けたら得体の知れない未知なるものが出てくることを期待しています。

 

ちなみに、僕は群像劇が大好きです。特にグランド・ホテル形式には目がありません。そんな個人的趣味で選んだ群像劇を10本ここで紹介して『エイプリルフールズ』の物語がどのようなところから生まれてきたのかを語りたいと思います。

 

 1.『グランド・ホテル』(1932年)

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言わずと知れたクラシック映画の金字塔。第5回アカデミー賞の作品賞に選ばれています。ホテルという一幕劇、数々の大スターの出演、それぞれに用意されている人間ドラマ。全てはここから始まっています。ホテルという非日常性も、8人の登場人物それぞれに悲喜こもごもなドラマが展開していくのも魅力です。根本的に、僕は "ホテル" という舞台装置にめっぽう弱いです。

 

2.『駅馬車』(1939年)

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西部劇の名作でもあるし、ジョン・フォード監督やジョン・ウェインの代表作でもあります。前述の "ホテル" という舞台装置を幌馬車に変え、それが移動していく形になります。今から80年も前の映画ですが、ぜんぜん古びないし、ただ単に夫に会いに行くのよっ!というだけの澄ました貴婦人役のルイーズ・プラットが可愛くて好き。そんな貴婦人とあんな狭そうな幌馬車の中にいたら、誰だって恋しちゃいます。

 

3.『オリエント急行殺人事件』(1974年)

群像劇の括りに入れるにはちょっと毛色が違うとは思いますが、まあ、個人的な趣味なので入れちゃいます。キャラクターそれぞれに思惑があるということ、オリエント急行という超セレブな列車の密室劇ということ、そして、当時の主役級の大スター達が大挙していること、どれもが昨今の群像劇の礎になっています。2年前にリメイクもされていますが、僕は断然こっちの方が好きです。

 

4.『バンカー・パレス・ホテル』(1989年)

フランスの漫画家(向こうではマンガのことをバンド・デシネと言うらしい)エンキ・ビラルの初監督作。これも群像劇というよりは密室劇になるのでグランド・ホテルほどキャラクターそれぞれが掘り下げられているわけではありません。ただ、僕は "ホテル" という舞台設定にめちゃめちゃ弱く、近未来SFにもめちゃめちゃ弱いです。その両方を兼ね備えたこの作品は、今でも僕の神です。

 

5.『デリカテッセン』(1991年)

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これも群像劇と括るにはどうかと思う部分がありますが、アパートの住人全員が濃いキャラクターで、それぞれがそれぞれの役目を果たしているという部分は捨て難い。『アメリ』が空前の大ヒットになってビックリしましたが、そんなジャン=ピエール・ジュネの初長編映画です。この頃ってミニシアターが流行していて、ハリウッド大作って敬遠されていたんですよねぇ。あの頃が懐かしいです。サウンド・トラックも最高です。

 

6.『ショート・カッツ』(1993年)

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ロバート・アルトマンの代表作だと僕は思っているんですけど、どうもそんな意見は少数派みたいです。これぞ、ザ・群像劇!3時間もある大作ですが、レイモンド・カーヴァーミニマリズムな世界観がこれでもかと織り込まれています。後のジュリアン・ムーアの快進撃は、ここから始まったと言っても過言ではありません。登場する人物たちがどこでクロスオーバーするかと思っていたら、最後の大地震だけという...。

 

7.『パルプ・フィクション』(1994年)

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タランティーノの名を世界中に轟かせた名作。群像劇も然ることながら、時間経過さえも縦横無尽に計算し尽くした緻密な脚本が一世を風靡しました。たぶん、この世代の人たちは大なり小なりタランティーノ的なクロスオーバーなことを一度はしてみたいと思うはずです。古沢さんも多分に漏れずではないでしょうか。『20世紀少年』もこれに近いかもしれない。マンガも映画も。とにかく影響されない人はいないはずです。

 

8.『マグノリア』(1999年)

公開当時は『ショート・カッツ』の再来と喝采を浴びていましたが、結局『ブギーナイツ』の方が尖ってるしエロいしということで、なんだか隅に追いやられてしまった作品。でも、僕は大好き。エイミー・マンの歌も、下品なトムクルも、脱がないジュリアン・ムーアも全部好き。物語は伏線だらけで、あっちがこっちとつながって、こっちがあっちとつながってと、何回観直しても発見があります。

 

9.『ラブ・アクチュアリー』(2003年)

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昨今の群像劇は、だいたいがこのイギリス映画の二番煎じです。『エイプリルフールズ』も、『リーガル・ハイ』のチームがドラマ大ヒットのボーナスをもらって、何して遊ぼうか?と思った時にこの映画の二番煎じが思い浮かんだ。ただ、それだけかもしれません。人間ドラマの浅さ、リアリティーの欠如、この映画はそれでもいいんだ、それでも楽しめるんだ、ということを証明してしまいました。

 

10.『クラッシュ』(2004年)

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同じテレビ畑出身のJ.J.エイブラムス同様、稀代の脚本家として注目されていたポール・ハギスの初監督作。『ミリオンダラー・ベイビー』と『クラッシュ』の2年連続アカデミー賞獲得は既に伝説になりつつあります。人種の格差、生活水準の格差、社会的地位の格差、いろんな問題がいろんな角度から描かれていて、いやぁ、アメリカという大国の規模の大きさ、そして、その絡み合ったこじれ具合が凄まじいです。

 

てなわけで、『エイプリルフールズ』は『ラブ・アクチュアリー』の二番煎じという結論しか出てきませんでした...。軽い気持ちで観る分には申し分ないです。

【連続テレビ小説「なつぞら」】第5週 今頃、俺たちのことをすっかり忘れてるかもしれないな。

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番長の玉砕プロポーズから始まり、柴田おんじの策略結婚で幕を閉じた『なつぞら』第5週目。その間にいろんなことがありました。いろんな方が出てきました。とにかく豪華絢爛。そして、物語の構成も、これでもかと言うくらい緻密に計算し尽している印象も受けます。伏線があちこちに散りばめられている感じがします。なんか『ワンピース』でも読んでるみたいな気分になってきました。トッカチ・カワムーラヤ編みたいな。

 

まずは伸さん。さわやかでしたねぇ。キラキラしてましたねぇ。律儀でしたねぇ。昔から居たんですかねぇ、あんなスケートの羽生くんみたいな出来すぎた子が...。東京生まれで親が医者だと、やっぱり育ちの良さみたいなものがにじみ出ちゃうんですかねぇ...。

孤児院の指導員の人たちがいい人ばかりで、自分の将来のことも大事に考えるようになったと。働きながら定時制の高校に通い、今は新聞配達をしながら夜間の大学に通っている。自分の力で三度三度のご飯を食べていくために今できる最善の努力を惜しまない。かぁぁぁっ!聞きました?なんなんですか、このまっとうな正論!杓子定規も相手が直線すぎてビックリしてますよ。夕見子ちゃんなんか目が点になっちゃってるじゃん。(関係ないですけど、富士子さんと夕見子ちゃんって似てるなぁ~と感慨深げに見てしまいました。絶妙なキャスティングですね)

そんな伸さんの登場により、柴田家に変化が訪れます。お兄さんに合わせてあげたいという親心で富士子さんはなっちゃんと東京に、照男兄ちゃんは「東京」という都会出身者にどこか天陽くんのお父さんと同じようなコンプレックスと土地に縛られている自分の立ち位置に疑問が...、夕見子ちゃんは特に影響を受けて、「努力すること=勉強すること+大学に行って将来を考える」という一次方程式に「努力すること=今自分にできることをやる+広い視野を持つ」という連立方程式が成立してしまったようです。その未知数の中からどんな解が導き出されるのか、今後の展開が楽しみです。

 

お兄ちゃんを探しに東京は新宿にやってきたなっちゃん。そこで待ち構えていたのは、どこか異国情緒のあるパン屋さん「川村屋」。なにやら怪しげな支配人の野上さん、呼ばれてやってきたのは妖艶なマダム。おおっ、一気に世界観が変わってしまった!北海道の大自然、素朴な人々、そんな人里離れたアルムの山小屋から一変、セバスチャンに連れられて大都会フランクフルトにやってきたみたいではないですか!ということは、マダムはロッテンマイヤーさんなのか?なっちゃんのことをアーデルハイド、いや、奥原氏なんて言い始めるのか?

はい、そんな心配は杞憂だったようです。マダム、なにげに天然ちゃんです。マダム、なにげにお人好しです。マダム、なにげにボンクラです...。野上さん、たぶんマダムが好きなんだろうなぁ...。そのために一生懸命に店を切り盛りしてマダムのことを支えてるんだろうなぁ。カレーではなく "カリー" ですって訂正したら「面倒くさいっ!」って言われた時のあのショック顔。絶対、惚れてるでしょ。

まあ、そんな一従業員の恋心は脇に置いといて、この「川村屋」、どうやら中華まんで有名な中村屋がモデルのようです。昔は中村屋のお向かいに紀伊国屋書店があったようで、そのあたりもマダム目当てにサロンに通っている角筈屋書店の茂木社長と一致します。そのことが物語にどこまで絡んでくるのかはわかりませんが、当時の「新宿」という街を表現するための、ちょっとしたトリビア程度のものでしかないかもしれません。また、帯広の和菓子屋「雪月」の小畑さんも「川村屋」で修業していたというのも、今後への伏線です。雪次郎もマダムに惚れちゃうのかなぁ。

 

伸さんの奔走によりやっと見つけることができた咲太郎兄ちゃん。演じるのは岡田将生くん。人それぞれ彼へのイメージはあると思いますが、僕にはどうにもこうにも『リーガル・ハイ シーズン2』の羽生くんにしか見えません。嫌われ役を一身に受けたためでしょうけど、それにしても嘘くさくて腹に一物を抱えていそうで、お前、いったいマチコちゃんに何を企んでいるんだ!と首根っこひっつかんで問い質したくなるのです。なので当然、可愛いはずの妹なっちゃんも裏切るんだろうなぁと。

そんな予感は半分当たって半分外れました。外れたのは大衆劇場ムーランルージュ新宿座を買い戻すために借金をしていたということ。その借金の保証人に天然マダムが一枚噛んでいたということでした。そこから垣間見えるのは、マダムと一緒で咲坊もお人好しだったということ。演劇が好きで、芝居が好きで、森繁久彌さんが好きで、料理人だった父親が作った天丼が世界一うまかったと豪語する。そんな人物像には好感が持てます。おお、とうとう羽生くんも人情ってもんがわかるようになったのかと。

しかし、当たってしまった方はあまりにも切ない...。

「忘れてくれ...」

嘘でしょ。戦争で両親も住む家も無くし、兄妹は散り散りになり、それでも必ず迎えに行くと約束し、なっちゃんはそれを9年間ずっと待っていました。なのに、それを忘れてしまえと断絶する。

 

ドイツの心理学者ヘルマン・エビングハウス忘却曲線を発見し、人間の脳は物事を忘れていくようにできていると発表しました。「人は不快な記憶を忘れることによって防衛する」と語ったのはフロイトでした。記憶であれ、感情であれ、僕たちは "忘れていく" ことにより、日々を生きていくことができます。平成から令和に変わった今、数々のテレビ番組で平成30年史を振り返っていましたが、その出来事の多くを僕はすっかり忘れていました。懐かしんで思い出したのは、あの頃にやっちまった思い出したくもない恥ずかしい経験ばかりです。思い出す度に「あああああっっっ!」と頭を掻きむしって記憶を消し去りたくなります。そんな経験があったから、二度と恥ずかしい思いはしないようにと学びます。

しかし、いくら人間が忘れていく生き物だとしても、血縁関係まで忘れろと言われたら、それはちょいと話が違うんじゃないかいと否定したくなります。あまりにも、あまりにもなっちゃんが可哀そすぎる。まるでロビンちゃんと母オルビアのようで、そのうち「お兄ちゃんと呼んでもいいですか?」なんてセリフまで出てきそうです。

 

来週はそんななっちゃんを励ますのか、大自然の雪国でまたひと悶着が起きそうです。裏切り咲坊は浅草で好きに生きていけばいい、なっちゃんにはおんじがいるんです。そんなおんじの策略がどう転ぶのかも見ものです。しゃあない、番長、お前、なっちゃんのために一肌脱いでやれ。それくらいの男気は持ち合わせてるだろっ!

拝啓、徳永英明さま

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本日、WOWOWで放送された兄やんの最新ライブを観て思いました。若かったあの頃のような、とてつもない熱量を含んだライブ体験って、もう、これから二度と経験することはできないんだろうなぁ...と。なんて言うんでしょ、下品な例えですが、半立ちでイッちまったような、男としてなかなかに中途半端な感じがしまして、なんかヒリヒリするものがないと言うか、うぉぉりゃぁぁぁ!みたいな咆哮がないと言うか、まあ、時も30数年経つとこうなるのも仕方ないと言えば仕方ないんでしょうし、こんなこと語ってる時点で熱い徳永ファンからは怒られそうな気もするのですが...。わかってます。わかってますよ。ツアー中に緊急搬送されて公演が延期になったことも、体調を鑑みながらステージを進めていることも、十分にわかってます。ステージに立って歌ってくれることだけでも感謝するべきだということも。でも、なんです。でもね。

思えば今から30年以上前ですか。「夜のヒットスタジオ」で兄やんが涙を流しながら「最後の言い訳」を熱唱しているのを観てからずっとファンです。…、…、…。ずっと?...、…、…。そうですね、訂正いたします。時たまファンです。ただ、その "時たま" がなかなかに僕の人生の岐路でいろいろと支えてくれているのです。悩んでいる時、迷った時、弱っている時、その時々に、どこからともなく兄やんの声が響いてきて、そんなもんじゃないだろ!っと叱咤激励してくれるのです。うぉぉりゃぁぁぁ!という咆哮を上げさせてくれるのです。今日だって、そうです。テレビをつけたら、偶然に兄やんのライブですよ。まるで導かれているようでもあります。

去年の7月にセルフカヴァー・ベストを発売しているのですが、その歌声も、うぉぉりゃぁぁぁ!という咆哮に満ちたアルバムになっておりました。60が見えてきたおっさんが作るアルバムじゃないんじゃないかなぁと思うんですが、amazonレビューなどを見ると、どうも煮え切らないアルバムというのが一般的な受けのようです。その煮え切らなさは、今日のライブを見た僕の感想とも合致するのですが、アルバムの中ではそうじゃないと思うんですね。というか、アルバムで描かれていた世界観をライブで表現するためには、あまりにも体力的な問題があったんじゃないかと勘繰ってしまうのです。

まあ、僕も7月に発売された時点では、兄やん、またカヴァーなん?前に出してるやん。ていうか、カバーじゃなくて "カヴァー" って言ってる時点で、ラジオじゃなくて "レディオ" みたいな感じってことでしょ。相変わらず、お洒落さんなんやからぁ...と、完全スルーでいたのです。ですが、ここんところのハードワークで疲れてきたんでしょうね。兄やん、また助けてよって感じに...。リスナーなんて気ままで気まぐれなものです。

でね。そもそもですよ。そもそも、CDというものが売れなくなって、とりあえずライブに来てちょうだい!と業界全体が会場確保に血眼になっている時代に、毎年毎年必ず1枚はCDアルバムを発売しているのが兄やんこと徳永英明なんです。CDを発売して、それに付随したコンサートを開いて、またCDを出して、またコンサートを開いて、そのルーティンの繰り返し。それを35年以上続けているんです。スゴくないですか?

てなわけで、ズラズラズラーッと兄やんデイスコグラフィーを並べていくと、こんなになりまっせ、姐さん。

f:id:wisteria-valley:20181128003417j:plain 1stアルバム「Girl」(1986.01.21)

f:id:wisteria-valley:20181128003606j:plain 2ndアルバム「radio」(1986.08.21)

f:id:wisteria-valley:20181128003733j:plain 3rdアルバム「BIRDS」(1987.05.21)

f:id:wisteria-valley:20181128003925j:plain 1stベスト「INTRO.」(1987.12.05)

f:id:wisteria-valley:20181128004048j:plain 4thアルバム「DEAR」(1988.04.21)

f:id:wisteria-valley:20181128004203j:plain 5thアルバム「REALIZE」(1989.05.21)

f:id:wisteria-valley:20181128004320j:plain 1stライブAL「Live」(1990.07.01)

f:id:wisteria-valley:20181128004506j:plain 6thアルバム「JUSTICE」(1990.10.09)

f:id:wisteria-valley:20181128004611j:plain 7thアルバム「Revolution」(1991.10.05)

f:id:wisteria-valley:20181128004724j:plain 2ndベスト「INTRO.Ⅱ」(1992.12.04)

f:id:wisteria-valley:20181128004839j:plain 8thアルバム「Nostalgia」(1993.12.10)

f:id:wisteria-valley:20181128005003j:plain 2ndライブAL「Live 1994」(1994.09.14)

f:id:wisteria-valley:20181128005135j:plain 9thアルバム「太陽の少年」(1995.12.08)

f:id:wisteria-valley:20181128005306j:plain 10thアルバム「bless」(1997.02.06)

f:id:wisteria-valley:20181128005413j:plain 3rdベスト「Ballade of Ballade」(1997.11.01)

f:id:wisteria-valley:20181128005812j:plain 4thベスト「シングルコレクション (1986~1991)」(1998.11.21)

f:id:wisteria-valley:20181128005931j:plain 5thベスト「シングルコレクション (1992~1997)」(1998.11.21)

f:id:wisteria-valley:20181128010042j:plain 11thアルバム「honesto」(1999.06.02)

f:id:wisteria-valley:20181128010158j:plain 12thアルバム「remind」(2000.05.24)

f:id:wisteria-valley:20181128010302j:plain 6thベスト「INTRO.Ⅲ」(2001.02.28)

f:id:wisteria-valley:20181128010437j:plain 13thアルバム「愛をください」(2003.02.27)

f:id:wisteria-valley:20181128010533j:plain 7thベスト「カガヤキナガラ」(2003.10.01)

f:id:wisteria-valley:20181128010649j:plain 14thアルバム「MY LIFE」(2004.09.29)

f:id:wisteria-valley:20181128010749j:plain 1stカヴァーAL「VOCALIST」(2005.09.14)

f:id:wisteria-valley:20181128010854j:plain 8thベスト「BEAUTIFUL BALLADE」(2006.02.22)

f:id:wisteria-valley:20181128011054j:plain 2ndカヴァーAL「VOCALIST 2」(2006.08.30)

f:id:wisteria-valley:20181128011158j:plain 3rdカヴァーAL「VOCALIST 3」(2007.08.15)

f:id:wisteria-valley:20181128011307j:plain 9thベスト「SINGLES BEST」(2008.08.13)

f:id:wisteria-valley:20181128011414j:plain 10thベスト「SINGLES B-side BEST」(2008.08.13)

f:id:wisteria-valley:20181128011516j:plain 15thアルバム「WE ALL」(2009.05.06)

f:id:wisteria-valley:20181128011848j:plain 4thカヴァーAL「VOCALIST 4」(2010.04.20)

f:id:wisteria-valley:20181128012007j:plain 12thベスト「VOCALIST & BALLADE BEST」(2011.04.27)

f:id:wisteria-valley:20181128012124j:plain 5thカヴァーAL 「VOCALIST VINTAGE」(2012.05.30)

f:id:wisteria-valley:20181128012230j:plain 16thアルバム「STATEMENT」(2013.07.17)

f:id:wisteria-valley:20181128012339j:plain 3rdライブAL「STATEMENT TOUR FINAL」(2014.09.03)

f:id:wisteria-valley:20181128012522j:plain 6thカヴァーAL「VOCALIST 6」(2015.01.21)

f:id:wisteria-valley:20181128012625j:plain 13thベスト「ALL TIME BEST Presence」(2016.04.13)

f:id:wisteria-valley:20181128012724j:plain 14thベスト「ALL TIME BEST VOCALIST」(2016.08.17)

f:id:wisteria-valley:20181128012825j:plain 17thアルバム「BATON」(2017.07.19)

f:id:wisteria-valley:20181128012917j:plain 15thベスト「永遠の果てに」(2018.07.04)

てな感じで並べた並べた、全部でぴったり40枚ですよ。ほぇぇぇぇ...。シングルまで入れたら100枚近くになってしまうんだから、まあ、どれだけ声を張って歌い続けているかが如実にわかるというものではないでしょうか。さらには、今年、セルフ・カヴァー第二弾が発売される予定なんですから、もう、売れる売れない関係ない、とにかく歌い続けることに意味があるのです。と、思いたい。

この中でアルバムが発売されなかったのは1996年と2002年の2つの年のみです。ただ、'96年は「ROUGH DIAMOND」と「SMILE」という2大シングルが発売された年でもあるので、記念すべき10枚目のオリジナル・アルバム「bless」の制作にいかに全身全霊で臨んでいた1年かがわかるとも言えます。レコード会社の移籍でちょいとゴタゴタしていた時期とも言えますが...。

2002年は "もやもや病" の治療に専念していた年で、ここまでの軌跡を俯瞰してみると復帰作である13thオリジナル・アルバム「愛をください」が、かなりのターニングポイントになる作品と位置づけることができます。アーティスト名を旧字体に変更したのもこの頃。楽曲制作がシンセサイザーから生バンドにシフトチェンジしたのもこの頃からです。で、徳永英明第二章として発売されたのが初のセルフカヴァーアルバム「カガヤキナガラ」。

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今から15年も前に発売されたこのセルフカヴァーアルバムですが、生ピアノとウッドベースが特徴的なジャジーでコンテンポラリーな楽曲群になっています。よく言えば大人なアルバム、悪く言うと変化に乏しい一辺倒なアルバムです。瀬尾一三先生や国吉良一先生の打込み主体の大層なアレンジに慣れ親しんでいる徳永ファンからすると、3ピースバンドのシンプルな演奏に、ちょっと物足りなさを感じてしまうかもしれません。それでも「VOCALIST」以前のアルバムとあって、兄やんの張り上げる声もまだまだ堪能できる頃でもあります。しかし、例えば「JUSTICE」であったり、'92年頃の倒れてまで叫び続けている「壊れかけのRadio」、精神の限界まで追い込んだ「魂の願い」、第一期の集大成的なバラード「Positions of life」のライブを経験してしまうと、どこか寸止めのような、どうにもイカせてもらえないもどかしさはあります。

てなわけで、とりあえずドバドバとイキまくっている兄やんのライブ2連発です!

どうですか。これぞ魂の叫び、プライマル・スクリームってやつじゃないでしょうか。で、「VOCALIST」シリーズで歌い手としての地位を確立し、それなりに安定した兄やんなんですが...。もうカヴァーはいいっしょ、ここらでもう一度シンガーソングライターとしてオリジナルを作るでぇ!なんでかって?シンガーソングライターだからに決まっとるやんけ!と、ここでこの「JUSTICE」期に今一度舞い戻ってみたのが前々作の「STATEMENT」でした。ただ、苦しいことを苦しいと闇雲に叫び続けていた若かりし頃とは違い、それなりに家族も地位も獲得した兄やんとしては、なかなか丸くなったものを尖らせることが難しかったようです。

その答えが前作の「BATON」でした。過去の自分へのバトン、明日の自分へのバトン、そして、次世代へのバトンをつないで行こう。その先に未来があるから、その先に希望があるから、その先に答えがあるから。

で、やっとこの記事の本題です。最新作「永遠の果てに~セルフカヴァー・ベストⅠ~」に辿り着いた兄やんです。「VOCALIST」で数々の女性歌手のバラードと対峙し、「STATEMENT」~「BATON」で稀代のメッセンジャーとして丸いものを丸いと歌ったことにより、ある意味、限界の先に行くのは自己解体しかないと悟ったようなのです。その片鱗は「STATEMENT」のライブで既に現れていました。それが、このアルバムにも収録されている「MYSELF~風になりたい~」です。今さら、時代が云々、世間が云々と朗々と歌い上げるのも大人げない、どちらかというと、あの頃の熱い気持ちをもう一度蘇らせるために、今何ができるのかを考えようじゃないか。時は過ぎた。過ぎたからこそ見える景色もあるだろう。その景色を前に、今だからこそ対峙できる情熱を蘇らせようじゃないかと。

公式の特設サイトではコラムニストである栗本斉氏の楽曲解説が掲載されています。

その真似っこで、僕もアルバム全楽曲の解説を今さらながらしてみようかなと思った次第なのです。随分と長い前置きでしたが...。てなわけで、純度100%、完全に独りよがりな "時たまファン" のアルバム解説が始まりまっせ。

 

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「永遠の果てに~セルフカヴァー・ベストⅠ~」全楽曲解説

 

1.永遠の果てに

オリジナルは1994年発売のシングル。「Nostalgia」という、とんでもなくディープな領域を潜り抜けた後、山田ひろし氏の詩世界との相乗効果で、一気に天上世界まで突き抜けた楽曲です。15年前のセルフカヴァー集にも収録されている楽曲ですが、その際はまるでジャズのスタンダードを歌い上げるかのように、ただただメロディーに身を委ねるに留まっていました。それが今回、アルバムタイトルにあるように、リード曲として選ばれたのは、坂本昌之氏と共に、もう一度、山田ひろし氏の詩世界を音像化しようという試みだったのではないかと思います。

世界が終わりを迎える時、キリストの再臨と共に天使がある書物を抱えてきます。その書物には人類全ての名前が記されており、名を呼ばれた者は再び蘇り、天に行くか、地に行くかの審判を下されます。この "最後の審判" を題材に、1994年頃に蔓延していた終末思想の先にまだ希望は残されている、僕らの存在は消えていくだけの儚いものではなく、その先まで続いていくんだという "祈り" の歌が「永遠の果てに」でした。

今回のセルフカヴァーでは、この詩世界をドラマチックに、かつ命の灯火をそっと包み込むようなアレンジとヴォーカリゼーションが施されています。ラストのパイプオルガンの音色が詩世界への敬意を端的に現わしています。

 

2.最後の言い訳

今から30年前、1988年に発売された徳永英明、通算6枚目のシングル。スマッシュヒットでブレイクを果たした「輝きながら…」が本人作曲の作品でなかったため、しばらく自身のブレイクスルーは「輝きながら…」ではなく「最後の言い訳」と言い続けていた曲でもあるので、ファンも思い入れの強い楽曲ではないかと思います。

"アイデンティティー・クライシス"、"自己喪失"、徳永英明というアーティストの本質は、ほぼ8割方がこの "喪失感" に依る所が大きいのではないかと僕は思っていて、変な話ですけど、兄やんは幸せになればなるほど作品を作る意味を失っていくアーティストだと思うのです。僕は幸せなんだぁ~と歌う「I LOVE YOU」がイマイチのれなくて、道を見失っちまったよぉ~と歌う「もう一度あの日のように」が胸に迫ってくるのも、そういうアーティスト体質だからではないかと。その本質が初めて世に出たのが、この「最後の言い訳」ではないかと。

15年前のセルフカヴァー集にも収録され、その際にも "大切なものが失われていく" という喪失感を、繊細なピアノの旋律と共に声を限りに表現していましたが、今回のセルフカヴァーでは、なんとピアノではなくギターをつま弾くという!長年歌い続けている楽曲ですが、このアレンジは新鮮すぎます。中盤から後半ではハモンドオルガンまで登場して、原曲の雰囲気も復活するのですが、なんて言うんでしょ、エルトン・ジョンの歌をジム・モリソンがバンドでアレンジしたとでも言いましょうか。今回のアルバム全体に言えることなのですが、なんか "ロック" なんですよね。

しかし、長年のファンとしては、やはりこの曲は声を限りに叫び倒す姿を拝みたい歌でもあります。そこにこそ存在価値がある歌だと思うのです。もちろん、いつまでもそう叫んでられないよ、去る者を追いかけないという選択肢もあるのさ、という解釈もわかりますけどね。

 

3.壊れかけのRadio

徳永英明の代表曲の一つ。初出は1990年。当時はラジオを "レディオ" と歌ったことにより全国民からおちょくられましたが、時が経てばそれも今では良き想い出です。先述した「最後の言い訳」同様、喪失感を歌った名曲であり、それまではアーティストでありながら、どこかトレンディー俳優的なヘラヘラしたアイドルじみていた兄やんが、この楽曲を境に、急に真顔化した楽曲でもあります。

'94年頃までは「最後の言い訳」同様、叫び倒す楽曲として、ライブでも見所の一つではありましたが、いつの頃からか、急にサビの語尾を下げた、どこか気怠さを漂わせた歌い方に変わり、中居くん曰く「なんでそんな歌い方するん?」という時期が続いていました。ライブに慣れているファンからするとそんなに違和感はないかと思いますが、一般的な耳で聞くと、なんだかCDで聞くのと違うなぁ...と。

それが2014年に放送されたTBS『音楽の日』で劇的に変化しました。山口百恵さんの超名曲「さよならの向う側」との相乗効果もあったと思いますが、この日に披露された「壊れかけのRadio」は何十年ぶりかの原曲通りの歌い方だったのです。その存在感たるや、他のアーティストの追随を許さない圧倒的なもので、中居くんも「すっげぇ...」とポツリとこぼすほどのパフォーマンスでした。

「カガヤキナガラ」に収録されていた同曲に比べても、今作は往年の徳永節が復活。まさに『音楽の日』で披露されていた歌い方で収録されています。"ギターを弾いていた..."と歌っている割には、原曲ではポロリンポロリンとあまりギターの音が聴こえてこないのですが、今作では冒頭からジャーンジャーン鳴っているのも印象的です。もう、なんで今さらロックなん?と思うのですが、それも次曲の「MYSELF~風になりたい~」があってのことでしょう。全ては「STEATMENT」ツアーでデッドラインを超えてしまったが故なのです。

 

4.MYSELF ~風になりたい~ (Tokunaga's Track Remix)

去年だか一昨年だかWOWOWで放送されていた「STEATMENT」ツアーのライブ映像、もしくはDVDなどの映像作品の最後に披露されていたのが、このニュー・ヴァージョンの「MYSELF」でした。最新ライブでもギターをギャンギャン鳴らしながら歌っていましたが、要はギターサウンド復権を機に、精神的な若返りを図ったのが今回のアルバムのテーマということになりそうなのです。

楽曲自体は'89年の作品。まだ「壊れかけのRadio」も「夢を信じて」も発売される以前の楽曲になりますが、僕にとっては、まあ、とにかく思い出深い楽曲です。歌詞は大津あきら氏によるものですが、"悲しみ そんな言葉に負けないで 僕も淋しさを超えて 風になりたい" という、思春期の真っ只中、完全に中二だった僕の心にズドンとその歌詞は響きまして、見えない明日を一点突破していく強烈なカンフル剤だったのです。とにかく5thアルバム「REALIZE」の中核にもなる徳永英明の超ターニングポイントになる楽曲でした。この曲がなければ「壊れかけのRadio」は生まれなかったはずなのです。

そんな楽曲を図太い声であ゛あ゛あ゛あ゛あ゛~~~~~と60間近のおっさんが歌っちゃうもんだから、まだまだ40代の僕は、これから張り切って生きていかないと罰が当たってしまいます。そうでしょ、兄やん?

ただ、ライブではなかなかに平坦な演奏でした。いや、演奏自体はグルーヴィーなロックサウンドを展開していたのですが、ボーカルがどうにもこうにも平坦なのです。いや、ああいう風に歌うこと自体、なかなかに体力を使うのかもしれません。腹の底から響かせる歌というのは、ああいう姿をしているのかもしれません。しかし、どうもイケないんだよなぁ...。イキたいんですよ。

 

5.僕のそばに (Self-Cover Ver. Remix)

8thアルバム「Nostalgia」というアルバムは前述したようにとにかくディープな作品でした。「夢を信じて」「壊れかけのRadio」の大ヒットから7thアルバム「Revolution」のオリコン1位、2ndベスト「INTRO.Ⅱ」がミリオンに迫る売り上げを誇り、完全に鼻がピノキオになっていた兄やん。それがポッキリと折れてしまって、どうしたらええんや!と雄叫びを上げたのが「もう一度あの日のように」であり、その延長線上にあるのがこの「僕のそばに」でした。

原曲はとにかくロックなグルーヴィーに満ち満ちていて、世に溢れていたチープなラブソングを鼻で笑ってやった楽曲です。中坊じゃあるまいし、チューだなんだって綺麗ごと言って騒いでんじゃねえよ、と。なんか、言葉が乱暴ですいません...。

メロディ、歌詞、アレンジ、この曲はどういじっても様になります。兄やん自らがナルシスティックに満ちた楽曲と解説していますが、そうなんです、それこそが兄やんなのです。兄やんそのものだから、どういじったって兄やんにしかならないのです。逆に16ビートにのっけてEDM風のダンストラックにしたら、その世界観も随分と軽いものに様変わりするかもしれませんが、ナルシスティックなところはそのままちゃ~んと残るはずです。だって、兄やんなんだもん。

 

6.恋人

これも徳永英明の代表曲と言えるかもしれません。微妙に世間の認知度は高いのではないかと。ただ、ここまで好き勝手に語っててあれなんですが、僕、この曲、あんまり好きじゃないんですよね...。へへっ。

なんか退屈というか、もちろん、恋人との倦怠感を歌にしたっていうところもありますが、冷めちゃったなら無理にヨリを戻す必要もなくない?というのがあって、それをねえねえ、もう一度さあ、ほら、前にデートで行ったあそこ行ってみようよぉ~、ねえねえ、そんなつまんない顔しないでよ、ねえねえ、と、もうウザイ!ってなってしまうんです。これって変ですか?

てなわけで、アレンジがどうのこうの以前に、曲の世界観に拒絶反応を起こしてしまうのです。ただ、今は「WE ALL」という楽曲があります。僕らは再生できると。それを踏まえて「恋人」を聞くと、未練タラタラな粘着系男子が、なんとなく夫婦再生の決心をした第二の人生スタート切ります男子にも見えてきます。見えてくるかなぁ...。

 

7.どうしょうもないくらい

4thアルバム「DEAR」に収録されている表題曲が私的楽曲の始まりであるなら、7thアルバム「Revolution」のラストに収録されたこの楽曲は私的作品の極致と言えると思います。とにかく90年代初頭から中期にかけて、事あるごとにこの楽曲で兄やんは叫んでいました。

今回の選曲に、どう見てもヒット曲でもなければ人気曲でもないこの曲をセレクトしているところに、2018年版徳永英明のスタンスを感じます。今さらながら兄やんが破りたい "殻" とはいったいなんなんだろう?と考えてしまうのです。

端から見れば、徳永英明という存在は、今や玉置浩二久保田利伸と並ぶ三大ボーカリストとして名を馳せています。サザンやB'zのように、決してヒットチャートの上位に居座り続けるヒットメーカーではないですが、アーティストとしては確実にその地位を確立しています。そんな彼が、今さら「素直になれない夜もぉぉぉ~!」と叫ぶ意味はなんなのでしょう。

時たまファンの僕が断定できるような事でもないですが、やはり思うのは、どれだけ地位を確立しても、そこにはジレンマが介在しているのではないかと。そのジレンマという "殻" を破るために日々創作し歌い続けているのではないかと。それが徳永英明という存在意義だと。

このアルバムの中では、一番好きなアレンジでありボーカリゼーションです。この曲を聴くためだけでもレンタルすべし!です。あ...、購入すべしです!

 

8.レイニー ブルー

どうやら、このアレンジはデビュー時のデモテープを基に構成し直したようです。徳永英明と聞くと、バラード!ピアノ曲!というイメージが強いですが、本人からすると、いやいやいや、ギターで作ってるから、もともとはフォークシンガー目指しとったから、ていうか、根は激しいから間違わんといて!って言いたげな、超原点回帰、アコギをポロロンポロロンな非常にシンプルなアレンジになっています。

とにかく、この曲、ずっと歌い続けています。

もちろん、今では代表曲として、超名曲として世に認知されておりますが、それにしても、この曲だけでいったい何バージョン存在するのでしょう。たぶん、兄やんの印税収入の3分の1はこの曲なんじゃないかと言うくらいに、まあ、人影も見えない午前0時に電話ボックスに入りまくってます。(怒られちゃうかな...)

 

9.夢を信じて

聞くところによると、この曲、タイアップの話がきた時にその場でフンフンフンと5分くらいで作ったらしく、それが自身最大のヒット作になってしまったもんだから、まあ、世の中とはなんじゃらほいと思ったそうです。

確かに肩ひじ張らないメロディーに瀬尾一三氏の軽快なリズムはポップソングとして、たぶん、超大袈裟に語るならJ-POPの夜明けを告げる楽曲だったわけです。同じアニソンの「おどるポンポコリン」も然り、世の大衆というのは小難しい文学的なロックナンバーより、意味不明の覚えやすいフレーズの方が吸収しやすいのです。僕なんて、初めてカラオケで歌ったのって、この曲ですからね。歌いやすいし、さりげなく応援歌的な側面もあるし、ドラクエだし、最強でしょ。

そんなんで、こんな曲はクソだっ!と「INTRO.Ⅱ」に収録されるまではライブでも歌わなかった兄やん。そんな意固地なところも好きなんだけど、たぶん、未だにこの曲をどう扱っていいものやら戸惑っているのではないかと思うようなアレンジでもあります。もうとことん振り切って「U.S.A.」ばりにダンスミュージックとして昇華しちゃえばいいのにと思うのですが、そこは根が真面目で根暗な兄やんです。享楽的な世界はどうも肌に合わないのでしょう。

この曲に関しては「カガヤキナガラ」のバージョンの方がまだ好きです。今回の方が手が込んでいるのはわかりますけど、どうも小手先感が...。

 

10.JUSTICE

とりあえず16thアルバム「STATEMENT」の行き着く先は、この「JUSTICE」に帰着するようです。'94年に発売されたビデオクリップ集「THE END OF A」で初めてこの楽曲を映像作品として視聴しましたが、まあ、後半のシャウトの部分からのオーケストラを従えた一大シンフォニーは圧巻でした。この曲の醍醐味はそこにこそ凝縮されていたのです。

しかし、今作のアレンジではそこがばっさりカット。その構成の意味は、叫ばなくても歌だけで叫びは伝わるはずという、バックバンドの演奏だけで叫びは表現できるはずという、なんとも奥ゆかしい編曲になっていることです。確かにトラックは凄まじいグルーヴを編み出しています。原曲にはなかったエレキギターがこれでもかとキュインキュイン叫んでいます。

ですが、何度も言うように、僕らはギターの叫びよりは、兄やんの叫びが聴きたいのです。でしょ?兄やんが叫ばないことにはイケないのです。オーガズムに達しないのです。魂が震えないのです。amazonレビューで煮え切らないと指摘される所以もここなのです。頼む、叫んでくれ。

でも、それをやっちゃうと、また頭がプッチーンといってしまうかもしれません。そうしないために編み出したのが、今回の唱法ではないかと。よくよくボーカルを聴くと、とにかく節々にうぉぉりゃぁぁぁ!という叫びが込められているのです。若い頃みたいにやたらめったらシャウトしているわけではなく、「VOCALIST」という季節を越えたからこそ表現できる唱法というものがあるのだと。そんな風にも聞こえるのです。それはそれでスゴイことだと思うのです。スゴイというか、めちゃめちゃスゴイことだと思うのです。ただ、やはり過去というか原曲への思い入れが強いのも仕方がないことでもあります。難しいところです。

 

今年のどこかで「セルフカヴァー・ベストⅡ」が発売されることが既に発表されています。そこに収録されるのが「I LOVE YOU」であることも既に公表されました。幸せ絶頂の時に編み出したこの楽曲が、「カガヤキナガラ」同様、ジャジーでアダルティーな楽曲に生まれ変わっているのではないかと容易に想像ができます。

もし、このセルフカヴァー第2弾の中に未だB面曲としてしか発表されていない「Nostalgia」が新たな姿として収録されていたら、たぶん、僕は何十回目かの兄やんブームの熱を上げるかもしれません。もし、そこに「Positions of life」が収録されていたら、たぶん、そのアルバムは神です。

兄やん、もう一度、神になってくれ!

でも、お身体も大事にしてください。お粗末様です。