that passion once again

日々の気づき。ディスク・レビューや映画・読書レビューなどなど。スローペースで更新。

【連続テレビ小説「なつぞら」】第16週 ごちゃごちゃ言うな!

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何やら髭をたくわえたトッチャン坊やの高山昭治くんと、嵐の如く突然、東京に駆け落ちをしてきた夕見子ちゃん。どうやら学生運動の機運に惑わされ、気分の上では自由を求めて、遥々と東京に来たらしい。しかし、芯が一本通っている夕見子ちゃんとは違い、ボンボンの高山くんは、自身のジャズ評論も文筆も東京で認められないとわかるや否や、タイミング良く柴田家へ告げ口をしてしまったなっちゃんを理由にして、ピャッとシッポを巻いて逃げ出そうとする。それを取っ捕まえて「抹殺!」したのが柴田のおんじでした。

僕もジャズはよく聞きます。特にピアノ系のジャズが好きで、レッド・ガーランドとかビル・エヴァンスとか好きですし、ブルーノートピアノ曲を集めたコンピレーション・アルバムとかもよく聴きます。そんなん聴きながら、ワインとか、ウィスキーとか、そんなん飲んでいると「大人やなぁ...」とか「アダルティやなぁ...」とか「オシャレさんやなぁ...」なんて思います。自分でもアホか!って思いますけど、あの雰囲気に勝るものって他にないんですよね。言うなれば "憧れ" なんです。その "憧れ" の世界に簡単に浸ることができる。だから、勘違いしちゃう人が多いのかもしれません。

何が言いたいかっていうと、ジャズを語る人って、ロクな奴がいないんですよね。高飛車というか、頭でっかちというか、斜に構えているというか。もとがオシャレなんで、単にそう見えるだけかもしれないんですけど、それでも「キミたちには、この良さがわからないのかい?」と斜め78度の高みから見下ろされてる感は拭えない。

なんで、柴田のおんじが高山くんを抹殺してくれた時はスカッとしたなぁ。やっぱ、おんじだよね。夕見子ちゃん、もう変な男に惑わされるなよ。

 

高山くんがグレン・ミラーとかベニー・グッドマンを「古い」と一刀両断したように、イッキュウさんは仲さんたちの考え方を「古い」と同じように一刀両断しました。柴田家の酪農、雪月の菓子職人、ムーラン・ルージュに川村屋のカリーライス。なっちゃんの周囲には、古き良きものを大事にしている人たちがいっぱいいます。しかし、時代は移ろい、新しい価値観が物語の中心を侵食し始めてもいます。

マコさんは、今回の『ヘンゼルとグレーテル』の出来に満足してしまいました。自分の限界をそこで感じてしまった。逆にイッキュウさんもなっちゃんも、この作品は通過点でしかなく、もっと良いもの、もっと面白いものが作れると自負しています。マコさんは「古く」なってしまい、なっちゃんたちは「新しい」ものに挑戦していきます。

どちらがいいとか、どちらが悪いとかではなく、僕たちは常に新しいものと古いものをごちゃ混ぜにしながら生きているんじゃないかなと思います。高山くんやイッキュウさんは、そこに何かしらの線引きをしたがりますが、そこに線なんて引く必要はないんじゃないかと。なまじっか線なんて引いてしまうから、芸人さんやロック・ミュージシャンに品行方正を求める、なんかよくわからない議論が出てくるのではないかと。人間なんて、そんなに単一的な生き物じゃないでしょ、と。

なんでしょ、『なつぞら』って、"今" にリンクしやすいドラマのような気がしてなりません。これって、名作ってことなんじゃないのかなぁ...。

愛にできることはまだ(まだ、いっぱい、限りなく)あるよ

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聴いている間にカチカチ、カチカチと再生回数が上がっていくラッドの新曲「愛にできることはまだあるかい」。相変わらずの野田洋次郎という男の厭世観は健在で、ゆとり世代、もしくはさとり世代の代弁者として、有り余る解答が用意されている世界に、虚数をはじき出し、アルゴリズムの向こうに幸福を探している。でも、それはユークリッドの『原論』から変わらない、世界を形作っている非常にシンプルな解答と同じなのだと言っている。幾多の数学者が世界の形を暴き出し、スーパーコンピューターが円周率の小数点以下を31兆4159億2653万5897桁まではじき出しても、まだ完全な円が作りだせないように、野田洋次郎は "愛" に希望を抱いている。

僕らが生きている世界に限界はない。

なんて素敵なことなんだ。

まがまがしてるミセスの「インフェルノ」がいいぜよ

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本日、発売のMrs.GREEN APPLEの配信限定の新曲「インフェルノ」がiTunesのトップソングで初登場1位を獲得しています。

おっさんの僕はミセスの大森くんとバンプの藤原くんの声の区別がイマイチつかなかったりするのですが、若い世代のバンドの中ではビブラートが効いている、けっこう好きな声です。今年の1月に発売された「僕のこと」なんて大森くんのボーカルが爆発した名曲だと思います。

そんなミセスの新曲をさっそくYouTubeでフルコーラス聴くことができますが、これ、いいわぁ。カッチョいい。ジャケットもいい感じ。

若い世代が元気だとやっぱりいいな。

僕はいまだに氷室京介を卒業できていない

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この手の商品が次から次へと出てきては、てやんでい、今頃こんなもの出されたって、オイはなんとも思わねえぜよ!なんて思いながら、グググ...と、ついつい手を出してしまう。我慢ができない...。ファン心理というのは、なんて憎たらしくて、それでいて愛おしいものなんだろう...。

正真正銘、日本の伝説的バンドの最後の夜を完全収録したアルバムです。今から31年と3か月前の夜ですが、あの熱さは今も健在。布袋さんのギターも、常松さんのベースも、マコっちゃんさんのドラムも、これでなきゃBOOWYじゃないアンサンブルとグルーヴを産み出しています。

そして、ヒムロ。やっぱ、このボーカルは唯一無二ですなぁ...。

先月、リブマックスという不動産会社のテレビCMで、突然「LOVER'S DAY」が流れてきた時には、おおおおおっっっっっ!!!!!ヒム!!!とうとう動き出すのか!!!と思いましたが、なんてこたぁない、たぶん社長さんだか会長さんだかの趣味で制作されたようです...。紛らわしい...。

スピッツ「優しいあの子」の "あの子" って、誰のこと?

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なつぞら』主題歌でおなじみ、3年2か月ぶりのスピッツ新曲「優しいあの子」のフルPVが一昨日、ニューアルバム発売のアナウンスと共に突如としてYouTubeで公開されました。

マサムネさんの変わらぬ透き通った声もいいですが、僕としてはモーターワークスでもブイブイ言わせていたアキヒロさんのベースがたまらなく好きです。「こぉ~りぃ~を~散らす、か~ぜぇすぅら~」のBメロ部分で、まるでコーラスのようにドゥゥンドゥゥン唸りまくっているところなんか、歌詞の通りに氷雪を撒き散らす嵐のようで最高です。毎朝、聴いてても不思議と飽きない、スピッツの新たな名曲の誕生ですよね。

で、毎朝、聴いてて、ちょっと思いました。

優しいあの子の "あの子" って誰?

 

ネット上でも、その対象が誰であるかをいろいろ歌詞考察として分析されている方が多いですが、それを僕なりにも解釈してみようかな、と。

言いながら、スピッツの全曲を聴いている訳でもないので、ホント、大のスピッツファンからは、お前、なにトンチンカンなこと言ってんの?「ヒバリのこころ」から耳かっぽじって全部聴けや!と怒られそうですが...。

 

ズバリ、優しいあの子の "あの子" とは、奥原なつのこと!

どうだ、ファイナルアンサー!

...。

...。

...。

ブッブッー!

わぁ、いきなり間違えました。

 

なんだ、このやり取り...。

てな感じで、普通にドラマ主題歌として聴いていると、"あの子" というのは、なっちゃんのことを歌っているような印象を受けます。ドラマのオープニングアニメが、大人になったなっちゃんがチビなっちゃんを愛でているような、子供の頃の自分を振り返りながら、その楽しかったこと辛かったこと、転んだことや乗り越えてきたこと、広い世界に自然の美しさ、そんな自分の成長を愛おしみ、周りの動物たちと楽しく遊んでいたあの頃を懐かしむような、それが今の自分を産み出していると言わんばかりの、ほぼ歌詞に沿った世界が描かれているので、"あの子" はなっちゃんと思う人、もしくは大人のなっちゃんがチビなっちゃんに対して思っていること、と解釈する人がかなりいるのではないかと思います。

ただ、フルコーラスを聞くと、どうも "あの子" はなっちゃんじゃないような気がしてきます。じゃあ、誰なの?と問われると...。

 

まずは『なつぞら』主題歌に決まった当時のマサムネさんのコメントを抜粋します。「「なつぞら」は厳しい冬を経て、みんなで待ちに待った夏の空、という解釈です。」このコメントから、この楽曲が "冬から夏へ季節が移ろっていく情景" を描いていることがわかります。なので歌いだしは「重い扉」から始まるのです。それは雪が降り積もって重くなった扉かもしれませんし、人生のスタートと言う重厚な鉄扉かもしれません。いずれにしても、歌詞の主人公は、その扉を開けたのです。

さらに季節の移ろいを感じさせる、春の到来を感じさせるのが、

「氷を散らす風すら 味方にもできるんだなあ」

「芽吹きを待つ仲間が 麓にも生きていたんだなあ」

という1番2番のBメロの部分。雪解けを待つ植物たちを応援するように、春風が氷雪を吹き散らし、根雪の下でスクスクと育っていた仲間たちが顔を出す。そんな自然現象と同じように、人間の成長も辛い苦しい時だって、自分の肥やしや糧になる経験があるのだと歌っているのです。で、アキヒロさんがドゥゥンドゥゥンとその成長のうねりを表現していると。

で、「丸い大空」が夏の空。人生で言うなら、辛苦を抜けた解放感とでもいいましょうか。「寂しい夜温める」は秋の夜。夏を越えて、また冬が到来しそうだけど、そこには以前とは違う、経験を積んだ自分がいるんだと。ただ、主人公には「言いそびれた ありがとうの一言」が言えずにいます。それを "あの子" に伝えられるのは「日なたでまた会える」時だと語っています。

さて、では「ありがとう」と伝えたい "優しいあの子" とは誰なのでしょう。

 

それは「未熟だった過去の自分」ではないかと。

 

マサムネさんは過去の未熟だったマサムネさんに対して歌っていて、それを聴く僕たちも過去の未熟な自分について思いを馳せる。それはドラマの主人公なっちゃんにも当てはまります。人生を四季になぞらえて、冬の季節があってもがんばれよ、その先には夏の空が待っているんだから。そして、過去の自分を助けてくれた人たち、自分を成長させてくれた経験、そんな全てに感謝をしたい。言えずにいるけど、また春の季節が来たら、思いっきり「ありがとう」と言いたい。だから、また会おうね、自分。そんな歌ではないかと。ドラマのオープニングアニメともビッタンコ。

いかがでしょ。

拝啓、黒沢健一さま

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ミスチルは天下を取り、スピッツは朝ドラ主題歌を奏で、エレカシはもう好き放題に生きている2019年。そんな90年代を代表するバンドたちが、今でも古びれることなくこの令和の時代でも輝いているということは、同世代としてもスゴイ嬉しいことです。

しかし、この世代のバンドで僕が一番好きだったのはL⇔Rです。嶺川貴子さまが在籍していたポリドール時代も、黒沢兄弟&木下くんの3ピースバンドも甲乙付け難く、健一くんのソロ時代も最高だし、モーターワークスも最高、さらにはソロ復帰後も最高でした。そんな彼が、今から2年半前の2016年12月に突如として旅立ってしまったことは、本当に、本当に、本当に残念でありませんでした。

訃報の後、秀樹さんが語ったところによると、L⇔Rの代表曲である「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」の成功後、健一くんは "壊れてしまった" と表現していました。当時からのファンからすると衝撃的な告白でした。アスリートが金メダルの次は金メダルを期待されるように、アーティストもミリオンの次はミリオンを期待される、その重圧の恐ろしさを感じずにはいられなかったのです。

米津玄師が「Lemon」と同じように「海の幽霊」に期待がかかっていながらドマイナーな曲をリリースしているように、あいみょんが「マリーゴールド」の後に発表した「ハルノヒ」がまんま二番煎じだったように、今、新海誠監督の『天気の子』に『君の名は。』と同じような期待がかかり、ラッドの新曲にも期待が高まっています。

爆発的なブームが起きると、僕らはスゲー!と飛びついてしまいます。ミスチルは「CROSS ROAD」の一発屋になるのはイヤだと「innocent world」を発表し、その上を行く「Tomorrow never knows」をドロップしました。ミスチルが天下を取ったのは、この三段論法でグウの音も世の中に言わせなかった強みにあり、さらには活動休止したにも関わらず、またまたトップに躍り出た強靭なタフさがあった所以だと思います。これは聖徳太子徳川家康など本当に時代のテッペンに行く大スターにだけ認められるタフさだと思うのです。

スピッツも負けてはいませんが、マサムネさんが3.11のショックでPTSDになってしまったように、桜井氏のようなタフさ加減は持ち合わせていません。エレカシの宮本さんも再ブーム到来で、今は輝いていますが、それもエレカシ30周年の節目で何かがプッチーンとブチ切れたためと思われます。そこからの振り幅が凄まじい。

話が戻って、健一くんは、そもそも売れたいと思ってなかったところがあります。まったく売れないのは問題だけど、爆発的に売れることは望んでいなかった。そして、爆発的に売れることによって生じる重圧から逃れるためには、メインストリートから外れるしか選択肢がなかった。人々はそれを "一発屋" と揶揄します。

HEAR ME NOW

HEAR ME NOW

  • Various Artists
  • J-Pop
  • ¥2400

ここに収録されている曲たちを聞けば、彼が遺したトラックの数々が、決して一時だけの気まぐれでない事を如実に物語っています。そんな才能が潰えてしまったと言うのは、本当に残念で仕方ありません。

【連続テレビ小説「なつぞら」】第15週 何だか、ますますワクワクしてきました。

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物語を創作していく過程、イマジネーションを膨らましていく楽しさ、イノベーションを起こしていく情熱、そんな "想像力" や "人間の原動力" みたいなものが描かれていた今週の『なつぞら』。主人公なっちゃんのモデルである奥山玲子さんを始め、カチンコいっきゅうさんが高畑勲監督、今週から登場した神地くんが宮崎駿監督と、日本のアニメ界の重鎮たちが揃いあがったことで、俄然、尋常じゃない盛り上がりを見せ始めてもきています。今回はそれを一つ一つ振り返ってみたいと思います。

 

1.『ヘンゼルとグレーテル

新たな短編映画の原画をマコさんのサポートとして任されることになったなっちゃん。その方向性をどうするか決めかねているうちに千遥ちゃん問題が勃発。一路、突発的な北海道への里帰りとなったわけですが、そこへ夕見子ちゃんまで合流。久々の柴田家勢ぞろいになりました。

もともと勉強家でフェミニズムへの傾向も強かった夕見子ちゃん。床に転がっていたグリム童話に目がいき、なっちゃんに短編映画の原画を任された話を聞くや、すぐさま『ヘンゼルとグレーテル』に着想を得ます。ヘンゼルが家に帰るための道しるべに落としたパン屑が、奥原兄妹にとっては "絵" だった。道しるべであるパン屑を食べてしまった鳥は、さしずめ "時の流れ" で、兄妹は家に帰れずに大人へと成長していく。そんな着想になっちゃんは感銘を受けます。明美ちゃんにはチンプンカンプンだったみたいですけど...。

本当は恐ろしいグリム童話〈2〉 (WANIBUNKO)

本当は恐ろしいグリム童話〈2〉 (WANIBUNKO)

 

もう20年くらい前に出版された桐生操氏のベストセラー本のおかげというか、童話と呼ばれているものたちが、実際は子供向けにリアレンジされたソフトなものになっていて、原作もしくは初版ではかなり残虐な描写や痛烈な社会風刺が盛り込まれていたというのが、昨今では当たり前の認識としてあります。

なつぞら』で語られていた "継母" というのも第4版を出版する際に改編された部分であり、初版では "継母" ではなく "実母" であったことが知られています。そもそもグリム兄弟も、この物語の着想をドイツ・ヘッセン州で伝承されていた民話をベースに拵えたものだったようで、シェイクスピアが史実をもとにして数々の名作や名言を生みだしたように、芥川龍之介が伝承や説法などから数々の名作を編み出したのとなんら変わりません。中には、物語に登場する魔女が継母と同一人物であり、ドストエフスキーと同じように、この物語は "親殺し" を扱っていると解釈する人もいます。

いずれにしても、ドラマの中で『ヘンゼルとグレーテル』が登場した所以は、戦災孤児としての子供時代の投影、兄妹の絆、そして、奥山玲子さんの実際の映像作品が存在していたためと言えます。さらに高畑勲監督の長編アニメ第一作『太陽の王子 ホルスの大冒険』をねじ込んでくるとあっては、喝采を叫ばずにはいられません。

 

2.イデアとメタファー

90歳まで頑張ります!と高らかに宣言した村上春樹氏の最新作『騎士団長殺し』ではないですけど、作中作として創作されていく『ヘンゼルとグレーテル』には、数々のメタファーが盛り込まれ、それがイデアとして表現されています。その全てが初演出として奮闘している坂場イッキュウさんが生み出したものでした。まずは、それを羅列してみたいと思います。

ヘンゼルとグレーテル』の物語 → 奥原兄妹の投影

ヘンゼルとグレーテル → 広い意味での "子どもの戦い"

魔女 → 子供たちの自由や未来を奪う社会の理不尽さ

魔女から逃げる → 逃げても追いかけてくる社会の理不尽

悪魔が飼っているオオカミたち → 戦争や兵器の象徴

森 → 子どもたちが生きる世界、もしくは生活の場

魔女の魔法と木の怪物 → 子どもたちを守る存在

森に降り注ぐ木漏れ日 → 平和

こんな風に坂場イッキュウさんは事あるごとに作中のメタファーを説明し、その内容を確認した五十嵐...、いや、井戸原さんは「社会風刺か?」と一発で見抜きます。それもそのはずで、どう見ても戦争孤児をベースにしているとしか思えない内容であり、それもなっちゃんの原体験から発想されたものなので、それを支持した坂場イッキュウさんが編み出したものがそうなってしまうのは当たり前なのです。

この「アニメ作品にメタファーを注ぎ込む」というのは、今週から登場した神地くんのモデルである宮崎駿監督が得意としていたところです。そのフィルモグラフィーに合わせて、大雑把な作品テーマに隠されているメタファーを羅列してみたいところではありますが、それはまた時間のある時に。

 

3.働くという事

なっちゃんが働いている東洋動画スタジオでは実に様々な人が働いています。

モモッチのいる仕上課の女子たちは男漁りを目的にする子が多く、マコさんは最初なっちゃんもその同類だと思っていました。そんなマコさんは絵描きとしてのプライドが高いチャキチャキな職人肌。その下についている堀内くんは、言われたことは忠実にこなすけど、自分から何かをしようとは決してしない指示待ちくん、だけど文句は言うみたいな。茜ちゃんも堀内くんに近いところはあるけど、さすが女子なだけあって、その当たりはマイルドな感じ。そして、新人だろうがなんだろうが言いたいことはズケズケと言って、良かろうが悪かろうが行動あるのみの神地くん。人は口先だけより、行動を伴った人についていきがちですよね。

そんな人たちを束ねるのが下山さん。中間管理職みたいな立場で、下をまとめなきゃいけないし、上にもお伺いを立てないといけない、なかなか胃が痛くなりそうな立場です。そんな下山さんに「こんなんでどうする!」と激を飛ばすのが井戸田さん、「いいじゃん、面白い試みじゃん」と優しく見守ってくれるのが仲さん。上司として側にいてほしいのは仲さんだけど、井戸田さんのように激を飛ばす人がいないと締まらないのも事実。

見渡すと、僕の働いている職場にもこんな人たちがいっぱいいます。会議やミーティングでいつも発言する人と、いつも黙りこくっている人。自分で考えて仕事を組み立てなさいと教えても、次に何をしたらいいですか?と指示ばかり仰ぐ若い子たち。井戸田さんのような上司は、すぐにパワハラだと騒がれそうだし、仲さんのような上司ばかりになると なあなあ になりやすく、緊張感のかけらもない職場に陥りやすいです。フレンドリーなのはいいことだけど、仕事はフレンドじゃできないのです。友達同士のお金の貸し借りが曖昧になっていくのと同じで、そこに真剣さがなければ利益は生まれません。

ただ、大杉社長のように利益だけに目がいき、その利益の根本に何があるのかを見ずにいると、仕事は機械的になっていきます。映画が大ヒットしたのは作り手の想いが結実し、その宣伝効果も功を奏したからで、作れば売れるという単純なものでもありません。逆にそれでも失敗するケースももちろんあります。

今週の東洋動画スタジオ『ヘンゼルとグレーテル』制作班の動きを見ていると、アイデアがポンポン出てくる会議は実に生き生きとしていますが、そんなアイデアも行き詰まり、なかなか先が見えない状態になると、まあ、みんなダラけてきます。そして、最終的に「これは面白い!やろう!」となった時の一致団結は、たぶん誰にも負けないスーパーサイヤ人状態と言えるでしょう。

そんな姿を見ていると、仕事に必要なのは「"面白い"と思える目標」があるかないかのような気もします。しかも、常に "面白い" と思えるものを周りに見つけられるか。そんな技術というか、思いというか、意識というか、そういうものがあれば毎日が楽しくワクワクしてくるのではないかと。

うん。僕も、なにか "面白い" ものを見つけなきゃ、姐さん...。

ルイス・キャパルディはエド・シーランになれるのか?なれないのか?

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今、イギリスで売れに売れまくっているのが弱冠22才のシンガーソングライター、ルイス・キャパルディ!そのデビューアルバム「Divinely Uninspired to a Hellish Extent」が英オフィシャルチャートを席巻しています。

去年の11月にYouTubeで公開された「Someone You Loved」のMVが感動的すぎて、泣けるMVと巷では話題になりましたが、まあ、スゴイです。

最近の「なつぞら」はぜんぜん泣けないよぉ~!と思われている方は、どうぞ、このMVを観てギャンギャン泣いちゃってください。最近のYouTubeは対訳を載せてくれるので、英語の歌なんか、ぜんぜんわかんないよっ!という人も楽しめます。

余命わずかな妻から臓器移植を受けた若い母親に、命の希望と愛の深さを感じずにはいられない、わずか4分のショートフィルムですが、マジで泣けます。それもそのはず。ルイスの母親は看護師で、そこから臓器移植のチャリティ団体のことを知り、今回のMVでのコラボになったそうなんです。

他、アルバムからのシングルカットとなった「Hold Me While You Wait」がオフィシャルチャートの4位まで浮上。上にはエド・シーラン&ジャスティン・ビーバーエド・シーラン&カリードの最強2トップが陣取り、熱愛だとかなんだとかゴシップネタばかりのショーン・メンデス&カミラ・カベロのベロチューソング「セニョリータ」がトップに躍り出ています。この3バックを崩すのは、なかなか手強いんじゃないかと思いますが、そこを突破するには、またもや感動的なMVが必要な気もします。

 

しかし、スコットランド出身のルイス・キャパルディですが、なんでイギリスって国はこう次から次へと胸を打つようなシンガーが出てくるのでしょう。アデルもそうだし、サム・スミスもそうだし、エド・シーランもそう。しかも、みんな10代とか20歳で頭角を出してるんだから恐るべしですよ。

昨日、発売されたエドの最新作はもろヒップホップですが、ルイスに関しては、そんなブラックミュージックへの傾倒は皆無のようです。が、エドと同じように、決してイケメンではないルイスですけど...。まだ、エド・シーランの方が可愛げな愛嬌のある顔をしているのに対して、ルイスは...。

まあ、ノエルに「てめえの天下なんか15分ももたねぇよ!」とディスられ、「ヤベエ、ノエルにディスられた!やっほ~い!」と大はしゃぎしているルイス。それを受けて、ノエルの娘が将来ルイス・キャパルディみたいになりたいと言い出したら「あんなヤッコさんみたいなルックスになるのはオレ様が許さねえ!」とまたもやディスったりと...。イギリスって、こういう話題、好きだよねぇ。あ、日本も変わらないか...。

 

デビューアルバムのジャケットでいきなり黄昏ちゃってたり、お前のその中年太りみたいな腹はどうにかなんねぇのか!とイジられたりしながら、歌ではしっかり泣かせてくれるルイス。日本でも米津やあいみょんが注目され始めてからどんどん垢抜けていってるように、そのうちルイスもエドみたいになる日が来るのかなぁ。いやぁ...、どうだろう。どこか優男的な印象が拭えないので、かつてのダニエル・パウターやジェームス・ブラントみたいに一発屋で終わる確率が濃厚な気もします...。

ドがつくヒップホップ・アルバムのエド・シーラン最新作。「÷」をイメージして聴いたらヤケドしまっせ!

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やはりというか、必然と言うか、まあ、こうなるのはわかっちゃいたけどみたいな。フューチャリングしているアーティスト達を見れば一目瞭然だよね。

 

カリード

カーディ・B

チャンス・ザ・ラッパー

PnBロック

ストームジー

ラヴィス・スコット

エミネム

50セント

ヤング・サグ

Jハス

パウロ・ロンドラ

ミーク・ミル

エイ・ブギー・ウィット・ダ・フーディ

 

こうやって並べると悪そうな奴しかいないじゃん(パウロ・ロンドラは別だけど...)。もともとアコギ抱えてヒップホップをしていたエドなんで、この豪華を通り越して奇跡としか言えない面子を、よくもまあここまで揃えたもんだと。ヒップホップ大好き人間にはたまらないアルバムですよ。

他にも、カミラ・カベロ、イエバ、エラ・メイ、H.E.R.などのR&B勢、そこにブルーノ・マーズも加わるのかと思いきやクリス・ステイプルトンとのジミヘン、スクリレックスは普通にエド印のバラードをダブでアンビエントに調理と。うん。

エド・シーランのアルバムとしてではなく、エド・シーランが作ったヒップホップとR&Bのミックステープを聴いているような感じ。

で、僕が気になるのは、ここでのブルーノ・マーズの立ち位置なんです。今から5年前、マーク・ロンソンのコラボアルバムで大ヒットした「Uptown Funk」が、後の「24K Magic」に発展したように、この「Blow」が、今後のブルーノ・マーズの方向性を決めるのではないかと。グラミー賞でのプリンスのカバーも然り。ファンクやハードロックにガレージ、メロコアやインダストリアルまでは行かないにしても、「24K Magic」で見せたモータウンからは確実に離れた方向性に行くのではないかと。でなけりゃ、あんなMVを監督するわけがないと思うんですよね。

若返りまくっているスティングのリ・ワーク・アルバム「My Songs」がぜんぜん聞き飽きないんだけど...。

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基本、僕はベーシストの人が好きです。いや、ベースがブイブイドゥ~ンドゥ~ン唸っているバンドが好きです。そういう意味では、前回のクラシックバージョンの「シンフォニシティーズ」はぜんぜん低音が聞こえてこなくて物足りなかったのですが(それでも1曲目の「Next to You」のクラシック・パンクにはひっくり返りましたが)、今回のバンドアレンジでのセルフカバー、いや、リ・ワーク・アルバムがかなりいいです。

ていうか、スティング、もう67才です。マジか。なんでこんなに若いんですか。2013年発表の11作目のスタジオ・アルバム「The Last Ship」の時には、とうとう引退か?とまことしやかに囁かれていましたが、いやいやいや、逆に「57th & 9th」で若返っちまいましたよ。しかも、ドミニク・ミラーとヴィニー・コライウタとの3ピースバンドでアルバムを作っちまうなんて、ポリスの再現、いや、スティング自身の青春の再現とでも言いますか、世界のテッペンを見た人はやっぱり常人の域を軽く超えています。

そんなスティングの最新アルバムのタイトルが「My Songs」。ポリスなんか関係ない。これ、全部、僕の歌なんだい!と高らかに宣言しています。いやいや、そんなん言わなくても世界中のファンがそれわかってるから。誰も、これってスチュアートの曲だよね?なんてツッコまないから、安心して歌ってください。

 

アルバム冒頭の3曲は軽くEDM風のリミックスで、あまり真新しさを感じないかもしれませんが、これさりげなくかなりポピュラーにリアレンジされていて、オリジナルよりもずっと聴きやすくなっています。この王道ど真ん中をズカズカと歩いていく潔さが気持ちいいし、それを軽々とやってのけてしまうところがさすがです。

そして、4曲目の「Every Breath You Take」。前作「57th & 9th」の「One Fine Day」を彷彿させるような、エバーグリーンな名曲が実にうまく3ピースバンド・バージョンに生まれ変わっているのですが、それよりもなによりも、オリジナルよりもベースがブイブイいうてるのが最高すぎます。こんなアレンジ、今まで聞いたことないですよ。ドミニク・ミラーの渋みの効いたギターも最高です。

で、「Demolition Man」!最初、あれですよ。なんだ?ニルヴァーナか?と思うぐらいにゴリゴリのグランジですよ。ガレージですよ。ディストーションが効きまくって、リフ一本で聞かせまくる、こんなん67才でやる?続く「Can't Stand Losing You」になると、もう敬服です。こんなベースが聴きたかったんだぁ。もうカッチョよすぎて何も言えねぇ。

「Fields of Gold」のミディアム・テンポで一息。ここでもドミニク・ミラーのギターが実にいい味を出しています。そして、スティングのボーカル。ホント、マジで年を感じさせない若い声をしています。多少、渋みはあるけど、25年前のオリジナルと比べても遜色のない歌声。

「So Lonely」のレゲエは去年発売されたシャギーとのコラボ・アルバム「44/876」の「Just One Lifetime」や「Gotta Get Back My Baby」のエキスがまんまスティングの血肉になっていることを証明しているし、「Shape of My Heart」のスモーキーさは、大麻所持で逮捕されちゃうんじゃないかというくらいにパープルな世界です。

「Message In a Bottle」は、まるでブルーノ・マーズの「Locked Out of Heaven」へのアンサーソングのようにファンキーさを強調し、ラストのロングトーンが圧巻。「Fragile」で再びスモーキーに浸り、「Walking On the Moon」でベースの弾き語り、ベースで弾き語りってなに?やっぱ、この人、スゴすぎ。「Englishman In New York」はレゲエ色がかなり強調され、ラストの「If Ever Lose My Faith In You」はEDM風リアレンジで1曲目へとループ。いやぁ、なかなかいいアルバムですよ。

ボーナストラックのライブも素晴らしいけど、純粋にスタジオ・アルバムとして楽しむなら1曲目~14曲目をひたすらヘビロテするのが一番です。とにかく聴いてて気持ちのいいアルバム。

 

10月の来日ライブ、かなり激しそうですねぇ。おじさん、おばさん、ついていけるかなぁ...。