that passion once again

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ツイン・ピークス The Return 考察 第10章 愛のバラード。そして、ラスベガスの思惑。

1.ルース・ダヴェンポート殺人事件

 前回の第9章でルース・ダヴェンポート殺人事件の全貌がついに明かされました。サウスダコタ州バックホーンで起きた猟奇殺人事件は、不可思議な空間「ゾーン」によってもたらされた奇怪な事件だということ。そして、そこにはツイン・ピークスの住人でありアメリカ空軍の軍人であるガーランド・ブリッグス少佐が、何かしらの理由で事件に巻き込まれていました。

 ブリッグス少佐は1952年から1969年まで実際に行われていた "ブルーブック計画" に参加していた経歴を持ち、1989年にはホワイト・ロッジ失踪事件を起こしています。さらに同年に起きたツイン・ピークス郊外にある政府施設の火災事故で死亡。それは今から25年前のことになります。

 FBIの捜査動向から、ブリッグス少佐と "青いバラ事件" が密接な関係にあることも判明し始めています。アメリカが極秘裏に進めていたUFO研究と、クーパー捜査官をはじめ数名のFBI捜査官が関与していると思われる "青いバラ事件" が、いったいどこまで関連性のある事象なのかは不明ですが、いずれにしても超常現象の類である可能性が高いです。

 その事件の元凶となったのが地元ハイスクールの校長であるウィリアム・ヘイスティングス。彼は被害者ルース・ダヴェンポートと不倫関係にあり、事件現場であるアローヘッドのアパートから彼の指紋が発見されたことによりバックホーン警察に拘留されました。ヘイスティングスは "異次元空間" について熱心な研究を行っており、その成果を自身のホームページで公開していました。そして、その研究の末、彼は異次元空間への扉を開き、そこでブリッグス少佐と出会ったことを告白したのです。

 奇妙なことは、ヘイスティングス周辺の人々が次々と殺害されていることです。事の真相についてバックホーン警察やFBIはまだ気づいていませんが、ヘイスティングスの妻フィリス、ヘイスティングスの秘書ベティは、いずれも悪クーパー(クーパーのドッペルゲンガー)によって殺害されています。その理由はヘイスティングスがブリッグス少佐から依頼されて手に入れたという "座標" が関係していました。そして、今現在、その "座標" を知っているのは、ヘイスティングス本人と悪クーパーと行動を共にしていたレイ・モンローの二人だけという状況になっています。さらにレイ・モンローは、25年以上前から失踪したままのFBI捜査官フィリップ・ジェフリーズと関係していたのです。

  このような経緯から新シリーズ第1章で提示されたバックホーンでの殺人事件の謎は「ゾーン」と「座標」というキーワードに集約されました。それとツイン・ピークスとの関連性はまだ明らかにされていませんが、時同じくして、ブリッグス少佐の息子であるボビー保安官補も「ジャック・ラビット・パレス」という奇怪なメッセージを受け取っています。そして、そのメッセージから察すると、今から2日後である10月1日に、何かしらの現象が起きるのではないかとされています。

 

2.女性のトラブル

 今回の第10章で期待されていた「ゾーン」や「座標」の行方、もしくは「ジャック・ラビット・パレス」の続きについて、物語はいっさい触れることがありませんでした。その代わりに提示されたのは、それぞれの愛のカタチ、そして、女性が巻き込まれたトラブルについてでした。「ブルー・ベルベット」や「マルホランド・ドライブ」「インランド・エンパイア」で描いてきたリンチの十八番とも言える女性のトラブル。まずはそれについて、今回描かれた3人の女性に焦点を当ててみます。

 

 ①ミリアム・サリヴァン

 第6章で少年をピックアップトラックでひき逃げしたリチャード・ホーン。その現場でリチャードと目を合わせてしまったミリアム。二人はもともと知り合いだったらしく、不審な行動を起こすミリアムに感づいたリチャードが、彼女の家まで押しかけてきます。

 第6章でダブルRダイナーのウェイトレスであるハイジが「ミリアムは貧しい暮らしをしている」と同僚のシェリーに語っていましたが、それを裏付けるように彼女はどこかの農場の一角を借りてトレーラー暮らしをしています。母親の分のコーヒーをダブルRダイナーでテイクアウトしていたので、母親と二人で暮らしているようにも思えますが、一人で暮らしているようにも見えます。いずれにしても簡素なキッチンとベッドしかないトレーラー暮らしは、ミリアムが低所得者であることを物語っています。それでもトレーラーの周りを柵で囲い、花を植え、クリスマスや天使の置物などを飾りつけているところを見ると、貧しい中でも生活に華を添えようとしている姿が垣間見えます。

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 そんな彼女がトルーマン保安官に事故のことを通報したと知ると、リチャードは彼女に襲い掛かります。そして、キッチンのガス栓を開けると近場にあるロウソクに火をつけます。床に倒れているミリアムの頭部には血溜りができていますが、微かに息はしているようです。彼女の息の根をあえて止めず、ガス漏れによる爆発を画策し、リチャードは証拠を隠滅しようとしています。

 たまたま事故を見かけてしまい、悪いことを悪いと声を上げただけで、ひどい暴力に遭い、簡素ながらも平安に満ちた世界を破壊されてしまったミリアム。彼女が第10話で描かれたトラブルの第一被害者でした。

 

 レベッカ・"ベッキー"・バーネット

 次に描かれるのがベッキー。彼女はダブルRダイナーのウェイトレスであるシェリーの娘です。第5章では夫スティーヴンのために、シェリーからお金を借りていました。今回、この若い夫婦がニュー・ファットトラウト・トレーラーパークの住人だったことが判明。ミリアムに続きトレーラー暮らしの姿が描かれています。

 そこでのトラブルは夫からのDVです。会話から読み取れるのは、夫スティーヴンにちゃんと働いて欲しい、もしくは家を片づけて欲しい、そのようなことを言ったら逆ギレをされた感じが見受けられます。今の夫婦の稼ぎではトレーラー暮らしの家賃もまともに払えていないようです。ただ、DVと言っても、実際にスティーヴンは赤いマグカップを窓に投げつけただけで、ベッキーに手を上げようとはしていますが、その素振りだけで終わっています。そして、ベッキーも怯えてはいますが、手を上げようとして実際には何もできないスティーヴンをどこか軽んじているようにも見えます。

 ベッキーに向かって「お前がやったことは全部わかってる」とスティーヴンは言っていますが、それが何についてなのかは明らかになっていません。前回の登場時では、コカインを吸っている夫を止めさせようとしている節がありましたが、もしかしたら、そのコカインを全部捨ててしまったとか、そういう類のことかもしれません。いずれにしても、トレーラー暮らしを余儀なくされ、薬物に手を出し、最低賃金で働くしかない若い夫婦には、あまり明るい未来があるようには見えません。

 

 ③シルビア・ホーン

 ミリアムとベッキーはトレーラー暮らしでしたが、その対比になりそうなのがベンジャミン・ホーンの妻シルビアです。彼女は守衛が常駐している豪邸に住んでいます。そこに現れたのはリチャード・ホーン。彼はシルビアのことを "おばあちゃん" と呼んでいます。一緒にいたジョニーを "パパ" とは呼んでいないことから、ほぼ彼はオードリー・ホーンの息子ではないかと思われます。その真偽はまだ定かではないですが、このシーンによって、ほぼ確定したと言えるのではないでしょうか。そうすると気になるのが、母親オードリーの現在ですが、今のところ明かされているのは、25年前の銀行爆破事件に巻き込まれた際、一命を取り留めたオードリーは病院の集中治療室に運ばれたということ。そして、その集中治療室から、なぜか悪クーパーが出てきた姿が目撃されているということだけです。

 話をシルビアに戻しますが、彼女の悲劇は、お金や豪邸があるにも関わらず、実の孫にババア呼ばわりされながら首を絞められ、さらには金庫にあったお金や宝石類を強盗まがいに全て奪われてしまったことです。リチャードがお金をせびりに来たことは今まで何度もあったようで、暴力沙汰を起こすのも日常茶飯事のようです。シルビアはそんなリチャードを厄介払いしようとしますが、抵抗しても無駄だと観念し金庫の番号を教えてしまいます。

 このことも十分に悲劇なのですが、さらにシルビアが哀しいのは、ベンジャミン・ホーンに電話でリチャードの報告をした時の事です。お金を奪われたから、その分のお金を寄こしなさいとベンに詰め寄ります。弁護士を通してでもお金は払ってもらうとまで言い切ります。もともと旧シリーズでもベンやオードリーとの関係は冷えた状態で、知的障害者のジョニーの面倒に頭を抱えていたシルビア。彼女の結婚生活は見た目の華やかさとは違い、苦悩に満ちているものだと言えます。

 

 デイヴィッド・リンチの特徴は、トラブルに見舞われた女性の哀しさを描きながら、その内面に渦巻いている怒りや復讐心、そして、孤独までも同時に描き出していることです。その最たる主人公がローラ・パーマーであり、それを描きたいがためにリンチは、誰もが知っていたローラ・パーマーの最期の7日間を敢えて映像化しました。抗いきれない力に屈しながらも、どこかで光を求めている。その姿にリンチは刹那を見いだし今まで作品にしてきました。「マルホランド・ドライブ」然り、「インランド・エンパイア」然り、いずれも独特のユーモアを交えながら描いています。そんな中で、物語も折り返し地点を迎えたこの「The Return」で、なぜトラブルの挿話をこのタイミングで入れてきたのか。それは、このトラブルと対比になっている "愛" のコントラストを出すためではないかと思われます。

 

3.それぞれの愛のカタチ

 片やトラブルに見舞われ涙を流している世界があれば、片や愛に満ち溢れ人生を謳歌している世界もある。今まで登場してきた "腕" や "巨人" などの不確かな存在は鳴りを潜め、前回の第9章や今回の第10章は現実世界のドラマが描かれています。それは六道輪廻の世界で言うなら「人間道」の世界。そして、今回の第10章のテーマである "愛" が、六道輪廻のさらに大枠の輪になる十二因縁の一つであることから、不確かな存在を描く必要がないということではないかと思います。この「六道輪廻」や「十二因縁」については、また然るべきエピソードの時に存分に語ることができればと思いますが、どういうことか今すぐ知りたいという方は、ツイン・ピークス解読者で仏教研究家である内藤さんのホームページに行ってみてください。「ツイン・ピークス考察」で検索すればすぐに辿り着くのではないかと思います。

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※六道輪廻と十二因縁の図

(六分割の円の頂上に描かれている "天道" には、衝撃の第8章で見たようなあの景色が描かれています。それについて詳しく語りたいことがたくさんあるのですが、お前はヘイスティングスかと言われそうなので、もう少しガマンします)

 

 少しだけお話をしますと、第8章の考察で、僕は「The Return」はデイル・クーパーの巡礼の物語であると結論付けました。実際に何を巡礼するのかと言うと、この六道輪廻と十二因縁をクーパーが体験していく物語であるという意味です。それはダンテの「神曲」のようであり、チョーサーの「カンタベリー物語」のようでもあるのです。全18話からなる新シリーズのエピソードは、リンチ&フロストによって周到に計算された構造をしており、六道と呼ばれる6つの世界を3エピソードずつ披露しているのではないかと推測していたのです。そして、今回のエピソードで "愛" が披露されたことにより、その推測はかなり確実性のあるものではないかと思い始めています。

 

 ①クーパー&ジェイニーE

 第3章でロッジから現実に戻ってきたクーパーは「無明」の状態だったと言えます。そして、エピソードを重ね、この第10章で「愛」の一つ手前である「受」まで辿り着きました。もちろんリンチやフロストのことですから、単純にこの要素だけをテーマにしているわけではなく、本当にいろんな要素をミックスしながら「The Return」の世界を構築しています。なので一面性だけで結論できない複雑さを伴ってくるのですが、それは逆説的に言うと、それぞれいろいろな解釈ができる自由さも併せ持っています。それがいつもながらのリンチ作品の醍醐味だと言えます。

 十二因縁から離れた解釈をすると、今回のクーパー&ジェイニーEの結びつきは、村上春樹氏の大ベストセラー作品「1Q84」になぞらえることもできます。"レシヴァ" と "パシヴァ"。与える者と受け取る者。そんな対比に置き換えることもできるのです。それはいずれにしても肉体的なつながりだけではなく、精神的にもつながる体験をしていることが重要です。

 さらにオーガズムに達するというのは、人間の精神に解放や安らぎを与えると言われています。クーパーが経験したであろうオーガズムへの到達は、その表情を見れば火を見るよりも明らかです。古くからのツイン・ピークスのファンからすると、あのクーパー捜査官が...と少なからずショックを受ける方もいるかもしれませんが、"レシヴァ" と "パシヴァ" の精神的つながり、十二因縁を巡礼していくクーパーにとっては、通らなくてはならない "人の業" なのです。そして、クーパーは精神的に解放されました。

 ただ、映像的な話をすると、ここ日本では非常に残念な処理がされています。大人の事情というものがグローバルな時代にあっても根強くありますので、致し方ないことなのかもしれませんが...。しかし、一つ言いたいのは、その行為はルネッサンスの時代、ミケランジェロシスティーナ礼拝堂に描き切ったこの世界の成り立ちに対して、法王が腰布を描かせた行為と同じではないかと思います。残念なことではありますが、それも時代なのかもしれません。

 

 ②ジャコビー&ネイディーン

 相も変わらず超資本主義社会をネットで凶弾しているジャコビー先生。それを観ているネイディーン。どうやら第5章で感化された結果、彼女は自身のカーテンショップの店先に "金のシャベル" を飾っています。お店の名前は「静かに動く、静かなカーテン」。ネイディーンの夢は既に成し遂げられています。自身が思い描いていた生活を手に入れ、それなりの満足を得ているはずのネイディーンですが、なぜ、ジャコビー先生にここまで感化されてしまったのでしょうか。 

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 それも "レシヴァ" と "パシヴァ" に当てはめることができます。"与える者" ジャコビー先生は、いかに資本社会が我々の生活を蝕んでいるか、今回では病気を例に、病院から製薬会社、果ては葬儀屋まで話を存分に盛っていますが、それを聞いた "受け取る者" ネイディーンがハッと光明を得ています。まるで初めて世の中の仕組みに気づいたと言わんばかりです。この精神的な気づきも、ある時、人と人とを結びつけます。"愛" から連想する恋愛であったり家族愛であったりとは違いますが、偶像崇拝に近い、これも少しねじれた "愛" のカタチと言えそうです。

 

 ③アルバート&コンスタンス

 前回の第9章で、アルバートの辛辣な意見に臆することなく意見を言い返していたコンスタンス。その彼女の返し技にアルバートはニヤリとしていました。一方、コンスタンスは少佐の死体を目視しただけで年齢を言い当てたアルバート鑑識眼に、妙な関心というか、感動のようなものを味わっていました。

 第10章で、この "鑑識組" の二人がディナーを楽しんでいる姿が描かれています。たぶん、第9章でブリッグス少佐のさらなる鑑識を共同で行った際、お互いの博識や経験に、今までにない"共感"を味わったのではないかと思います。それをゴードンとタミーが陰から覗いて楽しんでいるのですが、いずれにしても "共感" から生まれる "愛" について描いています。そもそもアルバートが結婚しているのかどうかは、今まで描かれたことがないのでわかりませんが、コンスタンスには子供がいることがわかっています。彼女がシングルマザーなのかどうかもはっきりしませんが、いずれにしても、この二人が今後どんな関係に発展していくかは物語が進まないとわかりません。

 

 先ほどのベッキー&スティーヴン、ベン&シルビアも、もともとはこのような "共感" からロマンスが育まれ、ある時はクーパー&ジェイニーEのような至高な経験を共にしていたはずです。ほんの1時間のドラマの中で、ここまで "愛" の成り立ちについて描き切れるのも、デイヴィッド・リンチがもともとシュールレアリスムに傾倒していた芸術家であるからこそと言えます。

 

4.ミッチャム兄弟

 第5章で初登場したミッチャム兄弟とキャンディ含む3人のキャバレーガール。第10章では、これでもかとばかりにミッチャム兄弟にダギー・ジョーンズ(クーパー / ミスター・ジャックポット)をけしかけます。その経緯と周辺人物を整理する前に、まずは謎の三人娘について少し考察したいと思います。

 

 ①三美神が意味するもの

 キャンディ、マンディ、サンディと呼ばれているらしい三人娘。キャンディはセリフがあるのでわかりますが、他の二人はどっちがマンディで、どっちがサンディなのか、いまいちわかりません。いつもピンクのキャバレーガールな恰好をし、立ち位置は決まって真ん中がキャンディです。第5章で当時カジノの支配人であったバーンズが、ジャックポットを理由にロドニーから制裁を受けている時も、三人はどこ吹く風で場をやり過ごしていました。

 三人の立ち位置を見てみると、両サイドの二人は普通に正面を向いているのに対して、キャンディはいつも背中をこちらに見せようとしています。絵画が好きな人は、女性三人がこの立ち位置で並ぶ構図にピンと来る方もいると思いますが、ギリシャ神話などに登場する三人の女神、"三美神" の構図にこれがぴったり合うのです。中でも、ボッティチェリの作品「春(プリマヴェーラ)」が一番有名であり、この構図が意味するものがわかりやすいのではないかと思います。

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 誰でも美術の教科書などで一度は目にしたことがあると思いますが、この絵の左側で手を取り合い踊っているのが三美神です。それぞれに意味があり、三人の女神の左端が「愛欲」、中央の女神が「純潔」、右端の女神が「愛」を現わしています。「愛欲」と「純潔」は相反するものであり、それを取りまとめているのが「愛」であるという解釈になります。この三美神をキャンディたちに照らし合わせると、左端の娘が「愛欲」、キャンディが「純潔」、右端の娘は「愛」ということになります。

 少々こじつけ感があるかもしれませんが、僕の妄想をそのまま続けるなら、キャンディは「純潔」の象徴ということになります。同じ意味で「貞節」「純心」「無垢」とかなりの拡大解釈をすることもできます。それを踏まえた上で、第10章のミッチャム兄弟の動きを見ていくことにします。

 

 ②怒り狂うミッチャム兄弟

 物語の順を追って見ていくと、まず導入はハエを追うキャンディから始まります。普通に見ていると、いつものリンチ特有のシュールなシーンのような気もしますが、ここにもメタファーが隠されています。ハエ は、"邪魔なもの" という意味と、「蝿の王」に象徴されるように "悪魔的なもの" という意味も含まれています。そのハエをキャンディは真っ赤なスカーフで叩き落とそうとしているのです。

 赤くて四角いモノで思い浮かぶのは "悪クーパー" です。リンチは直接的ではなく、かなり遠まわしにヒントを散りばめています。それを読み解く(妄想ともいう)とするなら、キャンディはミッチャム兄弟に降りかかる悪クーパーからの邪悪なものを感知して、それを払いのけようとしている。そんなシチュエーションであるということが読み取れます(脳内補完されます)。しかし、赤いスカーフはキャンディの手を離れ、結果、邪魔なハエを叩き落とすことはできず、ビデオのリモコンでロドニーの左頬を殴打するという結末に至ります。かなりの深読みですので、もっとシンプルにこのシーンを解釈するなら、キャンディの無邪気さを描いたシーンとも言えます。

 純心なキャンディはロドニーを傷つけたことにひどくショックを受けています。ロドニーはそんなキャンディを慰めていますが、どうにも泣きじゃくって取り合ってもらえません。そんな中、テレビから意外なニュースがミッチャム兄弟のもとに飛び込んできます。殺しの標的にしていたスパイクが逮捕され、先日のミスター・ジャックポットであるクーパーがどこの誰であるかを知ることになるのです。そこでキャンディは「あんなことをしたら、もう愛してくれないでしょ」と泣き続けます。単純に殴ってしまったからそう言ったとも思えますし、深読みするなら、邪悪なものを払いのけることができなかったから、そう言ったようにも見えます。

 その後、シルバー・マスタング・カジノにラッキー7保険のアンソニーが訪ねてきます。ミッチャム兄弟たちが「信用ならない保険屋」とボヤいているところを見ると、以前、何かしらの取引がご破算になったようです。彼らはキャンディを迎えに行かせますが、彼女はアンソニーと何かの話をしていてなかなか帰ってこない。しびれを切らしてすぐに戻させ、なんの話をしていたか問い質すと「逆転層」についての話をしていたと言います。逆転層の時は遠くの音が聞こえたり、電波伝播に異常が出たり、蜃気楼が見えたりするようです。どうにも理解できないミッチャム兄弟。アンソニーは先日のホテル火災の保険金支払いをダギー・ジョーンズが差し止めていると言います。敵はダギー・ジョーンズだと念を押すのです。穿った深読みをすると、アンソニーに逆転層の話をしているキャンディは、あなたの嘘を見抜いているという解釈ができそうです。

 ジャックポット損害に保険金の差し止め。屋敷に戻るミッチャム兄弟ですが、ダギー・ジョーンズへの怒りが一向に収まらない。明日にでもさっそくアポイントを取り、即刻ぶち殺すと息巻いています。その間、マンディとサンディはお酒を作ったりしているのですが、キャンディだけは背中を向けて会話を聞かないようにしているみたいに見えます。

 カジノでの会話でキャンディのことを「わかってる。彼女は行くところがないんだ」とミッチャム兄弟は言っていました。その背景にどんな物語や設定があるかはまだわかりませんが、キャンディを不思議ちゃんと取るか、彼らを守ろうとする女神と取るか、いろいろと妄想が膨らみます。

 

 ③ダンカン・トッドの思惑

 スパイク逮捕の知らせはダンカン・トッドのもとにも届きます。そこでダンカンはラッキー7保険のアンソニーをオフィスに呼び出します。そして、明らかになるのがミッチャム兄弟とダンカンは敵対関係にあるということでした。ホテル火災の保険金を却下するとダンカンが判断していることから、どうもその情報をアンソニーがリークしたように見受けられます。そこから見えてくる力関係は、アンソニーからするとミッチャム兄弟を裏切ってでもダンカンに従わずにはいられない何かがありそうです。それについては、もう少し物語が進まないと全貌が見えてこないようです。

 

5.ゴードン・コールの幻覚

 ホテルでの一幕。なにやら紙に落書きをしているゴードンですが、鹿のような生き物を外界から伸びてきた手が捕まえようとしています。

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 一見すると鹿のようであって、鹿ではないようにも見えます。宮崎駿監督の「もののけ姫」に出てくるシシ神のモデルと噂されているシフゾウにも見えます。シシ神は "死と再生" の象徴、転じて "自然" の象徴とされていますが、シフゾウや鹿にはそういう意味はありません。どちらも食用にされる肉であるだけです。これの意味するところが物語にどう絡んでくるのかはわかりませんが、たぶん、何か神聖なものを奪い取ろうとするものが外の世界から忍び寄っている。もしくは新たな生贄が外の世界から狙われている。そんな意味合いでしょうか。

 さらに不思議なのは、この絵を描き終えた後、ゴードンがローラ・パーマーの幻を見ていることです。これはちょっと現段階では、まったく意味がわかりません。ニューヨークのガラス・ボックスと共に悪クーパーの姿が映っていたのも、ものすごく意味深です。

 次回、第11章でこの辺の謎が少しは明らかになるのか、そして、ゾーンや座標、ジャック・ラビット・パレスはどうなるのか。残り半分をきった新シリーズ、一時も見逃せません。