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『エクソシスト』と『ツイン・ピークス』の素敵な共犯関係

このまったりな正月を利用しまして、今さらですが、先日WOWOWで放送していた『エクソシスト -劇場公開版-』を初めて鑑賞しました。もちろん『エクソシスト』という作品も悪魔祓いという内容も前から知っていたのですが、なんでしょう、番組予約をしている時になんか気になって、急にちゃんと観たくなったんです。

映画公開は1973年、今から45年も前の作品になります。さすが名作として名高いだけあって、重厚感漂う雰囲気が非常に魅力的な映画でした。映像もリマスターでキレイに処理されているので古臭さを感じないし、イラクやニューヨークの地下鉄など各シーンのカットがどれもカッコいい。究極はやっぱり映画ポスターにもなっているこれ。

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こういう雰囲気、たまらなく好きですわ。なんだろう、昔、映画のチラシを集めてクリアファイルに収納していたのを急に思い出してしまいました。雑誌「ロードショー」の巻末とかにもそういうチラシの通信販売みたいなページがありましたよね。懐かしい。よく集めてたなぁ。

で、去年から完全に頭が『ツイン・ピークス』になってしまっている僕は、この『エクソシスト』に『ツイン・ピークス』との妙な共通点、いや、『エクソシスト』から拝借したであろう点があることに気づいてしまったのです。しかも『ツイン・ピークス』の中でも結構な感じで重要な部分が、この『エクソシスト』で既に描かれていたのです。中には「今さら?」と言われる部分があるかもしれませんが、はい、ホラーとかそういう類の映画は完全に避けて生きてきたので、今さら気づいちゃったわけです。ではでは、マーク・フロストは『エクソシスト』から何を拝借したのか?さっそく語っていきましょうか、姐さん。

 

1.パズズとベルゼブブ

エクソシスト』で悪魔に "憑依" されてしまった少女リーガン・マクニール。彼女に憑依した悪魔はライオンの頭と腕、鷲の脚、背中に4枚の鳥の翼とサソリの尾、更にはヘビの男根を隠し持つという悪魔パズズだと言われています。大神官ハーゴンが産み出した、ザラキを多用し最後はメガンテまで仕掛けてくるあのやっかいな強敵です。...、...、...。すいません、それはバズズですね。その元ネタと言われている悪魔がパズズだそうです。

映画の冒頭で遺跡から発掘されたのがパズズ頭部の彫像であったり、ランカスター・メリン神父がイラクを旅立つ前に対峙したのがパズズの全身像であったりと、物語は、これから出てくる悪魔はこのパズズなんだよと懇切丁寧に教えてくれるのです。

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※男根を隠し持つという割にはどこも隠れていないという...

しかし、Wikipediaを見ても映画ファンのブログを見ても『エクソシスト』に出てくる悪魔はパズズではなくベルゼブブだと言うんですね。どういうこっちゃ?と思うんだけど、要点は三つあって、一つは悪霊のボス的でキング的な存在がベルゼブブであってパズズはそこまで力がないからお役御免だということ、もう一つは原作の元ネタの一つになった1565年に起きた「ランの奇跡」という事件を起こしたのがベルゼブブだからというもの、最後は姿が蝿だとカッコつかないから見かけはパズズにしたというもの。

いずれにしても『エクソシスト』で少女に憑依した悪魔はベルゼブブということになるらしいのですが、これ『ファイナル・ドキュメント』でも同じ悪魔が出てくるのです。しかも「ジュディ」の項目でこれ見よがしに出てくるあたり、マーク・フロストの中では "極めてネガティブな存在" は "悪魔" ということでどうやら決まったみたいなんですね。しかもですよ "シュメール神話" まで出してくるあたり、もう一般の人には到底ついていけない領域にまでぶっ飛んでってしまってるのです。こんなん『The Return』を観ただけで理解しろって言うほうが無理な話で、いくらヘイスティングス校長が膨大な文献を読み漁ったという設定だとしても、一般視聴者は普通に置いてけぼりを喰らうだけなのです。

では、ベルゼブブっていったいどんな悪魔なの?って話なんですが、これがまた難しいところでして。ジュディ(JUDY)が結局はジョウディ(JOUDY)だったように、ベルゼブブも元はバアル・ゼブルという神だったらしいのです。その神がなんの因果かバアル・ゼブブ(蝿の王)と蔑まされるようになり、果ては悪霊たちの王になってしまうという。なんでしょう、『もののけ姫』でいうとタタリ神になってしまった猪神 "オツコトヌシ様" みたいな。毛色が違いますが『ドラクエ9』のラスボス "エルギオス" みたいなとでも言いましょうか。いずれにしても「善」だったものが「悪」になってしまう構造がここに介在していて、その変換点には何かしらのドラマが存在していたように見えるのです。

そういう視点で見ると『エクソシスト』も「善」であるはずのリーガンやカラス神父が「悪」に取り込まれ、ある意味での復讐心を満たしていく姿が垣間見えますし、『ツイン・ピークス』でいうなら「善」であったはずのクーパー捜査官が「悪」のドッペルゲンガーとして群雄割拠していく姿を描いたのが『The Return』であるとも言えるのです。

 

2.悪魔の言葉

女優のクリス・マクニールは一人娘のリーガンを助けるべくデミアン・カラス神父に悪魔祓いの依頼をします。聖職者でありながら精神科医でもあるカラス神父は、悪魔などいないと懐疑的で、変わり果てた少女を現代的な方法で救えないかと模索します。そのうちの一つがただの水道水を聖水だといって降りかけて相手がどう出るかを探るというものでしたが、ものの見事に相手はひっかかり、カラス神父は余計に少女に憑りついているのは悪魔ではないと確信します。しかし、その際に意味不明な言葉を発していたのが気になり、あらかじめ会話を録音していたテープを言語研究所に持っていき分析してもらいます。

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※ローマ字で「TASUKETE!」と書かれているのが当時スゴイ衝撃だったらしい

テープを聞いた分析官はいとも簡単に「これは英語だ」と解読します。意味がわからないでいるカラス神父に「こうすればわかる」と分析官はテープをなんと逆再生します。すると「時間をくれ。彼女を殺せ。おれは誰でもない。神父を恐れろ。メリン」と会話が聞こえてくるのです。

頭が完全に『ツイン・ピークス』になっている僕は驚愕しました。なんやねん!ロッジ言葉って、これが元ネタなんか!と。しかも、悪魔の言葉が逆再生って、これをこのままの意味で汲み取るならロッジの住人たちはみんな悪魔ということになります。いや、そうしてしまうと逆さ言葉を使っていた "消防士" までが悪魔ということになっちまいますんで、そこは "あちらの世界" で留めておいた方がいいかもしれません。いずれにしてもビックリ仰天でした。

エクソシスト』がただのオカルト映画で終わらない魅力がここにあります。カラス神父をはじめ、リーガンを診察する医師たちも、みんながみんな悪魔に対して医学的な方法で解決を試みているのです。レントゲンを取り、脳髄液を採取し、精神療法まで試みる。嘘の聖水を降りかけたり、会話を録音して分析したりする。そして、それらはことごとく覆されてしまう。その最後の頼みの綱が "悪魔祓い" だという構成が見事なのです。

ツイン・ピークス』の旧シリーズを見るとクーパー捜査官の調査方法というのは『エクソシスト』のそれとは真逆の方法でした。石を投げて誰に当たるかで犯人を特定する。夢で見たことをそのまま現実に持ち込む。果ては幻で現れた人物が全てをぶっちゃけてしまうという。FBIの "特別" 捜査官なのに何一つ科学的なことをしていないというこの不条理。この笑っちゃうほど現実離れしていて、行き当たりばったりなおとぼけ具合がクーパー捜査官の最大の魅力だったわけです。そうなんです。これはこれでちゃんと成立していたんです。そして、それは『The Return』でも継承されるだろうと誰もが思っていたはずなのですが、蓋を開けてみたら捜査どころか思考までストップしてしまったというね。

エクソシスト』の原作者であるウィリアム・ピーター・ブラッティも、監督のウィリアム・フリードキンも、この映画をドキュメンタリーのような作品にしたいと思って制作したようなので、そこでもリンチ&フロストの立ち位置とは完全に真逆なわけです。原作者で脚本家でもあるブラッティは1948年に起きた「メリーランド悪魔憑依事件」を基に小説を執筆したそうなので、そのリアリティには並々ならぬものがあるのも頷けます。

 

3.悪魔との戦いの行方

エクソシスト』のクライマックス "悪魔祓い" について、今さら僕がどうのこうの言うあれもないので割愛しますが、妙に『ツイン・ピークス』とリンクするなぁと思うのが、リーガンに憑依した悪魔がカラス神父に乗り移ってしまうというラストです。これ、旧シリーズのラストでクーパー捜査官に憑依したボブと被るような気がするのです。そして、どちらも少女を悪魔から守るために自らを犠牲にしている。いや、そんなキレイなものではないですね。どちらも己の中にある悪魔性(罪悪感)を認めるのです。

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※建物に落書きされている「PIGS」が意味深すぎます

カラス神父はもともと聖職者の仕事を辞めたいとボヤき、お金がないために最愛の母を劣悪な施設に追いやることになってしまい、その結果の母親の死は自分に責任があると思い込んでいました。そんな折に悪魔祓いの依頼が舞い込み、リーガンの身体に現れた "help me" というメッセージに突き動かされ、辞めたかった聖職者の立場で少女を救い出そうとします。そして、最後は自らの罪を悔い改めるかのように悪魔と共に階段を転げ落ちていきます。

自らを犠牲にして少女を救ったという面も確かにありますが、それよりも自らの中にある悪魔性、どこかで少なからず母親を疎ましく思っていた事、施しを求める乞食を見て見ぬ振りした事、果てはどこか厭世的な自分に対する虚無感を、最後の最後に全て自分に対する怒りとして悪魔と対峙した結果ではないかと思うのです。カラス神父は悪魔の中に自分の姿を見たのです。まるで鏡写しのように。

片やクーパー捜査官はと言うと、ウィンダム・アールの妻キャロラインとの不倫から始まり、テレサ・バンクス事件からローラ・パーマー事件を予測していたにもかかわらず未然に防ぐことができなかったこと、オードリーを事件に巻き込んだり、アニーまでが自分のせいで被害者になりかかったことなどが、アールに魂を差し出す決断へとなだれ込んでいきます。カラス神父のそれと比べると、やはりクーパー捜査官のそれは行き当たりばったりな、その場限りな印象を受けますが、相手に対して自分を見るという点では同じだと言えます。その懺悔の巡礼が『The Return』であり、懺悔の最果てがローラ救出、その結果は "HOME" 家までを失う結果になってしまいました。

ドラクエのように悪魔を退治して世界に平和が訪れました的な世界ではなく、悪魔と対峙したことにより自らを一度滅ぼさなければならないという結末が、この二作品のどちらにも描かれています。それは字の如く "死" をもって自らに打ち勝つという意味に読み取れるのですが、その "死" は観念的なものであって、要は過去の自分を一度清算しなければいけないということだと思うのです。ゼロにするとでも言いましょうか。それには何かしらの犠牲が伴うと。

悪魔は向こうにいるのではなく、自分の中に巣食っているのだと。向こうに悪魔が見えた時、それは自分の鏡写しなのだと。それと対峙する勇気があなたにはあるか?そんなメッセージをビシビシと感じてしまったのです。

 

なんか、正月早々、めちゃくちゃ考えさせられてしまいました...。