『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』を考察する
3月末までWOWOWが「The Return」を独占するみたいなので、DVD/BDの発売アナウンスはさらに先になりそうな感じがする今日この頃。完全に世界から置いてけぼりを喰らってる状態です。たぶん、思ったほど採算が取れなかったため、WOWOWも苦肉の策で何度も放送しないといけない羽目になったような印象を受けるのですが、そもそもデイヴィッド・リンチにエンターテイメントを求めた時点で的外れの感じもします。まあ、ぶっちゃけ、負のスパイラルが半端ないです。
そんなわけで「The Return」のDVD/BDが発売されるまでの時間潰しというわけで、ちょっとした連載コラムを思いつきました。名づけて『「The Return」を解読するための旧ツイン・ピークス巡礼の旅シリーズ』です。今のところ僕の中で予定しているスケジュールは下記になります。
第1回「『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』を考察する」
第2回「『ツイン・ピークス インターナショナル版』を考察する」
第3回「『ツイン・ピークス シーズン1』を振り返る」
第4回「『ツイン・ピークス シーズン2』を振り返る」
第5回「『ツイン・ピークス The Return』を振り返る」
タイトルなどはその時の気分で変わるかもしれませんが、こんな感じでツイン・ピークスという世界をタイムラインに沿って振り返ってみようと思います。ではでは、姐さん、さっそくいってみましょうか。
「The Return」を解読するための旧ツイン・ピークス巡礼の旅シリーズ
第1回「『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』を考察する」
【作品情報】
タイトル:TWIN PEAKS: FIRE WALK WITH ME
監督:デイヴィッド・リンチ
脚本:デイヴィッド・リンチ&ロバート・エンゲルス
日本公開:1992年5月16日
上映時間:135分
というわけで、今さらですが、この手垢まみれの26年前の作品を今一度振り返ってみようかと思います。いろんなところでレビューやら考察やらがされているので、とりあえず僕なりの新解釈みたいなものを書き込めていければとは思いますが、その前に僕のツイン・ピークス基本概念みたいなものをご紹介します。というか、僕にとってこのFAQサイトがツイン・ピークスの全てでした。
Twin Peaks Frequently Asked Questions v3.0-J
もう10年も20年も前のサイトがこうして今も残ってくれていることが奇跡ですが、ここのページを読めばだいたいのことは理解できるのではないかと思います。というか、これ以上のTPサイトを教えろと言われたら、あとは内藤仙人さまの曼荼羅話に行くしかありません。その先に待っているのは広大な精神世界ですので、パンピーの僕にはとてもそこを語るなんて事はできません。
上記のFAQサイトを読めば分かる通り、もともと劇場版の尺は3時間半もある長大な作品になる予定でした。なので21世紀に生きている僕らは、劇場版とカット集「The Missing Pieces」を組み合わせれば、もともとの3時間半の姿を垣間見ることができる、とても幸運な時代にいます(欲を言わせてもらえれば、二つをまとめたディレクターズ・カット版があれば最高なんですが、リンチ監督はそんな下世話なことは絶対にしないでしょう)。そして「The Return」の制作にリンチ監督を向かわせたのも、このボックスセット「The Entire Mystery」に特典として付けるために、25年前に遡り「The Missing Pieces」を編集するという久方ぶりの経験があったからではないかと僕個人は思っています。その流れからすると「The Return」には、もともと劇場版をシリーズ化することを前提にしていた内容が、大なり小なり受け継がれているのではないかと思うのです。なので「The Return」を理解するためには、先の25年前の作品をより理解しておかなければ、到底辿り着けない領域があるのではないかと。
とは言え、僕個人の感想としては、劇場版はあまり好きではありません。とにかくローラが泣いてばかりいて可哀相すぎるのです。観ていて辛くなってしまうのです。例えば同じ悲劇的な状況にある「ブルーベルベット」のドロシーですが、彼女はジェフリーという覗き魔的な視点があるため、倒錯的なエロティシズムの対象として観ることが出来ました。「ワイルド・アット・ハート」のルーラになると、悲劇を若さゆえの突破力でメーターを振りきり、完全に笑い飛ばしていました。しかし、劇場版で描かれるローラはひたすら主観なのです。観客はみんなローラと同じ悲劇を追体験しなければならず、そこに救いが何もないのです。1992年当時、まだぜんぜん若かった僕は映画館で作品を観た後、完全に打ちのめされました。テレビシリーズの謎が解決どころかさらに増えて、しかも悲しくなっただけ...。後にも先にも、あれほどショボーンとして映画館から出たのは、あの時が最初で最後だったような気がします。
そんなショボーン映画『ローラ・パーマー最期の7日間』ですが、作品的には第1部と第2部に分けられ、とりわけ「The Return」で重要視されたのが冒頭からの30分強ある第1部 "テレサ・バンクス事件" になります。では、まずその第1部を紐解いていきましょう。
【第1部:テレサ・バンクス事件】
◆冒頭
大まかな流れは今さら事細かにあらすじを起こす必要はないかと思いますので割愛しますが、冒頭で重要なのはテレビを叩き壊すシーンから始まるというのが、この映画のスタンスを如実に現わしているのではないかと思います。要するにテレビシリーズをぶっ壊すという。これ、誰かがブログか何かで書いていたのをそのまま拝借しているのですが、リンチ監督の作家性、もしくは映画への意気込みを表現しているという点で、僕も同意見でしたのであえてパクらせていただきました。放送が終わり、砂嵐になっているテレビを叩き壊す。そこから物語が始まる。めちゃめちゃシビレるじゃないですか。
◆スクール・バス
そして、問題のスクール・バス!「The Entire Mystery」の特典映像「『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』の思い出」内で小道具係のマイク・マローンとサウンド・ミキサー係のジョン・ハックが驚愕のネタバレをしていましたが、このスクール・バスは娼婦を運ぶバスだったことが判明!バスの中で泣き叫んでいた少女たちは、チェット・デズモンド捜査官がいなければ、どこかで売り飛ばされていた女の子たちだったのです!それをあのシーンだけで理解しろなんて、いくらなんでも無理でっせ、リンチ監督!
さらに、このシーンには二重の意味があります。もともとの脚本にはクリス・アイザックが演じたデズモンド捜査官なんて存在は皆無で、全てクーパー捜査官を主体に脚本が書かれていたようです。それをカイル・マクラクランが断ったという話は有名ですが、そこから創作されたのがデズモンド捜査官であり、彼の行動はクーパー捜査官がしていたであろう行動にもなるのです。となると、この大量の売春スクールバスに詰め込まれた少女たちを魔の手から救い出したというシーンと、近親相姦の果てに実の父親に殺されてしまったローラが見事に対比しています。クーパー捜査官=デイヴィッド・リンチは、やはりローラ・パーマーを悲劇から救い出したかったのです。
◆好奇心の強い女性
先のFAQサイトの "F.25" でも触れられている氷嚢を右目に当てたこのおばあちゃん。クレジットには "The Curious Woman" とあります。直訳すると "好奇心の強い女性" 。実はこれデイヴィッド・リンチ本人ではないかと言われていましたが、どうやら噂で終わったようです。その証拠が下記のサイト。まあ、似てると言えば似てなくもないですけどね。
Curious Woman interview - David Lynch
僕がここでピックアップしたいのは、ピーカー達がひねり出したアナグラムです。氷嚢ばあちゃんを演じた Ingrid Brucato という女優が存在していなかったため、ピーカー達はそこから "c in our drag bit" (我らが女装の男C) とアナグラムしました。この "女装の男" と聞いてピンときた方は、かなりの The Return 中毒者だと思うのですが、そうです、The Return 第15章に登場したあの女性です。
その名を "Bosomy Woman" (胸の豊かな女性) 。演じていたのは Malachy Sreenan という男優でした。悪クーパーをフィリップ・ジェフリーズの部屋に案内した、この女装した男性が上記の氷嚢ばあちゃんへのリンチ監督からの解答ではなかろうか?と思うのです。あんたら、人のことを女装した女装したって、女装っていうのはこういうのを言うんやで!みたいな。
いずれにしても、氷嚢ばあちゃんもボソミー君もぜんぜん意味がわからないキャラクターという点で共通しています。そして、意味がわからないからこそ、不安感というか拒絶感のようなものを漂わせているのです。そう、意味なんていらないんです。そこに存在している、それだけで十分なんです。
◆J・エドガー
さて、彼は誰だ?と思われるかもしれませんが、アメリカ連邦捜査局の初代長官であるジョン・エドガー・フーヴァーです。クリント・イーストウッドが監督した映画「J・エドガー」でディカプリオが演じていたのが彼になります。なんで急にそんな人が?と思われるかもしれませんが、カット集「The Missing Pieces」の中で彼の名前が出てきます。テレサ・バンクスの遺体をポートランドに移すため、デズモンド捜査官はディア・メドウの怪力保安官ケーブルと殴り合いの対決をするシーンがあるのですが、そこで一言デズモンド捜査官がつぶやきます。「これはJ・エドガーの分だ」
FBI初代長官のエドガー・フーヴァーは盗聴やスキャンダルを利用して歴代の大統領たちを脅迫、マフィアとも裏でつながり、果ては同性愛者でフリーメイソンのメンバーだった人物のようです。こうやって書くと、なんだかスゴイ人のようですが、ここ日本ではあまり知られていない人物です。デズモンド捜査官が「J・エドガーの分だ」と言ったのは、お前らFBIをなめんじゃねえぞという意味と、ケーブル保安官の隠蔽体質がエドガー・フーヴァーのようであり、それに対しての怒りの鉄拳だったのではないかと推測します。
1990年前後は「ツイン・ピークス」や「羊たちの沈黙」などでFBIという組織が広く世間に知られた頃のように思うのですが、いかんせん、それまでのFBIのイメージが先のゲシュタポや秘密警察じみた組織のイメージだったのかはわからないです。
「The Return」の第18章、オデッサの「ジュディの店」で、リチャード捜査官が「私はFBIだ」と言った途端、ウェイトレスの娘はビビっていました。まるで戦時中に「私は憲兵だ」と言われているような感じだと思うのですが、そのイメージを払拭したのが「ツイン・ピークス」であり「羊たちの沈黙」だったような感じもします(ちなみに「ジュディの店」のウェイトレス役はイーストウッドの娘さんでした。J・エドガーつながりではもちろんないと思いますが、リンチ監督のユーモアセンスはいかようにも解釈できるという一つの好例だと言えないでしょうか)。
さらに、この青いバラ特捜チームと一緒に写っている額に入った写真の人物、誰かわかりますか?僕もいろいろと調べてみたんですが、どうも明確な答えが出てきません。ですが、たぶん、この方ではないかと思います。
第34代アメリカ大統領 ドワイト・D・アイゼンハワー。不思議なのは「The Return」のラスベガスFBIの壁にもアイゼンハワー元大統領の写真が飾られていたことです。これは何を意味するのか?
遡ること73年前、第二次世界大戦にて日本の敗戦が目に見えて濃厚になった際、それでも原爆投下を計画していた当時の大統領トルーマンに対して、まだ軍人だったアイゼンハワーは断固として原爆投下に反対。大統領就任後もソ連との冷戦を解決するために「平和のための原子力」演説を行い、退任演説で語られた軍産複合体への批判は映画「JFK」の冒頭でも使用されています。ドナルド・トランプが大統領になった今、密かに再評価されつつあるのがアイゼンハワー元大統領の平和的外交への手腕だそうです。
その一方で、ブルーブック計画などMJ-12(宇宙人問題)の主導権をアメリカ主体からロックフェラー家に譲渡してしまった張本人とも言われています。探ろうと思えばいくらでも出てきそうな感じではありますが、僕的にはリンチ監督の平和主義のアイコンとしてアイゼンハワー元大統領を掲げたのではないかと思っています。
◆クリス・アイザックとクリスタ・ベル、そしてデヴィッド・ボウイ
歌手であるということ、そしてリンチ監督の大のお気に入り、さらには三人ともFBI捜査官の役という点で、かなりの共通項があります。クリス・アイザックについては、先述したようにカイル・マクラクランのわがままが故に創作されたキャラクターであり、結果的には功を奏したのですが、そのオマージュとして「The Return」に登場したのがクリスタ・ベルになりそうです。リンチ監督的には、せめて "BANG BANG BAR" に登場させたかったかもしれないクリス・アイザックですが、失踪したFBI捜査官が場末のバーで歌を歌った日には、ジェームズ以上の憤懣が飛び出そうではあります。
◆"6" の電信柱と "7" のエレベーター
「The Return」でも不吉の象徴、電気の象徴として描かれていた "6" の電信柱。劇場版ではカール・ロッドが管理人を務めるファット・トラウト・トレイラーパーク内にその電信柱が存在します。
そして、その電信柱の裏には配電ボックスがあり、そこには "7" の表示があります。
これは "6" から "7" へ分配されていくという意味がありそうなのですが、それを裏付けるのがフィリップ・ジェフリーズが出てきたエレベーターの階表示です。
「The Missing Pieces」を観るとフィリップ・ジェフリーズはジュディに会うためブエノスアイレスのホテルにチェックインした後、ベルボーイの案内に従いホテルのエレベーターへと向かいます(実際にエレベーターに乗り込むシーンはありません)。そこでシーンは "6" の電信柱のアップになり、そこからコンビニエンス・ストアのミーティングへと流れていきます。実際にフィリップはそのミーティングを目撃した、もしくは参加し、それを報告するため現世に戻ってくるのですが、その出口が "7" のエレベーターになるのです。
"7" という数字は非常に神秘的な数字です。1週間を現わす単位であったり、音階を現わす単位であったり、虹の色の数であったり、"7" という単位がそれだけで "完成" や "完結" を意味することが多いのです。そして、整数を1から順に並べていくと "7" の次は "8" になり無限大を現わし、その先の "9" になると "6" がひっくり返り、無限のさらなる先は摩訶不思議な世界であることを現わしています。
おわかりでしょうか?
"6" の電信柱から始まり、"7" から出てくる。そして、"8" に向かった先は無限なのです。これは一つのロジックでしかないかもしれませんが、こう定義することはできるかもしれません。ロッジにいる住人たちは "6" と "7" の狭間の世界で暮らし、"8" の先にある世界がオデッサであると。この続きは「第5回『The Return』を振り返る」で語りたいと思います。
【第2部:ローラ・パーマー最期の7日間】
◆ローラの1週間を振り返る
フィリップ・ジェフリーズが突如姿を現わし、デズモンド捜査官が失踪した日のちょうど1年後から、アメリカ北西部の小さな田舎町ツイン・ピークスに住む一人の少女の物語が始まります。まずはその1週間を振り返ってみたいと思います。(青字の項目は「The Missing Pieces」の部分になります)
----- 1日目 2月17日 (金) -----
〇自分のことを愚かな七面鳥だと訴える
〇天使は遥か彼方に行ってしまったと訴える
〇日記が破かれていることに気づく
〇母親からスモーカーになっちゃダメと注意される
〇ハロルド・スミスに日記を預ける
〇母親から青いセーターを着ちゃダメと叱られる
〇夕食の席でノルウェー語を練習する
〇トラック運転手からドラッグを調達する
----- 2日目 2月18日 (土) -----
〇トレモンド婦人から絵を渡される
〇ボブと父親が同一人物だと気づく
〇「天使たちは戻ってくる」とヘイワード先生が告げる
〇自分がマフィンだと認める
〇絵の中へと迷い込む
----- 3日目 2月19日 (日) -----
〇シーリングファンに不敵の笑みを浮かべる
〇ロードハウスに繰り出す
〇クラブ「権力と栄光」でドラッグパーティ
----- 4日目 2月20日 (月) -----
〇片腕の男にあおられる
〇テレサの指輪と片腕の男の指輪に気づく
----- 5日目 2月21日 (火) -----
〇今日はジョニー・ホーンの誕生日
〇ボビーとドラッグの取引場所に行く
〇殺人現場に居合わせ死を目の当たりにする
----- 6日目 2月22日 (水) -----
〇ボビーからお金を貸金庫に入れるよう頼まれる
〇ジェイムズの夜の誘いを断る
〇ジャコビー先生から電話がかかってくる
〇ボブが父親であることを目の当たりにする
----- 7日目 2月23日 (木) -----
〇父親への嫌悪感を露わにする
〇ボビーからドラッグを調達する
〇ジェイムズを迎えに寄こす
〇絵から天使が消える
〇山小屋へ
〇ボブに殺される
さて、これらの物語から何を読み取ることができるでしょうか?リンチ作品を精神科医の現実的な視点から読み解いている華沢紫苑さんは、統合失調症の精神疾患にかかってしまったローラが、父親との近親相姦を認めたくないためにボブという幻を創り出したという説を発表していました。ボブという幻が父親であることを受容していく物語なのだと。これも一つの見方だと思います。
内藤仙人さまは、華沢先生とは逆にボブという脅威からローラが解放されるまでの過程を描いた作品だと言っています。これは男性視点、女性視点の違いでもあるかと思いますが、どちらかというと精神解放を訴えたい内藤仙人さまらしい読みだと思います。死こそが精神や魂の解放であり、その解放をどう迎えるために今をどう生きていくのかという。
では、僕的にはどうなのかというと、冒頭にも書いたように、ただただ悲しいのです。自らをアホな七面鳥だと語り、親友と言っても心を開くわけでもない、母親は小うるさいし、父親は夜な夜なやってくる。同級生はみんな自分とやりたがるし、大人たちだって同じ。心も身体もボロボロな状態になっているところに、ボブなんていう訳のわかんないおっさんまで出てくる。こんな状況なら鬱病になってもおかしくないし、苦しみからの解放を求めるのだって当たり前。そんな姿を僕たちは2時間近くも観ていなければいけないのです。しかも結末を知っている状態で。
ラストの天使が登場するまでの救いのなさは、当時のデイヴィッド・リンチの精神の投影ではないかと思います。リンチ監督はローラ・パーマーの中に自分を見い出し、そこからの救いを模索するために作品を作り上げた。もがき苦しんでいたのはローラ・パーマーだけではなく、リンチ監督も同じようにもがき苦しんでいたのです。なので、テレビシリーズのようなユーモアは鳴りを潜め、どこまでもシリアスで、暗いトンネルを進んでいるような閉塞感に包まれているのです。そして、そこから見い出した解答が天使だった。最後に光を見い出すことによって、リンチ監督も救われたのではないかと思うのです。その精神的な過程を辿るという意味で物語を観ると、なるほど秀逸だとは思うのですが、ただ、その結末が "死" であることには変わりなく、やはり悲しい気分になってしまいます。せめてボニー&クライドのように、何か突き抜けた感じがあれば、まだ観ていて悲しくならないのですが、もがき苦しむだけのローラはやはり観ていて辛いのです。
◆ブリッグス少佐の朗読
さて、辛い辛いと言ってても仕方がないので次に行きましょう。劇場版ではカットされていたブリッグス少佐が登場の場面です。ここで彼は聖書を朗読しています。朗読している箇所はヨハネの黙示録第11章~14章までになります。詳細については下記リンクへ。
Revelation / ヨハネの黙示録-11 : 聖書日本語 - 新約聖書
特に印象的なのが "1260日間" という単語です。この数字は聖書の解説によると悪魔が活動する期間のことを指すらしく、暗にロッジの住人達の暗躍を仄めかしています。さらに聖書の朗読は、血の海が辺り一面300キロに渡って広がると続きます。これらはローラの今後と、その後のロッジの不気味さを際立たせると同時に、ツイン・ピークスという物語が "神と悪魔の戦い" を描く、一種の神話性を孕んでいることをも指し示しているのです。
◆アニー・ブラックバーン
「The Missing Pieces」ではロッジから救出されたアニーのその後が描かれています。「ファイナル・ドキュメント」では、さらにその後のアニーの人生が描かれていますが、劇場版でもローラの夢に登場しています。ですが、ここで気になるのがその服装です。なぜ、キャロラインと同じ服なのでしょうか?
ツイン・ピークスの最終話では、キャロラインもアニーもわからなくなるほどクーパーは混乱していましたが、「The Return」を経た今となっては一つの仮説が浮かび上がってきます。
キャロライン=アニー=ダイアン=ジェイニーE。
さてトンデモ理論の始まりです。根拠はありません。ただどうもおかしいのです。特にダイアンの存在です。そして、キャロラインがパッと見、ローラ・ダーンに見えるのもあながち狙っているんじゃないかと思うのです。さらには「The Return」でクーパー=ダグラス・ジョーンズという定義が確定したのなら、ダイアンもジェイニーEも、果てはアニーさえも一つの肉体の中に同時に存在していても不思議じゃないような気がするのです。そして、夢の中と言えども、ローラとクーパー、そしてアニーが出会っているという事は、集合的無意識の世界で出会っている、となると、そこにキャロラインの魂もダイアンの魂もあってよさそうに思えてしまうのです。(詳細はツイン・ピークス The Return 考察 第7章 PART.1 失われたローラ・パーマーの日記を徹底解読!次元のゆがみがハンパないっ!)
◆ジュディ
さてラストです。冒頭のFAQサイトにも記載されていますが、映画のラスト、無事クリームコーンを手に入れた小人のあとに、猿が登場し、小さな声で「ジュディ」と呟いています。この『ローラ・パーマー最後の7日間』という映画の最後の台詞が「ジュディ」で終わるって、あまりにも面白すぎます!映画公開前は上手くいけばシリーズ化したいと目論んでいた節があるので、「ジュディ」がその伏線であった可能性は十二分にあると言えるでしょう。そして、それは「The Return」にちゃんと継承されていました。
さて、このお猿さんですが、フィリップ・ジェフリーズが登場する一連のシークエンスで、仮面を被ったトレモンド婦人の孫が、一瞬、このお猿さんになってしまうシーンがあります。仮面自体はジャンピングマンを現わしていると言えそうなので、その中身がこのお猿さんになると解釈することもできそうです。
ただ、悪魔の中に猿がいるというのはどうも解せないのです。どちらかと言うと、このお猿さん、どこかに閉じ込められていて、そこから助けを求めるために「ジュディ」とつぶやいたような印象があります。
そこでコレです。なんでいきなり絵馬なんだ!と思われるかもしれませんが、仏教が伝来してきたインドでは、猿は馬を導く使者であるとされているようなんです。西遊記でも三蔵法師が乗る馬を導くのは孫悟空という猿ですよね。その名残が日本の絵馬にも残っているという。猿と馬。おわかりですか?
これですよ、コレ。白い馬。「The Return」でも登場していましたが、この馬、完全に "死" の象徴とされているのです。となると、それを導くお猿さんとなれば、"死" を導く、もしくは操る存在と深読みできるじゃないですか。そして、その存在が「ジュディ」になり極めてネガティブな存在になりますと。
さて、ジュディの正体に迫ることができるのか?続きは第2回のインターナショナル版の考察になります!