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なぜ、デイヴィッド・リンチは、原点である「インターナショナル版」に回帰したのか?

「The Return」を解読するための旧ツイン・ピークス巡礼の旅シリーズ

第2回「なぜ、デイヴィッド・リンチは、原点である「インターナショナル版」に回帰したのか?」

 

【作品情報】

タイトル:TWIN PEAKS: PILOT

監督:デイヴィッド・リンチ

脚本:マーク・フロスト&デイヴィッド・リンチ

日本公開:WOWOW 1991年4月 / TBS 1992年10月

放映時間:116分

 

TVシリーズツイン・ピークス」についての基本情報は下記リンクへ。

Twin Peaks Frequently Asked Questions v3.0-J

ツイン・ピークス - Wikipedia

 

というわけで「The Return」のDVD/BD発売までの時間潰しシリーズ第2回目。今回はツイン・ピークスの原点である "序章" の考察です。というか、前回同様、もうかれこれ20年も30年も映画ファンやリンチ・ファンに考察されまくった作品を、なぜ今さら僕みたいな映画アッパラパーが大風呂敷広げて考察せなあかんのか?という話なんですが、これはしょうがないんです。だって、DVD/BDが発売されないんだもん!WOWOW放送が終わってもう3ヶ月。全米放送が終わってからだと、かれこれ半年だよ!こんなんありえないでしょ!なにやっとんねんって話です。リリース情報出しちゃうとWOWOW加入者が減っちゃうからって、いくらなんでもコレはないでしょ。と言いながら、さて、ここ日本でデイヴィッド・リンチが好きな人はどれくらいいるのか?っていう話もあるんですけどね。そもそも、デイヴィッドなのか、デヴィッドなのか、デビッドなのか、その辺もうちょい統一してくれ!っていう話から始まりそうなんですけど...。まあ、そんなんで愚痴は終わらせておきまして、ここから本題に移ります。

チミは覚えているか?DVDの1stシーズンが発売された時のことを。

チミは覚えているか?ウキウキして観た "序章" のことを。

中途半端な終わり方に衝撃を受けたことを。

そして、いつまで経っても発売されなかった2ndシーズンのことを。

チミは覚えているか?インターナショナル版が観たくても、

もうVHSでしか観ることができない現実に途方に暮れてしまったことを。

内藤仙人さま、ごめんなさい、しっかりとパクりました。しかし、"チミ" で通じる人って、ある程度の世代だってバレバレになってしまいますよね。ヒュ~ヒュ~みたいな。マジ卍。てなわけで、発売されなかったねぇ、2ndシーズン。思えば2002年の冬ですよ。世は「マルホランド・ドライブ」の熱狂真っ只中、そんな中でとうとう「ツイン・ピークス」までDVDになるぞと、まあ速効で購入したはいいものの、続きがぜんぜん発売されない!おったまげましたよ。と、この辺の憤懣はシーズンを振り返るで語ることにしまして、ここで言いたいのは、この「インターナショナル版」が長らく絶版になっていたことです。

大方の評論やブログを観ていると、この「インターナショナル版」のエンディングはクソだと。なんの意味もないし、考慮する必要なんて一切ないと。そもそもこれはワーナーに作れと言われてリンチ監督が即興で作り上げた代物だから、観たきゃ第2話の後半を観ればそれで充分だと。まあ、散々なことを長年の間に言われ続けた作品ではあります。しかし、だとしたら、その30年後に、なぜリンチ監督は、その即興で作り上げたエンディングに舞い戻ってきたのでしょうか?そして「The Return」の第17章は、なぜ「インターナショナル版」を踏襲しているのでしょうか?

ストーリーや作品についてのスタンダード的な考察は前回の「ローラ・パーマー最期の7日間」同様、冒頭のFAQサイトやWikipediaを参照して頂くとして、それ以外のあまり触れられていない部分に照準を合わせて語っていければと思っています。さらには、そこから「The Return」をさらに深読みしていければと、もしくは妄想していければと。ではでは、姐さん、時は1991年!世は平成元年。武田鉄矢氏がトラックの前に飛び出し、宮沢りえ様が衝撃の初ヌードを披露した、あの頃までにタイム・スリップしまっせ。

 

1.ムナオビツグミ

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さて、ツイン・ピークスと言えば、この鳥さんです。名を "ムナオビツグミ" 。胸に帯のような模様があることから、その名がついたそうです。英名は "Varied Thrush" 、学名は "Zoothera Naevia" 。生息地はカナダや北アメリカ。まずこの近辺で拝むことのない鳥さんです。あまり鳴かないために "口を噤む" 、つぐむ、噤み、ツグミと呼ばれるようになったようですが、それは日本での話。海外でのツグミはどうなのかと言うと、マザーグースの「誰がコマドリを殺したのか?」に出てくるように、弔いの讃美歌を歌うようなピィピィ鳥のようです。なので日本の印象と違い、海の向こうではカナリヤのような愛らしい種類のものと思われているようです。

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このオープニング、よく比較されるのが「ブルーベルベット」に登場するコマドリではないかと思います。ある方は「ブルーベルベット」で舞い降りてきたコマドリが「ツイン・ピークス」に辿り着いたと解説していましたが、コマドリツグミは似て非なるもの、意味合いがぜんぜん違うようなのです。と言いながら、僕も鳥に詳しいわけではないので、もちろん上の二つの写真が同じ種類の鳥だと思っていました。お腹のあたりがオレンジというか茶色くなっているのが一緒だし、片方が作り物だから余計に模しているんじゃないかと。ですが、そこはネット社会。昔はいろいろ本なり図鑑なりを調べなければわからなかったことが、今ではググればほとんどわかってしまうという。便利な時代です。

では、次に「ブルーベルベット」の劇中でローラ・ダーン演じるサンディが、"夢" で見たというコマドリについてのダイアローグをかいつまんでみましょう。

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「夢を見たの。あなたと会った晩よ。夢の中ではこの世は闇、それはコマドリがいないからよ。あの鳥は愛の象徴だもの。最初は長い長い間、闇ばかりなの。ところが突然、何千羽ものコマドリが放たれて、愛の光を持って舞い降りてきたの。その愛の力だけが闇の世界を変えるの。光の世界に。悲劇が続くのもコマドリが来るまでよ」

どうでしょう、このセリフ。「ツイン・ピークス」にも「The Return」にも当てはまりそうなセリフではないですか。コマドリは胸のあたりが赤くなっていることから、キリストの血を受けた鳥、キリストのそばにいる鳥として、サンディが語るように "愛の象徴" と比喩されることが多いようです。ところが日本ではコマドリ (駒鳥) 、駒というのは馬を意味するらしく、馬の鳴き声に似ているということからの命名だそうで、欧米のクック・ロビンという呼称とはかけ離れているのです。

では、この「ツイン・ピークス」の冒頭が、なぜツグミで始まるのか?ですが、これはマザーグース論がやはり強いのではないかと。

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Who killed Cock Robin?

先述したようにツグミは殺されたコマドリのために讃美歌を歌います。要するに神を讃えているのです。となると、この冒頭のツグミも殺されたローラ・パーマーのために鳴いている。ローラのために神を讃えていると深読みできます。もちろんリンチ監督のフィルモグラフィーの中で、この「ツイン・ピークス」が「ブルーベルベット」の系譜を辿っていると読み解くことも充分できます。さらに、このマザーグースには「ツイン・ピークス」と共通する動物たちがいくつか出てくるのです。

 ハエ・・・コマドリの死を確認した

 フクロウ・・・コマドリの墓を掘った

 牛・・・コマドリのために鐘を鳴らした

蝿は悪魔ベルゼブブとして、フクロウはイルミナティのシンボル、全てを見通す目を持つものとして、牛は「The Return」で生贄、もしくは真実の探求者として描かれていました。まあ、こんな深読みをしたからと言って、何が理解できるのか?というと、結局はシンボリックな都市伝説的な楽しみ方しかできず、肝心な人間ドラマが希薄になってしまうだけのような気もするのですが...。とは言っても、それもリンチ作品を味わう一つのスパイスであることには変わりないのです。まるで絵画を楽しむような感覚です。

ちなみに「The Return」で鳥のように鳴いていたナイド。その鳴き方がどうもツグミの鳴き方と同じような気がします。渡り鳥であるツグミを牢屋という名の鳥かごに囲う。そもそもツグミに限らず、"鳥" というのは宇宙からの伝達者というスピリチュアルな意味合いがあるようです。となると、ナイドは何を伝達するために地上に舞い降りてきたのか?世界が闇に包まれているから "鳥目" として目が見えない状態なのか?その辺についてのナイド考察は「The Returnを振り返る」で。

 

2.キラー・ボブ

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「インターナショナル版」と「序章」の違いは、ローラママが何を思い出すかによって切替わっていました。そういう意味では「The Return」でトビガエルを飲み込んだローラママは "宇宙の分岐器" という非常に重要な役目を担っているのかもしれません。

上の画像の通り「インターナショナル版」でローラママが思い出すのはベッドの影に隠れていたボブです。そして、その姿はローラママの背後にある鏡にも写っています。リンチ監督、芸が細かいです。これが通常の「序章」になると、割れたハートのネックレスを拾うジャコビー先生に切替わってしまうのです。これがもう、冒頭で語った1stシーズンDVDの話に戻りますが、初めて見た時のその違和感といったら、まるでチョコパイとエンゼルパイぐらいにまったく違うじゃないですか!(両方好きな人はごめんなさい)。そもそも、なんでローラママがネックレスを拾うところを幻視せなあかんのかがさっぱりわかりません。こっちの方がよっぽど不条理な感じがするのですが、ことアメリカではジャコビーver.が通常のようで、日本やヨーロッパの方がおかしいということみたいです。ストーリーの流れ的にはボブver.の方がスムーズのような気がするんですけどね。

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しかし「インターナショナル版」のボブの登場は衝撃的でした。こんなもの思い出した日にはローラママじゃなくたって、誰でも悲鳴を上げたくなります。これもリンチ監督が得意とする "偶然の産物" から生まれたシーンですが、ただの大道具さんだったフランク・シルヴァが一瞬にして悪の象徴へと生まれ変わった劇的な瞬間と言えます。この役者でもないズブの素人を平気で物語に登場させるというのは「The Return」でも継承されていて、ラストのアリス・トレモンド婦人にまで至ります。

さて、そもそもキラー・ボブとはいったいなんだったのでしょうか?「エクソシスト」的な解釈をするなら "悪霊" と定義することができますし、「ジキル&ハイド」的な解釈をするならリーランドのダークサイドがボブであると言えます。しかし、多重人格や解離性同一性障害であると仮定するなら、上記のシーンでローラママが目撃したボブはリーランドだったことになり、グレート・ノーザン・ホテルでミーティングをしていたリーランドと整合性が合わなくなります。なので、素直に「ボブは "悪霊" であり、憑依された人物はシリアルキラーに豹変してしまう」と解釈していいのではないかと思います。

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そして、後述する片腕の男マイクが語っていたように、ボブの左腕上腕には "FIRE WALK WITH ME" と書かれた刺青があります。これは悪魔に身を捧げた証拠であり、この "火" を求める行為が「ツイン・ピークス」という世界の "悪" であるということを示しています。

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突然ですが、世界は「火・風・水・土」の四大元素で構成されており、アリストテレスはそこに「熱・冷・湿・渇」の性質を加え、世界を一元論で説明していました。上の図はアリストテレスの論理を図式化したものですが、僕たちが住む世界はこの4つの元素で成り立っていると考えられています。その中心に人間がいると。僕らはこの奇跡的な自然に囲まれて生きていると。「ツイン・ピークス」という世界を見ると、"風" にそよぐ森があり、滝から流れ注いでいく "水" があり、木を育む "土" があります。ここに足りないのは "火" です。ただ、"火" というのは "太陽" 、要するに "光" と言い表すこともできます。そして、"火" を求めるというのは "光" を求めるとも言い換えることができます。そして "光" を求めるということは "神" を求めるとも読み解けます。

Wikipediaやインターナショナル版のメイキングを観ると、撮影をしている時点ではリーランドが犯人であることは確定していたようですが、ボブというキャラクターまではスクリプトに落とされてはいなかったようです。「ツイン・ピークス」という物語は、あくまでも「ツイン・ピークス」という "町" が主役であり、初期段階では "霊的" なものを描く予定がなかった。まるでドラゴン・ボールの初期、天下一武道会なんていうアクションバリバリの設定を考えていなかった鳥山先生みたいなものです。ボールを7つ集めたら終わる予定だったものが、最終的には宇宙まで広がったみたいな。

その観点で見ていくとリンチ監督にオチを作るように迫ったワーナーブラザーズがスゴイということになります。その圧力がなければ、ボブというキャラクターも産まれなければ、赤い部屋も産み落とされることがなかったのです。

ちょっと偉そうな持論になってしまいますが、アーティストやクリエイターと呼ばれる人には "強烈な制限" がなければいけないんじゃないかと僕個人は思っています。その制限へのストレスや反発から「名作」と呼ばれるものが産まれてきたのではないかと。古くはルネサンスダ・ヴィンチミケランジェロシェイクスピアドストエフスキー。アーティストでもビートルズに始まり、レコード会社と対立しながら切磋琢磨していた数々のバンドが名曲や名演を繰り広げてきました。それがセルフプロデュースなど制限緩和がなされた途端に魅力が半減してしまう。そんなアーティストを今までゴマンと見てきました。誰かが "利益" もしくは "大衆性" というフィルターにかけないと、アーティストの独りよがりになってしまい、例え、それが優れた表現であったとしても、ポピュラリティー、普遍性が伝わりにくいものになってしまうのです。漫画にしたってゲームにしたって、怖い編集者や性能の限界に挑戦したからこそ産まれてきた名作があります。スポーツだってそうです。体罰はもちろんNGですが、だからと言って優しい指導者のもとでいい選手が育つか?と言われたら、まずないと思います。ぬるま湯じゃダメなんです。

話がだいぶ逸れましたが、リンチ監督もワーナーの重役からギュギュギューッと絞めつけられた結果、スポンッと産まれてきた発想が「インターナショナル版」のエンディングになると思うのです。そこから産まれてきたのがボブであり、赤い部屋であると。そして、それは作家の本質を確実に表現したものなのです。その言葉が「FIRE WALK WITH ME」であり、それを体現する世界が「RED ROOM」であると。

 

3.片腕の男 "マイク"

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「"来たるべき過去の闇を見通すのが魔術師の望み。二つの世界の間から声が放たれる。火よ、我とともに歩め"。我々は人間と暮らした。君らの言うコンビニエンスストア、その上に住んだ。言葉通りの意味だ。俺はマイク、彼の名前はボブだ。彼は弱った人間を餌食にする。傷ついた人間を。俺は一年間、見張ってた。ボブが出てくるのを。彼が何かしでかすと君(クーパー)が出てくる。俺も悪魔に魅入られた。左腕にイレズミを。だが神の御前に立って、俺は変わった。腕を元から切断した」

ローラ・パーマーが運び込まれた病院のモルグで片腕の男はこう語っています。このセリフから読み解けるのは下記の3点になります。

 ①コンビニエンスストアの上が現世(人間世界)とつながる唯一の場所

 ②片腕の男がしていたイレズミは "FIRE WALK WITH ME"

 ③悪に魅入られた部分が具現化したのが "別の場所から来た小さな男"

しかし、ここで重要なのはセリフの冒頭です。この "来たるべき過去の云々..." という一連の詩は、25年の月日を経て「The Return」の第17章で突如繰り返されます。旧シリーズの本編ではクーパーの夢に登場した内容になっていますが、「インターナショナル版」でも同様、電話で起こされる場面からが全て夢だとするなら、クーパーが夢で見ていると解釈することも可能です。だとしたら「The Return」の第17章のどこかにも切替り点があるはずです。まるで「マルホランド・ドライブ」の "シレンシオ" みたいな感じに。それがどこかというと、まずここでしょう。

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この森の心臓からホワイト・ロッジに囚われてしまった悪クーパーが物語の分岐点ではないかと。おわかりでしょうか?悪クーパーが座標の位置に辿り着くまでが正式な物語であり、そこから先は無数のストーリーが存在する。もしくは夢見人が見ている夢の世界になるのです。その一つが「The Return」であった。幾つかある分岐の中で、マーク・フロストとリンチ監督がなぜ「The Return」のこの結末を選んだのかは、また妄想するとして、ここで重要なのは物語の道先案内人が片腕の男 "マイク" であり、その分岐点には必ずこの二人がいたということです。

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アンディとルーシー。信じられないかもしれませんが、このおとぼけコンビが「ツイン・ピークス」の最重要キャラクターなのです。ビックリです。

夢占いの世界では "トランペット" などの管楽器を吹くというのは、恋人や配偶者への深い愛情があることを現わしているらしく、"卓球" の夢は誰かと通じ合いたいという欲求の表れだそうです。そう言われてみるとそう見えなくもないのですが、まあ、いつもの如くこじつけ感が半端ないです。どちらかというと、単純に人の神経を逆なでしているだけと捉える方がスムーズな気がします。

まあ、たぶんこれも偶然の産物だとは思いますので片腕の男に話を戻します。病院の地下ボイラー室に隠れていたボブを撃ち殺したあと、彼は切り落とした腕に痛みを感じ、それを和らげるために "ニッケル" を求めます。ここで既に伝導率の高い "ニッケル" を求めているというのが面白いのですが、片腕の男やボブなどロッジ系のキャラは電荷体質なのかもしれません。そして、息絶える間際に片腕の男はこう言い残します。「ボブ、いつか、お前の時が来る」

それが25年後の「The Return」の世界のような感じもしますが、だとしたらここで撃ち殺されてもボブは死んでいなかったことになります。いや、ここは刑事もののラストシーンのように、わざと悪役が死んだ風に作っている節が強いのです。このわざとらしさは第17章のフレディVSボブ玉と同じ感じです。確信犯ってやつですね。

これらのシーンと「The Return」には驚くほどの共通項があります。

 ①ボイラー室が出てくる

 ②キーンという不思議な音が出てくる

 ③先の "来るべき過去の云々..." の詩

 ④コンビニエンスストアの設定

 ⑤"FIRE WALK WITH ME"

 ⑥悪魔と神

 ⑦「電気はつけないでくれ」

 ⑧赤い糸の縫い目

 ⑨ボブが "銃" で撃たれる

 ⑩"火" が消える

まるで「The Return」は「インターナショナル版」の謎を説明するために制作されたのではないかと思えるほど重要な項目が目白押しなのです。中でも気になるのが②番のキーンという音です。「The Return」ではグレート・ノーザン・ホテルのボイラー室から鳴り響いていましたし、クーパーはその音が鳴る扉に入っていきました。「インターナショナル版」ではキーンという音を耳にした時、ボブはこう語るのです。「気をつけろ、耳を澄ませ!親分が呼んでいる...」

このセリフ、ボブが片腕の男に語りかけているのですが、どう考えても魅入られてイレズミを彫り込んだ悪魔が、その親分であることを指し示しています。この時点では "ジュディ" なんて設定も "ダグパス" なんていう設定もなかったはずですが、これらのことから片腕の男 "マイク" がどういう経緯を辿ってきたのかが見えてきます。

"ジュディ" に魅入られたマイクは左腕に "FIRE WALK WITH ME" のイレズミを彫り込みボブと共に悪行("火" を求めること)を楽しんでいた。ある日、マイクはホワイト・ロッジに辿り着き、神の御前に立つと "火" は必要ない事がわかる。神がその "火" であることを知ったから。そこでマイクは "ジュディ" の呪いを絶つために左腕を切り落とす。切り落とされた腕は "別の世界から来た小さな男" となり、ボブと共にガルモンボジーアを求め続けた。マイクはボブの悪行を止めようと奔走するが、いつも寸でのところでボブを止めることができないでいる。

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穿った見方をすると「The Return」の第17章、フィリップ・ジェフリーズに1989年2月23日に連れて行ってくれと頼んだ後、片腕の男は「電気」と言い残しながら、どこかクーパーと一体化、もしくはシンクロしていく状況が描かれていました。これ、当時はなぜクーパーはローラを助けに行こうとしていたのか、イマイチよくわかりませんでしたが、片腕の男がローラを助けるためにクーパーとシンクロして旅立ったと解釈すると、なぜか腑に落ちてしまうところがあります。完全にストーリーを斜めから見た妄想だとは思いますが、その失敗のあと、さらにオデッサへクーパーを誘う片腕の男は、最初からローラを助けるために動いていたと解釈できます。さらに妄想するなら、神と対峙した時に、ボブを消滅させ、ローラを助けるという使命を背負わされた男、それが片腕の男だったのではないか。真意の程は定かではありませんが、こんな見方も面白いかもしれません。

 

4.メディチ家のヴィーナス

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ツイン・ピークス」の最重要シーンといったらやはりここに辿り着きます。上の画像に登場しているのは25年後のクーパー、ローラ・パーマーのいとこ、別の場所から来た小さな男の三名。小人が呼び出した赤いカーテンの奥に見える影は "鳥" であり、それがフクロウなのかツグミなのかは明らかにされていませんが、この時点ではツグミであった可能性が高いと思います。クーパーが座っているソファの横には "土星" のミニチュアがあり、この部屋が宇宙の一部であることを現わしています。さらには "土星=サターン" 要するに "悪魔" の部屋という暗喩が隠されていると解釈しても間違いではないでしょう。そして、小人とローラの間にあるヴィーナス像。

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これは "メディチ家のヴィーナス" という作品で、恥じらいのヴィーナスの系譜に当たる作品です。リンチ監督が赤い部屋にこの彫像を配置したというのは非常に意味深です。というのも "恥じらい" がテーマであるはずのこの彫像、見る角度によっては恥じらうどころか誘っているようにも見えるからです。隠そうとしているけど、逆に見せようともしているのです。この多角的な視点を有している作品を赤い部屋の中央に配置したというのが、この「ツイン・ピークス」という作品の本質ではないかと思うのです。

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同じ恥じらいのヴィーナスを扱った作品で有名なのがボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」です。ポーズは見てわかる通りメディチ家のヴィーナスとまったく同じで、その意味するところは "恥じらい" です。ボッティチェリのヴィーナスは真っ直ぐこちらを見つめていますが、メディチ家のヴィーナスは横を向き、そこに何かが存在しているように見えます。その視線の先に何があるのかは、鑑賞者の想像に委ねられているのです。まるでデイヴィッド・リンチ作品のスタンスそのものと言えるではないですか。この多義性がリンチ作品の醍醐味なのです。

ただ、ここでボッティチェリの作品をあえて出したのには訳があります。それは「ローラ・パーマー最期の7日間」にも「The Return」にも出てきたシーンですが、翡翠の指輪を置く台座の形です。

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どうも貝の形に見えませんか?仮にこれが貝だとするなら、恥じらいのヴィーナスと組み合わせると、ボッティチェリの絵のようになるのです。では、そうであると仮定して考え進めるなら「ツイン・ピークス」の女神となるのは誰なのか?愛と美を司るものはなんなのか?ということになるのですが、それがローラ・パーマーになるのではないかと。デイヴィッド・リンチはローラ・パーマーを描くことによって "愛" と "美" を表現しようとしている。逆説的に捉えると "愛" と "美" が壊されていくさまを描こうとしている。そう解釈できるのかもしれません。

 

5.ダブルRダイナー

最後にちょっとした小ネタで幕を閉じます。「シークレット・ヒストリー」を読めばわかることなのですが、これ。

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ダブルRダイナーの看板、なんで "T" がデカデカと書かれていると思います?ダブルRなのに、なんでTなんやろ?とずっと思っていたんですが、どうやらコレ「マーティ」のTだそうです。よぉく見ると "mar" って書いてあるんですよ、下に。マジか!って感じです。こんなところからBTTFだったとは!みたいな。ていうか、マーティやったら普通 "M" にするんやないのか!と。なんで語尾を大きくしたんやろ。

ちなみにダブルRも "鉄道 (Rail Road)" からとられているようで「マーティの鉄道カフェ」が正式名称のようです。ツイン・ピークスに鉄道が走っているわけではなく、単に鉄道の食堂車のようなカフェにしたかったからこの名称にしたそうです。お粗末さまでした。

 

巡礼の旅シリーズ 第3回「シーズン1」