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【コンフィデンスマンJP】ダー子は駄々っ子!リチャードはジイジだった!極上のホームドラマが織り成す現代の家族像

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さて、ガッキーネタで盛り上がったコンフィデンスマン第7話「家族編」。今回はかなり特殊な回だったと思うのですが、なにが特殊だったかをまとめてみると。

 1.ほとんどが与論要造の屋敷という一幕劇

 2.疑似家族という現代性

 3.家族の永遠のテーマ "遺産相続" を扱った

そうなんです、今までのハチャメチャでとっちらけ路線を根底から覆すような、非常に上質な物語が綴られているではないですか。場面転換の激しさ(第1話のカジノやマニラ、第4話の京都撮影所や合戦の撮影場所など)も、まるでヒッチコックのロープのような(かなり言い過ぎ)、もしくは三谷幸喜さんの「今夜、宇宙の片隅で」のような、とてもシンプルで、まるで舞台でも見ているような質の高い構成になっていたし。マンガ「3月のライオン」や「マルモのオキテ」のような、疑似家族のほんのちょっとした幸せ像も、このハラスメントだらけのギスギスした現代への緩和剤になっていた。さらにはシドニー・シェルダン(古い!)やアガサ・クリスティのような遺産相続を巡るドンデン返しに次ぐドンデン返しは、古沢っ見事!と喝采を送らずにはいられません。観終わった後にホロリとする感じは、あの今までのエロネタはいったいなんだったんだ!と、日活ロマンポルノの大団円に涙してしまうような解放と浄化を促してくれるではないですか。副音声で古沢さんが「この第7話の設定だけでワンクール作れそう」と仰っていたように、なんでしょう、極上の短編集の中の一番出来のいい作品というか、ここから話を広げて長編が書けそうな、そんな仕上がりになっていたのです。

副音声ではさらに裏ネタを披露してくれて、ダー子・ボクちゃん・リチャード・五十嵐はトランプのクイーン・ジャック・キング・ジョーカーをイメージして設定されたということ。

クイーン=女王=わがまま=駄々っ子=ダー子

ジャック=王子=世間知らず=ボクちゃん

キング=ジイジ=みんなを見守る

ジョーカー=神出鬼没=不思議な奴=五十嵐

もともとは五十嵐がリチャードで、リチャードはジイジの愛称だったようなんですが、小日向さんの配役が決まった時点で、ジイジではなくリチャードの愛称に変わったと。で、もともとのリチャードはイケメンで神出鬼没の設定だったけど、それがシンプルに五十嵐になった(笑)。こういう裏設定をもっと聞きたかったんだけど、どうも数字の話やリーガル・ハイ絡みの話ばかりで、もう五十嵐!もうちょい突っ込んだところ聞いてくれよ!と、妙にじれったい感じではありました。

いずれにしてもボクちゃんがネタバレしてましたが(現実でもボクちゃんはボクちゃんだった)、残り3話、このコンフィデンスマンの世界を楽しめるのも残り少なくなってきてしまいました。来週は美容整形がネタ。なんとなく第2話の桜田しず子、第4話の俵屋勤、第5話の野々宮ナンシーを彷彿させますが、そこを次週の演出家がどう料理するのか?ああ、また三橋さんだったら、いいなぁ。