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深読みツイン・ピークス③ トレモンド夫人の孫

「The Return」を解読するための旧ツイン・ピークス巡礼の旅シリーズ

第4回「ツイン・ピークス シーズン2を深読みしてみる」

 

第3章「トレモンド夫人の孫はジャンピングマンの融合体なのか?」

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『The Return』の国内版DVD/BDの発売日が決定しましたので、とりあえず7月まで、ツイン・ピークス関連の記事はゆっくりめに更新していこうかなと思っております。ただ、そうは言っても、前回のトレモンド夫人の考察でかなりジュディの核心に迫ったような気がしましたので(本当に核心なのかはさて置き)、その続きを今回も展開していこうかとは思います。しかし、そんなん言いながら、そもそもこの第4回シリーズは "シーズン2" の深読みのはずで...。いつのまにか『The Return』の核心を考えるシリーズになってしまいました。

まあ、正直に言いますと、前々から言っているようにシーズン2で重要なのはデイヴィッド・リンチが監督した第8話・第9話・第14話・第29話の4話だけではないかと感じているので、それ以外のことについてはあまり深掘りする気は端からございません。逆を言うと、上記の4話以外をツイン・ピークスの醍醐味として楽しんでいた人、例えば、片目のネイディーン怪力話やジェームズ不倫放蕩の旅、物語に関係ありそうで実はそうでもなかったデッド・ドッグ農場事件、ベンジャミン・ホーンの南北戦争ごっこ、裏切りジョシー引き出しの持手に閉じ込められるなど、これらのエピソードを楽しいと思われていた方は、たぶん映画と同様に『The Return』もあまり楽しいものではないのかもしれません。なぜなら、今挙げた数々のエピソードはデイヴィッド・リンチが制作したものではなく、ほとんどがハーリー・ペイトン、もしくはロバート・エンゲルスが拵えたリンチ風ミステリードラマであり、作中でしっかりと起承転結しているのです。そうなんです。リンチ作品はそうはいかないのです。起承転結、もしくは序破急で物語が進むとしたら、リンチ監督は承起結、急序急、こんな感じで物語を進めていきます。困ったことに肝心な "転" や "破" を描かないので、突然物語が終結し、そこに至るまでのプロセスをファンは解読していかなければいけないのです。本当に困った人です。

なので、描かれていない "転" や "破" について、僕がシーズン2で考察、もしくは妄想していくつもりでいるのは「第1章 リンドバーグ事件」「第2章 トレモンド夫人」そして、この「第3章 トレモンド夫人の孫ピエール」になります。このあと「第4章 ホワイト・ロッジ(ブリッグス少佐)」「第5章 ドッペルゲンガー(天使と悪魔)」を半月ペースで更新していこうかとは思いますが、内容によっては今回のようにもう少し時間がかかるかもしれません。いずれも非常に重要視されているキーワードですので、必然的に『The Return』の深読みにもつながっていくと。そんなんで7月までちょいちょい更新していくつもりでおります。

 

1.クリームコーン(ガルモンボジーア)

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ツイン・ピークスの第9話で "痛みと悲しみ" の象徴であるガルモンボジーアことクリームコーンが早々と作品に登場しています。しかし、トレモンド夫人同様、テレビシリーズでクリームコーンが語られたのはこの第9話のみで、その後、映画に登場するまでクリームコーンが何を意味するのか語られることはありませんでした。そして、トレモンド夫人の孫であるピエールは、ドラマ内でこのクリームコーンを自在に操ることができる存在として描かれています。

第9話をもう一度振り返ってみるとしましょう。ローラの代わりに給食サービスの手伝いを始めたドナ。トレモンド夫人に食事を運んでくると、ソファに座っていたピエールが声をかけてきます。夫人しかいないと思っていたドナは突然のことに驚きますが、相手が少年だとわかるとすぐに安堵します。ピエールは「時には、こんなことも起こるんだよ」と指をパチンと鳴らす。すると、クロッシュで覆われたお皿の中にチキンライスと一緒にクリームコーンが盛りつけられているのです。

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それを見たトレモンド夫人は「クリームコーンは要らないと頼んだのに」と訴えます。困惑するドナですが、次の瞬間、「あなた、お皿にクリームコーンが見える?」とトレモンド夫人が囁きます。ドナがお皿に視線を落とすと、たっぷり盛りつけられていたクリームコーンはキレイに姿を消し、なぜかピエールが両手いっぱいにクリームコーンを掬い上げているのでした。さらに困惑するドナを見てずいぶんと楽しんでいるかのようなピエール、いとも簡単に両手いっぱいのクリームコーンを消してしまいます。トレモンド夫人は「私の孫は手品の勉強中なの」とどこか誇らしげで、それを聞いたドナは「なんて素敵なの」と顔を引きつかせます。ピエールは無表情です。

さて、このシーンでわかることは、冒頭でお伝えしたようにピエールがクリームコーンを自在に操ることができるということ、そして、着目すべきはトレモンド夫人がどこかピエールのしもべのような雰囲気を醸し出していることです。訪ねてきたドナをどうするかは、どうやらトレモンド夫人ではなくピエールの一存で全てが決まるように見えるのです。それを裏付けているのが「隣に住むスミスさんに聞いてごらん?」とトレモンド夫人に言われ、ドナは素直に隣のハロルド・スミス宅のドアを叩くのですが、その姿を見て「どうやらいい娘なようだね」とピエールがつぶやいています。言った通りにほいほい動く姿が "いい娘" なのか、それともクリームコーンや「私の魂は孤独」というフランス語の詩にまったく動じなかったから "いい娘" なのかはわかりません。いずれにしても、これらのことからピエールやトレモンド夫人のターゲットはドナの先にあるハロルド・スミスであることがわかり、その結果が第16話に集約されていきます。

旧テレビシリーズから読み取れる情報はこれだけであり、クリームコーン自体がどのような意味を持つのかを推測することはこれ以上できませんので、次に映画『ローラ・パーマー最期の7日間』でのクリームコーンを読み取っていきます。

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まずはフィリップ・ジェフリーズが目撃したとされるコンビニエンスストアの2階にあるミーティングルームに注目します。映画公開時から重要視されてきたこのシーンですが、改めてここに登場しているキャラクターたちを振り返ってみます。

 ◆別の場所から来た男(Man from Another Place)

 ◆ボブ(BOB)

 ◆トレモンド夫人(Mrs.Tremond / Chalfont)

 ◆トレモンド夫人の孫(Mrs.Tremond's Grandson)

 ◆ジャンピングマン(Jumping Man)

 ◆ウッズマン①(Woodsman)

 ◆ウッズマン②(Second Woodsman)

 ◆電気技師(The Electrician)

エンドクレジットで表記されているのは上記の8名になります。まず、ここで注目したいのは "ピエール" の名が消えていることです。デイヴィッド・リンチ作品で名前が与えられないキャラクターというのは、その存在が "象徴的" であるということを現わしています。『ロスト・ハイウェイ』のミステリーマン(Mystery Man)、『マルホランド・ドライブ』のバーン(Bum)、『インランド・エンパイア』のロスト・ガール(Lost Girl)やファントム(Phantom)などと同じ扱いになります。となると、ピエールは単純に "トレモンド夫人の孫" であり、もしかすると何人もいるうちの一人なのかもしれません。トレモンド夫人が3人も存在していたのと同じように、ピエールと呼ばれている孫は手品が得意で、他の孫はまた別人格で存在していると。そう仮定するとテレビシリーズと映画では別々のキャラクターであると読み解くこともできそうなのですが、混乱を招きそうでもあるので、ここではピエールの名前が消されたということだけに留めることにいたします。

さらにこのシーンに登場する小道具を見ていきます。

 ◆フォーマイカのテーブル

 ◆ガルモンボジーア(クリームコーン)

 ◆コンデンサ

 ◆トレモンド夫人の孫が足かけているスチール缶

 ◆電気技師が持っている杖

 ◆ジャンピングマンが持っている枝

 ◆ジャンピングマンが昇り降りするプラスチックケース

『The Return』にも登場していたコンデンサなど、いろいろと考察したい箇所は山盛りではありますが、ピエール同様、ここではガルモンボジーアに焦点を絞って詳しく見ていくことにします。

フォーマイカのテーブルの上にはボールのような大小の銀皿と2つのスープ皿、計4つの皿が並べられ、どの皿にもたっぷりとクリームコーンが盛りつけられています。このシーンで初めて小人の口からクリームコーンが "ガルモンボジーア" であることが明かされます。しかし、それが "痛みと悲しみ" を意味するものだとわかるのは映画のエンディングまで待たなければなりません。

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映画の後半で片腕の男フィリップ・ジェラードは、リーランド(ボブ)の車をしつこいほど煽り、十字路で停まったところで「お前はコーンを盗んだ!オレがコンビニの上で缶詰にしたやつだ!」と叫びます。そして、ローラに向かって「ボブに気をつけろ」と注意を喚起するのですが、結果、彼女は殺害されてしまいます。エンディング、してやったりでロッジに戻ってきたボブに対して、片腕の男は小人と共に再度コーンを返してくれと訴えます。その字幕に "ガルモンボジーア(痛みと悲しみ)" と表記されているのですが、セリフで語られているわけではありません。あえて注意書きのように字幕で説明している辺り、製作者側が鑑賞者にガルモンボジーアの意味を確実に伝えたいという意図があることが窺えます。

苦虫を噛んだボブはリーランドの腹部についた血を全て吸い取り、それをロッジの床にばら撒きます。無事にガルモンボジーア(クリームコーン)を取り戻した小人は、それを旨そうに口に啜り込む。小人が食べる=片腕の男にコーンが戻ってくる、このような等式になります。しかし、この後、闇の中にいるサルが小さな声で「ジュディ」と囁くのです。字幕を見ると、その微かな声の主はフィリップ・ジェフリーズであることが明らかになっています。まるでガルモンボジーアの動向を調査していたジェフリーズが、最終的にジュディを見つけたとでも言わんばかりの演出です。

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このように映画の流れを見てみると "痛みと悲しみ" を求めたボブがテレサ・バンクスを殺害するシーンから始まり、ガルモンボジーアを体現するローラの一週間が描かれ、最終的に片腕の男と小人にクリームコーンを供養することで何かしらの贖罪が得られたと推察することができます。そして、ミーティングルームへの潜入からローラ事件の終幕を迎えたことで、フィリップ・ジェフリーズはジュディに接触することができた、このように読み取ることもできるのです。

ここで再び旧シリーズの第9話に戻り、日本ではあまり馴染みのない丸太おばさんのイントロダクションに着目します。まずは丸太おばさんの解説をそっくりそのまま引用します。

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「"上なる如く、下もまた然り"。人間が位置しているのはその間です。人間の中に広がるのと同じほどの空間が外にもあります。星や月や惑星は、陽子や中性子、そして電子を思い起こさせます。すべての星を包むような大きな存在はあるのでしょうか?我々の思考は我々の内と外の事象に影響するのでしょうか?私はその通りだと思います。クリームコーンの宇宙の営みへの影響はあるのでしょうか?そもそもクリームコーンとはなんなのでしょうか?何かのシンボルなのでしょうか?」

丸太おばさんのイントロダクションは各回の監督によってその重要性が非常に異なるのですが、第9話に関してはこのように既にクリームコーンが "シンボル" であることを視聴者に明かしています。そして、その "シンボル" は、内なる宇宙と外なる宇宙の両方に影響を与えるものだと語られているのです。そこから容易に想像できるのは、『ローラ・パーマー最期の7日間』で描かれていたのは、その "シンボル" の奪い合いだということです。

ここまでの推察を整理すると下記のようになります。

 

  ピエールはクリームコーンを自在に操れる

          ↓

   クリームコーン=ガルモンボジー

          ↓

     痛みと悲しみのシンボル

          ↓

 片腕の男が缶に詰めた(ローラを守ろうとした)

          ↓

    ボブが奪った(ローラを殺した)

          ↓

   小人や片腕の男のもとに帰ってくる

          ↓

  ガルモンボジーア=ローラの痛みと悲しみ

          ↓

 ローラの痛みと悲しみはピエールの手中にある

 

いかがでしょうか。こうして見ていくとやはりピエール、もしくはトレモンド夫人の孫の存在がかなり大きいことになります。そして、シーズン2の冒頭にリンチ監督がクリームコーンを登場させたのは、この "シンボル" がドラマの中枢になると踏んでのことだと推測することができます。しかし、ご存じの通り旧テレビシリーズの物語は予定外だったローラ事件の真相を急遽描かなければならなくなり、第14話以降から物語がシフトチェンジします。そのため予定されていたトレモンド夫人の孫やクリームコーンについてのエピソードがテレビシリーズではほんの障りの部分で終了してしまい、ローラ・パーマーという物語の根幹を描いた映画作品で、リンチ監督が再度登場させたのだと読み解くことができるのです。

さらにはローラ・パーマーという存在が、実は片田舎の謎を纏った女子高生という存在以上の、何か神がかり的な存在であると推測することもできます。旧シリーズの最終話ではドッペルゲンガーとしてクーパー捜査官に悪魔の叫びで牙を剥き、映画ではハロルド・スミスに一瞬だけ悪の表情を見せます。その発展が『The Return』の顔パッカーンであったり、第8章のローラ玉であったり、オデッサのキャリー・ペイジに繋がるのではないかと思うのです。そして、それはジュディとも関係があり、さらにはトレモンド夫人の孫、後述するジャンピングマンとも非常に深い関係があり、ローラママがなぜ新シリーズであのようなオドロオドロしい存在になってしまったのかの説明にも繋がるのです。

 

2.エメラルド・タブレット

ひとまず、クリームコーンがローラの痛みと悲しみであると理解したところで、その "シンボル" が何を指しているのかについて考察していこうかと思います。

『The Missing Pieces』でも描かれていましたが、先ほどのコンビニエンスストアの2階で開かれていたミーティングのシーンでも、登場するキャラクターたちは "シンボル" について語っていることがわかります。小人は「電気。我々は澄んだ空気の血を引く者。上がっては下がる。2つの世界が交わり合う」と語っています。これはまさしく丸太おばさんが語っていた "上なる如く、下もまた然り" が交わったところから "ダグパス" もしくは極めてネガティブな存在である "ジュディ" が出現したことを指しています。これらが意味することは『エメラルド・タブレット』に通じるのです。

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今回の考察で僕も初めて触れたのですが、現代の化学の礎を築いた "錬金術" の基本思想となるのがこの『エメラルド・タブレット』に記された碑文になるそうです。深読みしていくとかなり奥が深く、ヘルメス・トリスメギストスとか、彼の思想を全42巻の本にまとめたヘルメス文書とか、それだけでまた別の考察ができそう...、いやいや、考察だなんて恐れ多い、ここまでくると学者さんにお任せするしかない、とんでもなくディープな領域になってくるのです。エジプトのピラミッドの中から発見されたとか、幻の大陸アトランティス人のトートがこの碑文を記したとか、都市伝説を超えて人類の謎にまで辿り着きそうなスーパーヘビーな内容を、果たしてガルモンボジーアと同等に語ってしまってよいのだろうか?という一抹の罪悪感もございます。なので、ここでは有名とされる "上なる如く、下もまた然り" にだけ照準を合わせようと思います。

この "上なるナンチャラ..." は原文で "As Above So Below"。一般的には丸太おばさんが語っていたように、外なる宇宙(マクロコスモス)と内なる宇宙(ミクロコスモス)の照応を現わしていると言われています。これだけでもなんのこっちゃという感じなのですが、要は外界にある物的現象は僕たち人間の内なる世界(肉体や精神、魂)の中にも同じように存在することを意味しているそうなのです。これが一般論。それを図式にすると下記のようになります。

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これはイギリスの魔術師であり思想家であるロバート・フラッドが提唱した自然哲学を図式化したものですが、ここで注目したい点が2つあります。まず1つはこの図、どこかで見たことあるなぁと感じることです。そうです、内藤仙人さまが熱く語っていたアレです。

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六道輪廻と十二因縁の図です。国も違えば宗教も時代も違うのですが、ここで描かれていることは非常に似通っているのです。たぶん、それは人類というものがやはり集合的無意識という一種のバベルの塔的な統合意識の場でつながっていると、そう考えても結しておかしくなさそうな気がするのですが、まあ、これについてこれ以上深く語ることは避けたいと思います。いずれにしてもツイン・ピークスという作品は、デイヴィッド・リンチ超越瞑想という精神世界、マーク・フロストの都市伝説的な文化人類学や神話を織り交ぜた作品であり、『エメラルド・タブレット』もその一端を担っているものと推測することができるのです。

しかし、この "As Above So Below" には、もう一つ、マーク・フロストが喜んで飛びつきそうなネタがあります。それがイルミナティ

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ヤバイです。完全にオカルトな話になってきました。ここはサクッと要点だけをまとめてさっさと次に移ることにしましょう。上記の画像は "バフォメット" という悪魔をエリファス・レヴィが描いたものですが、もともとはテンプル騎士団偶像崇拝していたことから、悪魔崇拝の象徴として今ではイルミナティのシンボル神になっています。画像を見てわかる通り、右手の三本指は天を指さし、左手の三本指は地を指しています。これが "As Above So Below" 上なる如く、下もまた然りを表していると言われています。このバフォメットという悪魔は諸説ありますが、一説では「神から悪魔になり、悪魔が神になる者」「もともと羊だったものが山羊に変わった者」とされています。この一種の両性具有のような表裏一体の考え方が "As Above So Below" 、天も地も、神も悪魔も、男も女も、クーパーと悪クーパーも、全ては紙一重だということを現わしています。

先ほどのロバート・フラッドと六道輪廻の図が似通っているのと同じように、このバフォメットのポーズとまったく同じ宗教的な偶像が存在します。それが「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)」

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なんだか内藤仙人さまのブログみたいになってきましたが、このお釈迦様の像や世界一の大きさを誇る牛久の大仏さまもどちらも「天上天下唯我独尊」を現わしています。その意味は "世界中でお釈迦様だけが尊い存在" であると、要するに天地合わせて俺様が一番偉いんだぞと、そう解釈されるのが一般的らしいのですが...、ちょっと調べてみると実はそんな自己ちゅうな話ではない事がすぐにわかります。

バフォメットと同じように天と地を指さしているのは "上なる如く、下も然り" と同じように "世界の構図" 、要するに私たちの精神世界までもを内包した、この世の宇宙全体を現わしているということ。そして「唯我独尊」はオレ様イチバンではけっしてなく(それをポリシーにされている方もいるかもしれませんが...)、我々、魂・命を持った全てのものが尊い存在なのだという意味になり、簡単に言ってしまうと「この世に存在しているもの全てが尊い存在」なんだとお釈迦様は伝えたかったそうなんです(内藤仙人さま、この解釈でよろしいですか?)。

となると、クリームコーン(ガルモンボジーア)のシンボルにはダブルミーニングがあることがわかります。一つは神も悪魔も表裏一体であるということ、そして、ここに存在しているものは神でも悪魔でも尊い存在であるということです。ここでもう一度ロバート・フラッドの図に戻り、注目すべき2つ目の点を見てみましょう。

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図の中心でサルが世界を操っています。外なる宇宙(マクロコスモス)と内なる宇宙(ミクロコスモス)は表裏一体で尊い存在ではありますが、それを支配していたのはサルだったことになります。

以前、『ローラ・パーマー最期の7日間』の考察でも語りましたが、そこで出した結論は、サルが馬を導く存在であり、劇中で登場する白い馬は "死" の象徴であるということでした(参照:『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』を考察する)。そして、サルはジャンピングマンの仮面の裏に隠れ、トレモンド夫人の孫と同一的な存在でもあり、映画の最後の最後で「ジュディ」と意味深に呟いていたのはフィリップ・ジェフリーズでした。

白い馬の幻は、旧シリーズの第14話でマデリーンが殺害される前にローラママが幻視しており、映画でも同じようにローラが殺害される前に幻視しています。前回のトレモンド夫人の考察では、ベルゼブブという悪魔がボブの化身であり、女型である悪魔ジョウディは蛇女リリスを現わしていると。さらには、その名はローラママの本名に隠されていたことがわかりました。『The Return』でのローラママは確実にジャンピングマンと同一の存在として描かれ、第8章ではエクスペリメントが吐き出したトビガエルを体内に取り入れたというビギニングまでが明らかにされています。さてさて、この散らばった点を線でつないだ先に、果たしてジュディの存在が炙り出てくるのでしょうか?

 

3.ジャンピングマンの正体

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ガルモンボジーア=ローラの痛みと悲しみ、トレモンド夫人の孫ピエールはクリームコーンを自在に操ることができる存在、シンボルは天地が表裏一体で尊い存在であること、そして、その世界を支配していたのがサルだったことがわかりました。では、なぜトレモンド夫人の孫はジャンピングマンの仮面を被り、リーランド(ボブ)を嘲笑うかのように、雨上がりのモーテルの駐車場をピョンピョンと跳ねていたのでしょうか?

それを紐解くために、先述したコンビニエンスストアの2階のミーティングシーンをもう一度振り返ります。ミーティングルームに集まった8名の中で、注目すべきはトレモンド夫人の孫だけが糸の切れた操り人形のようにソファに寝そべっていることです。そして、『The Missing Pieces』では、激怒しているボブに対して「Fell a victim(犠牲者になれ)」とあろうことか指示まで出しているのです。このテキストの冒頭でトレモンド夫人がどこか孫のしもべのような存在であると指摘しましたが、同じようにここでもトレモンド夫人の孫はミーティングに集まった8名の中で中心的な発言をしているのです。そして、それに呼応するかのように台の上に立っていたジャンピングマンは雄叫びを上げます。

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ここから読み解けることは、ジャンピングマンはトレモンド夫人の孫の身体を借りて、なぜかボブの邪魔をしようとしていることです。リーランド(ボブ)がテレサ・バンクスのモーテルでローラの姿を見かけてしまった時も、ほれ見たことか、ほれ見たことかと駐車場でピョンピョン跳ねていました。トレモンド夫人と共にローラに扉の絵を渡した時も「仮面をした男がページを破られた本を探してる。隠し場所に向かってる。今はファンの下にいる」と、ボブが日記を探していることをローラに忠告し、さらにはリーランドがボブの仮面を被っていることまで明かしています。これらの行為はローラをボブの脅威から助け出そうとしているのか、もしくはローラの痛みと悲しみを助長させようとしているのか、どちらとも読み取れる表裏一体の構造になっています。さらにボブの混乱まで導いているあたり、かなりの策士であることが伺えるのです。

ここで一つ確定できることは、トレモンド夫人の孫はジャンピングマンの化身、もしくは操り人形であるということ。そして、トレモンド夫人の孫ピエールの中身はからっぽであり、旧シリーズ第9話でクリームコーンの手品をしていたのは他でもないジャンピングマンだったと結論づけることができるのです。となると、ジャンピングマンはクリームコーン(ガルモンボジーア)を自在に操ることができる存在であり、ローラの痛みと悲しみを手玉にとることができるということになります。

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では、そのジャンピングマンとはいったいなんなのでしょうか?まずはその容姿に注目してみると、小人(別の場所から来た男)と同じように全身真っ赤なスーツで身を包んでいます。小人は片腕の男の悪の部分を切り落とした存在ですので、それと同義であるとするならジャンピングマンも悪の存在であると読み解くことができます。もっと言うと小人の悪の部分を抽出した存在がジャンピングマンであると。ここまでは世界中のピーカーが考察していることなので別段真新しいものでもなんでもありません。

ジャンピングマン=悪の存在と定義づけるなら、今まで読み解いてきたガルモンボジーアを自在に操ることができたことも、純粋に人々の "痛みと悲しみ" を供物として搾取する超自然的な存在であるからと読み解くことができ、さらには悪であり善でもあるという表裏一体の存在であるとも定義付けることができます。それはイルミナティのシンボルである "バフォメット" に通じ、コンビニエンスストアの2階で箱の上を上ったり下りたりジャンプしていたのは "上なる如く、下もまた然り" を身体全体で体現していた、要するに上の世界にも下の世界にも自由に行き来できる存在であるからと結論できるのです。

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問題は『The Return』でローラママ・セーラがジャンピングマンと同一で描かれていることです。先ほど、旧シリーズや映画でトレモンド夫人の孫の姿をジャンピングマンが利用していたと定義したばかりですが、新シリーズになるとその定義が一瞬で覆されてしまうのです。

上記の画像は『The Return』第15章で悪クーパーがフィリップ・ジェフリーズに会うためコンビニエンスストアを訪れた際、ウッズマンがコンデンサの電源をオンした時に現れるものですが、このシンクロニシティは書籍『ファイナル・ドキュメント』でボブや第8章の「火、あるか?」ウッズマンと意味ありげに同列とされています。さらには『The Return』の第14章でトラック・ユーの首を食いちぎったシーンを振り返ると。

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ローラママが顔パッカーンした際に、まず飛び出てくるのがジャンピングマンの象徴である尖った鼻なのです。ほんの一瞬、まるで電気がほとばしるかのように飛び出てくる辺り、先のコンデンサ、映画で叫んでいた「電気(Eleeeeectricaaaaal)」と同じ意味を持っていると解釈することができます。さらにはこの仮面の取り外し方は、映画でジャンピングマンの仮面を外すトレモンド夫人の孫とまったく一緒です。そして、ローラママがなぜこの鋭利な鼻を手に入れたかというと『The Return』第8章でトビガエルを体内に取り入れたからでした。

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そのトビガエルを見てみると顔らしき箇所にジャンピングマンと同じ鋭利な鼻を携えているのがわかります。これらは既に海外のピーカーたちが発見したものを単になぞっているだけなのですが、肝心なのは、旧シリーズでは "死" の象徴であった白い馬を幻視するに留まっていたローラママが、なぜ新シリーズでは馬を導くサルを仮面で隠していたジャンピングマンと同等の存在になったのかです。そして、その根源である卵を吐き出したエクスペリメント、同時に産み出されたボブ玉、その存在に気づき消防士が産み出したローラ玉、それらの中心にいるのがやはりローラママであるという事実はなんなのか?ということです。

そんなローラママの根底を探る前に、ここで一旦、ジャンピングマンについてまとめると。

 

 ジャンピングマン=悪の存在=悪魔

        ↓

    鋭利な鼻=トビガエル

        ↓

  トビガエル=エクスペリメント

 

このようにジャンピングマンはエクスペリメントから産まれた悪の存在であったことが理解できるのです。そして、特筆すべきはトビガエルのように鋭利な鼻を持つ悪魔が実際に存在することです。それが前回のトレモンド夫人の考察でボブと等式であると結論付けた悪魔 "ベルゼブブ" になります。

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この "ベルゼブブ" については映画『エクソシスト』の考察でも触れましたが、もともと悪魔ではなく恵みの神バアル・ゼブル(気高き主)と崇められていました。それが新約聖書では悪霊の主ベルゼブルと変換され、ハエの王と呼ばれるまでに貶められています。『エクソシスト』の元ネタの一つとされている、実際にフランスで起きた悪魔祓い事件「ランの奇跡」で、16才の少女に憑依した悪魔がこのベルゼブブであるともされています。これらのことは今まで読み解いてきた神も悪魔も表裏一体であるということに通じ、『ファイナル・ドキュメント』でタミー・プレストンFBI捜査官がジュディの起源である男型がバアルであるとされる一翼も担っています。そこから前回、ボブと等式であると定義づけたのですが、するとこんな等式が必然的に導き出せます。

 

ボブ=ベルゼブブ=ジャンピングマン=ローラママ

 

さて、ローラの両親であるリーランドとセーラがここで同列になってしまいました。男型のバアルが "ローラパパ" であるとしたら、女型のジョウディは "ローラママ" であると定義することが容易にできるのです。では、ローラママがゴードン・コールが語っていた "極めてネガティブな存在" であるジュディと同一であるのかをさらに探っていくとしましょう。

 

4.ジュディに至る目的とはいったい何か

ここまでくると旧シリーズを振り返るどころではなく、完全に『The Return』の考察になってくるのですが、いいでしょう、とことん推し進めてみようではないですか。

まずはツイン・ピークスの作品内で "ジュディを求める" もしくは "ジュディ" のことを口にしていた人物たちを整理してみます。

 

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◆フィリップ・ジェフリーズ(Phillip Jeffries)

青いバラ特捜チームの中心的メンバーであり、ブエノスアイレスの潜入捜査でジュディの存在に迫る。シアトルにある "ジュディの店" で何かを見つけたらしいが詳細は不明。1975年に起きた青いバラ事件ではロイス・ダフィーが目の前で消失する瞬間を目撃している。『The Return』では既にジュディと接触している節があり、特殊な力(タイムトラベル、もしくは次元の超越)を手にしている。

 

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◆ゴードン・コール(Gordon Cole)

青いバラ特捜チームの指揮官であり、そのキャリアは1975年の青いバラ事件の解決に費やされている。フィリップ・ジェフリーズやブリッグス少佐からジュディの存在情報を集め、太古の呼び名は "ジャオデイ" であったことを突き止める。ジュディに辿り着くための計画を進めている最中にブリッグス少佐は命を落とし、クーパー捜査官は消息不明となってしまう。

 

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◆クーパーのドッペルゲンガー(Cooper's Doppelganger)

旧シリーズ最終話でクーパーをロッジに閉じ込めたあと、本人に成りすまして現世に現れる。ジュディの存在に気づいたブリッグス少佐を執拗に追い求めその命を奪い、フィリップ・ジェフリーズと名乗る者と共同でニューヨークのペントハウスにエクスペリメント捕獲装置を設置する。僕個人の解釈としては、彼はウィンダム・アールの別の姿であり、"ダグパス" と呼ばれるブラック・ロッジの力を手に入れた彼は、さらなる力を手中に納めるため、ジュディの居場所である "座標" を追い求めている。

 

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◆ガーランド・ブリッグス(Garland Briggs)

旧シリーズでウィンダム・アールにハロペリドール漬けにされたブリッグス少佐は、クーパーら保安官事務所の面々に保護された際、朦朧とした意識の中でジュディのことを口にしている。

 

以上の4名が作品内でジュディの発言をし、ブリッグス少佐以外の3名は何かしらの目的を持ってジュディを追い求めていることがわかります。そして、その3名はいずれも青いバラ特捜チームのメンバーであり、青いバラ事件とも関連を持つ人物たちでもあるのです。

ここで先ほどのローラママ・セーラが彼らが追い求めているジュディであると仮定すると、フィリップ・ジェフリーズ以外は既にローラママと作品内で対面していることがわかります(悪クーパーについては、元のクーパーの記憶や人格を全て内包していると捉えます)。ジュディと呼ばれる存在がサルと同じようにローラママという仮面の下に隠れているとしたら、既に対面していたとしてもリーランドの中に隠れていたボブと同じように彼らはそれに気づくことは出来なかったはずです。しかし、逆を言うと、作品内でそれらしい演出も一切されていなかったのです。ローラママはあくまでローラママであり、新シリーズでトラック・ユーへの噛み千切り事件など極めて暴力的な表現があったとしても、それが先の人物たちの目的となるような描かれ方ではなかったのです。

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唯一の仲間外れであるフィリップ・ジェフリーズとローラママの関係についても考慮してみるとします。若かりし頃のローラママがシアトルにあるワシントン大学で既にローラパパと恋人同士の関係であったことが『シークレット・ヒストリー』で明かされていたことから、もしかするとシアトルの "ジュディの店" でフィリップ・ジェフリーズが見つけたものがローラママだった可能性もあります。新シリーズでは唯一ジュディと接触し、先述したように次元を行き来できる特殊な力を身につけているジェフリーズ。この力はまるでジャンピングマンの上の世界も下の世界も行き来できる力と同じように見えますが、しかし、だからと言って、そこから何が見えてくるのか?というと、何も見えてこないのです。

では、彼らはジュディを追い求めることによって何を解決しようとしていたのでしょうか。一つ言えるのは、アメリカ政府が極秘裏に進めていた "ブルーブック計画" から連なる不可思議な事件を解決しようとしていた、と仮定することができます。しかし、その不可思議な事件の一つであるローラ・パーマー殺人事件は、ローラパパ・リーランドが犯人であったと明かされた時点で既に解決しています。マデリーン・ファーガソンテレサ・バンクスも全てリーランドの仕業であったことが作品内で明確にされてもいます。

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『The Return』での被害者であるニューヨークのサム&トレイシーやルース・ダヴェンポート殺人事件を考慮してみても、そこに関わっていたのは悪クーパーであって、決してローラママではありませんでした。ダイアンの化身(トゥルパ)も、ブリッグス少佐が死を偽装した政府施設の火事も、事の発端は悪クーパーによるものでした。ビル・ヘイスティングスの妻も、ビルの秘書を車の爆発で殺害したことも然り。そうなんです、いずれの事件もリーランドであったり悪クーパーであったりしている。要するに不可思議な事件の首謀者とされるのはあくまで "ボブ" であり、決してローラママである "ジュディ" ではないのです。

ならば、彼らはなぜ極めてネガティブな存在である "ボブ" を追い求めず "ジュディ" を追い求めたのでしょうか?なぜフィリップ・ジェフリーズは1989年2月23日の場所でジュディを見つけるだろうとクーパーに予言をしたのでしょうか。

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『The Return』第17章を振り返ると、1989年にタイムスリップしたクーパーは、ジャック・ルノーやレオ、ロネットのもとへ向かおうとするローラの前に突如として現れ、「家に帰ろう」とその手を取ります。このクーパーの行為は世界を一変させ、ローラ・パーマーが死んでいない次元を作り出しました。しかし『ファイナル・ドキュメント』を見るとローラ失踪後も、クーパーはツイン・ピークスを訪れ何かしらの捜査を行い、ローラパパ・リーランドは娘を失った悲しみから1990年2月に自殺をしています。ローラママは次元が変わってもやはり孤独な生活を送ることとなり、結果的にはローラが殺されても失踪をしても状況は変わらないことになるのです。

ここでローラママ=ジュディの仮定に立ち返り、青いバラ特捜チームの行きつく先がローラママであると一度確定してみるとします。すると、そこから見えてくるのは孤独な老婆の成れの果ての姿であり、決して "ブルーブック計画" から連なる不可解な謎の解明には繋がらないのです。しかし、半ば強制的にトビガエルが体内に入り込んだこと、娘も夫も失うという孤独、暴力的な面と穏やかな面の二極性を考慮すると、極めてネガティブな存在の "被害者" 、もしくはトレモンド夫人の孫と同じ "操り人形" であるという見方ができます。そうすると、ローラママ自体がジュディではなく、ローラママを操っている何者か、もっと言うとローラママ内なる宇宙(ミクロコスモス)に存在する何者かがジュディということになるのです。

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となると、もうこれしかありません。女性の乳房をもつこの両性具有の存在であるエクスペリメントがジュディであると確定することができます。1945年のトリニティ実験の際に次元の狭間から姿を現わし、1956年にはニューメキシコのAMラジオ局を襲撃、6分間に渡って不穏な語りを放送している。1975年にはオリンピア青いバラ事件を起こし、1988年にテレサ・バンクスが、1989年にはローラ・パーマーが殺害されています。驚くべきことは、これらの事件が発生した場所の近くに必ずローラママの存在があることです。彼女が事件の首謀者ではありませんが、なぜか彼女の近くで事件が起きているのです。まるでローラママがこのような事件をことごとく引寄せているかのようであり、それによって生じる "痛みと悲しみ" をジュディが貪っているかのようです。

そして、フィリップ・ジェフリーズが予言していた1989年のジュディはなにかと言うと、カリカリ音の正体、ローラを連れ去った者の正体であるジュディ、要するにアルルのヴィーナスということになります。

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前回の考察で、この石像が意味するものはイヴではなく蛇女リリスであると定義づけました。そもそもリリスとはなんぞや?という話かもしれませんが、簡単に言ってしまうと聖書で語られているアダムの最初の妻、アダムと同じように土くれから造られた人類最初の女性がリリスであると言われているのです。いやいやいや、人類最初の女性はイヴなんじゃないの?と思われるかもしれませんが、実はイヴの前に女性は存在していて、アダムがこの女言うこと聞かないからヤダ!って捨ててしまったのがリリスであり、今度は言うこと聞く女がいいといって自分の肋骨から造り出されたのがイヴなのです(すいません、随分と砕けた乱暴的な言い方をしてます)。いい子ちゃんなイヴが気に入らないリリスは蛇となって禁断の果実を食べるようそそのかし、その後、堕天使サタンと婚姻を交わしたとも言われています。

いずれにしてもジュディの原形がリリスであり、その悪意が産み出したものに人類は翻弄されていると、そんな風に読み解けるのではないかと思うのです。

トレモンド夫人の孫から始まり、随分なところまで辿り着きました。次回は、そんなジュディへの攻防を試みたホワイト・ロッジの存在について妄想したいと思います。

 

巡礼の旅シリーズ 第4回「ホワイト・ロッジ」