【dele #8】削除と附与
『dele (ディーリー)』
第8話(最終回)
監督:常廣丈太
脚本:本多孝好
いいドラマだった。
そう思う。
でも、なんだろう。
最後にやっちまった感が残る。
何をやっちまったんだろう?
たぶん、あれだ。
たぶんね。
第1話「横領事件」
第2話「生前葬」
第3話「公安」
第4話「超能力」
第5話「同性愛」
第6話「いじめ」
第7話「冤罪」
第8話「薬害」
各話のテーマをこうして並べてみるとケイと祐太郎くんの人生が見えてきます。うん、見えてはくるのですが、その反面、オカズにされた問題たちが深刻すぎて、それを上辺だけ掬ったようになってしまっているのです。
前々から事件の核心を語らないドラマだとは思っていましたが、それはあえて "語らなかった" わけではなく "語れなかった" のです。それが今回わかりました。なぜ語れないのか。わからないから。理解できないから。というよりも、僕と同じように単にググっただけで知った気になっていたから。うん、わかったつもりでいても、結局、こうなんだよね。
浅はかだな...。
第6話の「いじめ」の時にも思いましたが、今回の「薬害問題」も、古沢氏脚本の『リーガル・ハイ』と比べてしまうと、『ディーリー』はどうにもこうにも正々堂々と正面から戦ってないんですよね。戦うように見えて小手先に逃げてしまう。いや、物事を見る視点が偏りすぎている。もちろん、他の視点も見ているんだろうけど、それを混ぜてしまうと収拾がつかなくなるから、あえて見ないことにしている。この目をつむってしまっている所が春樹チルドレンと呼ばれる所以でもあるんだろうなぁ...。
もちろん『リーガル・ハイ』は弁護と検察という対局する同士が戦うドラマなので、どうしてもテーマに対して正面から向き合い、いろんな視点の中から主人公としての答えを導き出していかなければならない所はあります。それを毒を喰らわば皿までと、酸いも甘いも腹に落とし込んで、とりあえずゲラゲラ笑っていたのが古美門研介という男でした。
そういう視点で見ると、祐太郎くんがただただ被害者として怒りをぶちかまし、被害者として無力感に捕らわれ、被害者として周囲に "優しさ爆弾" をバラ撒いているのは至極当然の姿だとは思います。しかし、"物語" が祐太郎くんに寄り添ってはいけないと思うのです。"物語" はあくまでも祐太郎くんを通して僕たちが生きているこの "世界" を描くべきなのです。
期待していた最終回ですが、結果として、祐太郎くんの復讐劇で終わってしまいました。ムカツクあの野郎をとっちめてやった。はあ、スッキリした。さ、ゼロから始めようぜ!
マジか?
マスかいただけじゃねえか!
たぶん、こういうところが小説とドラマや映画の違うところなのかもしれません。もしかしたら、本多脚本はもっと違うエンディングが描かれていたのかもしれない。しかし、映像作品を総合的に作り上げていくのが監督さんです。監督さんが、このエンディングは違うっ!と思えば、簡単に書き換えられてしまうのかもしれません。というか、そう思いたい。あの『正義のミカタ』や『at HOME』で幾重もの視点から現代の救いを導き出していた本多作品がこれとは思いたくないのです。本当に『ストレイヤーズ・クロニクル』で勘が鈍ってしまったのか?集英社なんかで中二病をこじらせた少年マンガの原作みたいなものを書いちゃうから、こうなっちゃうんだよ(泣)
ケイが笑った!とか、
舞姉さんの色気がヤバすぎ!とか、
麿 赤兒さん、ラスボス感ハンパない!とか、
なんだかんだ言いながら楽しかったです。
楽しかったんですけど、
マスはかいちゃいけません。
そういうことはこっそりやってください。