that passion once again

日々の気づき。ディスク・レビューや映画・読書レビューなどなど。スローペースで更新。

深読みインランド・エンパイア① Axx on n'

「The Return」を解読するための『インランド・エンパイア』解体シリーズ

第1回「意識の階層を下りていく」

f:id:wisteria-valley:20181031222032j:plain

 

てなわけで『インランド・エンパイア』です。『The Return』の18時間を経た今となっては、この3時間もある超大作も、ニッキー・グレイスという女性のトラブルをダイジェストで観ている感覚に陥るような、そんなかわいいものに感じます。

前作『マルホランド・ドライブ』が『ツイン・ピークス』同様、テレビ向けの連続もので企画されていながら、結局、映画として制作され、圧倒的なリンチ・カムバックを果たしたのは、ひとえにそのわかりやすさにあると思います。さらにナオミ・ワッツのあのミニマム・キュート、ローラ・ハリングのダイナマイト・セクシーが作品に華を添えていた事実は、僕が語るまでもないでしょう。

それに比べると『インランド・エンパイア』は難解で、ほぼ3時間まるまるローラ・ダーンの独断場になっています。『マルホランド・ドライブ』に存在していたコメディ要素もほぼ皆無で、ひたすらニッキー・グレイスという女性の内面へと潜っていくストーリーが展開されていきます。それをわかりやすく図解すると、この映画のようになります。

f:id:wisteria-valley:20181031225635p:plain

2010年に公開されたクリストファー・ノーラン監督の『インセプション』。この映画は夢から夢へと階層を下りていき、最終的に "虚無" と呼ばれる深い領域、深層心理、もしくは潜在意識と呼ばれる部分まで落ちていくのですが、『インランド・エンパイア』も全く同じ構造になっているのです。この構造さえ理解できれば『マルホランド・ドライブ』と同じように、この映画を数倍、楽しめるのです。

 

では、その "意識の扉" はどこに存在するのか?ということになるのですが、それが "Axx On" になります。カタカナにすると "アックス・オン" です。間違っても "エー・チョメ・チョメ・オン" ではありません。いや、もしかしたら "エー・チョメ・チョメ" なのかもしれませんが、そんなリンチ・ダジャレはここでは触れないことにします。

f:id:wisteria-valley:20181031232012j:plain

さらに、意識の階層を下りていくということは、おっと、また出ましたユング!みたいな感じになりますが、顕在意識から潜在意識へ、さらには集合的無意識へとダイブしていく行為とイコールになります。『The Return』の第8章で原爆のグラウンド・ゼロへ向かってカメラがどんどん進んでいく映像がありましたが、あれと同じような感じで、ニッキー・グレイスという魂のグラウンド・ゼロに向かってカメラがどんどん突き進んでいくイメージなのです。地球のコアに向かってカメラが進んでいくみたいな。

 

f:id:wisteria-valley:20181031222032j:plain

で、映画の冒頭です。ここで既に第一の意識の扉が開きます。"Axx on" なんて、どこにも書いてないじゃないか!と思われるかもしれませんが、いやいや、ラジオDJの語りによおく耳を澄ましてください。

"Axxon N., the longest running radio play in history tonight, continuing in the Baltic region."

そうなんです、『インランド・エンパイア』という映画は「アックス・オォン!」の叫び声から始まるのです。ここで既に第一の扉が開かれているのです。では、次の階層に進みましょう。

 

f:id:wisteria-valley:20181031221908j:plain

映画が始まってちょうど1時間ぐらいで第二階層の扉が現れます。リンチ監督も優しいですよね、ちゃんと下に降りて行けと矢印まで書いてくれています。時間もちょうど1時間くらいというのも憎いです。デジタルカメラで好き放題に撮ったんだと言いながら、編集でちゃんと緻密に計算しているのだから、侮れません。

ローラ・ダーンの家に引越の挨拶に来た "来訪者ローラママ" が語っていた「小さな女の子が市場で迷子になった。市場は通り抜けちゃいけない。裏の路地をいかなくちゃ」というセリフを体現するように、ニッキー・グレイスは裏路地から第二階層へと潜り込んでいきます。その先は潜在意識の世界。"来訪者ローラママ" は「宮殿へ行く道」と語っていました。

顕在意識の世界では女優としての自覚、妻としての自覚があったニッキー・グレイスですが、潜在意識の世界に潜り込むと世界は一変し、己自身の中にある欲望が剥き出しになっていきます。そして、憎しみは雪だるま式に膨れ上がり、最終的に『The Return』でいう "化身" トゥルパが産まれます。そこで次の第三階層の入口が開きます。

 

f:id:wisteria-valley:20181101001216j:plain

第三階層のスタートもほぼ映画が始まって2時間後になっています。こうして観ていくとリンチ監督は各階層を1時間ごとに描いていることがよくわかります。内藤仙人さまが「リンチ監督は神経質な設計士」と断言していた所以もここらにあると僕も思うのですが、この緻密な構成は『The Return』にもしっかり継承されていて、巷で言われている "老害ノロノロ映画" とは本質がまるで違うのです。

ここからは集合的無意識の世界に突入し、ポケベル・ナイドが宮殿の話をしだしたり、ニッキーが肉体的な死を経験したりと、物語はとにかく魂の深く深くと潜り込んでいきます。そして、その先には "劇場" が存在し、さらにその先に『インセプション』でいう "虚無" の世界、集合的無意識の先にある世界、"己" が待っています。

 

f:id:wisteria-valley:20181101002545j:plain

この第四階層の扉に辿り着くまでの魂の軌跡を描いたのが『インランド・エンパイア』なのです。『The Return』でいうところのグレート・ノーザン・ホテルのボイラー室にあった扉と同じってやつです。その先でニッキー・グレイスは己と対峙することになります。そして、それに打ち勝つことによって宮殿に辿り着くことができた。

 

てなわけで、第1回は映画の全体像を把握するに留めておきます。次回は『The Return』第17章のぼんやりクーパーの謎がわかるのか?、"劇中劇" についてさくっと語っていきまっせ、姐さん。

「深読みインランド・エンパイア② Act」