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【連続テレビ小説「なつぞら」】第3週 理屈の通らんことは、これまで なんぼでもあった!

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日本中を感涙の渦に巻き込んだチビなっちゃんの活躍から週が明けて、とうとう真打すずちゃんの登場です。他人(ひと)の子の成長とは早いもので、ついこないだまでは泣き虫チビ助だったのが、いつの間にやら色気づいたり小生意気になったりしているのが世の常というやつでして...。みんなのなっちゃんも "天陽くんの畑を村のみんなで開拓するぞ!計画" から9年経つと、あの悲しみを堪えたムニムニおちょぼ口が、いつの間にやら大人びた少女へと成長していました。これが...、いい!

のっけから "柴田のおんじ" の右腕として、牛の逆子を助けようと自発的に働き、人工呼吸で鼻に詰まった羊水を口に含んで吐き出し、ひたむきな屈伸運動で見事に子牛の命を救い出したすずなっちゃん。若い子が牛の羊水を口に含むなんて、それだけでチビなっちゃんを凌駕するシークエンスで、つかみはOKってやつです。さらには、よっちゃんを牛に見立てて実演する辺り、笑いあり涙ありの楽しさが素晴らしいではないですか。

成長したなっちゃんの姿もさることながら、柴田のおんじと農協の確執が浮き彫りになった第3週目。それを良しとする人もいれば、途端につまらなくなったと感じる人もいるようです。僕的には柴田のおんじの "こだわり" もしくは "生き方" を描くための枷でしかないような気もします。

そもそも農協問題はある意味 "共産主義" に近いものがあり、もともと民主主義が絶対的正義であり、共産主義のロシアや中国は悪であると教育されてきた僕は、どうも "共産" もしくは "1億総平等" というのが納得いきません。もちろん差別はよろしくないというのは百も承知ですが、ぶっちゃけてしまうとイエス・キリストだって金持ちを天竜人呼ばわりして蔑んだ挙句に市場で大騒ぎしたこともありましたし、お釈迦様が悟りを開いたのも何不自由なく30歳まで好き放題に生きてからのお話です。僕ら下々がキリストやお釈迦様のように隣人を思いやり心を開いて生きていくなんてことは到底無理なお話だと思うのです。

柴田のおんじも妻が病気になり助けが必要だった時に誰も助けてくれなかったという挿話がありました。それはなっちゃんも同じです。誰かに助けてもらいたいと思っても、結局は両親を戦争で失い、兄妹は散り散りになってしまいました。そんな心の痛みやら傷やらを抱えながら、それでも笑って泣いて逞しく生きているのがなっちゃんであり柴田のおんじであると。剛男さんが優男で、いくら相手を可哀そがっても(それが心の底からの本心であっても)、所詮、物の高みから下々を見下ろしている夕見子ちゃんとなんら変わらないのではないかと。あんた、たくさんお金を持ってるんだから、恵まれないこっちにも寄こしなさいよ!と急に言われたって、まずはその恵まれない境遇をどうにかしようと努力しないのかっ!と思うのも仕方がないのではと。僕は柴田のおんじの頑固さに一票です。剛男さんは机上の理論で正論を振りまいているだけです。

それでも、最後には天陽くんの牛も可愛がってあげなさいと、優しくなっちゃんに寄り添う柴田のおんじ。うう...。おんじ、最高。

 

ふと思いましたが、夕見子ちゃんの立ち位置って、僕ら視聴者のツッコミを代弁している気がしてなりません。