that passion once again

日々の気づき。ディスク・レビューや映画・読書レビューなどなど。スローペースで更新。

拝啓、徳永英明さま

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本日、WOWOWで放送された兄やんの最新ライブを観て思いました。若かったあの頃のような、とてつもない熱量を含んだライブ体験って、もう、これから二度と経験することはできないんだろうなぁ...と。なんて言うんでしょ、下品な例えですが、半立ちでイッちまったような、男としてなかなかに中途半端な感じがしまして、なんかヒリヒリするものがないと言うか、うぉぉりゃぁぁぁ!みたいな咆哮がないと言うか、まあ、時も30数年経つとこうなるのも仕方ないと言えば仕方ないんでしょうし、こんなこと語ってる時点で熱い徳永ファンからは怒られそうな気もするのですが...。わかってます。わかってますよ。ツアー中に緊急搬送されて公演が延期になったことも、体調を鑑みながらステージを進めていることも、十分にわかってます。ステージに立って歌ってくれることだけでも感謝するべきだということも。でも、なんです。でもね。

思えば今から30年以上前ですか。「夜のヒットスタジオ」で兄やんが涙を流しながら「最後の言い訳」を熱唱しているのを観てからずっとファンです。…、…、…。ずっと?...、…、…。そうですね、訂正いたします。時たまファンです。ただ、その "時たま" がなかなかに僕の人生の岐路でいろいろと支えてくれているのです。悩んでいる時、迷った時、弱っている時、その時々に、どこからともなく兄やんの声が響いてきて、そんなもんじゃないだろ!っと叱咤激励してくれるのです。うぉぉりゃぁぁぁ!という咆哮を上げさせてくれるのです。今日だって、そうです。テレビをつけたら、偶然に兄やんのライブですよ。まるで導かれているようでもあります。

去年の7月にセルフカヴァー・ベストを発売しているのですが、その歌声も、うぉぉりゃぁぁぁ!という咆哮に満ちたアルバムになっておりました。60が見えてきたおっさんが作るアルバムじゃないんじゃないかなぁと思うんですが、amazonレビューなどを見ると、どうも煮え切らないアルバムというのが一般的な受けのようです。その煮え切らなさは、今日のライブを見た僕の感想とも合致するのですが、アルバムの中ではそうじゃないと思うんですね。というか、アルバムで描かれていた世界観をライブで表現するためには、あまりにも体力的な問題があったんじゃないかと勘繰ってしまうのです。

まあ、僕も7月に発売された時点では、兄やん、またカヴァーなん?前に出してるやん。ていうか、カバーじゃなくて "カヴァー" って言ってる時点で、ラジオじゃなくて "レディオ" みたいな感じってことでしょ。相変わらず、お洒落さんなんやからぁ...と、完全スルーでいたのです。ですが、ここんところのハードワークで疲れてきたんでしょうね。兄やん、また助けてよって感じに...。リスナーなんて気ままで気まぐれなものです。

でね。そもそもですよ。そもそも、CDというものが売れなくなって、とりあえずライブに来てちょうだい!と業界全体が会場確保に血眼になっている時代に、毎年毎年必ず1枚はCDアルバムを発売しているのが兄やんこと徳永英明なんです。CDを発売して、それに付随したコンサートを開いて、またCDを出して、またコンサートを開いて、そのルーティンの繰り返し。それを35年以上続けているんです。スゴくないですか?

てなわけで、ズラズラズラーッと兄やんデイスコグラフィーを並べていくと、こんなになりまっせ、姐さん。

f:id:wisteria-valley:20181128003417j:plain 1stアルバム「Girl」(1986.01.21)

f:id:wisteria-valley:20181128003606j:plain 2ndアルバム「radio」(1986.08.21)

f:id:wisteria-valley:20181128003733j:plain 3rdアルバム「BIRDS」(1987.05.21)

f:id:wisteria-valley:20181128003925j:plain 1stベスト「INTRO.」(1987.12.05)

f:id:wisteria-valley:20181128004048j:plain 4thアルバム「DEAR」(1988.04.21)

f:id:wisteria-valley:20181128004203j:plain 5thアルバム「REALIZE」(1989.05.21)

f:id:wisteria-valley:20181128004320j:plain 1stライブAL「Live」(1990.07.01)

f:id:wisteria-valley:20181128004506j:plain 6thアルバム「JUSTICE」(1990.10.09)

f:id:wisteria-valley:20181128004611j:plain 7thアルバム「Revolution」(1991.10.05)

f:id:wisteria-valley:20181128004724j:plain 2ndベスト「INTRO.Ⅱ」(1992.12.04)

f:id:wisteria-valley:20181128004839j:plain 8thアルバム「Nostalgia」(1993.12.10)

f:id:wisteria-valley:20181128005003j:plain 2ndライブAL「Live 1994」(1994.09.14)

f:id:wisteria-valley:20181128005135j:plain 9thアルバム「太陽の少年」(1995.12.08)

f:id:wisteria-valley:20181128005306j:plain 10thアルバム「bless」(1997.02.06)

f:id:wisteria-valley:20181128005413j:plain 3rdベスト「Ballade of Ballade」(1997.11.01)

f:id:wisteria-valley:20181128005812j:plain 4thベスト「シングルコレクション (1986~1991)」(1998.11.21)

f:id:wisteria-valley:20181128005931j:plain 5thベスト「シングルコレクション (1992~1997)」(1998.11.21)

f:id:wisteria-valley:20181128010042j:plain 11thアルバム「honesto」(1999.06.02)

f:id:wisteria-valley:20181128010158j:plain 12thアルバム「remind」(2000.05.24)

f:id:wisteria-valley:20181128010302j:plain 6thベスト「INTRO.Ⅲ」(2001.02.28)

f:id:wisteria-valley:20181128010437j:plain 13thアルバム「愛をください」(2003.02.27)

f:id:wisteria-valley:20181128010533j:plain 7thベスト「カガヤキナガラ」(2003.10.01)

f:id:wisteria-valley:20181128010649j:plain 14thアルバム「MY LIFE」(2004.09.29)

f:id:wisteria-valley:20181128010749j:plain 1stカヴァーAL「VOCALIST」(2005.09.14)

f:id:wisteria-valley:20181128010854j:plain 8thベスト「BEAUTIFUL BALLADE」(2006.02.22)

f:id:wisteria-valley:20181128011054j:plain 2ndカヴァーAL「VOCALIST 2」(2006.08.30)

f:id:wisteria-valley:20181128011158j:plain 3rdカヴァーAL「VOCALIST 3」(2007.08.15)

f:id:wisteria-valley:20181128011307j:plain 9thベスト「SINGLES BEST」(2008.08.13)

f:id:wisteria-valley:20181128011414j:plain 10thベスト「SINGLES B-side BEST」(2008.08.13)

f:id:wisteria-valley:20181128011516j:plain 15thアルバム「WE ALL」(2009.05.06)

f:id:wisteria-valley:20181128011848j:plain 4thカヴァーAL「VOCALIST 4」(2010.04.20)

f:id:wisteria-valley:20181128012007j:plain 12thベスト「VOCALIST & BALLADE BEST」(2011.04.27)

f:id:wisteria-valley:20181128012124j:plain 5thカヴァーAL 「VOCALIST VINTAGE」(2012.05.30)

f:id:wisteria-valley:20181128012230j:plain 16thアルバム「STATEMENT」(2013.07.17)

f:id:wisteria-valley:20181128012339j:plain 3rdライブAL「STATEMENT TOUR FINAL」(2014.09.03)

f:id:wisteria-valley:20181128012522j:plain 6thカヴァーAL「VOCALIST 6」(2015.01.21)

f:id:wisteria-valley:20181128012625j:plain 13thベスト「ALL TIME BEST Presence」(2016.04.13)

f:id:wisteria-valley:20181128012724j:plain 14thベスト「ALL TIME BEST VOCALIST」(2016.08.17)

f:id:wisteria-valley:20181128012825j:plain 17thアルバム「BATON」(2017.07.19)

f:id:wisteria-valley:20181128012917j:plain 15thベスト「永遠の果てに」(2018.07.04)

てな感じで並べた並べた、全部でぴったり40枚ですよ。ほぇぇぇぇ...。シングルまで入れたら100枚近くになってしまうんだから、まあ、どれだけ声を張って歌い続けているかが如実にわかるというものではないでしょうか。さらには、今年、セルフ・カヴァー第二弾が発売される予定なんですから、もう、売れる売れない関係ない、とにかく歌い続けることに意味があるのです。と、思いたい。

この中でアルバムが発売されなかったのは1996年と2002年の2つの年のみです。ただ、'96年は「ROUGH DIAMOND」と「SMILE」という2大シングルが発売された年でもあるので、記念すべき10枚目のオリジナル・アルバム「bless」の制作にいかに全身全霊で臨んでいた1年かがわかるとも言えます。レコード会社の移籍でちょいとゴタゴタしていた時期とも言えますが...。

2002年は "もやもや病" の治療に専念していた年で、ここまでの軌跡を俯瞰してみると復帰作である13thオリジナル・アルバム「愛をください」が、かなりのターニングポイントになる作品と位置づけることができます。アーティスト名を旧字体に変更したのもこの頃。楽曲制作がシンセサイザーから生バンドにシフトチェンジしたのもこの頃からです。で、徳永英明第二章として発売されたのが初のセルフカヴァーアルバム「カガヤキナガラ」。

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今から15年も前に発売されたこのセルフカヴァーアルバムですが、生ピアノとウッドベースが特徴的なジャジーでコンテンポラリーな楽曲群になっています。よく言えば大人なアルバム、悪く言うと変化に乏しい一辺倒なアルバムです。瀬尾一三先生や国吉良一先生の打込み主体の大層なアレンジに慣れ親しんでいる徳永ファンからすると、3ピースバンドのシンプルな演奏に、ちょっと物足りなさを感じてしまうかもしれません。それでも「VOCALIST」以前のアルバムとあって、兄やんの張り上げる声もまだまだ堪能できる頃でもあります。しかし、例えば「JUSTICE」であったり、'92年頃の倒れてまで叫び続けている「壊れかけのRadio」、精神の限界まで追い込んだ「魂の願い」、第一期の集大成的なバラード「Positions of life」のライブを経験してしまうと、どこか寸止めのような、どうにもイカせてもらえないもどかしさはあります。

てなわけで、とりあえずドバドバとイキまくっている兄やんのライブ2連発です!

どうですか。これぞ魂の叫び、プライマル・スクリームってやつじゃないでしょうか。で、「VOCALIST」シリーズで歌い手としての地位を確立し、それなりに安定した兄やんなんですが...。もうカヴァーはいいっしょ、ここらでもう一度シンガーソングライターとしてオリジナルを作るでぇ!なんでかって?シンガーソングライターだからに決まっとるやんけ!と、ここでこの「JUSTICE」期に今一度舞い戻ってみたのが前々作の「STATEMENT」でした。ただ、苦しいことを苦しいと闇雲に叫び続けていた若かりし頃とは違い、それなりに家族も地位も獲得した兄やんとしては、なかなか丸くなったものを尖らせることが難しかったようです。

その答えが前作の「BATON」でした。過去の自分へのバトン、明日の自分へのバトン、そして、次世代へのバトンをつないで行こう。その先に未来があるから、その先に希望があるから、その先に答えがあるから。

で、やっとこの記事の本題です。最新作「永遠の果てに~セルフカヴァー・ベストⅠ~」に辿り着いた兄やんです。「VOCALIST」で数々の女性歌手のバラードと対峙し、「STATEMENT」~「BATON」で稀代のメッセンジャーとして丸いものを丸いと歌ったことにより、ある意味、限界の先に行くのは自己解体しかないと悟ったようなのです。その片鱗は「STATEMENT」のライブで既に現れていました。それが、このアルバムにも収録されている「MYSELF~風になりたい~」です。今さら、時代が云々、世間が云々と朗々と歌い上げるのも大人げない、どちらかというと、あの頃の熱い気持ちをもう一度蘇らせるために、今何ができるのかを考えようじゃないか。時は過ぎた。過ぎたからこそ見える景色もあるだろう。その景色を前に、今だからこそ対峙できる情熱を蘇らせようじゃないかと。

公式の特設サイトではコラムニストである栗本斉氏の楽曲解説が掲載されています。

その真似っこで、僕もアルバム全楽曲の解説を今さらながらしてみようかなと思った次第なのです。随分と長い前置きでしたが...。てなわけで、純度100%、完全に独りよがりな "時たまファン" のアルバム解説が始まりまっせ。

 

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「永遠の果てに~セルフカヴァー・ベストⅠ~」全楽曲解説

 

1.永遠の果てに

オリジナルは1994年発売のシングル。「Nostalgia」という、とんでもなくディープな領域を潜り抜けた後、山田ひろし氏の詩世界との相乗効果で、一気に天上世界まで突き抜けた楽曲です。15年前のセルフカヴァー集にも収録されている楽曲ですが、その際はまるでジャズのスタンダードを歌い上げるかのように、ただただメロディーに身を委ねるに留まっていました。それが今回、アルバムタイトルにあるように、リード曲として選ばれたのは、坂本昌之氏と共に、もう一度、山田ひろし氏の詩世界を音像化しようという試みだったのではないかと思います。

世界が終わりを迎える時、キリストの再臨と共に天使がある書物を抱えてきます。その書物には人類全ての名前が記されており、名を呼ばれた者は再び蘇り、天に行くか、地に行くかの審判を下されます。この "最後の審判" を題材に、1994年頃に蔓延していた終末思想の先にまだ希望は残されている、僕らの存在は消えていくだけの儚いものではなく、その先まで続いていくんだという "祈り" の歌が「永遠の果てに」でした。

今回のセルフカヴァーでは、この詩世界をドラマチックに、かつ命の灯火をそっと包み込むようなアレンジとヴォーカリゼーションが施されています。ラストのパイプオルガンの音色が詩世界への敬意を端的に現わしています。

 

2.最後の言い訳

今から30年前、1988年に発売された徳永英明、通算6枚目のシングル。スマッシュヒットでブレイクを果たした「輝きながら…」が本人作曲の作品でなかったため、しばらく自身のブレイクスルーは「輝きながら…」ではなく「最後の言い訳」と言い続けていた曲でもあるので、ファンも思い入れの強い楽曲ではないかと思います。

"アイデンティティー・クライシス"、"自己喪失"、徳永英明というアーティストの本質は、ほぼ8割方がこの "喪失感" に依る所が大きいのではないかと僕は思っていて、変な話ですけど、兄やんは幸せになればなるほど作品を作る意味を失っていくアーティストだと思うのです。僕は幸せなんだぁ~と歌う「I LOVE YOU」がイマイチのれなくて、道を見失っちまったよぉ~と歌う「もう一度あの日のように」が胸に迫ってくるのも、そういうアーティスト体質だからではないかと。その本質が初めて世に出たのが、この「最後の言い訳」ではないかと。

15年前のセルフカヴァー集にも収録され、その際にも "大切なものが失われていく" という喪失感を、繊細なピアノの旋律と共に声を限りに表現していましたが、今回のセルフカヴァーでは、なんとピアノではなくギターをつま弾くという!長年歌い続けている楽曲ですが、このアレンジは新鮮すぎます。中盤から後半ではハモンドオルガンまで登場して、原曲の雰囲気も復活するのですが、なんて言うんでしょ、エルトン・ジョンの歌をジム・モリソンがバンドでアレンジしたとでも言いましょうか。今回のアルバム全体に言えることなのですが、なんか "ロック" なんですよね。

しかし、長年のファンとしては、やはりこの曲は声を限りに叫び倒す姿を拝みたい歌でもあります。そこにこそ存在価値がある歌だと思うのです。もちろん、いつまでもそう叫んでられないよ、去る者を追いかけないという選択肢もあるのさ、という解釈もわかりますけどね。

 

3.壊れかけのRadio

徳永英明の代表曲の一つ。初出は1990年。当時はラジオを "レディオ" と歌ったことにより全国民からおちょくられましたが、時が経てばそれも今では良き想い出です。先述した「最後の言い訳」同様、喪失感を歌った名曲であり、それまではアーティストでありながら、どこかトレンディー俳優的なヘラヘラしたアイドルじみていた兄やんが、この楽曲を境に、急に真顔化した楽曲でもあります。

'94年頃までは「最後の言い訳」同様、叫び倒す楽曲として、ライブでも見所の一つではありましたが、いつの頃からか、急にサビの語尾を下げた、どこか気怠さを漂わせた歌い方に変わり、中居くん曰く「なんでそんな歌い方するん?」という時期が続いていました。ライブに慣れているファンからするとそんなに違和感はないかと思いますが、一般的な耳で聞くと、なんだかCDで聞くのと違うなぁ...と。

それが2014年に放送されたTBS『音楽の日』で劇的に変化しました。山口百恵さんの超名曲「さよならの向う側」との相乗効果もあったと思いますが、この日に披露された「壊れかけのRadio」は何十年ぶりかの原曲通りの歌い方だったのです。その存在感たるや、他のアーティストの追随を許さない圧倒的なもので、中居くんも「すっげぇ...」とポツリとこぼすほどのパフォーマンスでした。

「カガヤキナガラ」に収録されていた同曲に比べても、今作は往年の徳永節が復活。まさに『音楽の日』で披露されていた歌い方で収録されています。"ギターを弾いていた..."と歌っている割には、原曲ではポロリンポロリンとあまりギターの音が聴こえてこないのですが、今作では冒頭からジャーンジャーン鳴っているのも印象的です。もう、なんで今さらロックなん?と思うのですが、それも次曲の「MYSELF~風になりたい~」があってのことでしょう。全ては「STEATMENT」ツアーでデッドラインを超えてしまったが故なのです。

 

4.MYSELF ~風になりたい~ (Tokunaga's Track Remix)

去年だか一昨年だかWOWOWで放送されていた「STEATMENT」ツアーのライブ映像、もしくはDVDなどの映像作品の最後に披露されていたのが、このニュー・ヴァージョンの「MYSELF」でした。最新ライブでもギターをギャンギャン鳴らしながら歌っていましたが、要はギターサウンド復権を機に、精神的な若返りを図ったのが今回のアルバムのテーマということになりそうなのです。

楽曲自体は'89年の作品。まだ「壊れかけのRadio」も「夢を信じて」も発売される以前の楽曲になりますが、僕にとっては、まあ、とにかく思い出深い楽曲です。歌詞は大津あきら氏によるものですが、"悲しみ そんな言葉に負けないで 僕も淋しさを超えて 風になりたい" という、思春期の真っ只中、完全に中二だった僕の心にズドンとその歌詞は響きまして、見えない明日を一点突破していく強烈なカンフル剤だったのです。とにかく5thアルバム「REALIZE」の中核にもなる徳永英明の超ターニングポイントになる楽曲でした。この曲がなければ「壊れかけのRadio」は生まれなかったはずなのです。

そんな楽曲を図太い声であ゛あ゛あ゛あ゛あ゛~~~~~と60間近のおっさんが歌っちゃうもんだから、まだまだ40代の僕は、これから張り切って生きていかないと罰が当たってしまいます。そうでしょ、兄やん?

ただ、ライブではなかなかに平坦な演奏でした。いや、演奏自体はグルーヴィーなロックサウンドを展開していたのですが、ボーカルがどうにもこうにも平坦なのです。いや、ああいう風に歌うこと自体、なかなかに体力を使うのかもしれません。腹の底から響かせる歌というのは、ああいう姿をしているのかもしれません。しかし、どうもイケないんだよなぁ...。イキたいんですよ。

 

5.僕のそばに (Self-Cover Ver. Remix)

8thアルバム「Nostalgia」というアルバムは前述したようにとにかくディープな作品でした。「夢を信じて」「壊れかけのRadio」の大ヒットから7thアルバム「Revolution」のオリコン1位、2ndベスト「INTRO.Ⅱ」がミリオンに迫る売り上げを誇り、完全に鼻がピノキオになっていた兄やん。それがポッキリと折れてしまって、どうしたらええんや!と雄叫びを上げたのが「もう一度あの日のように」であり、その延長線上にあるのがこの「僕のそばに」でした。

原曲はとにかくロックなグルーヴィーに満ち満ちていて、世に溢れていたチープなラブソングを鼻で笑ってやった楽曲です。中坊じゃあるまいし、チューだなんだって綺麗ごと言って騒いでんじゃねえよ、と。なんか、言葉が乱暴ですいません...。

メロディ、歌詞、アレンジ、この曲はどういじっても様になります。兄やん自らがナルシスティックに満ちた楽曲と解説していますが、そうなんです、それこそが兄やんなのです。兄やんそのものだから、どういじったって兄やんにしかならないのです。逆に16ビートにのっけてEDM風のダンストラックにしたら、その世界観も随分と軽いものに様変わりするかもしれませんが、ナルシスティックなところはそのままちゃ~んと残るはずです。だって、兄やんなんだもん。

 

6.恋人

これも徳永英明の代表曲と言えるかもしれません。微妙に世間の認知度は高いのではないかと。ただ、ここまで好き勝手に語っててあれなんですが、僕、この曲、あんまり好きじゃないんですよね...。へへっ。

なんか退屈というか、もちろん、恋人との倦怠感を歌にしたっていうところもありますが、冷めちゃったなら無理にヨリを戻す必要もなくない?というのがあって、それをねえねえ、もう一度さあ、ほら、前にデートで行ったあそこ行ってみようよぉ~、ねえねえ、そんなつまんない顔しないでよ、ねえねえ、と、もうウザイ!ってなってしまうんです。これって変ですか?

てなわけで、アレンジがどうのこうの以前に、曲の世界観に拒絶反応を起こしてしまうのです。ただ、今は「WE ALL」という楽曲があります。僕らは再生できると。それを踏まえて「恋人」を聞くと、未練タラタラな粘着系男子が、なんとなく夫婦再生の決心をした第二の人生スタート切ります男子にも見えてきます。見えてくるかなぁ...。

 

7.どうしょうもないくらい

4thアルバム「DEAR」に収録されている表題曲が私的楽曲の始まりであるなら、7thアルバム「Revolution」のラストに収録されたこの楽曲は私的作品の極致と言えると思います。とにかく90年代初頭から中期にかけて、事あるごとにこの楽曲で兄やんは叫んでいました。

今回の選曲に、どう見てもヒット曲でもなければ人気曲でもないこの曲をセレクトしているところに、2018年版徳永英明のスタンスを感じます。今さらながら兄やんが破りたい "殻" とはいったいなんなんだろう?と考えてしまうのです。

端から見れば、徳永英明という存在は、今や玉置浩二久保田利伸と並ぶ三大ボーカリストとして名を馳せています。サザンやB'zのように、決してヒットチャートの上位に居座り続けるヒットメーカーではないですが、アーティストとしては確実にその地位を確立しています。そんな彼が、今さら「素直になれない夜もぉぉぉ~!」と叫ぶ意味はなんなのでしょう。

時たまファンの僕が断定できるような事でもないですが、やはり思うのは、どれだけ地位を確立しても、そこにはジレンマが介在しているのではないかと。そのジレンマという "殻" を破るために日々創作し歌い続けているのではないかと。それが徳永英明という存在意義だと。

このアルバムの中では、一番好きなアレンジでありボーカリゼーションです。この曲を聴くためだけでもレンタルすべし!です。あ...、購入すべしです!

 

8.レイニー ブルー

どうやら、このアレンジはデビュー時のデモテープを基に構成し直したようです。徳永英明と聞くと、バラード!ピアノ曲!というイメージが強いですが、本人からすると、いやいやいや、ギターで作ってるから、もともとはフォークシンガー目指しとったから、ていうか、根は激しいから間違わんといて!って言いたげな、超原点回帰、アコギをポロロンポロロンな非常にシンプルなアレンジになっています。

とにかく、この曲、ずっと歌い続けています。

もちろん、今では代表曲として、超名曲として世に認知されておりますが、それにしても、この曲だけでいったい何バージョン存在するのでしょう。たぶん、兄やんの印税収入の3分の1はこの曲なんじゃないかと言うくらいに、まあ、人影も見えない午前0時に電話ボックスに入りまくってます。(怒られちゃうかな...)

 

9.夢を信じて

聞くところによると、この曲、タイアップの話がきた時にその場でフンフンフンと5分くらいで作ったらしく、それが自身最大のヒット作になってしまったもんだから、まあ、世の中とはなんじゃらほいと思ったそうです。

確かに肩ひじ張らないメロディーに瀬尾一三氏の軽快なリズムはポップソングとして、たぶん、超大袈裟に語るならJ-POPの夜明けを告げる楽曲だったわけです。同じアニソンの「おどるポンポコリン」も然り、世の大衆というのは小難しい文学的なロックナンバーより、意味不明の覚えやすいフレーズの方が吸収しやすいのです。僕なんて、初めてカラオケで歌ったのって、この曲ですからね。歌いやすいし、さりげなく応援歌的な側面もあるし、ドラクエだし、最強でしょ。

そんなんで、こんな曲はクソだっ!と「INTRO.Ⅱ」に収録されるまではライブでも歌わなかった兄やん。そんな意固地なところも好きなんだけど、たぶん、未だにこの曲をどう扱っていいものやら戸惑っているのではないかと思うようなアレンジでもあります。もうとことん振り切って「U.S.A.」ばりにダンスミュージックとして昇華しちゃえばいいのにと思うのですが、そこは根が真面目で根暗な兄やんです。享楽的な世界はどうも肌に合わないのでしょう。

この曲に関しては「カガヤキナガラ」のバージョンの方がまだ好きです。今回の方が手が込んでいるのはわかりますけど、どうも小手先感が...。

 

10.JUSTICE

とりあえず16thアルバム「STATEMENT」の行き着く先は、この「JUSTICE」に帰着するようです。'94年に発売されたビデオクリップ集「THE END OF A」で初めてこの楽曲を映像作品として視聴しましたが、まあ、後半のシャウトの部分からのオーケストラを従えた一大シンフォニーは圧巻でした。この曲の醍醐味はそこにこそ凝縮されていたのです。

しかし、今作のアレンジではそこがばっさりカット。その構成の意味は、叫ばなくても歌だけで叫びは伝わるはずという、バックバンドの演奏だけで叫びは表現できるはずという、なんとも奥ゆかしい編曲になっていることです。確かにトラックは凄まじいグルーヴを編み出しています。原曲にはなかったエレキギターがこれでもかとキュインキュイン叫んでいます。

ですが、何度も言うように、僕らはギターの叫びよりは、兄やんの叫びが聴きたいのです。でしょ?兄やんが叫ばないことにはイケないのです。オーガズムに達しないのです。魂が震えないのです。amazonレビューで煮え切らないと指摘される所以もここなのです。頼む、叫んでくれ。

でも、それをやっちゃうと、また頭がプッチーンといってしまうかもしれません。そうしないために編み出したのが、今回の唱法ではないかと。よくよくボーカルを聴くと、とにかく節々にうぉぉりゃぁぁぁ!という叫びが込められているのです。若い頃みたいにやたらめったらシャウトしているわけではなく、「VOCALIST」という季節を越えたからこそ表現できる唱法というものがあるのだと。そんな風にも聞こえるのです。それはそれでスゴイことだと思うのです。スゴイというか、めちゃめちゃスゴイことだと思うのです。ただ、やはり過去というか原曲への思い入れが強いのも仕方がないことでもあります。難しいところです。

 

今年のどこかで「セルフカヴァー・ベストⅡ」が発売されることが既に発表されています。そこに収録されるのが「I LOVE YOU」であることも既に公表されました。幸せ絶頂の時に編み出したこの楽曲が、「カガヤキナガラ」同様、ジャジーでアダルティーな楽曲に生まれ変わっているのではないかと容易に想像ができます。

もし、このセルフカヴァー第2弾の中に未だB面曲としてしか発表されていない「Nostalgia」が新たな姿として収録されていたら、たぶん、僕は何十回目かの兄やんブームの熱を上げるかもしれません。もし、そこに「Positions of life」が収録されていたら、たぶん、そのアルバムは神です。

兄やん、もう一度、神になってくれ!

でも、お身体も大事にしてください。お粗末様です。