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【連続テレビ小説「なつぞら」】第12週 頂きます。

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千遥ちゃん問題から山形沖地震、カチンコ坂場くん、そして雪次郎の乱で終わった今週。まずはなっちゃんの今までの軌跡を見てみたいと思います。

 

【ステージ0】

太平洋戦争の泥沼化により父親が戦地へ。東京大空襲により母親が死去。命からがらで逃げ切れたのは信さんが助けてくれたから。兄妹だけが焼け野原に取り残され孤児となる。

なっちゃんの物語はこの1945年(昭和20年)という、日本の一大転機になる年からスタートします。戦時中の恐怖、戦後の極貧など、非戦争体験世代のさらに下の世代である僕は、本や映画やテレビでしかそれを知ることができませんが、その世界が想像を絶する過酷なものであったことは容易に想像ができます。なので、そんな壮絶な世界を経験した現在の70代から80代の方々が、とにかく元気でたくましくてあっけらかんとしているのは本当にスゴイなぁと思うのです。そして、そんな極限の世界を経験した子供たちを勇気づけたのがアニメーションであり、それが『なつぞら』という物語の一大テーマとなります。このステージ0がなっちゃんのゼロ地点、スタート地点です。

 

【ステージ1】

孤児院から柴田家に引き取られたなっちゃんは北海道へ。ゼロから酪農家へと開拓した泰樹さんと関わることで、働くことの意義、信念を貫き通す強さを教わります。さらに富士子さん、剛男さん、夕見子ちゃんに照男兄ちゃん、明美ちゃんが "家族の尊さ" をなっちゃんに与えます。

まずは「焼け野原」と「北海道の大自然」の対比、このコントラストが『なつぞら -北海道・十勝編-』の最大の魅力だと言えます。東京編に移行してからの違和感は、この『アルプスの少女 ハイジ』でも描かれていた "自然礼賛" 的な側面が消えてしまったことが一つの要因ではないかとも思います。

さらには柴田のおんじ、泰樹さんの存在。一本、筋の通った "サムライ" 的なおんじが、生きる道を見失ったなっちゃんの未来を照らす重要な精神的支柱でした。そして、富士子さん。疑似的であってもなっちゃんに母親という存在ができたことは、空襲で失った(しかも目の当たりにしてしまった)母親の死という傷を癒す、おんじと同等、もしくはそれ以上の存在です。そこに歴代朝ドラヒロインを配していることに、このドラマの思惑が如実に表れています。

ゼロ地点から "大自然"、"家族"、"生きる" ことをなっちゃんは受動的に学び、ワンステージ上に引き上げられたのです。

 

【ステージ2】

自然と共に生きることを選び、絵を描く楽しさ、もしくは絵で表現をすることで魂を解放することを教えてくれた天陽くん。芝居に打ち込み、絵とは違う方法で "魂" の表現方法を教えてくれた雪次郎くん。この2人の青年に、なっちゃんは "表現者" としての生き方を与えられます。

極限の世界を経験した子供たちに夢や希望を与えたアニメーションの物語を描くため、なっちゃんが次に引き上げられたステージが "表現" という課題でした。肉親のいない寂しさ、離れ離れの兄妹、そんな心の痛みや精神的な膿を洗い流す方法が "表現者" になることであり、それは自然と共生するおんじの生き方とは対照的でした。そのジレンマの解消が仲さんの存在であり、東京で好き放題に生きている咲太郎の存在でした。そして、北海道から東京へ移行する橋渡し的な存在になったのが川村屋の天然マダム。ここでも歴代朝ドラヒロインが、なっちゃんのステージアップを見守る存在として登場しているのです。

 

【ステージ3】

アニメーターになるという目標を掲げ上京したなっちゃん。そんななっちゃんの夢を支えるのが、伝説の劇場と呼ばれた「ムーランルージュ新宿座」の人気ダンサーだった亜矢美さん。そして、なっちゃんの夢の前に立ちはだかるのが、先輩アニメーターのマコさんでした。亜矢美さんに背中を後押しされて戦地に赴き、マコさんに出た杭を上からガンガン叩かれ、また亜矢美さんに背中を押されて戦地に赴き、マコさんにまたガンガン叩かれ、亜矢美さんに背中を押され、マコさんに叩かれ...。そうして、なっちゃんはアニメーターになりました。

こうして見てくると、各ステージに歴代朝ドラヒロインが配置されていて、なっちゃんのステージアップの手助けをしています。この構造は、なかなか贅沢でスゴいことだと思います。そして、いろんな物語のピークが目標の達成、ある一定の成功を収める地点になることと同じで、なっちゃんがアニメーターになった時点で、一つのステージが完結しました。

 

ここで原点回帰として出てきたのが千遥ちゃんの挿話です。戦時中、戦後という極限の世界を今一度確認するため、僕らの前に提示されたのは、あまりにも悲しい物語でした。ただ、ドラマのベクトルは「子供たちを勇気づけたアニメーション」という図太いテーマで突き進んでいます。そこに一縷の希望を見出さずにはいられないのです。

さらに重要なのが、ステージを駆け上がってきたなっちゃんが、ここで一旦振り返り、自分がいろんな人たちの手助けの上にいたんだということに気づいたこと。これはめちゃくちゃ重要です。

東京編になってからのなっちゃんはとにかくガムシャラで、ながら食い、出しっ放しと、その北海道編でのお行儀の良さが嘘のような摸倣さが目につきました。それはひとえに、夢に向かって突き進んでいたからと言えそうなのですが、それを別変換すると自己中心的になってしまっていたとも言えます。そんななっちゃんが、下山さんの女の子を助けた挿話に希望を見出し、そして、亜矢美さんの優しさに触れた時、おっきなおにぎりを前に「頂きます」と感謝を表したこと。この「頂きます」というセリフが、とにかく素晴らしすぎます。

今週の山形沖地震の発生で東日本大震災を思い出した人が多かったのではないかと思います。中には阪神・淡路大震災新潟県中越地震長野県北部地震熊本地震北海道胆振東部地震など、挙げていけば枚挙に暇がないほどですが...。思うのは、僕らはたびたび「頂きます」と言える環境を当たり前のことと感じてしまうことです。

3.11の時、コンビニは空っぽになり、ガソリンスタンドには長蛇の列が連なり、電気の無駄遣いは非国民ばりの空気がありました。そんなこともとうに忘れて、やれクリスマスケーキだ、やれ恵方巻きだ、やれインスタ映えだと、僕たちは反省も忘れて、食いきれないから捨てちまえとスマホを片手にヘラヘラ笑いながら生きています。

「頂きます」と言える感謝の気持ちを忘れないため、ある意味、奇跡的なタイミングで山形が揺れ、ドラマではなっちゃんが感謝の念を思い出しました。

ありがとう、なっちゃん

感謝の気持ちを忘れないようにしなきゃ。

(「なつぞら一週間」では、この辺りがバッサリとカットされていました...)