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【連続テレビ小説「なつぞら」】第15週 何だか、ますますワクワクしてきました。

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物語を創作していく過程、イマジネーションを膨らましていく楽しさ、イノベーションを起こしていく情熱、そんな "想像力" や "人間の原動力" みたいなものが描かれていた今週の『なつぞら』。主人公なっちゃんのモデルである奥山玲子さんを始め、カチンコいっきゅうさんが高畑勲監督、今週から登場した神地くんが宮崎駿監督と、日本のアニメ界の重鎮たちが揃いあがったことで、俄然、尋常じゃない盛り上がりを見せ始めてもきています。今回はそれを一つ一つ振り返ってみたいと思います。

 

1.『ヘンゼルとグレーテル

新たな短編映画の原画をマコさんのサポートとして任されることになったなっちゃん。その方向性をどうするか決めかねているうちに千遥ちゃん問題が勃発。一路、突発的な北海道への里帰りとなったわけですが、そこへ夕見子ちゃんまで合流。久々の柴田家勢ぞろいになりました。

もともと勉強家でフェミニズムへの傾向も強かった夕見子ちゃん。床に転がっていたグリム童話に目がいき、なっちゃんに短編映画の原画を任された話を聞くや、すぐさま『ヘンゼルとグレーテル』に着想を得ます。ヘンゼルが家に帰るための道しるべに落としたパン屑が、奥原兄妹にとっては "絵" だった。道しるべであるパン屑を食べてしまった鳥は、さしずめ "時の流れ" で、兄妹は家に帰れずに大人へと成長していく。そんな着想になっちゃんは感銘を受けます。明美ちゃんにはチンプンカンプンだったみたいですけど...。

本当は恐ろしいグリム童話〈2〉 (WANIBUNKO)

本当は恐ろしいグリム童話〈2〉 (WANIBUNKO)

 

もう20年くらい前に出版された桐生操氏のベストセラー本のおかげというか、童話と呼ばれているものたちが、実際は子供向けにリアレンジされたソフトなものになっていて、原作もしくは初版ではかなり残虐な描写や痛烈な社会風刺が盛り込まれていたというのが、昨今では当たり前の認識としてあります。

なつぞら』で語られていた "継母" というのも第4版を出版する際に改編された部分であり、初版では "継母" ではなく "実母" であったことが知られています。そもそもグリム兄弟も、この物語の着想をドイツ・ヘッセン州で伝承されていた民話をベースに拵えたものだったようで、シェイクスピアが史実をもとにして数々の名作や名言を生みだしたように、芥川龍之介が伝承や説法などから数々の名作を編み出したのとなんら変わりません。中には、物語に登場する魔女が継母と同一人物であり、ドストエフスキーと同じように、この物語は "親殺し" を扱っていると解釈する人もいます。

いずれにしても、ドラマの中で『ヘンゼルとグレーテル』が登場した所以は、戦災孤児としての子供時代の投影、兄妹の絆、そして、奥山玲子さんの実際の映像作品が存在していたためと言えます。さらに高畑勲監督の長編アニメ第一作『太陽の王子 ホルスの大冒険』をねじ込んでくるとあっては、喝采を叫ばずにはいられません。

 

2.イデアとメタファー

90歳まで頑張ります!と高らかに宣言した村上春樹氏の最新作『騎士団長殺し』ではないですけど、作中作として創作されていく『ヘンゼルとグレーテル』には、数々のメタファーが盛り込まれ、それがイデアとして表現されています。その全てが初演出として奮闘している坂場イッキュウさんが生み出したものでした。まずは、それを羅列してみたいと思います。

ヘンゼルとグレーテル』の物語 → 奥原兄妹の投影

ヘンゼルとグレーテル → 広い意味での "子どもの戦い"

魔女 → 子供たちの自由や未来を奪う社会の理不尽さ

魔女から逃げる → 逃げても追いかけてくる社会の理不尽

悪魔が飼っているオオカミたち → 戦争や兵器の象徴

森 → 子どもたちが生きる世界、もしくは生活の場

魔女の魔法と木の怪物 → 子どもたちを守る存在

森に降り注ぐ木漏れ日 → 平和

こんな風に坂場イッキュウさんは事あるごとに作中のメタファーを説明し、その内容を確認した五十嵐...、いや、井戸原さんは「社会風刺か?」と一発で見抜きます。それもそのはずで、どう見ても戦争孤児をベースにしているとしか思えない内容であり、それもなっちゃんの原体験から発想されたものなので、それを支持した坂場イッキュウさんが編み出したものがそうなってしまうのは当たり前なのです。

この「アニメ作品にメタファーを注ぎ込む」というのは、今週から登場した神地くんのモデルである宮崎駿監督が得意としていたところです。そのフィルモグラフィーに合わせて、大雑把な作品テーマに隠されているメタファーを羅列してみたいところではありますが、それはまた時間のある時に。

 

3.働くという事

なっちゃんが働いている東洋動画スタジオでは実に様々な人が働いています。

モモッチのいる仕上課の女子たちは男漁りを目的にする子が多く、マコさんは最初なっちゃんもその同類だと思っていました。そんなマコさんは絵描きとしてのプライドが高いチャキチャキな職人肌。その下についている堀内くんは、言われたことは忠実にこなすけど、自分から何かをしようとは決してしない指示待ちくん、だけど文句は言うみたいな。茜ちゃんも堀内くんに近いところはあるけど、さすが女子なだけあって、その当たりはマイルドな感じ。そして、新人だろうがなんだろうが言いたいことはズケズケと言って、良かろうが悪かろうが行動あるのみの神地くん。人は口先だけより、行動を伴った人についていきがちですよね。

そんな人たちを束ねるのが下山さん。中間管理職みたいな立場で、下をまとめなきゃいけないし、上にもお伺いを立てないといけない、なかなか胃が痛くなりそうな立場です。そんな下山さんに「こんなんでどうする!」と激を飛ばすのが井戸田さん、「いいじゃん、面白い試みじゃん」と優しく見守ってくれるのが仲さん。上司として側にいてほしいのは仲さんだけど、井戸田さんのように激を飛ばす人がいないと締まらないのも事実。

見渡すと、僕の働いている職場にもこんな人たちがいっぱいいます。会議やミーティングでいつも発言する人と、いつも黙りこくっている人。自分で考えて仕事を組み立てなさいと教えても、次に何をしたらいいですか?と指示ばかり仰ぐ若い子たち。井戸田さんのような上司は、すぐにパワハラだと騒がれそうだし、仲さんのような上司ばかりになると なあなあ になりやすく、緊張感のかけらもない職場に陥りやすいです。フレンドリーなのはいいことだけど、仕事はフレンドじゃできないのです。友達同士のお金の貸し借りが曖昧になっていくのと同じで、そこに真剣さがなければ利益は生まれません。

ただ、大杉社長のように利益だけに目がいき、その利益の根本に何があるのかを見ずにいると、仕事は機械的になっていきます。映画が大ヒットしたのは作り手の想いが結実し、その宣伝効果も功を奏したからで、作れば売れるという単純なものでもありません。逆にそれでも失敗するケースももちろんあります。

今週の東洋動画スタジオ『ヘンゼルとグレーテル』制作班の動きを見ていると、アイデアがポンポン出てくる会議は実に生き生きとしていますが、そんなアイデアも行き詰まり、なかなか先が見えない状態になると、まあ、みんなダラけてきます。そして、最終的に「これは面白い!やろう!」となった時の一致団結は、たぶん誰にも負けないスーパーサイヤ人状態と言えるでしょう。

そんな姿を見ていると、仕事に必要なのは「"面白い"と思える目標」があるかないかのような気もします。しかも、常に "面白い" と思えるものを周りに見つけられるか。そんな技術というか、思いというか、意識というか、そういうものがあれば毎日が楽しくワクワクしてくるのではないかと。

うん。僕も、なにか "面白い" ものを見つけなきゃ、姐さん...。