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【連続テレビ小説「なつぞら」】第16週 ごちゃごちゃ言うな!

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何やら髭をたくわえたトッチャン坊やの高山昭治くんと、嵐の如く突然、東京に駆け落ちをしてきた夕見子ちゃん。どうやら学生運動の機運に惑わされ、気分の上では自由を求めて、遥々と東京に来たらしい。しかし、芯が一本通っている夕見子ちゃんとは違い、ボンボンの高山くんは、自身のジャズ評論も文筆も東京で認められないとわかるや否や、タイミング良く柴田家へ告げ口をしてしまったなっちゃんを理由にして、ピャッとシッポを巻いて逃げ出そうとする。それを取っ捕まえて「抹殺!」したのが柴田のおんじでした。

僕もジャズはよく聞きます。特にピアノ系のジャズが好きで、レッド・ガーランドとかビル・エヴァンスとか好きですし、ブルーノートピアノ曲を集めたコンピレーション・アルバムとかもよく聴きます。そんなん聴きながら、ワインとか、ウィスキーとか、そんなん飲んでいると「大人やなぁ...」とか「アダルティやなぁ...」とか「オシャレさんやなぁ...」なんて思います。自分でもアホか!って思いますけど、あの雰囲気に勝るものって他にないんですよね。言うなれば "憧れ" なんです。その "憧れ" の世界に簡単に浸ることができる。だから、勘違いしちゃう人が多いのかもしれません。

何が言いたいかっていうと、ジャズを語る人って、ロクな奴がいないんですよね。高飛車というか、頭でっかちというか、斜に構えているというか。もとがオシャレなんで、単にそう見えるだけかもしれないんですけど、それでも「キミたちには、この良さがわからないのかい?」と斜め78度の高みから見下ろされてる感は拭えない。

なんで、柴田のおんじが高山くんを抹殺してくれた時はスカッとしたなぁ。やっぱ、おんじだよね。夕見子ちゃん、もう変な男に惑わされるなよ。

 

高山くんがグレン・ミラーとかベニー・グッドマンを「古い」と一刀両断したように、イッキュウさんは仲さんたちの考え方を「古い」と同じように一刀両断しました。柴田家の酪農、雪月の菓子職人、ムーラン・ルージュに川村屋のカリーライス。なっちゃんの周囲には、古き良きものを大事にしている人たちがいっぱいいます。しかし、時代は移ろい、新しい価値観が物語の中心を侵食し始めてもいます。

マコさんは、今回の『ヘンゼルとグレーテル』の出来に満足してしまいました。自分の限界をそこで感じてしまった。逆にイッキュウさんもなっちゃんも、この作品は通過点でしかなく、もっと良いもの、もっと面白いものが作れると自負しています。マコさんは「古く」なってしまい、なっちゃんたちは「新しい」ものに挑戦していきます。

どちらがいいとか、どちらが悪いとかではなく、僕たちは常に新しいものと古いものをごちゃ混ぜにしながら生きているんじゃないかなと思います。高山くんやイッキュウさんは、そこに何かしらの線引きをしたがりますが、そこに線なんて引く必要はないんじゃないかと。なまじっか線なんて引いてしまうから、芸人さんやロック・ミュージシャンに品行方正を求める、なんかよくわからない議論が出てくるのではないかと。人間なんて、そんなに単一的な生き物じゃないでしょ、と。

なんでしょ、『なつぞら』って、"今" にリンクしやすいドラマのような気がしてなりません。これって、名作ってことなんじゃないのかなぁ...。