that passion once again

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永井真理子「23才」がささやきかける明日への希望が眩しすぎる

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10月1日にライブ会場でのリリースを予定している真理子さんのセルフカバーアルバム第2弾『Brand-New Door Vol.2』。そのアルバムからの先行配信シングルとして「23才」と「ピンクの魚よ」が、9月15日に各音楽配信ストアでデジタルリリースされました。ツイッターで "最高の出来栄え!" とワチャワチャ大いに騒いでいた姐さんですが、そもそも、急転直下で発表されたアルバム告知の動画で、既にその片鱗はお披露目済みでして、もうね、懐かしいーーー!と騒ぐ人もいれば、新しいーーー!と騒ぐ人もいて、この時点で名作誕生のニオイが香しいーーー!って感じからの、真理子&COZZiのバイタリティがあまりにも逞しいーーー!と思ってしまうのですが。

とにかく「23才」です。かの名盤『CATCH BALL』がリリースされた頃、まさか自分の子供たちが23才になる頃まで、ずっとこの曲を聴いているだなんて想像すらできるわけもなく、ただただ、どこかへ向かう途中なのかもわからない、ということだけがわかる状態で走り抜けてきた30年強というのは、みなさんも一緒なのではないかと思うのです。息つく暇もないほどのスピードの中で、あがいて、もがいて、パニくって、それでも前に進まないといけない強迫観念にさらされる。もう、この先、よけいに苦しくなってもいいから、今のこの状態から抜け出したい。そんな藁にもすがるような願い、もしくは自暴自棄に陥りそうな自分を寸でのところで食い止めている正気、そんな痛々しいまでの想いが込められているのが「23才」というナンバーであり、誰もがそれを潜り抜けてきたからこそ、今でも名曲として愛され続けているナンバーなのではないかと。

前回の『Brand-New Door』の楽曲群もそうですが、今ここで真理子さんがセルフカバーをしたというのは、そんな過去の痛切な経験たちを今やっと抱きしめられるようになり、今だからこそ楽しめられるようになったからだと思うわけでして。まだまだ、ここから先も新たな出会いへの期待に胸を膨らまし、例えそれが苦しいことであったとしても、今まで経験してきたことに比べたら屁でもない、そんな逞しさと大きな大きな愛を感じずにはいられないアレンジとボーカルに仕上がっているのが、今回の「23才」セルフカバーのように聴こえて仕方がないのです。