tricotの佳作EP「リピート」から、今さらメジャーデビューをする意味をちょっとだけ考えてみた
去年の5月に5thシングル「potage」をリリース。先行PV公開されていた「ブームに乗って」の路線を踏襲するように、気怠げでありながらチルアウト的でエモな感じの最新tricotスタイルを見せつけ、若い頃のようなガムシャラなロックはもうやりませんよ~だと、イッキュウさんがアッカンベーをしているような、いいじゃんいいじゃん、相変わらずパイセンは変態だし、ヒロヒロのベースはブイブイいうとるし、雄介くんの技巧的な細かなリズムも最高と思っていたのです。
からの、イッキュウさんの課外活動ジェニーハイを経て、なんじゃこりゃ、まんまU2の「Discoteque」のPVか?と思しき「大発明」のPVが公開され、往年のtricot節が炸裂。
今のやるせない自分から脱却するため "幸せを真空パックする大発明" を求めたこの楽曲。パイセンのカッティングに寝そべってベロチューするように雄介くんがスカ的なリズムを刻み、大発明失敗の大爆発がサビで暴発。で、3rd EP「リピート」の発売となったわけです。
なんか、随分と積極的に活動してますなぁと思っていたら、今年の春、いきなりtricotがエイベックス内にプライベートレーベルを設立し、活動9年目にしてメジャーデビューをすることを発表。マジか!令和ブームに乗っかって新時代の到来。まさか絵音くん、イッキュウさんに変なこと吹き込んだわけじゃないよな?
で、ドロップされたのが「BUTTER」のPV。これが今までのtricotを総括するような作品に仕上がっておりまして、はあ、総括かぁ...、と意気消沈してしまったのです。
「爆裂パニエさん」のPVをベースにしている辺り、これでtricotは一周したと言いたいのかもしれないし(それが最新EP「リピート」のタイトルの真意かもしれない)、そこから新たな旅立ちがこの先に待っているのだと思いたいのだけど、いかんせん、アーティストという人たちは過去を振り返り始めるとロクなことになりません。前を向いて先へ先へと進む姿が頼もしいのであって、後ろを見始めたらそこにずっと立ち止まり続けなければいけないのです。その先はないのです。
今年の秋に発表されるニューアルバムがどんな姿になるのかは予想もつかないので、僕の意気消沈が杞憂であればいいのですが、なんか、ちょいとひっかかります。
現実突破を爆音に乗せて突き進んできた3人が、ドラマーの不在で紆余曲折し、最終的に雄介くんと出会い、自由自在にロックでジャジーでメロウな展開を見せた大傑作アルバム「3」。その先に進むのはメジャーという大舞台で戦うこと。今まで裏街道を練り歩いてきた3人が、メインストリートでオラ!オラ!と大股でそこらのへなちょこを蹴散らしていく、そんな未来が待っているのなら大喝采なのですが...。
パイセン、「どこ見てんじゃい、コラぁ!」と冷や水をぶっかけてきてますが、この決意表明が本気ならば、この秋以降、ぬるくなってネチョネチョになった音楽業界にケルヒャーばりの大噴射がtricotから発射されるのかもしれません。それを期待したい。
SEKAI NO OWARIの最新ツアーで明かされた「EYE」と「LIP」の真意
今年の2月末に発売されたアルバムを今さらレビューするのもどうかと思いますが、ただ、セカオワの最新ライブツアー「The Colors」のセットリストや演出を見る限り、これはどうにもこうにも「EYE」というアルバムが今のセカオワの立ち位置を明確に表しているのではないかと思い、ちょいと語ってみようかと思います。
そもそも、僕個人の意見としては「LIP」に詰め込まれた "いい子ちゃん" なセカオワはあまり好きではありません。アルバムが2枚同時に発売され、大方の予想通りに「LIP」がチャート1位を獲得したのも、僕個人の意見としては気に入らないのです。何が気に入らないか?一言で言うなら "世間に迎合した" アルバムだからです。その迎合したアルバムを世間が予想通りに迎え入れた。こんな出来レース、セカオワには求めていないのです。
2月に発売された当時、「EYE」はダークサイド、「LIP」はポップスという括りで紹介されていました。エセジブリの主題歌「RAIN」、オリンピックテーマ曲「サザンカ」、RPGの第二章「Hey Ho」、ある意味でのクリスマスソング「イルミネーション」が収録されているとなれば、世間の人たちはヒット曲の多いポップな「LIP」を選ぶのは当然だと思います。
ライブツアーも「炎と森のカーニバル」から「TOKYO FANTASY」、そして、無謀とも言われた日産スタジアムの「Twilight City」までは良かったのですが、ドームツアー「タルカス」でファンタジーを物語に置き換えた辺りからセカオワのいい子ちゃんぶりが始まり、その余波が「INSOMNIA TRAIN」に続いていきました。ていうか、セカオワの最大の売りは "現実というファンタジー" が売りだったわけで、まんまな "ファンタジー" はただの幻想でしかなく、セカオワである意味がないのです。さらに、そのまんまな "ファンタジー" をまとめた「LIP」も、セカオワが...、というよりもFukaseが歌う意味がないのです。なので、「RAIN」とか「イルミネーション」とか、ホント、好きになれないんですよね。Fukase、いつから猫かぶるようになったんだ?と。
「LIP」に収録されている楽曲群を見ると、ほとんどがNakajin作曲が多く、ポツリとSaoriちゃん作曲が混じってきます。Fukase単独の作曲は「蜜の月」のみです。この辺りも、ゆずに例えるなら、メジャーデビューして1~2年後、急激にスランプに陥った北川を支えるように、岩沢くんの代表曲とも言える「飛べない鳥」や「3カウント」がシングルとして発表され、「アゲイン2」でやっと北川がフッきれたみたいな、そんな印象に似ています。
「LIP」13曲中3曲が天下の小林武史のアレンジ。アルバム全体の約4分の1がコバタケ印というところも、僕の気に入らないところでもあります。そこらのとっちゃん坊やだったミスチルを稀代のカリスマまで研ぎ澄ました手腕は見事でしたが、セカオワで言うと、エキセントリックで繊細なFukaseのキャラを、ただただ、そこらのとっちゃん坊やにしただけです。Fukaseの優男みたいなわざとらしい笑顔は見れたもんじゃありません。まるで『時計じかけのオレンジ』の去勢されたアレックス、そのものです。
その反面、「EYE」の楽曲群を見るとほぼFukaseオンリーになります。Fukaseが抱いている世界観(もしくは人生観)をNakajinとSaoriちゃんが支えている。そんな風に見えます。ていうかさ、それが本来のセカオワだったんじゃない?と言いたいわけです。わかります?だから、最新のアー写はこうなるんです。
Fukaseは尖ってなきゃいけないんです。Fukaseは戦い続けなければいけないのです。Fukaseはエキセントリックでなくてはいけないし、傷つきやすいからこそ相手に攻撃しなければいけないのです。噛みつかなきゃいけないのです。誰かを喰いものにしなきゃいけないのです。
セカオワ、約4年ぶりのオリジナル・アルバムの発売がアナウンスされ、真っ先にキックオフされたのは「スターゲイザー」のPVでした。高揚するメロディーもなければ、不埒な言葉の羅列をただただ語り倒し、欅坂の平手ちゃんがノーヘルでバイクをかっ飛ばす。コンプライアンス?そんなもの知らねえよ。闇営業?上等じゃねえか。世間に唾を吐くそんなPVを真っ先に公開したのが、今のセカオワの全てです。
「LOVE SONG」のPV公開になると、さらにブラック・セカオワが全開になり、「Food」になるともうフルスロットルです。毒も喰らわば皿まで、美味いもマズイも関係ない、目の前にあるものをあるだけ食い散らかしてやるぜ。そんなFukaseの決意表明のようにも見えます。それは北川が「超特急」で開き直った先に「ストーリー」があったように、ミスチル桜井氏が紆余曲折の挙句「youthful days」で暗いトンネルをやっと抜けきったように、この先のセカオワFukaseにも今以上の名曲が誕生する予感を与えてくれるのです。
そんな現在のセカオワを堪能できるのが最新ツアー「The Colors」です。ツアータイトルが発表された時は「イルミネーション」を主軸にしたステージングなのかなぁ?と勘繰ったのですが、まあ、いい子ちゃんは吹っ飛びました。最高です。
で、今月の幕張メッセ2DAYS、チケット余ってまっせぇ!今までのセカオワライブのチケット争奪戦を考えたら、マジでありえない現象が起き始めています。そうかそうか、世間はこういうセカオワを求めてないのね。よぉく、わかった。ていうか、世間はそもそもセカオワに何を求めていたの?ジブリ的なファンタジーだとしたら笑っちゃうよ。Fukaseが語るファンタジーというのは、僕たちが生きているこのとてつもなく醜悪な "現実" のこと。この "現実" を直視するのが「EYE」というアルバムなんです。口先だけの「LIP」に惑わされているようじゃ、世間の喰いものにされて終わってしまいまっせ!喰われるんじゃない。食い散らかしてやるんだ。この際だ、たらふく食い散らかして、全部、腹に収めてやろうぜ。
【連続テレビ小説「なつぞら」】第13週 何をするにも、これぐらいやれ。これぐらい...一生懸命頑張れ!
まさか雪次郎くんに泣かされる日がくるとは思いませんでした...。
駆け足で今週を振り返ってみると、
月曜日:雪次郎、突如、川村屋を辞める!
火曜日:雪次郎、押入に隠れる!
水曜日:とよばあさん、魂の叫び!
木曜日:雪之助さん、静かに親心を語る
金曜日:バタークリームのロールケーキ
土曜日:雪月ver.のロールケーキ
と、こんな感じで雪次郎ウィークだったわけですが、
目覚めてしまった劇世界への憧れと、
菓子職人になるという使命に揺れ動き、
へなちょこなりにもがいている姿に涙、涙、涙でした。
雪次郎、がんばれ!
そして、いつでも帰ってこいと懐の深さを見せた小畑家。
その優しさと雪次郎への想いにまた涙、涙でした。
そんな雪次郎くんの姿を見てふと思ったのは、
昭和33年、1958年、今から60年も前の世界は、
今ほど自由な世界じゃなかったのかなぁ...と。
農家の息子は農家になり、
商家の息子は商家を受け継ぐのが当たり前で、
そこになんの疑問を抱かなかった時代。
ある人はそれを "伝統" と呼ぶし、
ある人はそれを "束縛" と呼び、
ある人はそれを "血筋" と呼びます。
どれが正解でも、どれが不正解でもない。
そんな時代の空気に反旗を翻す決意がいかほどなのか、
自由に生きてきた咲太郎にはわからないだろうなぁ...と。
雪次郎の乱と並行して、なっちゃんの身辺もザワザワでした。
駆け足で振り返ってみると、
月曜日:坂場はやなやつ!やなやつ!やなやつ!
火曜日:はあ...牛若丸と馬の動画が描けないよぉ!
水曜日:うわぁぁぁ!階段から落ちるぅぅぅ!
木曜日:鈍感なっちゃん、馬の動画がひらめく!
金曜日:雪次郎くん、おめでとう!
土曜日:なぬっ、天陽くんが結婚?!モモッチ~!
えっと...。
...。
とりあえず『わんぱく牛若丸』さらっと完成。
ルフィが「うりゃ~!」って叫んで終わり...。
パズーが「いいぞ!いいぞ!」って喜んで終わり...。
マジか...。
常盤御前と牛若丸の刹那系とか、
弁慶と牛若丸の師弟関係とか、
たくましくなっていく牛若丸の成長とか、
ドラマの本筋と並行して描かれるのかと思っていたら、
まあ、びっくりの打ち上げパーティー。
モモッチ、やっぱりセンターか...。
ふむふむ...。
...。
いやいや、そういうことじゃない!
なんなん?
誰がアニメに勇気づけられたの?
大ヒット?
うぉぉぉぉぉ!
しかも、あっという間に一年過ぎたよ!
次回作はポスターだけで終わりだよ。
タイトルもわからないよ。
マコさんは出世したみたいだけど...。
なっちゃんはどっちだったの?
下山班だったん?マコさん班だったん?
そこに葛藤はなかったの?
マコさんイビリはなかったの?
うぉぉぉぉぉ!
マジか...。
電話がつながりました!とか、なんなん...(泣)
おんじ、嬉しそうだし...。
【連続テレビ小説「なつぞら」】第12週 頂きます。
千遥ちゃん問題から山形沖地震、カチンコ坂場くん、そして雪次郎の乱で終わった今週。まずはなっちゃんの今までの軌跡を見てみたいと思います。
【ステージ0】
太平洋戦争の泥沼化により父親が戦地へ。東京大空襲により母親が死去。命からがらで逃げ切れたのは信さんが助けてくれたから。兄妹だけが焼け野原に取り残され孤児となる。
なっちゃんの物語はこの1945年(昭和20年)という、日本の一大転機になる年からスタートします。戦時中の恐怖、戦後の極貧など、非戦争体験世代のさらに下の世代である僕は、本や映画やテレビでしかそれを知ることができませんが、その世界が想像を絶する過酷なものであったことは容易に想像ができます。なので、そんな壮絶な世界を経験した現在の70代から80代の方々が、とにかく元気でたくましくてあっけらかんとしているのは本当にスゴイなぁと思うのです。そして、そんな極限の世界を経験した子供たちを勇気づけたのがアニメーションであり、それが『なつぞら』という物語の一大テーマとなります。このステージ0がなっちゃんのゼロ地点、スタート地点です。
【ステージ1】
孤児院から柴田家に引き取られたなっちゃんは北海道へ。ゼロから酪農家へと開拓した泰樹さんと関わることで、働くことの意義、信念を貫き通す強さを教わります。さらに富士子さん、剛男さん、夕見子ちゃんに照男兄ちゃん、明美ちゃんが "家族の尊さ" をなっちゃんに与えます。
まずは「焼け野原」と「北海道の大自然」の対比、このコントラストが『なつぞら -北海道・十勝編-』の最大の魅力だと言えます。東京編に移行してからの違和感は、この『アルプスの少女 ハイジ』でも描かれていた "自然礼賛" 的な側面が消えてしまったことが一つの要因ではないかとも思います。
さらには柴田のおんじ、泰樹さんの存在。一本、筋の通った "サムライ" 的なおんじが、生きる道を見失ったなっちゃんの未来を照らす重要な精神的支柱でした。そして、富士子さん。疑似的であってもなっちゃんに母親という存在ができたことは、空襲で失った(しかも目の当たりにしてしまった)母親の死という傷を癒す、おんじと同等、もしくはそれ以上の存在です。そこに歴代朝ドラヒロインを配していることに、このドラマの思惑が如実に表れています。
ゼロ地点から "大自然"、"家族"、"生きる" ことをなっちゃんは受動的に学び、ワンステージ上に引き上げられたのです。
【ステージ2】
自然と共に生きることを選び、絵を描く楽しさ、もしくは絵で表現をすることで魂を解放することを教えてくれた天陽くん。芝居に打ち込み、絵とは違う方法で "魂" の表現方法を教えてくれた雪次郎くん。この2人の青年に、なっちゃんは "表現者" としての生き方を与えられます。
極限の世界を経験した子供たちに夢や希望を与えたアニメーションの物語を描くため、なっちゃんが次に引き上げられたステージが "表現" という課題でした。肉親のいない寂しさ、離れ離れの兄妹、そんな心の痛みや精神的な膿を洗い流す方法が "表現者" になることであり、それは自然と共生するおんじの生き方とは対照的でした。そのジレンマの解消が仲さんの存在であり、東京で好き放題に生きている咲太郎の存在でした。そして、北海道から東京へ移行する橋渡し的な存在になったのが川村屋の天然マダム。ここでも歴代朝ドラヒロインが、なっちゃんのステージアップを見守る存在として登場しているのです。
【ステージ3】
アニメーターになるという目標を掲げ上京したなっちゃん。そんななっちゃんの夢を支えるのが、伝説の劇場と呼ばれた「ムーランルージュ新宿座」の人気ダンサーだった亜矢美さん。そして、なっちゃんの夢の前に立ちはだかるのが、先輩アニメーターのマコさんでした。亜矢美さんに背中を後押しされて戦地に赴き、マコさんに出た杭を上からガンガン叩かれ、また亜矢美さんに背中を押されて戦地に赴き、マコさんにまたガンガン叩かれ、亜矢美さんに背中を押され、マコさんに叩かれ...。そうして、なっちゃんはアニメーターになりました。
こうして見てくると、各ステージに歴代朝ドラヒロインが配置されていて、なっちゃんのステージアップの手助けをしています。この構造は、なかなか贅沢でスゴいことだと思います。そして、いろんな物語のピークが目標の達成、ある一定の成功を収める地点になることと同じで、なっちゃんがアニメーターになった時点で、一つのステージが完結しました。
ここで原点回帰として出てきたのが千遥ちゃんの挿話です。戦時中、戦後という極限の世界を今一度確認するため、僕らの前に提示されたのは、あまりにも悲しい物語でした。ただ、ドラマのベクトルは「子供たちを勇気づけたアニメーション」という図太いテーマで突き進んでいます。そこに一縷の希望を見出さずにはいられないのです。
さらに重要なのが、ステージを駆け上がってきたなっちゃんが、ここで一旦振り返り、自分がいろんな人たちの手助けの上にいたんだということに気づいたこと。これはめちゃくちゃ重要です。
東京編になってからのなっちゃんはとにかくガムシャラで、ながら食い、出しっ放しと、その北海道編でのお行儀の良さが嘘のような摸倣さが目につきました。それはひとえに、夢に向かって突き進んでいたからと言えそうなのですが、それを別変換すると自己中心的になってしまっていたとも言えます。そんななっちゃんが、下山さんの女の子を助けた挿話に希望を見出し、そして、亜矢美さんの優しさに触れた時、おっきなおにぎりを前に「頂きます」と感謝を表したこと。この「頂きます」というセリフが、とにかく素晴らしすぎます。
今週の山形沖地震の発生で東日本大震災を思い出した人が多かったのではないかと思います。中には阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、長野県北部地震、熊本地震、北海道胆振東部地震など、挙げていけば枚挙に暇がないほどですが...。思うのは、僕らはたびたび「頂きます」と言える環境を当たり前のことと感じてしまうことです。
3.11の時、コンビニは空っぽになり、ガソリンスタンドには長蛇の列が連なり、電気の無駄遣いは非国民ばりの空気がありました。そんなこともとうに忘れて、やれクリスマスケーキだ、やれ恵方巻きだ、やれインスタ映えだと、僕たちは反省も忘れて、食いきれないから捨てちまえとスマホを片手にヘラヘラ笑いながら生きています。
「頂きます」と言える感謝の気持ちを忘れないため、ある意味、奇跡的なタイミングで山形が揺れ、ドラマではなっちゃんが感謝の念を思い出しました。
ありがとう、なっちゃん!
感謝の気持ちを忘れないようにしなきゃ。
(「なつぞら一週間」では、この辺りがバッサリとカットされていました...)
【連続テレビ小説「なつぞら」】第11週 私は鉛筆を手に、まだ何もない世界を耕しています。
とうとうアニメーターになったなっちゃん。
おめでとう、やったね!
そして、とうとう千遥ちゃんとの再会?
んん...、なんか一波乱ありそうですよ。
僕的には、今週、ハッとさせられたのが、
『人形の家』の蘭子さんに開眼させられた雪次郎くん。
そのセリフが以下。
咲太郎「長い間、女は家の中に閉じ込められてきた。それを解き放とうという運動なんだよ、この芝居は」
雪次郎「運動なんかじゃないです」
咲太郎「えっ?」
雪次郎「芝居は運動なんかじゃないです。演劇や文学の目的は問題の解決にあるんじゃないとイプセンは言っています。その目的は人間の描写です。人間を描き出すことです。イプセンは詩人や哲学者として、それを描いたんです。そして、それを見た観客も詩的や哲学的になることなんですよね」
おおっ!!!!!
雪次郎くん、すげぇ。
夕見子ちゃんが聞いたら、なんて言うだろうね。
週の初めには、熟練したトレース職人でも、
微かに線がズレることがあると富公...、
いや、富子さんも説明していましたが、
その微かな線のズレが動画に命を与えると言っていました。
人間を描く。
命を与える。
CGが当たり前になり、
人間らしい温かみが消えつつある昨今。
精度とかリアルさを追求するあまり、
ミクロとかマクロ単位の技術は向上しても、
心の琴線に触れることは少なくなりました。
それはやっぱり人間が描かれていないから。
そんな風に感じてしまいます。
そういう意味では、
このドラマはアニメ創成期を描きながら、
ルネサンスや人間賛歌をテーマにした
やはりすごいドラマなのかもしれません。
しかし、チビなっちゃん...、
ギガ姫になって高笑い...。
なんか淋しい...。
【連続テレビ小説「なつぞら」】第10週 今は振り返りません。私はここで生きていきます。
日本中が「天陽くん!天陽くん!」と沸きに沸いた週末。やっぱ、北海道の人たちが出てくるとテンション上がるよね。今まで頑なに "馬" だけを描いてきた天陽くんが世間に認められ、なんとなく馬以外のものを描きたくなった彼が心のままに決めたテーマがなっちゃん。
マジか...。
ちょっとマジメに考えてしまうのですが、天陽くんが絵のテーマに "なっちゃん" を選んだということは、自分の中にある "イノセント" を暴き出そうと、純真無垢な部分を吐き出そうとしていたのではないかと、そう感じてしまうわけです。
捨てきれない想い。
恋焦がれる心。
つながりたい欲望。
そんな思春期の誰もが抱える感情をキャンバスにぶつけ、自分の中の "イノセント" を思いの丈いっぱいで吐き出したのではないかと。物語的には『白蛇姫』の主人公である白娘(パイニャン)の悲恋とシンクロさせることで、より奥行きのある構成になっているところも見逃せません。
しかし、天陽くんは気づきます。
違う。
ここから踏み出さなきゃいけない。
ここに留まっていてはいけない。
そもそも留まることができない。
実らせることができない...。
その一大決心が "イノセント" を真っ赤な絵の具で塗り潰すという行為。自分の中の "イノセント" を掻き切るという行為。それが "大人" になるという行為なのではないかと。その姿にめちゃめちゃ心が揺さぶられたのです。
その一方で "ラブレター熊" とか訳のわかんないプロポーズで、あっさり砂良さんと結ばれた照男兄ちゃん。いやぁ...、弥市郎さん、いいの?やっぱ撃ち殺しとくべきだったんじゃない?(笑)なにはともあれ、照男兄ちゃん、おめでとう!これで砂良さんも柴田家の人間かぁ...。おんじは砂良さんをどう迎え入れるんだろう?
仲ちゃん推しで次々とチャンスが巡ってくるなっちゃん。しかし、ことごとくそのチャンスをつかめない。それでも仲ちゃん推しは止まらない。
脚本の大森寿美男先生は、なっちゃんは受動的なキャラクターだと宣言しています。仲ちゃんに才能があると言われその気になり、着るモノは亜矢美さんの趣味に染まり、洞察力の鋭いマコさんには「あんた、田舎者であることを自慢してるでしょ?」とガサツなところを一刀両断されました。
オムレツを食べれば口にケチャップをつけ、試験が合格すれば下宿の2階の部屋で足をバタバタさせ、ながら食いでひたすら絵を描き続け、食べたものは片づけない。夕見子ちゃんの存在も、おんじの存在も大きかったのですが、北海道でのなっちゃんは、もう少しお行儀がよかったような気もします。それがフーテン咲太郎のそばに来た途端、かつての妹に戻ったというか、東京の忙しなさに染まったというか、ある意味ではそこが受動的なのかもしれません。
人間というのは不思議なもので、環境に慣れてしまう生き物です。大地震が起きて、発電所が壊れ、思うように電気が使えなくて、計画停電で不便な思いをしてから8年以上も経つと、今では電気なしでは使えないスマホだSNSが世間に溢れかえっています。その有難みがすっかり鳴りを潜め、もはやクラウドとかネットというのは空気と同じぐらいの感覚でいます。キャッシュレスとか通販とか、とにかく当たり前のものとして存在しています。しかし、これは幻影です。次にまた何かしらの天変地異が起こり、電気が使えない、充電ができない、サーバーそのものがダウンしてしまうなど予測不能の事態が起きた時、僕のこんな駄文はもちろん、膨大な写真や動画は瞬く間に消えてしまいます。人の世とは儚いものです。
まあ、そんな起こるか起こらないかわからないものを考えても仕方がありませんが、とにかくマコさんのような自分の意思を貫く人間よりも、なっちゃんのような周りの環境に受動的な人の方が圧倒的に多いと思うのです。
元警察官の川島...、いや下山さんが語っていたように「アニメーション」という単語はラテン語の "魂" を意味するanima(アニマ)が語源になっています。命のない動かないもの、存在のないものに "魂" を吹き込む。それがなっちゃんの "挑戦" です。ネットやAIでも、そこに "魂" のあるものは人の心を動かします。絵画も彫刻も音楽も演劇も、全て無から生まれ、人の "魂" を震わせています。僕たちは、その感動を糧にして、今日を生きています。明日に思いを馳せます。何かを踏み出す一歩の勇気をもらいます。
フーテン咲太郎が持ち込んできた次の公演は『人形の家』だそうです。なっちゃんは「そんなにちっちゃいの?」と天然マダムみたいなことを言ってましたが、いやいや、雪次郎くんが飛び跳ねて喜んでいたように、フェミニズム運動の象徴のような作品を嬉々として語るあたり、さすが夕見子ちゃん好き好き雪次郎くんなところがあります。咲太郎的には、あの松井須磨子嬢のようなスターを輩出するぞ!ぐらいの気概しか持ち合わせていないかもしれませんが、そんなサイドストーリーにも製作者たちのこだわりを感じます。
女性解放運動、さらには美術大学も出ていない、絵の勉強も独学、そんななっちゃんが社会的な地位を確立していく。その姿には階級や年齢・性別などの自由を謳う物語として、封建的な社会から民主的な社会への動向も盛り込まれています。ただ、その象徴である亜矢美さんが視聴者にそんなに受け入れられず、逆に封建的なおんじが視聴者の絶大な支持を得ているのは、なんだかんだ言って、日本もまだまだ封建的な考え方から逸脱できていないのではないかとも思ってしまいます。
働き方改革で、とかく "こなすこと" に視点が集中しがちですが、合理的な生産性を語る前に、まずそれが "楽しい" ことなのかどうかが問題なのではないかと思います。もちろん、みんながみんな楽しく生きていければ、そんなに素晴らしい世界は他にないと思いますが...。労働者解放運動でみんな5時以降は自由に生きていいぞ!と言われると何をしたらいいかわからず途方に暮れてしまい、逆に封建的に上司や社長から、お前ら徹夜してでもこれだけやるんだ!やれ!やれ!と叱咤激励された方が働きやすいこともあるのではないかと。違いは、そこに "楽しさ" があるかないか。5時以降に何か "楽しい" ことがあれば、それはとても自由なことだし、愛のある尊敬すべき上司や社長の命令ならば、それに従い結果を出すことも、また "楽しい" ことなのです。
試験は不合格。
絵も下手。
基礎も知らない。
そんななっちゃんですが、実に "楽しく" 生きています。
僕たちもそれに便乗しちゃいましょう。
がんばろう、なっちゃん!
【連続テレビ小説「なつぞら」】第9週 人目に触れない人たちの活躍で物事の大半は作られてるんだ。
現在、『なつぞら』が舞台にしているのは昭和31年、1956年です。
ちょっと簡単な年表にしてみます。
1937年(昭和12年)奥原なつが東京に生まれる
1940年(昭和15年)11月、映画『ファンタジア』がアメリカで公開される
1941年(昭和16年)12月8日、英米に対して日本が宣戦布告、太平洋戦争開戦
1942年(昭和17年)4月18日、ドーリットル空襲
1945年(昭和20年)3月10日、東京大空襲
1945年(昭和20年)8月6日、広島に原子爆弾が投下される
1945年(昭和20年)8月9日、長崎に原子爆弾が投下される
1945年(昭和20年)8月15日、玉音放送
1946年(昭和21年)5月、奥原なつが北海道・十勝の柴田牧場に引き取られる
1949年(昭和24年)10月1日、中華人民共和国が建国される
1950年(昭和25年)6月25日、朝鮮戦争勃発、朝鮮特需
1951年(昭和26年)9月8日、サンフランシスコ和平条約が締結される
1954年(昭和29年)12月~、神武景気、高度経済成長の始まり
1956年(昭和31年)4月、奥原なつが上京する
こんな感じでフィクションとノンフィクションが織り交ざってはいますが、戦前に生まれ、先の大戦を経験し、戦後の好景気を迎える東京で、なっちゃんは社会人としての一歩を踏み出そうとしています。大きな括りで見ると軍人支配が大破し、混沌とした牧歌的な時代が終焉を迎え、いよいよ民主主義国家として日本が経済大国へ向かって動き出す。誰もが夢を見て、誰もが自由になろうとし、誰もが幸せをつかもうとしていた時代。その帝都のど真ん中で生きてきた咲太郎は「自分を生かす仕事を見つけた者は幸せだ」とドヤ顔で語っていました。
最近、ちょっと太平洋戦争絡みの本を読み漁っていたせいで、頭がそっちに行ってしまっているのですが、ドラマ『なつぞら』には "戦災孤児" という重要なテーマがあります。東洋動画(現:東映)という今でいう大企業の面接で "戦災孤児" や "プロレタリア演劇" "愚連隊" など左翼的な因子を忌み嫌う「アータ、アータ」言うてる大杉社長が描かれていましたが、こういう偏見は昭和中期も令和になった現代でも、あまり差はないような気がします。却って、現代の方が酷いのかもしれません。
ただ、咲太郎の部屋を見ると『椿姫』や『バーレスクショウ』のポスターが貼ってあったりするので、大杉社長が偏見を抱いても仕方がないところもあるかもしれません。いや、伸さんが言うように「そんなに深くは考えていない」みたいなので、もう単純にべっぴんさんが気に入ってポスターを貼っただけみたいな短絡的なところが真実のような気もします。それが誤解を生んでいる。そうなんです、今週(先週も)はそんな咲太郎の短絡的で身勝手な行動がいろんな誤解を生んでいて、朝から「咲太郎、てめぇこの野郎!」みたいな気分に陥りやすかったのです。まあ、無事に合格したので、終わり良ければ全て良しみたいなところはありますが...、おんじがそばに居たら天丼ごときではごまかされないぜよ、咲太郎。フーテンは寅さんだけで充分じゃわい。
なっちゃんが目指す未来には、戦災孤児で行き場のなかった自分を救い出してくれた柴田家のように、子供たちに夢や希望を与えるアニメーションを作るという "挑戦" が待っています。先の大戦で悲劇に見舞われた子供たちに限らず、世の中には声なき弱者が大勢います。そんな弱き人たちへの何かしらの力になれるよう、なっちゃんの修行がこれから始まります。がんばれ、なっちゃん。負けるな、なっちゃん!
【コンフィデンスマンJP】地面師ってなんなんだ?(不動産売買の詐欺師のことらしい...)
あの『コンフィデンスマンJP』が1年ぶりにスケールアップして帰ってきました!先週末に放送されたスペシャル・ドラマ『運勢編』は、只今、絶賛劇場公開されている映画『コンフィデンスマンJP -ロマンス編-』(先週の映画ランキングではピカチューを押さえて堂々の1位だよ!長澤ちゃんは『キングダム』と合わせてワン・スリー・フィニッシュ!ピカチュー挟んじゃったよ!)の後日譚らしいのですが、そんなことはお構いなしです。モナコ?師匠?なんだ、チミは?ぐらいです。
オマージュ大使の田中亮監督らしく、とにかく小ネタが散りばめられていた『運勢編』。その中でも伊丹十三監督の『タンポポ』をまんまパクっているのは、いったいどういう意図なんでしょう。
売れないラーメン屋、未亡人の店主、ここかしこで登場するウエスタン衣装。連ドラの第1話『ゴッドファーザー編』でも「国税局しゃしゃつゅぶ!」とオマージュなのか単におちょくってるのかわからないぐらいに伊丹十三監督に敬意を示していましたが、今作の『運勢編』ではまんまです。彼こそがエンターテイメントの原点だ!と言いたいかのように、とにかく伊丹作品をこよなく愛しているようです。次作があるとしたら、まずお葬式のシーンが追加されるのではないでしょうか。
その他、オマージュされていた映像作品は、
『君の名は。』
『七つの会議』と『下町ロケット』
『ひとつ屋根の下』
『ソムリエ』
『ラ・ラ・ランド』
『アントキノイノチ』
『マーヴェリック』など。
古沢脚本の『コンフィデンスマンJP』だからこそ許されるこの小ネタの嵐が作品鑑賞の醍醐味です。さらにはZOZOの前澤友作氏、サンシャイン池崎、涼宮ハルヒ、ムツゴロウ、島田秀平、黒柳徹子、陳健一氏、"三つ柏"の三菱財閥の岩崎弥太郎氏、アントニオ猪木とスタン・ハンセン、伊吹五郎、最後は西野七瀬ちゃん。もう、どんだけ!このやりたい放題さがたまらないじゃないですか。
さらにお決まりのちょい出し小道具も満載です!
◆高橋清志の選挙事務所にウナギのカレー煮のダンボール
◆隕石が落ちた鎌倉の屋敷は与論要造が住んでいた屋敷(大破しちゃったけど!)
◆ボクちゃんがカフェで眺めている求人雑誌に「モスモス、桜田リゾート、はにわ運送」の求人広告が掲載されている(モスモスの正社員になると寮賃・水道光熱費が無料になり、月々13,000円もの食事券が支給され、3年間勤務すると184万円も貰えるらしい!すげぇ!ちなみに桜田リゾートは月給28万円からスタートです)
◆第6話『古代遺跡編』でダー子がポシェット代わりにしていた土偶をモナコが持っている
◆遺品整理「おもかげ」の事務所にウナギのカレー煮のダンボール
◆「みなと食堂」のカウンターにウナギのカレー煮
◆古書回収の家のテーブルに赤星栄介『信頼の人生』、美濃部ミカ『MIKA STYLE』の著書が積まれている
◆三島由紀夫『潮騒』の初版と共に斑井パパの『幻を求めて』全巻が積まれている
◆「みなと食堂」の奥の和室にウナギのカレー煮のダンボール
◆古美術商のディスプレイに"なんちゃってオジサンの埴輪"
◆喫茶「銀座」に伊吹五郎製作総指揮・主演の『用心棒大集合』のポスター
てな感じで、まあ、あちこちにウナギのカレー煮のダンボールが転がっています。やっぱり人気商品は違いますね。庶民の味方です。
さらに気になるのが「ザ・オサカナ ベストテン」!
その内容は以下!
1位 阿久津晃/投資家 8643票
2位 三木長一郎/弁護士 6741票
3位 さくらんぼ/歌手 6186票
4位 赤星栄介♥/赤星財団 5929票
5位 ジェリンスキ翔/地面師 5610票
6位 磐梯実/映画監督 4801票
7位 高橋清志/政治家 4232票
8位 松崎美津留/ZAWAZAWA 4061票
9位 スミス夫人/資産家 3939票
10位 ホー・ナムシェン/プロモーター 3370票
お~~~い!!!!!! 三木先生が狙われてるぞっ!しかも2位だぞ!てことは、次作は『リーガル・ハイ』と『コンフィデンスマンJP』のクロスオーバーが実現するってことか!やばい、観たい!どんだけ豪華なんだ!蘭丸は無理だけどね...。
3位の"さくらんぼ"は大〇愛さんのことか?4位にまたまた赤星栄介先生が狙われているけど、名前の最後にハートマークがついているのはどういうこと?エースケなんていう子犬ちゃんまで出てきてるけど、いったい映画ではどうなっているんだ?気になる...。5位の"地面師"って、なに?"地面師"?なに?ぜんぜん想像がつかない。"地面師"?(調べてみたら不動産売買の詐欺師のことらしい...。最近では積水ハウスが63億円も騙し取られたニュースが大きく取り上げられていたけど...。ダメだなぁ、やっぱ新聞は読まないといかんなぁ...)
さて、肝心の物語ですが...。ここからはネタバレ上等で語っていくので、まだ未見の方はスルーしてください。とりあえず、初見はネタバレなしで楽しむのが、このドラマへの礼儀ですので、思う存分に騙されて欲しいと思います。
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さて、肝心の物語ですが、一見つながりのないエピソードが最後にひとまとめになるという構成が最高です。こういうツイストのある構成って好きですわ。宮部みゆきの『スナーク狩り』みたいな。
未亡人食堂詐欺をやってる韮山波子を使って餌を作り、腐れ縁の渡辺若葉を使ってその餌を阿久津晃の元に持ち込ませる。阿久津にはポーカーでわざと大勝ちさせ財布のひもを緩め食い付かせる。しかも、いい手を配ってあげて今日はついてると思い込ませた。
連ドラでは詐欺の対象が一人だったのに対して、さすがスペシャル・ドラマです。一気に三人です。3vs3です。スリー・オン・スリーです。その分、各キャラクターがあまり深掘りされていなかったのが唯一、残念なところでした。映画『エイプリルフールズ』のように、物語の構成に重きを置いてしまうと、どうも人物造形が上澄みだけになってしまうようです。その辺『ファイナル・ファンタジー』みたいですね。システムに重きを置いてしまうと物語が希薄になり、物語に重きを置くとシステムが希薄になってしまうみたいな。
なので『運勢編』は物語の構成を楽しむドラマです。ただ、例えばアガサ・クリスティの『アクロイド殺し』、筒井康隆の『ロートレック荘事件』、東野圭吾の『容疑者Xの献身』のように、肝心なところをわざと伏せているのがフェアかどうかという議論も出てきそうです。僕自身はぜんぜんありなので十分に楽しめますが、こんなのフェアじゃない!わかるわけがない!と怒り出す人も中にはいるかもしれません。
サブタイトルが"運勢"ということで、物語のテーマは人間の運、フォーチュンとかラックについて語られていました。その結論はダー子が語っていたように「大切なものや失ったものに執着し、ただただ幸運が舞い込むのを願う、それが人間」ということに集約されます。何かを失ったり何かが大切だったりということが取り立ててない僕には、その"執着"という信念じみたものにあまり共感ができないのですが、ただ、わらしべ長者のように、そんなに努力もせず幸運に巡り合うことができるなら、それに越したことはありません。ただ、そんな風に考えていると「占いだの、おみくじだの、そんなもん信じて右往左往しているゴミみてぇな連中」と阿久津に悪態をつかれそうです。「冗談じゃねぇや。てめぇがやるべきことやってねぇだけなんだよ」と。はい、すいません。ぐうの音も出ないです(だけど、そんなことを語れる阿久津がちょっとカッコいいなぁとも思ってしまう)。
ドラマの冒頭で、古代ローマの政治家であり哲学者でもあるキケロの名言『人生を支配するのは運であり、英知にあらざるなり』が引用されていましたが、けっこうな偉人たちが "人生は運である" と語っています。シェイクスピアもナポレオンもアインシュタインも、偉人という偉人が "自分はただ運がよかった" と語っています。それは阿久津が言うように "やるべきことをやった" 人たちにもたらされたものであり、決して、棚からぼた餅的なものではない。やるべきことをやって、その上で最後の最後に神頼み。そんな男になりたいなぁ。できますか?夏休みの宿題を8月31日の夜にまとめてやってるような人間に?ああ...、パワースポット行こっ。
永井真理子、復活第二弾EP『W』がiTunesトップアルバムの32位に初登場!
もう聴きました?もう泣きました?もうハジけました?やばいっしょ。復活EP『Life is beautiful』から2年。助走期間を終え、完全にピッチに復活。背番号「W」、ミッドフィルダー:永井真理子、待望のボランチ復活で最高のゲームメーカーの登場です!
それにしても嬉しすぎます。もちろん『Life is beatiful』の時も泣けてしょうがなかったんですけど、今作の "20時の流星群" はそれを遥かに上回ります。この抒情的なセンチメンタルさは、かの名曲 "Keep On "Keeping On"" に匹敵。影踏みの子供達にかつての純真さや無邪気さを重ね合わせ涙していた僕たちは、今、夜空を見上げ、つながっている幸せを感じているのです。
広大な夜空に身を任せていれば、全身を支配していた慢心がなんてちっぽけなもので、そんなちっぽけなものに振り回される必要なんて何一つない、このひとりじゃないという暖かな気持ちを包み込んで明日を迎えよう、そんな心の救済の歌。ヤバすぎます。ダウンロードしてから泣き続けてます。
さらに、この変わらない暖かなボーカル。よくよく聴いてみてください。30年近く前に「ず~~~っと、ずぅぅぅっと、ねぇ~」って歌っていた時と変わらないんですよ。30年前ですよ。しかも、10年近く歌ってなかったんですよ。こんなことって、あります?
現役を引退して、地元の少年サッカーで細々とコーチをしていた人が、10年経ったし子供も手を離れたし、そろそろセカンドライフで若い頃みたいに走り回ってみるか!と、いきなりピッチに現役復活したら、まあ、縦横無尽に走り回って、いきなりオーバーヘッドでゴール決めました!ぐらいスゴイことですよ。でもって、そんな変わらない歌声が心の救済を叫んだら、もう泣くしかないっしょ!
この曲は、今、この2019年という今、この時にしか歌うことができない永井真理子というアーティストの何度目かのピークを記録した名曲です。そんな名曲がSNSの告知だけでiTunesの32位に浮上したこと、決してアンダーグラウンドに埋もれるわけではなく、こうして音楽市場の上でも戦えていること、そんな事実が嬉しくて仕方ないです。
もちろん他の3曲もサイコーです。語りたいことは山ほどあります。でも、それは7月13日までとっておきます。『Sunny Side up』から13年。新たな名盤の誕生を今から心待ちにしています。
【連続テレビ小説「なつぞら」】第8週 あいつはここで生きる決心をしたんだ。
北海道が恋しいですのぉ~。