that passion once again

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勝手に永井真理子論2

最近、巷では"フェーズ"という言葉がよく使われていますが、それをナガマリに当てはめてみますと、第1フェーズが1987~1992、第2フェーズが1993~1995、第3フェーズが1998~2002、第4フェーズが2003~2007、そして、今が第5フェーズの2017~の現在進行形になるのではないかと。

アーティストと呼ばれる方達は、それこそ階段を上っていくように、各フェーズごとで音楽スタイルであったりアティチュードであったりを変化させていくもので、時代や文化など、その時その時の世間の空気みたいなものにヴィヴィッドに呼応していくものだと思います。

昭和から平成へと移り変わりはしたものの、作品は作家さんが作るものという概念が、まだまだ通念として存在していた第1フェーズは、亜伊林さんや前田先生など名だたる作家さんの手による名曲が数多く制作された時代。その概念が崩れ去り、デジタル化による録音技術の向上、Jリーグ開幕や阪神・淡路大震災など新時代突入を肌で感じていた第2フェーズは、自分らしさの表現をとことん追求した時代。インターネットの普及、グローバリゼーションの活性化など、世界規模でのイノベーションが巻き起こった第3フェーズに至ると、若年層への世代交代に伴う、百花繚乱の混沌としたジャンルレスへと突き進みます。京都議定書に代表されるエコロジー(環境問題)への意識の高まり、そして、コンプライアンスマニフェストなどTPO的な本音と建前が当たり前になってきた第4フェーズになると、その閉塞感から距離を置くように制作拠点を海外へと移してしまう。永井真理子というアーティストの20年間を手荒く総括すると、常々、時代にリンクしてはいながら、その翼は徐々にもがれていき、結果的に時代の荒波に飲み込まれ、深い海の底へと静かに沈んでいってしまったのです。

2011年3月11日 金曜日 14時46分。日本観測史上最大のマグニチュード9.0。未曽有の自然災害が東日本を襲い、多くの尊い命が奪われ、40万世帯以上の家(この数は山形県富山県の全土、もしくは世田谷区だけの全世帯数に匹敵する)が津波に奪われ、多くの故郷が失われてしまいました。その時、遠くオーストラリアの地から、少しでも何かできないかと、ブログのコメント欄を連絡伝達に使ってくださいと呼びかけをしたのが真理子さんでした。安否の確認が取れたというコメントもある中、多くのファンの方たちが求めていたのは「永井真理子の歌」。しかし、その願いが届くには、あまりにも海は深すぎていて、手を伸ばしても一向に光には届かなかったのです。

時は移り変わり、2022年8月7日 日曜日。KT Zepp Yokohamaにて、第1フェーズのピークであった『1992 Live in Yokohama Stadium』の再現ライブが開催されます。今までもデビュー月である7月や8月にはスペシャルライブが開催されていましたが、今年の「Re☆Birth of 1992」は単なるデビュー35周年記念以上の意味合いがあります。それはライブ・タイトルにもあるように "1992年を復活させる" ということ。なので、Team Mのハナクソみたいな自分がですね、第5フェーズにあたる、その開催までの軌跡とやらを、ここで1年ごとに振り返ってみましょうかと。そして、さらに続いていく第5フェーズを、よりたくさんの方と楽しんでいきましょうかと。では、姐さん、いってみましょうか。

1.2017年 ~Dawn for the New World of Mariko Nagai~

数年前に姐さんがオーストラリアから日本に帰ってきたという情報はあったのですが、その後、目立った活動もなく、ブログの更新頻度も寂しくなり...。そんなこんなで30周年を迎えようとしていた2017年の4月。こそっと姐さん、ツイッターとインスタをスタート。こそっと姐さん、ホームページをリニューアル工事。あの頃のナガマリ界隈では、なんだろう、姐さんが妙にゴソゴソし始めてる...ぐらいの感覚でした。

そして、迎えた6月24日。公式ホームページのリニューアルオープンと同時に発表されたのが、永井真理子の復活でした。20周年記念ベストアルバム『my foot steps -20th anniversary memorial collection-』から、実に10年ぶりの新曲が配信限定で発売されること、さらに10月にはアコースティックライブが開催されること、新たな旅立ちと共にシンボルマークを一新したことが高らかに告げられたのです。

<深い海の底に沈めてしまった歌声を自分へと戻す気持ちになれた>

その第一歩が5曲入りのミニアルバム『Life is beautiful』であり、「どんなに悲しい時も、どんなに苦しい時も、いつか自分の花を咲かせるために生きていくんだ。生まれてきたことに感謝しながら歩いていこう」そんな思いが、このタイトルに込められていました。

10月14日・15日に渋谷Last Waltzで開催された "Mariko Nagai 30th anniversary live" には、参加申し込みが殺到。急遽、11月26日に吉祥寺スターパインズカフェにて追加公演が組まれ、もともと配信のみの予定だった『Life is beautiful』も、新曲2曲+インスト3曲を追加した全10曲入りのCDアルバムとして会場販売。ライブもアコースティックライブと言いながら、COZZiさんを筆頭に、マッシー、チエさん、ジュンさん、トシミツさんに藤野くんと、なかなかにフルメンツなボリュームで、涙なしでは見られない感動的な再会を果たしたのでした。

2.2018年 ~Team Mのアンセム「ORANGE」が誕生~

仕事に家庭に人生に、みなさま、いろいろと日々を忙しくされている中で、姐さんの復活ライブに参加したくても、なかなかに難しいという方も多く、そんな声に少しでも応えようと日本津々浦々を巡り倒したのがナガマリ2018でした。

30th anniversary liveは名古屋~大阪~仙台へと追加公演が組まれ、「私が行きたい場所に旅行気分で行ってみよう!」と、ギターのチエさんと女子旅ミニライブ "30th Anniversary Live ~Small Circuit Tour~" が、石川~富山~岡山~尾道~博多へと続きました。この "Small Circuit Tour" が、後のナガマリ2大アンセムへの布石となるのですが、1つは姐さんがスモールをサモールと言い間違えたことから、ツアータイトルがサモール・ツアーになってしまったこと。やらかしでさえ楽しんでしまおうというスタンスは、ナガマリ第5フェーズの大きな特徴の一つと言えます。さらにツアー後半での尾道での経験が、Team Mのアンセム「ORANGE」へとつながったこと。そこで綴られているリリックには<水面から顔を出したときに 答えなんてどこにもない そう気付いた>とあり、復活ライブやSNSでのつながりが、深い海の底から真理子さんをわっしょ~~~い!と引き上げたことを如実に物語っていました。

その後も陣内大蔵さんのアニバーサリーライブ、やついフェスではBarbarsのミキちゃんとジョイント、ザ・ゴーグルズのトリビュートライブにも参加と、みんなが真理子さんの復活をお祝いするかのように次々とコラボレーションが実現。そうこうしているうちにフルバンドでのライブが7月20日に大阪BIGCAT、7月22日のデビュー記念日に渋谷WWWで開催。その模様はYouTubeにもアップされています。

9月にはぷちとまとさんの福祉イベントに参加、11月には宮城県石巻市にてチャリティライブを開催されます。3.11の時に求められていた「永井真理子の歌」が、7年半の時を経て、ついに被災地に届いた瞬間でした。震災被害の風化防止と復興へのモチベーション維持を目的に立ち上げた「東北ライブハウス大作戦」の一環として出演依頼があったそうですが、真理子さんサイドからチャリティにしましょうとの提案をされたらしく、多くのTeam Mの方たちもそれに賛同。これほどまでにアーティストとファンのつながりがあたたかいのも、真理子さんのお人柄によるところではないかと。

さらに、そんなアットホームさを決定づけたのが2018年12月に行われた2大イベントです。ひとつは12月1日に開催された「永井真理子 Birthday & ファン感謝祭 ~For Team MARIKO~」。ゲストに東京少年笹野みちるさんが参加、わちゃわちゃと垣根もなく楽しむライブは、その後の姐さんスタイルのスタンダードとなっていきます。さらに12月14日、この日、ふたご座流星群が極大を迎えるということで、20時にみんなで流れ星を見てみようと(実際は21時がピークだったのですが...、まあ、そこが姐さんです)Twitterで呼びかけたところ、日本全国のTeam Mが集結。曇ってます、雪です、星が見えました、やっぱり曇ってます、いろいろな夜空がそれぞれの頭上に広がっていましたが、その想いは、大きな大きな空に一つとなってつながっていたのです。そして、誰もがこう思ったはずです。

"あの永井真理子さんと同じ時間を今過ごしている"

それはライブ会場でも、ラジオ番組でも、テレビ放送でもなく、SNSという媒体独自の共有感でした。ひとりじゃない、みんながいる、みんながつながっている、分け隔てのない世界。そんな "つながり" が、後の名曲誕生と世界的パンデミックを乗り越える礎となったのです。

3.2019年 ~13年ぶりのフルアルバム『W』が完成~

初のファン感謝祭で募った膨大なリクエスト曲をまだまだやってしまおう!それを私の部屋に招待するような形でお届けしよう!そんな思いで怒涛の5日間公演「M's Room」でスタートしたナガマリ2019。そこで録音されたTeam Mのコーラスやハンドクラップが、13年ぶりのフルアルバム『W』のタイトルトラックで使用されています。これは、それこそ『1992 Live in Yokohama Stadium』の「La-La-La」に匹敵する楽曲で、後のシングル盤「Chu-Chu♥」のカプリングとして収録された「La-La-La」や、初のセルフプロデュースアルバム『OPEN ZOO』に収録されている「La-La-La」で、横浜スタジアムのシンガロングを楽曲に組み込もうと試みて断念したことへのリベンジでした。

Team Mとのつながりを楽曲に込めたトラックは、もう1曲「20時の流星群」として、この年に産声を上げます。この楽曲は先述の12月14日のふたご座流星群の経験を歌にしたもので、ナガマリ第5フェーズを代表する超名曲。その「20時の流星群」を含む全4曲入りのEPがフルアルバム発売に先駆けて『W』としてデジタル配信、iTunesの32位に初登場します。

4月には日比谷野音のフェス「NAONのYAON」に出演、5月には名古屋「栄ミナミ音楽祭」、6月には渋谷「YATSUI FESTIVAL!」に参加。そのままアルバム『W』をひっさげて、東名阪のクアトロ・ツアーを遂行。ラストは仙台にて「TBC夏まつり」に参加。

そんな熱い夏が冷めやらぬまま、Twitterでの話題がそのまま実現したのが9月の「女子会」と「男祭り」。「女子会」は女性のみ、「男祭り」は男性陣のみというライブ形式で開催され、その合間には岡山「赤米フェスタ」で相川七瀬さん・さだまさしさんと会場を盛り上げ、名古屋「GOJISAT. ROCK WAVE」では、錚々たるイカ天時代のアーティストたちとの祝宴を果たしました。その勢いのまま、今度は「M's Rock Tour」がスタート。横浜を皮切りに、甲府~神戸~広島~福岡、そして、2度目の石巻へと続き、さらに恒例と化してきた「ファン感謝祭」では、なんと前田克樹さんがゲスト出演。巡り巡っての原点回帰となる「Restart」が披露され、ここにきて完全に往年の永井真理子が大復活を告げようとしていました。しかし、その矢先、世界はとんでもない時代へと突入してしまったのです。

4.2020年 ~閉ざされた扉の向こう側へ~

2020年2月3日、横浜港に寄港したダイヤモンド・プリンセス号。船員1,068人、乗客2,645人、計3,713人が搭乗していた船内で検疫が実施され、その内の10人が新型コロナウィルス感染症(COVID-19)に羅漢、神奈川県内の医療機関へと搬送されました。その後も感染者の数は増えていき、2月20日、1例目にあたる患者の死亡が確認されると、感染は全国へと瞬く間に拡がり、1か月半後の4月7日、政府は第一回目の緊急事態宣言を発令。埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県・大阪府兵庫県・福岡県の2府5県が対象区域でしたが、9日後の4月16日には全都道府県がその対象区域となり、世界は完全に閉ざされてしまいました。

もともとは3月14日の尾道を皮切りに福岡~京都~名古屋~東京~仙台~大阪と全国7か所を巡る「Cir-mall Tour 2020」が、その合間にはコラボ・アルバム『会えて よかった』のリリース記念ライブが4月11日・12日の2日間で予定されていましたが、全ての公演が延期となり、まったく先の見えない白紙状態となってしまいます。

そんな中で始まったのが "おうちシリーズ"。ステイホームを合言葉に、誰もが自宅にこもっていた頃、Twitterだけではなんだから、ちょいと生配信でもしてみましょうか?と、4月12日に「おうちでトーク」をYouTubeで生配信。そこから緊急事態宣言が解除される5月末まで、毎週日曜日に「おうちでトーク」「おうちでライブ」を交互に配信されました。特に「おうちでトーク」の最後は歌のセッションで締めくくられていましたが、チエさんとの「やさしくなりたい」、マッシーとの「同じ時代」、前田先生との「私の中の勇気」は、未知のウィルスに負けないための「永井真理子の歌」として、Team Mの心の拠り所となったのです。

6月7日の「おうちでライブ3」で無観客配信ライブを行うことが発表され、その1か月後、7月10日に「永井真理子 デビュー33周年記念ライブ ~I'm happy to meet you~」を配信。さらに8月8日には「アコースティックスペシャル M's History」を配信されます。そして、10月24日、大阪にて行われた「KNOCK THE NEXT DOOR」のライブは、有観客と配信を組み合わせたものとなり、昨年の「ファン感謝祭」以来、10カ月ぶりの再会を果たすこととなりました。この隔たりの期間が、逆に真理子さんとTeam Mの繋がりを深めることとなり、再会できる喜びを身に染みてわかる感動的なライブとなったのです。さらに、初のセルフカバーアルバム『Brand-New Door』も会場販売。11月20日には「OPEN THE NEXT DOOR」のライブが渋谷で行われ、この時、横浜スタジアムライブを彷彿させる巨大風船がお目見え。そのまま風向きは良い方向に進むかと思われましたが、12月22日「ファン感謝祭2020」が渋谷で行われる頃には、再び、感染者増加の影がさし始め、いつ果てるとも知れないコロナ禍の隔たりに翻弄されることとなります。

5.2021年 ~つながりの輪~

日頃の感染対策、新しい生活様式、まん延防止等重点措置から度重なる緊急事態宣言と、その都度、ライブ開催が危ぶまれる状況の中で、少しずつでも歩を進めていこうと、2月14日、バレンタインデーにちなんで「M's LOVE SONG LIVE」を開催。このライブから始まったのがタンバリン・リレー。これは、1994年に全国25か所で開催された「MARIKO NAGAI CONCERT TOUR 1994 “Love Eater”」で行われていたタンバリン交換を復活したものでした。

Team MからTeam Mへ、真理子さんを介してタンバリンがつながれていく旅は、延期になっていたサモールツアー2020の京都、仙台 LIVE HOUSE 88で開催されたスペシャルライブ、サモール福岡にサモール大阪、サモール東京の代替公演「ONNA Fes. 女祭り」へと渡っていきます。世界は隔たれたままでしたが、姐さんとTeam Mのつながりは、毎日のおやすみツイートに毎週月曜日のじゃんけん動画と止まることを知らず、まさに「タンバリンをたたこう」のリリック<We are Happy to be Hear with You>の想いをそのまま体現しているようでもあります。

10月1日には『Brand-New Door Vol.2』のリリース記念ライブが渋谷で行われ、そこからサモールツアー後半戦、名古屋~仙台~尾道へと続きました。延期に次ぐ延期が繰り返され、最終的にツアーのファイナルが尾道になったことは、時を巻き戻していくような、どこか運命的な巡り合わせのようでした。

完全に毎年恒例となった「ファン感謝祭」で、今年は重大発表をお伝えします!とのアナウンスがTwitterで流れると、あっちのTeam M、こっちのTeam Mが色めき立ち、その内容に注目が集まりました。12月5日、下北沢で高らかに発表されたのは『1992 Live in Yokohama Stadium』と同じセットリストを、当時のバンドメンバーHYSTERIC MAMAを再招集して、ドドン!と再現ライブを行うというものでした。

6.2022年 ~Re-Birth to the Future~

山形でのディナーショー、東名阪で開催されたネオアコースティックライブ「Big Sky」。新たな世界観を開拓しながら、それでいて懐かしさもあり、スタンダードでもあるというスタイル。これは2枚のセルフカバーアルバムもそうですが、3.11やステイホーム期間に求められた「永井真理子の歌」が、30年、35年経っても、未だに有効であることの証明であると言えそうです。

さらに、一度は閉ざされた扉が開け放たれ、それぞれの約束を果たしながら、共にコロナの季節を越え、この夏を境に、ナガマリはさらなる新機軸を見せようとしているところがあります。その一つが横浜スタジアムの再現ライブであり、もう一つは、長らく延期されているコラボ・ライブの開催となります。このどちらもが、第1フェーズの進化型というところが共通していて、かつ、一番重要なのは、もう一度、あの頃の情熱を取り戻すということです。

この動画を見て、懐かしいと思う方も当然いらっしゃると思います。いや、ほとんどの方が、若かりし頃のあの季節に遠い望郷の思いを馳せるのではないかと。それと同時に、この胸に湧き上がってくるワクワク感はいったいなんでしょう。この胸をときめかせるキラキラ感はなんでしょう。これを懐古趣味で片づけるには、あまりにもモダンで、あまりにも希望にあふれているような気がするのです。

ロックやポップスというのは、そんな明日への突破力を後押ししてくれる音楽だったはずです。デビューして35年、真理子さんは、今も尚そんな音楽を奏で続けています。そして、そんな音楽に身を任せながら、灰色だった昨日を、七色に輝く今日へと、みんなで変えていければと思うのです。その先には、きっと素敵な未来が広がっているはずなんです。