that passion once again

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深読みツイン・ピークス⑤ ドッペルゲンガー section 3

「The Return」を解読するための旧ツイン・ピークス巡礼の旅シリーズ

第4回「ツイン・ピークス シーズン2を深読みしてみる」

 

第5章「次に会う時の私は私ではない」

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ウィンダム・アールの後を追って、ブラックロッジに足を踏み入れたクーパー捜査官。そんな来訪者を出迎えたのは前回考察した "ミロのヴィーナス" でした。そこでの結論は、ミロのヴィーナス=アルルのヴィーナス=蛇女リリスであり、アフロディーテリリスの二律背反が産み出した世界が "恥じらい"、原罪を背負わされた僕たちの世界であり、ブラックロッジに "恥じらいのヴィーナス(メディチ家のヴィーナス)" が存在する理由になるというものでした。しかし、この解釈は当然のように『The Return』以降の考え方であって、今から約30年前にデイヴィッド・リンチがこのような諸悪の根源を描くためにミロのヴィーナスを配置したのか?と問うと甚だ疑問です。自分の解釈を自ら覆すようではありますが、たぶん発想の根源はもっとシンプルなもので、アフロディーテつながりで単に配置しただけ、特に意味はない。アメリカン・スピリットを吹かし、コーヒーを口に運びながら、そう言って笑われておしまいのような気がします。

旧シリーズの第16話でローラ・パーマー殺人事件がひとまずの解決を見ると、視聴者の興味は急激に失せていき、結果、シーズンは打ち切りとなってしまいました。しかし、リンチやフロストはシーズン3の制作に意欲的で、その汚名挽回と資金調達のためにプロジェクトを発足、それが映画『ローラ・パーマー最期の7日間』でした。マーク・フロストは、このプロジェクトがここまで罵詈雑言を浴び、たった400万ドルしか興行収入を得られないとは予想もしていなかったと後に語っていますが、その発言の裏を返せば、潤沢な資金のもとで悠々とシーズン3を制作するための伏線が、この最終話のブラックロッジに凝縮されていると解釈できるのです。シーズン1の最終話である第7話と同じように、とにかく続きが気になるように詰めるだけ詰め込んだと。

さらにツイン・ピークス以降のデイヴィッド・リンチの世界を構築したのも、この旧シリーズの最終話が起点だと言われています。この第29話のブラックロッジのシーンがなければ、後の『ロスト・ハイウェイ』も『マルホランド・ドライブ』も『インランド・エンパイア』も存在しなかったと。今回のテキストでは、そんなリンチの深層的な世界を出来る限り覗き見てみようと思います。

 

3.死者の国

ミロのヴィーナスが鎮座している通路を進み、真っ赤なドレープをくぐった先にはクーパーが "夢" で見ていた部屋がありました。スタン・ゲッツのような気怠いサクソフォンの音色に導かれ、スポットライトを浴びてステップを踏むのは "別の世界から来た男"。彼がソファに座ると、伝説のジャズ・シンガー、ジミー・スコットが憂いを秘めたソウルフルな歌声を披露します。

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ここで歌われている「シカモアの木」の歌詞を見てみます。

 

"Sycamore Trees" by Jimmy Scott

 

And I'll see you

(私はあなたに出会う)

And you'll see me

(あなたは私に会う)

And I'll see you in the branches that blow

(風になびく枝の中にあなたを見る)

In the breeze

(そよ風の中に)

I'll see you in the trees

(私は木の中に あなたを見る)

I'll see you in the trees

(木の中に あなたを見る)

Under the sycamore trees

(シカモアの木の下で)

 

ホワイトロッジの考察で、夢見人はジャック・ラビット・パレスであり、そのダグラスモミの木がホワイトロッジであるという結論に至りましたが、それと対を成すとするなら、ブラックロッジはシカモアの木の中にあると解釈することができそうな歌詞です。もしくはダグラスモミの中にあるホワイトロッジ(神聖なる者)をシカモアの木の下で求めているブラックロッジ(汚された者)の姿とイメージすることもできます。『The Return』以前では、単に森の中に姿を消してしまったローラ・パーマーを追い求める詩として解釈されていましたし、中にはジョシーの事を歌っているんだとそのまんまなことを語る人もいました。T.S.エリオットのように、森の奥深くに潜む邪悪なものへの憧憬を詠った詩という見解が、僕的にはいちばん的を得ているのではないかと思っています。

そして、その歌を歌うジミー・スコットは "天使の歌声" と称賛され、変声期に声変わりをしていないため、男性とも女性とも、はたまた両方を兼ね備えた第三ジェンダーとしての奇跡の声でもあったのです。所属するレコード会社と不条理な契約を結んでしまったため、20数年間表舞台から姿を消していましたが、この最終話での歌唱シーンをきっかけに各界から絶賛の声が上がり、66才にして奇跡のカムバック。まるで死者が蘇ったかのような、そんなシーンになっています。リンチ監督がそれを意図していたかどうかはともかく、男性とも女性とも言える "二面性" というキーワードがさらりと隠しこまれている点が見逃せません。

さらには『The Return』でロードハウスの司会者として登場した彼。

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思い過ごしでしょうか?ジミー・スコットと同じ恰好をしています。しかも、スタンドマイクの先には松ぼっくり。完全にロードハウスのステージはダグラスモミの中にあるとでも言いたげではないですか。となると、ブラックロッジの待合室とロードハウスのステージは同じ意味合いを持つものであると解釈することもできるのです。そんな視点で『The Return』のロードハウスでの出来事やライブを見てみると...。

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どうやら、このスポットライトの色に何か意味がありそうです。夢と現実を区別する色とでも言いましょうか。しかし、このZZ TOPでノリノリなところは、何回見ても最高ですよね。

 

ツイン・ピークス第2話でクーパーが見た "夢" の世界、その赤い部屋(RED ROOM)にとうとう彼は現実世界として辿り着きました。意外かもしれませんが、序章を含めて全30話ある旧シリーズの中で、この赤い部屋が舞台になるのは第2話と第29話のみになります。もちろんインターナショナル版のエンディング舞台でもありますが、第2話とイコールで結ばれることは以前に語った通りです。こうして俯瞰してみると、運命に導かれてツイン・ピークスへとやってきたクーパー捜査官が、夢のお告げに従い、最終的に "夢の世界" に辿り着いたというストーリーラインが見えてきます。

その "夢の住人" であるスーツを来た小人 "別の場所から来た男" は、革張りのヨーロピアンソファに腰かけ、クーパーと対峙します。彼は開口一番、奇妙なことを語り始めました。

「次に会う時の私は私ではない」

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そう言って立ち上がると、まるで時を巻き戻すかのようにステップを一回踏み、何事もなかったかのように再びソファに腰かけます。この一連の動作は、既に小人がこの時点で別の何者かに人格が切替ったことを現わしています。

リーランド・パーマーを筆頭に、ハロルド・スミス、ネイディーン・ハーリー、ベンジャミン・ホーンなど、ツイン・ピークスという作品には二重人格者、もしくは解離性同一性障害を抱えるキャラクターが複数存在します。その描かれ方は "善と悪" 、"慈愛と狂気" 、"天使と悪魔" といった両極端で描かれ、いずれにしても一貫しているのが人間の "二面性" を暴き出すというテーマになります。ユング的な解釈をするとペルソナとシャドウ、光と影ということになります。このテーマは『ロスト・ハイウェイ』のフレッド・マディソン、『マルホランド・ドライブ』のベティ・エルムス、『インランド・エンパイア』のニッキー・グレイスへと綿々と引き継がれていき、最終的にデイル・クーパーに帰納します。

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この "二面性" というのは紙一重であるとトレモンド夫人の孫の考察で語りましたが、わかりやすいのが上記の画像です。自己啓発やビジネス書などで、ものの考え方や捉え方について説明する時に必ずと言っていいほど頻繁に登場している絵ですが、若い女性の後姿にも老婆にもどちらにも見える。どちらも同じ存在であり、どちらかを見ている時は片方を見ることができない、そんな構造になっています。そして、デイヴィッド・リンチの世界というのも同じ構造になっているのです。

 

人格が切替わった小人は、先ほどとはまるで別人のような穏やかな表情で、この赤い部屋について「ここは待合室(Waiting Room)だ」と語ります。そして、来訪者に親しみを込めてコーヒーを勧め、クーパーの友人がここにいると伝えます。コツコツと小気味良い足音と共に現れたのはローラ・パーマー。その姿はクーパーが "夢" で見ていたその姿であり、黒いドレスにその身を包んでいます。

「こんにちはクーパー捜査官」

そう挨拶するとローラは奇妙なハンドサインを示します。

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このハンドサインは仏教の印相の一つ「降魔印」を現わしています。由来はお釈迦様が悟りを開いた際に悪魔を追い払った印であり、エンガチョやエンピバリアのもとであったり、魔貫光殺砲の元ネタでもあったりします。簡単に言ってしまうと「悪魔よ、去れ!」「悪魔よ、滅びろ!」そんな意味になります。ただ、ここで矛盾が生じます。ピッコロが大魔王でありながら神様であるのと一緒で、ローラも天使でありながら悪魔でもあるのです。この理論については後述しますが、悪魔であるローラがこのサインを示したということは、降魔印と真逆の印が示されたことになります。「神よ、死ね!」「神よ、立ち去れ!」

さらにクーパーの "夢" を肯定するかのようにローラは「25年後にまたお目にかかりましょう」とささやきます。このセリフは、あなたの夢の中の世界を私たちはちゃんと知っていますよ。あの夢がなぜ25年後だったのか、その意味があなたに理解できる時が来ましたよ。そんな風に解釈することができます。『The Return』がリアルに25年後に復活したのは、ただの偶然であり、ある意味、このセリフがなければもしかしたら永遠に復活しなかったかもしれません。

さらにローラは「それまでは... (Meanwhile...)」と呟き、奇妙なポーズをとります。

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このポーズは観世音菩薩、特に弥勒菩薩のポーズを喚起させます。チベット仏教ではダライ・ラマの化身としても有名です。

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ただ三昧耶形を見ると薬壺を手にしているようにも見えるので薬師如来ではないかとも思えます。詳しいところは内藤仙人さまにとことん解説してもらいたいところではありますが(とにかく仏教や密教はいろんな仏様がいてややこしいのです)、僕の浅はかな知識で結論を導き出すとするなら、薬師如来のハンドサインに似た "施無畏印" を現わしているのではないかと思います。その意味を簡単に言ってしまうと「あなたの願いを叶えましょう」と。

ローラが現れてからの流れをまとめると下記のようになります。

 

    「こんにちはクーパー捜査官」

           ↓

 「あなたのそのパワーを封じて差し上げましょう」

           ↓

    「では、25年後まで、さようなら」

           ↓

「それまではあなたの欲望を叶えて差し上げますよ」

 

そして『The Return』の冒頭で、このシーンがリフレインされます。そもそも殺されたはずのローラ・パーマーがなんの違和感もなく登場していることに、このブラックロッジの世界観がどのようなものであるかが如実に現われていると言えます。この後、次々と登場する人物たちも既にこの世を去っている人物たちであり、ここが "死後の世界" 、もしくは "生と死の狭間の世界" であると解釈できるのです。ダンテの『神曲』に例えるなら、グラストンベリー・グローブが "地獄の門" であり、このブラックロッジは "辺獄" の世界であると言えます。僕が度々語っているクーパー巡礼の旅は、この第29話から既に始まっていたのです。

 

ローラ・パーマーが姿を消すと、次にウェイターが登場します。どうやらコーヒーの準備が整ったようです。相変わらずの愛想の良い笑顔を振りまくと、アワワワワワとインディアンのような合図をし「ハレルヤ!」と楽しそうにしています。

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まるでクーパーという生贄が現れた事を喜んでいるようにも見えますし、お待ちかね、私が登場しましたよ!と無邪気に騒いでいるようにも見えます。ここで、この "インディアンの合図" を掘り下げてみます。インディアンと呼ぶか、ネイティブアメリカンと呼ぶかは、この際脇に置いておきますが...。

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映画『ローラ・パーマー最期の7日間』では、小人が同じようにアワワワワワとしています。この時の小人のセリフはこうです。

「私が誰だかわかるか?私は腕だ。そして、私はこんな音がする」

インディアンのアワワワワワという音と小人が同じというのはどういうことでしょうか?さらに『The Return』の第2章でも同じセリフが繰り返されます。

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25年が過ぎた未来でも小人=腕は同じ音がするそうです。

そもそも本来のインディアンは口に手を当ててアワワワワワなんてしていなくて、この仕草は西部劇などでカリカチュアされたものが広義的に解釈されたものでした。アワワワワワとは戦いなどで士気を高めるための奇声であり、敵が攻撃してきたことを知らせる警報の役目でもありました。その音が小人から発せられるということは、魂の高揚、もしくは未知への恐怖、それらが小人そのものの具現化だと言えそうです。そして、それをウェイターが先陣を切ってアワワワワワとしているということは、少なからず、クーパーを敵とみなしている、もしくは獲物を見つけたということになりそうなのです。

さらにインディアンたちには死者の力を借りるというゴーストダンスや、"死" そのものが存在しないと考えている民族であったりと、ブラックロッジの概念に近い思想があります。さらにフクロウの洞穴に描かれていた地図もインディアンが残した遺物として扱われています。

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ここに記されている一つ一つのシンボルが何を意味しているかをここで事細かに説明するつもりはありませんが、インディアン関連で考察をするなら、真ん中下にデカデカと書かれているシャーマンマスクになります。

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このシャーマンマスクは、インディアンに限らず、世界各地の土着の民族が呪術的な祭事に使用するもので、日本では卑弥呼、現代では秋田のナマハゲや宮古島パーントゥなど、多くが神や精霊の力を利用して悪を追い払う役目をしています。その祭事でよく見かけるのがアワワワワワってしながら火の周りで踊っていたり、もしくは神に生贄を捧げるため火をもって血なまぐさい儀式を執り行ったりと、なかなかに穏やかでないことがほとんどです。

そんなシャーマンマスクがフクロウの洞穴に描かれていたということは、ブラックロッジ、もしくはホワイトロッジが森の精霊たちの集まる場所であり、インディアンたちはそこから何かしらの力を借りていたということになります。逆を言うと、そんなインディアンたちに力を与えていた、もしくは災いを起こしていたものがブラックロッジの住人になり、それが小人であったりボブであったりということになるのです。

では、その中にウェイターが入り混じったというのはどういうことでしょうか?

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プルプル震えた手で来訪者にコーヒーを差し出すウェイター(あれだけプルプル震えていたらコーヒーがこぼれて仕方なかったのでしょう、あらかじめコーヒーは固められています...)。コーヒーに目を輝かせるクーパーですが、その間にウェイターは巨人に姿を変えます。そして、こう語ります。

「我々は同じものだ(One and the same)」

英訳の妙ですが「我々は一つである」「全く同じものだ」そんな意味になります。ウェイターが小人の音を鳴らしたのは、お互いが同一のものだからということになりそうなのです。先ほどのフクロウの洞穴の地図にも小人と巨人が並んでいる姿が描かれていましたが、この二人が同一であるというのは『The Return』を経た今となっては解せない部分が多すぎます。

そもそも第8話で突如クーパーの前に姿を現わした巨人は3つの啓示を与えると、私の言うことを信じたら返してあげようと、クーパーの小指に嵌められた指輪を奪っていきました。その3つの啓示とは、

1.笑う袋の中に男がいる(ジャック・ルノーの死)

2.フクロウは見た目とは違う(ボブとリーランド)

3.薬品なしで男は指さす(片腕の男マイク)

以上になるのですが、どれも的を得ません。最終的に第16話でボブの謎に辿り着いたのは「いい知らせだ!あんたの好きなガムがまた流行るぞ!」という第2話の夢の中で語っていた小人の暗示でした。巨人、関係ないやん!しかし、よくぞ謎を解き明かしたとばかりに、奪われた指輪はクーパーのもとに帰ってきます。

これも小人と巨人が同一のものだからということでしょうか?よしんば、そうだと100歩譲ったとしましょう。だとしたら、小人はクーパーの味方なのでしょうか?

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巨人はあっという間に姿を消し、小人は何やらゴニョゴニョゴニョとまじないのようなものを始めます。すると提供されたコーヒーは凝固し、次は通常の液体に変わります。さらに最後はドロッとした粘着系の物質へと変化しますが、これはボブの力によるもののようです。そして、小人は叫びます。

「スゲエな、ボブ!(Wow, Bob, Wow!)」

こんなキチガイじみた人物が味方なわけがありません。となると、先ほどの巨人やローラ・パーマーは小人が呼び出した幻ということになりそうです。巨人の口から「小人は同一である」と言うことによって、どこかクーパーを安心させようとした節があるのです。もしくは同じ "霊的な存在" であると言いたかっただけなのかもしれません。

さらに、このゴニョゴニョゴニョという擦り手のまじないと、キーンという異次元からの音は、第2話の夢の中でも同様のジェスチャーとして登場しています。

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この時はコーヒーの悪戯ではなく、宇宙からの使者である "鳥"(ムナオビツグミ、もしくはフクロウ)を呼び出し、そこから受けた啓示が先ほどの「いい知らせだ!あんたの好きなガムがまた流行るぞ!」につながるのです。もしかすると、この小人は良い小人なのかもしれません。いや、クーパーの "夢" の中であるので、必然的にクーパーの味方になっている、単純にそれだけなのかもしれません。

では、「スゲエな、ボブ!」と喝采を上げた後、小人はなんとつぶやいたでしょうか?これはある意味、クーパーへの最終通告とでも言うべきセリフでした。

「火よ、我とともに歩め」

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ボブや片腕のマイクは、なぜ左腕にこの文言のイレズミを入れたのでしょうか?それは悪に魅入られたからでした。ということは、この時点でクーパーも悪に魅入られた可能性があります。これをユング的に解釈すると、自身の影と対峙したということになります。

ここまでの流れを整理すると、ローラが現れてクーパーのパワーを封じ、魂を高揚させたところで巨人の幻で信用を勝ち取り、まじないによってある意味、クーパーは小人の催眠にかかった状態になり、自身の影と対峙した。では、その先には何が待ち受けているのでしょうか?

 

部屋内のライトが明滅を始め、ローラの叫び声がこだますると、クーパーは待合室を横切り、再びミロのヴィーナスが鎮座している通路へと出てきます。 その先のドレープをくぐるとまた待合室があるのですが、そこには誰もいません。な~んだ、誰もいないじゃん、と踵を返すクーパー。もとの待合室に戻ると、そこには小人が居て「入るんじゃない!(Wrong way)」と怒鳴られます。

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ビックリしたクーパーは、誰もいない待合室に素直に戻っていきます。ドレープをくぐると、やはり誰もいない。しかし、ソファの影から何やら気が狂った笑い方をしながら小人が現れ、「次の友達だよ」とつぶやくと、また笑いながらソファの影に隠れます。この小人は明らかに先ほどの小人とは別人で、その下衆な笑い方、妙なステップ、あからさまな悪意、これら全てが小人のドッペルゲンガーの特徴ということになりそうなのです。

そして、現れるのはマディ・ファーガソン

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「私はマディ。私のいとこに気をつけて」そうクーパーに伝えると、マディの姿はゆっくりと消えていきます。ここで言う "いとこ" というのはローラ・パーマーのことで間違いなさそうなのですが、ちょっと気になるのが第2話での "夢" です。

ガムの話の後、小人はローラについて「彼女は僕のいとこだ。だけど、ほとんどローラ・パーマーみたいだろ?」と言っています。この時、既にマディの設定が出来上がっていたかというと、まだシーズン制作が決定する以前になるので、必ずしもそうだとは言えません。しかし、第2話で語られているこのセリフは、後に登場するマディを指していると解釈するのが自然です。しかし、中には小人とローラがいとこの関係だと解釈しているピーカーもいます。

そもそも "いとこ" というのは親の兄弟姉妹の子供になります。マディもローラママの姪という設定で、モンタナ州ミズーラに住むベスという母親と脚本上ではドナルドという父親の間に産まれた娘になります。しかし、『The Return』の第8章を見ても、少女の周りに兄弟姉妹の存在は感じられませんでしたし、『ファイナル・ドキュメント』でもローラママの父親が国防総省に雇われた身である説明はあっても、彼女に兄弟姉妹がいたという記述は一切ありませんでした。そもそも "ベス" がローラママのお姉さんなのか妹なのかもはっきりしません。なぜ、その辺の設定が語られなかったのか、その理由を考えると、単純にマーク・フロストがこの設定を忘れていたから。そう結論するのが一番まともだと思うのですが、実はベスもドナルドも存在していなくて、マディがローラママによって作られた存在である、そう深読みすることもできます。故にマディもボブを幻視することができて、自身の死を予感することができたと。深読みし過ぎて、ほとんど創作みたいになっていますが...。

マディの問題はマーク・フロストの気まぐれで終わらせて、ここで僕が言いたいのは、小人を産み出した存在とローラ・パーマーを産み出した存在が同じ祖先だとしたらということです。そもそも『The Return』の第8章では、消防士の子宮から産まれ、セニョリータ・ディードのキスによって、ローラは地球へと送り込まれました。小人の誕生は描かれていませんが、同類であるボブはエクスペリメントから産まれ出でた存在であり、同様に産まれ出でたトビガエルはローラママに寄生しました。小人のもともとの存在である片腕の男マイクはそんなボブの相棒でした。

こうして見ていくとエクスペリメントという大きな存在の下で、ボブや小人、片腕の男やローラ・パーマー、そして、ローラママに対してクーパーが対峙している、そんな構図が見えてきます。そして、デイヴィッド・リンチは、そんな構図をクーパーの目を通して描こうとしている。その目に映るのは "死" の向こうにある世界であり、"夢" という幻想の向こうにある "精神" の世界であったりするのです。

 

マディの忠告を聞くと、クーパーはまた元の待合室に戻ります。すると、そこにあったはずのソファやヴィーナス像は姿を消し、何もないガランとした空間へと変わっています。ふと足元に気配を感じたクーパー、視線を落とすとそこには小人がいて、さきほどと同じように奇妙なステップを踏み、「ドッペルゲンガー」と呟きます。

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『The Return』でも重要なキーワードとして登場した "ドッペルゲンガー" 。その意味は "生霊" や "第二アイデンティティ" と解釈されることがほとんどです。中には瓜二つのそっくりさんを指してドッペルゲンガー参上とSNSにアップしたり、二重人格者の悪の部分をドッペルゲンガーとして切り離し地球の神様になった者もいます。烙印を押され己の影を引き離された者もいますし、魔晄を浴びて亡き英雄の意志を継ぐ者として精神の混乱を乗り越えた者もいます。良い魔女と悪い魔女に別れ、悪い魔女は人の名前を奪い、その者を温泉宿で働かせていたりもしました。

先ほどのマディもローラのドッペルゲンガーであると解釈することもできますし、そういう視点で見ると、ローラママであるセーラとマディママであるベスもドッペルゲンガーの関係であると断言しても、それを否定する材料はありません。もちろんそれを肯定する材料もありませんが、強いて言えば、ローラママスメアゴル状態が、それを裏付けていると解釈することができるのかもしれません...。

そして、小人が自身の正体をドッペルゲンガーだと告げると、先ほどのローラもその正体を明かします。

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小人が呼び出した悪魔であるローラは、ただひたすらに叫び続けます。まるでベルゼブブに憑りつかれたあの少女のようでもありますが、このエクソシスト的な解釈を推し進めてしまうと、ドッペルゲンガー=悪霊に憑依された者という等式だけになってしまいます。この解釈も、もちろんツイン・ピークスという世界観に欠かせないものではあるのですが、先ほどのクーパー視点による物語という概念で見ていくと、悪霊ではなく、別の次元が垣間見えてきます。それは何かというと "悪夢" への変換です。

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クーパーの "夢" の世界であったブラックロッジ、もしくは赤い部屋が、このウィンダム・アールのサブリミナルによって "悪夢" に侵食されてしまった。このサブリミナルは、アールとローラが同一化したことを現わしているわけではなく、クーパーの "夢" の存在であったローラをアールが侵食した、クーパーの "夢の世界" にアールが侵略してきたことを現わしています。それを裏付けるように、第2話の夢の中ではクーパーにささやくだけの美女であったローラが、今では耳触りな程に叫び続ける存在となっているのです。"ささやき" と "叫び" という対極の行動は『The Return』にもしっかりと継承されています。そんなローラに恐れをなしたクーパーは慌てて別の待合室へと逃げていきますが、その時、既に腹部をナイフで刺された状態になっています。

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"悪夢" に侵食されたことにより、クーパーは己の影と向き合うことになります。もしくは "死" の世界へ踏み込み、自らの "悪" に魅入られたクーパーは、己の悪行を肯定する作業へと入っていきます。となると、そこに "リリスの誘惑" は必要なくなり、通路からミロのヴィーナスの姿が消えてしまいます。

自らの血を辿り、また元の待合室へと戻るクーパー。そこには過去最大の過ちであった自分の姿がありました。

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1985年にピッツバーグで起きたキャロラインの死は、デイル・クーパーのその後の人生に大きな影響を与えました。しかし、ここで注目したいのは、内藤仙人さまと同じ解釈になってしまうのですが、クーパーって、キャロラインと一緒に死んだんじゃないの?というものです。死んでいるからローラと会話することもできると。上記の画像を見ても、クーパー、気持ちいいぐらいに死んでるじゃん、みたいな。じゃあ、現実のツイン・ピークスの住人やFBIの面子はなんなの?と思われるかもしれませんが、それはあれです、『シックス・センス』のブルース・ウィリスと同じってやつで、みんながみんなそういう人たちだったという...。

まあ、しかし、旨そうにコーヒーは飲むし、チェリーパイとドーナツの消費量は町一番でしたから、これらが全てそういうことで片づけてしまうと、デヴィッド・フィンチャーの『ゲーム』と同じで、最後の最後でパンパカパーン!みたいな事になりかねません。今までの事って結局なんだったん?と。

ですが、このクーパーとキャロラインが寝っ転がっているシーンで描かれているものは完全に幽体離脱です。まさしくドッペルゲンガーです。そして、先ほどのウィンダム・アールの侵略によって、クーパーの "夢" は完全に "悪夢" と化してしまいました。一番、思い出したくない出来事が目の前に転がっているのです。救いたくても救い出せなかった最愛の人物が。

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その想いにリンクするようにムクリと起き上がるのはアニー。ここで次元が超越されました。キャロラインはアニーで、アニーはキャロライン。もしくはアニーの魂を利用してキャロラインが復活した。そう解釈することもできそうです。そして、これらの事象は全てウィンダム・アールの仕業によるものでもあります。まるでフィリップ・ジェフリーズが "時" を自在に操れたように、ブラックロッジに潜り込みダグパスの力を得たアールも "時空" を操り、クーパーにこれらを見せたのだと深読みできるのです。ただ、この解釈も『The Return』以降だからできるものだとも言えます。今から約30年前のリンチがここで "時空" について何かしらのヴィジョンを具現化しようとしていたというのは、このシーンの後で流れる "乖離していく空間" の映像が物語っているのではないかとは思います。

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しかし、別の解釈として、ペルソナからシャドウに落ちていくヴィジョンを具現化したとも言えます。このテキストの "二面性" を語る時に、ちょいちょいこのユング論を出していますが、この第29話は、ほぼ次の画像を物語化したものではないかと思うのです。

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ユング的な解釈をするなら、通常の自我であるペルソナを鏡で覗くと、内部に隠れていたシャドウが姿を現わす。そのシャドウは精神の牢獄に捉えられているもので、ペルソナの仮面を外さない限り表に出てくることはない。

『The Return』の第2章を振り返ってみます。

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この第29話では悪魔であるローラが小人によって召喚されました。その25年後、シャドウであるローラが自我の仮面を外すと、精神はペルソナとして光り輝いています。シリーズの冒頭にこのようなヴィジョンをリンチが提示しているということは、ローラがペルソナを取り戻す物語、如いてはクーパーがペルソナを取り戻す物語だと読み解くことができるのです。

ここまでのブラックロッジでの流れを振り返ると、自身の "夢" の世界に迷い込んできたクーパーは、悪魔ローラにパワーを吸い取られ、小人の催眠にかかり、ウィンダム・アールの侵略によって、自身の古傷をえぐる悪夢へと辿り着きました。この流れはクーパーの精神内にあるシャドウが一つ一つ牢獄を抜け出す鍵を開けていくプロセスであり、ペルソナであるクーパーを牢獄に閉じ込めるためのミッションであるとも言えるのです。その精神的プロセスを "夢" と "死者" というキーワードで具現化したものがブラックロッジであり、後の『ロスト・ハイウェイ』『マルホランド・ドライブ』『インランド・エンパイア』へとブラッシュアップされていきます。

そもそもリンチとフロストは打ち切られたシーズンの続編が制作できるならクーパーのシャドウ(影)の部分を描こうと計画していたことが明らかになっています。そのための布石がこのブラックロッジであり、25年の月日がかかりましたが、『The Return』で描かれていたのはまさに悪クーパーの物語でした。もともと8話完結で計画されていた『The Return』が最終的に18話と倍以上の量になってしまったのは、悪クーパーの物語と並行して、クーパーとローラがペルソナを取り戻す物語が加えられたからではないかと思います。しかも、リンチとしてはシャドウの物語よりも、ペルソナの再生を描くことの方に情熱を傾けてしまった。故に悪クーパーの物語がイマイチ直線過ぎていたのに比べて、ペルソナを取り戻すクーパーの十二因縁プロセスが多種多様な人物とのドラマチックなやり取りで溢れていたことにもつながりそうなのです。

そんな『The Return』の起点にもなるブラックロッジの物語は、最終的にどこへ収束していったでしょうか。

 

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この旧シリーズを巡る考察の随所でアニーとキャロライン、ダイアンとジェイニーEについての集合的無意識の関係を語ってきましたので、その辺は割愛いたします。悪クーパー(ドッペルゲンガー)がウィンダム・アールではないかというのも、今まで散々語ってきましたので、これ以上語る必要はないかと思います。ただ、先ほど語ったようにペルソナとシャドウの関係を端的に見るとするなら、上記の画像の様にクーパーとアールの関係を現わしているとも言えるのです。

クーパーにとってアールはシャドウであり、アールにとってクーパーはペルソナであるという。二人は師弟関係でもあり、恋敵でもあり、鏡映しのような存在でもあると。リンチ監督が旧シリーズの時にウィンダム・アールというキャラクターが気に入らないと語っていたのは、クーパーの "二面性" を描く上で、アールがあからさまにクーパーのシャドウであったからではないかと思うのです。リンチ監督は、その "二面性" を一人の人間の中で描きたかった。そのためにはアールが邪魔でしょうがなかったのではないかと。

しかし、まあ、こんなことを定義づけるために14,000文字も使って、とうとうと語ったところで、やはりアメリカン・スピリットを吹かし、コーヒーを口に運びながら、そんなこと考えたこともないよ、とあっさりガハハハハと笑われそうな気もします。

高飛車で狡猾なウサギと愚直で誠実なカメの競争は、お互いを鏡映しにしながら、その精神遍歴の巡礼を生ある限り続けていくのかもしれません。

 

そんなわけで、さくっと終わらせるなんて嘘もいいとこ。結局、なんだかんだでこの深読みシリーズ⑤は、またしても全30,000文字になってしまいました。前々から当ブログを読んで下さっている方、たまたま検索で辿り着いた方、いずれにしても最後まで駄文にお付き合いして頂き、ありがとうございました。旧シリーズ、新シリーズ、リンチ作品を楽しむ一助になれれば幸いです。たぶん、少し時間が空いてしまうと思いますが、なんか忘れた頃にひょいと『The Return』のナイド論を展開しようかなとは思います。それまでは...。