スピッツ「優しいあの子」の "あの子" って、誰のこと?
『なつぞら』主題歌でおなじみ、3年2か月ぶりのスピッツ新曲「優しいあの子」のフルPVが一昨日、ニューアルバム発売のアナウンスと共に突如としてYouTubeで公開されました。
マサムネさんの変わらぬ透き通った声もいいですが、僕としてはモーターワークスでもブイブイ言わせていたアキヒロさんのベースがたまらなく好きです。「こぉ~りぃ~を~散らす、か~ぜぇすぅら~」のBメロ部分で、まるでコーラスのようにドゥゥンドゥゥン唸りまくっているところなんか、歌詞の通りに氷雪を撒き散らす嵐のようで最高です。毎朝、聴いてても不思議と飽きない、スピッツの新たな名曲の誕生ですよね。
で、毎朝、聴いてて、ちょっと思いました。
優しいあの子の "あの子" って誰?
ネット上でも、その対象が誰であるかをいろいろ歌詞考察として分析されている方が多いですが、それを僕なりにも解釈してみようかな、と。
言いながら、スピッツの全曲を聴いている訳でもないので、ホント、大のスピッツファンからは、お前、なにトンチンカンなこと言ってんの?「ヒバリのこころ」から耳かっぽじって全部聴けや!と怒られそうですが...。
ズバリ、優しいあの子の "あの子" とは、奥原なつのこと!
どうだ、ファイナルアンサー!
...。
...。
...。
ブッブッー!
わぁ、いきなり間違えました。
なんだ、このやり取り...。
てな感じで、普通にドラマ主題歌として聴いていると、"あの子" というのは、なっちゃんのことを歌っているような印象を受けます。ドラマのオープニングアニメが、大人になったなっちゃんがチビなっちゃんを愛でているような、子供の頃の自分を振り返りながら、その楽しかったこと辛かったこと、転んだことや乗り越えてきたこと、広い世界に自然の美しさ、そんな自分の成長を愛おしみ、周りの動物たちと楽しく遊んでいたあの頃を懐かしむような、それが今の自分を産み出していると言わんばかりの、ほぼ歌詞に沿った世界が描かれているので、"あの子" はなっちゃんと思う人、もしくは大人のなっちゃんがチビなっちゃんに対して思っていること、と解釈する人がかなりいるのではないかと思います。
ただ、フルコーラスを聞くと、どうも "あの子" はなっちゃんじゃないような気がしてきます。じゃあ、誰なの?と問われると...。
まずは『なつぞら』主題歌に決まった当時のマサムネさんのコメントを抜粋します。「「なつぞら」は厳しい冬を経て、みんなで待ちに待った夏の空、という解釈です。」このコメントから、この楽曲が "冬から夏へ季節が移ろっていく情景" を描いていることがわかります。なので歌いだしは「重い扉」から始まるのです。それは雪が降り積もって重くなった扉かもしれませんし、人生のスタートと言う重厚な鉄扉かもしれません。いずれにしても、歌詞の主人公は、その扉を開けたのです。
さらに季節の移ろいを感じさせる、春の到来を感じさせるのが、
「氷を散らす風すら 味方にもできるんだなあ」
「芽吹きを待つ仲間が 麓にも生きていたんだなあ」
という1番2番のBメロの部分。雪解けを待つ植物たちを応援するように、春風が氷雪を吹き散らし、根雪の下でスクスクと育っていた仲間たちが顔を出す。そんな自然現象と同じように、人間の成長も辛い苦しい時だって、自分の肥やしや糧になる経験があるのだと歌っているのです。で、アキヒロさんがドゥゥンドゥゥンとその成長のうねりを表現していると。
で、「丸い大空」が夏の空。人生で言うなら、辛苦を抜けた解放感とでもいいましょうか。「寂しい夜温める」は秋の夜。夏を越えて、また冬が到来しそうだけど、そこには以前とは違う、経験を積んだ自分がいるんだと。ただ、主人公には「言いそびれた ありがとうの一言」が言えずにいます。それを "あの子" に伝えられるのは「日なたでまた会える」時だと語っています。
さて、では「ありがとう」と伝えたい "優しいあの子" とは誰なのでしょう。
それは「未熟だった過去の自分」ではないかと。
マサムネさんは過去の未熟だったマサムネさんに対して歌っていて、それを聴く僕たちも過去の未熟な自分について思いを馳せる。それはドラマの主人公なっちゃんにも当てはまります。人生を四季になぞらえて、冬の季節があってもがんばれよ、その先には夏の空が待っているんだから。そして、過去の自分を助けてくれた人たち、自分を成長させてくれた経験、そんな全てに感謝をしたい。言えずにいるけど、また春の季節が来たら、思いっきり「ありがとう」と言いたい。だから、また会おうね、自分。そんな歌ではないかと。ドラマのオープニングアニメともビッタンコ。
いかがでしょ。