that passion once again

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幸福感に包まれた永井真理子の最新アルバム『W』は今を生きる僕らのサウンドトラックだ

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これほどの幸福感に包まれた永井真理子を見たことがあるだろうか。ナガマリファンがTwitterで大興奮したCDジャケットも、例えば『KISS ME KISS ME』や『Sunny Side up』の良ジャケが今まであったにせよ、今回はそれらを軽く凌駕するほどの幸福感に包まれています。さらに全11曲収録されたアルバムの中身も、とっぷりと幸福感いっぱいの内容になっていて、まるで広い公園に出かけた時の解放感というか、愛する人・癒しのペットを腕に抱いた時の温もりというか。樹木の隙間からこぼれ落ちる木洩れ日、光を反射する水のキラメキ、そんな自然の姿を目にした一瞬一瞬に満たされる心の状態、それらを見事に音像化したアルバムなのです(これらのビジュアルがブックレットにもちゃんと反映されているところも見逃せません)。

前作『Life is beautiful』から1年9ヶ月。フルアルバムとしては14thアルバム『Sunny Side up』から実に13年と3ヶ月ぶりの作品になります。永井真理子&廣田コージとしては、1993年発表の7thアルバム『OPEN ZOO』から、ちょうど10枚目のメモリアル・アルバムにもなっています(11thアルバム『ちいさなとびら』を換算に入れていますので、異を唱えたい人の気持ちも十分にわかりますが、それもあっての今があると考えたら抜くこともできないかなと)。

今から2年前、2017年6月に突如として発表された復活宣言。その際にナガマリはスタートラインに立てた気持ちをこんな風に語りました。

「深い海の底に沈めてしまった歌声を自分へと戻す気持ちになれた」

その結実が、この『W』というアルバムだと断言してよいのではないでしょうか。ただ、復活前のナガマリと復活後のナガマリには決定的に違う部分があります。それはファイティング・ポーズをとらなくなったこと。前作の『Life is beautiful』でさえ、海面に浮かび上がるために必死にもがき、挫けそうな自分に対して叱咤激励している部分がありました。復活前なんて、自分と戦いすぎて、いったい自分がなんなのかわからなくなったり、疲弊している自分を弱いと断罪しては、さらに疲弊させていく始末でした。そんなナガマリが「もう戦わないよっ!」とファイティング・ポーズをやめたのです。いや、復活後の2年で戦う必要がないことを悟ったのです。たぶん...。

アルバムタイトルの『W』には、(笑)や、ww や、v (^o^) v などの意味が含まれています。奇しくも笑いを職業としている方々が、ずいぶんと笑えない問題に現在さらされていますが...。人間、笑って生きていれば、やっぱり楽しい人生を過ごせるものです。ファイティング・ポーズを取りながら笑っていたら、それは幸福ではなく、圧倒的な力量への敬服、あきらめ、もしくは強がりや虚栄心であったり。そんなんではなくて、自然とこぼれる笑み、お互いに肩を叩き合いながら喜ぶ笑い。戦ってきたからわかる戦わない幸福、そんな姿を形にしたのがタイトルトラックであり、このアルバムのテーマにもなっているのではないかと。

ではでは、その1曲1曲を細かく見ていきましょうか、姐さん。

1.「Happy Clover

フジテレビ「梅沢富美男のズバッと聞きます!」にゲスト出演した際、この曲のレコーディング風景が紹介されていましたが、曲のタイトルを「ラッキークローバー」と言っていた天然ナガマリ。うん、そりゃ四葉のクローバーを見つけたらラッキーだけどさ...。そもそも、そういう意味の歌詞じゃないじゃん!

曲のイントロからして幸福感に満ちている楽曲。どこかコールドプレイの "Viva La Vida" や "Clocks" を彷彿させる部分もありますが、彼らの幸福感や高揚感へのリスペクトもあるのかもしれません。ナガマリライブのSEでもコールドプレイが流れているので、結構、影響されていそうな感じもします。いずれにしても、ここまでの垢抜けたハッピーソングはナガマリ史上、初ではないでしょうか。

四葉のクローバーを2つのハートに見立てて、人と人との支え合いを歌っています。ただ単純に幸せを歌っている訳ではなく<誰かを傷つけてたら君を大事に叱るから>や<1枚は悲しみ 3枚は喜び>と語りかけているように成長や幸福には厳しさと優しさが必要だよと、陰と陽の面があるよと、両方があるから今の幸福や幸運がわかるんだよと、だから共に成長して行こうと、そんな風に歌いかけてきます。聴いているだけで、ほんわかと幸せになれる、そんな楽曲。

CDの裏ジャケットでは耳飾りにしていたり、ツアーグッズでもシンボルとしてデザインされている四葉のクローバー。花言葉である「幸運」、もしくは「希望」「愛情」「幸福」「信頼」と一つ一つの葉に意味があるように、願いと感謝のシンボルとしてのメタファーを深読みすることもできてしまう、文句なしのオープニングナンバー。

2.「ROLLER COASTER ~全力笑顔でPeaceしよう~」

最新EP『W』にも収録されていたスタンダードなロックナンバー。とにかくデビューして30年以上のアーティストが、なんのてらいもなく、こんなド直球なロックを自然体で歌えることに感激してしまいました。これがナガマリですよ。

冒頭でファイティング・ポーズを捨てたと語りましたが、じゃあ、立ち向かうスピリットはどうすればいいのかとなるのですが、これが「楽しみゃええやん!」という、非常に楽観的な世界が広がっていたというね。ドキドキ・ワクワクして、さあ、やれることやっていこうぜ!みたいな。ジェットコースターに乗るようにスピードを楽しもう、乱高下を楽しもう。笑って、カメラに向かってピースするみたいに今を生きよう。なんか、実はWANIMAをカバーしましたと言われても不思議じゃないくらい、若さとエネルギーに溢れています。そういう点ではYUIの "Daydreamer" も近いかも。パンクであり、ポップであり、ナガマリでもある。

ローラーコースターと言えば富士急ハイランド富士急ハイランドといえばコニファーフォレスト。欲は言わないけど、ナガマリ in コニファーフォレストが仮にあったとしたら、ライブのテーマ曲は確実にこれでしょ。ヤバッ、なんか想像したらワクワクしてきた!

3.「スイッチ」

必殺のミディアムナンバーがきました。"日曜日が足りない" や "暖かい雪" "きれいになろう" の系譜に連なる楽曲ですが、そのいずれもがシンプルな恋愛ソングだったのに対して、ここでは同じ恋愛ソングでもちょっと内省的といいますか、そういう面では "やさしくなりたい" の21世紀バージョンと見ることもできそうです。

<ハートが硬く>なって、<ひざこぞを抱えて、あごをのせて>いる主人公に歌い手は優しく語りかけています。想いあふれるその人は苦楽を共にできる人なんじゃないの?と。傷ついたその経験も決してムダにはならないでしょと。だから、良いも悪いも分け合いながら生きていこう。そんな風に主人公に語りかけながら、最後には自分自身にも言い聞かせている。

ナガマリ・ボキャブラリーって独特だなぁと思います。この "スイッチ" もそうですが、今までも<大きな木の下に埋めた宝物>であったり、"ポケット" であったり、"タンバリン" であったり、セレクトする単語に、どこか純朴なイメージがあります。まあ、"HELP" や "HYSTERIC GLAMOUR" までいってしまうと、なんかパープルな感じがしてきますが...。でも、根底にそんなケミカルな世界があるからこそ、感情のスイッチを入れるなんていう発想も出てくるのかなと。

それにしても、やっぱアコースティックの響きは癒されますね。YouTubeで公開されているアコースティックver.の "YOU AND I" も最高ですよ。トュル・トュトュ・トュトュチュ~。

4.「僕らのBig Power」

テレビ東京系「柔道グランドスラム2018」のテーマソングとして、奇跡的なコラボを果たした通算36枚目のシングル。先述した "YOU AND I" や、代表曲 "ミラクル・ガール" が主題歌になった「YAWARA!」つながりで、ナガマリ&柔道にウルウルきちゃうファンも多かったと思います。

「猛烈に応援ソングを歌いたいタイミングに、頑張っている選手達にエールを送れるなんて最高すぎます。これはミラクルだ~。柔道の勉強しなきゃ!」と、当時Twitterでコメントを発表していましたが。え...、今さら柔道の勉強?と、なかなかズッコケてしまったファンも多かったと思います...。アン・ドゥ・トロワ!アン・ドゥ・トロワ!ですよ、姐さん。

ナガマリ応援ソングで思い浮かべる楽曲は、もちろんそれぞれ違うと思いますが、僕の中でのベスト応援ソングは "20才のスピード" です。<チャンスに強くなれ 弱い時にこそ>と、もう完全に昭和な根性論を叩き込まれた感じもするのですが、当時は<逃げてみてもしょうがない。涙をナイフに変えて>でもやるしかないと腹を決めたものでした。あれから30年。思い描くだけでは何も起きない。さあ、大きな力を信じて一歩ずつ未来へ進もう!と。君の努力は知っている。上を向いて進めば上昇気流に乗れるさ!と。さあ、トップをねらえ!と。いいなぁ...。僕も若い頃に、こんな優しい言葉をかけてほしかったです。ただ、逆説的に考えると、これはナガマリ自身への応援ソングという面もあるかと思います。<二度と負けないように>というフレーズは、やはり今までファイティング・ポーズをとり続けた結果、歌声が海の底まで沈んでしまったことへの自戒の念ではないかと。上を向いて立ち上がれば、きっと君も私と同じように笑顔になれるはずだよ。上へ上へと浮上していけば、やっぱり同じように光や風が味方になってくれるはずだよ。私はそれを知ってる。私はそれを忘れない。そんな想いもあるのではないかと。

5.「20時の流星群」

アルバム発売に先駆けて発表されたEPのメイントラック。

この曲の感想は上記のテキストにも書きましたが、かの名曲 "Keep On "Keeping On"" を越えたという思いは、アルバムをフルで聴いた今でも変わりません。

復活後の幸福感の多くは、SNSを通じてのコミュニケーションに尽きるのではないかと思います。もちろんライブでのつながりもそうですが、ライブ以外の場でもつながっていられる、楽しめるという思いが、今の永井真理子というアーティストの存在をキラキラと輝かせているのではないかと。

そのきっかけは2018年12月14日の夜。ふたご座流星群がピークを迎えるらしいよっ!と、みんなで見てみようっ!とナガマリがTwitterで呼びかけたことが始まりでした。流れ星が見えた人もいれば、星じゃなくて雪しか見えない人、降ってはいないけど雲ばかりの人、星はあまり見えないけど三日月はキレイに見えたという人。本当に人それぞれで、だけど、みんな夜空を見上げているというのは一緒で、そのつながりが心を満たしてくれるという。この連帯感に幸福を感じるというのは、10年間も第一線から離れ、ある意味、孤独をヒシヒシと感じた経験があったからこその感謝であったり喜びであったりではないかと。そんなことを想像しながら聴くと、また泣けてきます...。

6.「ORANGE」

通算35枚目のシングル。2017年の復活からちょうど1年を迎え、10年も待ち続けてくれたファンや、さまざまな再会への歓喜を素直に綴った曲。

オレンジという単語にはメタファーがたっぷりと込められていて、柑橘類の甘酸っぱさをそのまま人生の甘酸っぱさに例えたり、丸々としたオレンジ色をサンサンとした太陽に例えたり、映画「時計仕掛けのオレンジ」のように人間と例えたりすることもありますが、これはちょっと深読みしすぎかもしれません。

深い海の底から浮かび上がった時の、目の前に広がる空の青さ、その突き抜けた高み。それは嫌いだったものさえも受け入れられる心の広さのようで、どこまでも進んでいけるような前向きな気持ちのよう。その時、その先に見えたものが...。

14thシングル "私の中の勇気" では<失くすことを恐れない。痛みさえも越えられる>と歌い、"DON'T GIVE UP HEART" では<あなたの優しさ抱きしめ、悲しみを越えてく>と歌っていましたが、やはり、そんな日々は<泳ぐことさえできない>毎日を生み出してしまいました。深い海の底から、水面を煌めかせる光を眺めていた季節は、何かしらの理由や答えがなければ、そこに浮上してはいけない重しとなっていたのですが、しかし、そんな重しは幻で、ふと流れてきた風に身をゆだねてみれば、理由や答えなんていらない、素直な気持ちのまま一歩を踏み出せばいいんだと教えてくれたのです。それは<錆びた心の観覧車>でもなく、<ジャングルジムの頂上>でもなかった。<真っさらな一歩を踏み出す>先に見えたのは、太陽のようなオレンジだったのです。

ライブグッズのシンボルとして、このオレンジと四葉のクローバーがセットになっています。ナガマリも、僕たちも、このシンボルを胸に、肩肘を張らず、今の幸せと明日の希望を思う存分に吸い込んでいければと思うのです。

※ちなみにフィジカル盤の『ORANGE』には、"Do Not Worry" と "Stay with me" のセルフカバーが収録されています。あとウチワ。

7.「JUNGLE」

これこそ『OPEN ZOO』じゃないか?と思えるほど、ナガマリ語録満載の打ち込み系アッパーチューン。ジャングルとかパラダイスとかいう単語を聞くと、どこかの銃と薔薇なんていうバンドをイメージしちゃいますが、ここでのジャングルは「ジャングルブック」や「ライオンキング」の舞台になっているジャングルです。

ビビリガチTIGER → プーさんのティガー?

ゴマスリスリMONKEY → 豊臣秀吉

キマジメRHINOCEROS → わからない...、サイ=堅物?

ウソツキスギBIRD → トゥイーティー

いや、正解はないと思います。<右手が大きなスプーンの子供>とか<頭に鳥かごかぶった男>とか<針金のケーキを送る女>とかと同じ世界だと思うのですよ(思い返してみたら、こんな曲をリアレンジしてシングルカットしてたんですよねぇ...)。でも、<無敵の旗を掲げろ>とか、めちゃめちゃ好きなフレーズです。否が応でも高揚感が湧き上がってくるじゃないですか。<踊って 騒いで 笑って 叫んで>、うん、やっぱり『OPEN ZOO』だ。動物園開園!

8.「Do Not Worry」

すいません、このアルバムの中で一番好きな曲です。カントリー風というか、エバーグリーンというか、こういうのに弱いんです。<cause I LOVE YOU>のラヴュ~の部分なんかたまらないです。アヴリルとかテイラー・スウィフトとかも、結構、昔はこういう曲歌ってたんだけどなぁ。そういう意味では "I know right?" も大好きです。え?"We Are Never Ever Getting Back Together" じゃないかって?いやいや、それを言うなら "Don't Let! Apple Pie!" が田舎から上京してライザップに通ってオーガニックなカフェをオープンしたみたいな感じですよ(なんのこっちゃ)。しかし、<雨なら休んで、晴れてもゆっくり、自分のスピードで目指そう>なんて、こんな自然体でポジティブなサウンドトラックってあります?例えば、"こんな人生もありよ" では<40年丸々寝ないで生きまくって、残りの20年寝て死ぬ方がいい>と、24時間戦い続けて燃え尽きちまおうと歌っていました。それでも<未来をでんぐり返しして転がれば、ラッタ ラッタ ル~ルルル~>と、楽天的だったのですが、まあ、転がり始めたら二度と止まらなくなりそうです。そんな風に(どんな風?)とにかく「風雲たけし城」の谷隊長の如く「いけ~っ!!!!!」と猪突猛進の号令をかけまくっていたのが復活以前のナガマリでしたが、それも時が過ぎると、「24時間テレビ」のマラソントレーナー坂本さんのように、並走して、苦しみも喜びもすべて分かち合う境地にたどり着いたと。

それにしても、やっぱ、この曲いいわぁ。たまんない。

9.「涙よ頑張れ」

アルバムの中では比較的ネガティブでシリアスな楽曲ですが、その心の機敏の描写を追いかけていくと、最終的に明るい未来のためへの決断をするまでの物語になっています。その物語を追いかけていくことで、リスナーにも明るい未来への決断を促している、そんな楽曲。

自己中でわがまま、こんな状況を抜けるには妄想に走って気分をよくするしかない。だけど、なんの解決にもならないし、なんの行動もしていない。そんなところから主人公の物語は始まり、未練や自己顕示欲、それらが自分の弱さだと、こぼれ落ちる涙のたびに徐々に受け入れ、最後には感謝で終わる。マイナスだったエネルギーが涙によって浄化され、感謝にたどり着くことでプラスに変換される。

"ピンクの魚よ" では、水槽の中の魚を外の世界に放してあげたいと願いながら、外はもっと危険だし、そもそも水槽の外はもっと大きな水槽で、結局は決まった水槽の中で生きていくしかない、いつまでも自由にはなれないんだと諦めていました。でも、水槽の中で生きていけること、水槽の中だから守られているということに感謝ができたら。それでも、やはり<エメラルド色の波>にたどり着きたいという想いがあれば、大丈夫、きっとたどり着ける。愛着のある世界から離れないといけないのは寂しいけど、涙をナイフではなく温かなパワーに変えて進んでいこう。そうして、ピンクの魚は水槽の外の世界に踏み出したのです。

10.「Fine day Sunny day」

ぜんぜん違いますけど、最初にイントロを聞いた時に "卒業しても サヨナラしても 遠くでも" みたいで、おっっ!と思いました。こういう小品な曲があるかないかで、アルバム全体のバランスってだいぶ変わるんですよね。もちろん、そのバランスは抜群です。アルバムの雰囲気がこれでギュッと締まっています。

たぶん、Twitterで「めちゃめちゃ頑張って、アルバムの新曲が1曲増えたぁ!」と報告していた最後のレコーディング曲がこの曲じゃないかと想像。もしかしたら "スイッチ" かもしれないけど、アルバムの曲順からすると、たぶんこっちでしょ!どうだ。

ああ...、あくびが出た。

11.「W」

"Mariko" で<自分になる旅に出ようと思う>と所信表明し、"La-La-La" で<何のために生まれたのか>と自問自答、"タンバリンをたたこう" で<感動するために生まれたんだ>とアンサーを導き出していました。他にも "私の中の勇気" や "DON'T GIVE UP HEART" など、永井真理子というアーティスト人生のシーズンごとに核になる楽曲が存在していたのですが、その系譜に連なる最新楽曲が、この "W" になります。

うろ覚えですが、18thシングル "chu-chu" のカプリングとして収録された "La-La-La" のシングルver.、もしくは『OPEN ZOO』に収録されているアルバムver.、どちらかで横浜スタジアムでのオーディエンスの歌声を曲に取り込もうとしたらしいのですが、うまくいかず断念した経緯があったと思います。あの頃の想いをもう一度と、ここに再現したのがTeam Mであり、この曲がなければ、このアルバムの意味もないのです。

曲の最後の歓声は、まるでオアシスの "Whatever" みたいで、そのうち誰かがナンバーワ~ン!と叫びだすんじゃないかと思ってしまいましたが、まあ、この歓声が、この一体感が、この幸福感が、今のナガマリなのです。

 

てなわけで、全曲レビューでした。

通販でCDが届いてからというもの、とにかく聴きまくっています。これだけヘビロテして飽きないのは、本当に久しぶりな感じです。CDジャケットも曲順も作品としてのバランスも全て申し分なし。明日も『W』を聞いて、この人生を励みます。

【連続テレビ小説「なつぞら」】第17週 競争じゃないべ、生きるのは。

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菓子職人の修業のために上京してきた雪次郎くんは、亀山蘭子の主演作『人形の家』を観劇すると、兼ねてからくすぶり続けていた胸の内に秘めた「夢」に開眼しました。葛藤に葛藤を重ねて出した結論は、敷かれたレールからはみ出し、新たな道、役者という道を歩いていくことの決断でした。

訛りという挫折を努力で乗り越え、当たり役に恵まれるチャンスも掴み、雪次郎くんは着々と新たな道を突き進んでいきます。そして、とうとう蘭子さんと名前を並べるまでに成長。その記念すべき作品がチェーホフの『かもめ』でした。

 

脚本家の大森先生は、もしかしたら主人公のなっちゃんよりも雪次郎くんに思い入れが強くなってしまったのかな?と思うほど、人間ドラマとしてのダイナミズムを雪次郎くんにぶつけているような気がします。夕見子ちゃん好き好きもそうだし、蘭子さん好き好きも、押入に隠れるのも、涙しながら本音を語るのも、なっちゃん以上のドラマチックさがあるような...。逆になっちゃんが冷めてるようにも見えてしまう。そして、それを演じる山田裕貴さんも役柄とのシンクロ率100%と断言するほど "普通" に演じている。スゴイなぁと思います。

 

劇中劇としてセレクトする作品がどれもドンピシャなのもスゴイと思います。『人形の家』で意識の目覚め・フェミニズムの勃興を謳い、『かもめ』では第四幕のコンスタンチンのセリフ「問題は新しいとか古いとか形式にあるんじゃない。魂から奔放に流れ出てくるものを書くことが大切なんだ」と語られているように、雪次郎くんの心情を的確に捉えたものとなっているのです。

劇団仲間から新しい世界に一緒に行こうと誘われ、イッキュウさんからは蘭子さんを新しい境地に導くことができるのは雪次郎くんしかいないと太鼓判を押され、その蘭子さんからは「あんたほどの大根役者は見たことがない!」と突き放されます。

新しい世界に飛び込みたい気持ちと、古くても今まで大事にしてきた気持ちとの間で、雪次郎くんは引き裂かれてしまいます。それは以前、天陽くんがなっちゃんを描いた絵を赤い絵の具で塗り裂いたのと同じ境遇のような気がするのです。

 

恩人であり憧れでもある蘭子さんを押し退けてまで新しい世界を開拓するぐらいなら、その世界を捨てて、自分の原点に帰ろう。とんでもなく中途半端な道だったけど、もう一度、もう一度だけ、新たなレールの上を進んでいこう。それが "魂" が求める道なんだから。そんな覚悟を決めた雪次郎くんに涙が止まりませんでした。

主人公のなっちゃんみたいに、誰も彼もが己の道を邁進していけるわけではないと思います。時に迷い、時に惑わされ、時に勘違いし、時に己惚れる。そんな風に右往左往しながら、僕らの人生は進んでいくような気がするのです。そんな僕らに天陽くんは優しく語りかけてくれます。

「競争じゃないべ」

 

自分のペースで、自分だけのゴールテープに向かって進んでいこう。

そのゴールテープを争う人はいないんだよ。

【連続テレビ小説「なつぞら」】第16週 ごちゃごちゃ言うな!

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何やら髭をたくわえたトッチャン坊やの高山昭治くんと、嵐の如く突然、東京に駆け落ちをしてきた夕見子ちゃん。どうやら学生運動の機運に惑わされ、気分の上では自由を求めて、遥々と東京に来たらしい。しかし、芯が一本通っている夕見子ちゃんとは違い、ボンボンの高山くんは、自身のジャズ評論も文筆も東京で認められないとわかるや否や、タイミング良く柴田家へ告げ口をしてしまったなっちゃんを理由にして、ピャッとシッポを巻いて逃げ出そうとする。それを取っ捕まえて「抹殺!」したのが柴田のおんじでした。

僕もジャズはよく聞きます。特にピアノ系のジャズが好きで、レッド・ガーランドとかビル・エヴァンスとか好きですし、ブルーノートピアノ曲を集めたコンピレーション・アルバムとかもよく聴きます。そんなん聴きながら、ワインとか、ウィスキーとか、そんなん飲んでいると「大人やなぁ...」とか「アダルティやなぁ...」とか「オシャレさんやなぁ...」なんて思います。自分でもアホか!って思いますけど、あの雰囲気に勝るものって他にないんですよね。言うなれば "憧れ" なんです。その "憧れ" の世界に簡単に浸ることができる。だから、勘違いしちゃう人が多いのかもしれません。

何が言いたいかっていうと、ジャズを語る人って、ロクな奴がいないんですよね。高飛車というか、頭でっかちというか、斜に構えているというか。もとがオシャレなんで、単にそう見えるだけかもしれないんですけど、それでも「キミたちには、この良さがわからないのかい?」と斜め78度の高みから見下ろされてる感は拭えない。

なんで、柴田のおんじが高山くんを抹殺してくれた時はスカッとしたなぁ。やっぱ、おんじだよね。夕見子ちゃん、もう変な男に惑わされるなよ。

 

高山くんがグレン・ミラーとかベニー・グッドマンを「古い」と一刀両断したように、イッキュウさんは仲さんたちの考え方を「古い」と同じように一刀両断しました。柴田家の酪農、雪月の菓子職人、ムーラン・ルージュに川村屋のカリーライス。なっちゃんの周囲には、古き良きものを大事にしている人たちがいっぱいいます。しかし、時代は移ろい、新しい価値観が物語の中心を侵食し始めてもいます。

マコさんは、今回の『ヘンゼルとグレーテル』の出来に満足してしまいました。自分の限界をそこで感じてしまった。逆にイッキュウさんもなっちゃんも、この作品は通過点でしかなく、もっと良いもの、もっと面白いものが作れると自負しています。マコさんは「古く」なってしまい、なっちゃんたちは「新しい」ものに挑戦していきます。

どちらがいいとか、どちらが悪いとかではなく、僕たちは常に新しいものと古いものをごちゃ混ぜにしながら生きているんじゃないかなと思います。高山くんやイッキュウさんは、そこに何かしらの線引きをしたがりますが、そこに線なんて引く必要はないんじゃないかと。なまじっか線なんて引いてしまうから、芸人さんやロック・ミュージシャンに品行方正を求める、なんかよくわからない議論が出てくるのではないかと。人間なんて、そんなに単一的な生き物じゃないでしょ、と。

なんでしょ、『なつぞら』って、"今" にリンクしやすいドラマのような気がしてなりません。これって、名作ってことなんじゃないのかなぁ...。

愛にできることはまだ(まだ、いっぱい、限りなく)あるよ

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聴いている間にカチカチ、カチカチと再生回数が上がっていくラッドの新曲「愛にできることはまだあるかい」。相変わらずの野田洋次郎という男の厭世観は健在で、ゆとり世代、もしくはさとり世代の代弁者として、有り余る解答が用意されている世界に、虚数をはじき出し、アルゴリズムの向こうに幸福を探している。でも、それはユークリッドの『原論』から変わらない、世界を形作っている非常にシンプルな解答と同じなのだと言っている。幾多の数学者が世界の形を暴き出し、スーパーコンピューターが円周率の小数点以下を31兆4159億2653万5897桁まではじき出しても、まだ完全な円が作りだせないように、野田洋次郎は "愛" に希望を抱いている。

僕らが生きている世界に限界はない。

なんて素敵なことなんだ。

まがまがしてるミセスの「インフェルノ」がいいぜよ

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本日、発売のMrs.GREEN APPLEの配信限定の新曲「インフェルノ」がiTunesのトップソングで初登場1位を獲得しています。

おっさんの僕はミセスの大森くんとバンプの藤原くんの声の区別がイマイチつかなかったりするのですが、若い世代のバンドの中ではビブラートが効いている、けっこう好きな声です。今年の1月に発売された「僕のこと」なんて大森くんのボーカルが爆発した名曲だと思います。

そんなミセスの新曲をさっそくYouTubeでフルコーラス聴くことができますが、これ、いいわぁ。カッチョいい。ジャケットもいい感じ。

若い世代が元気だとやっぱりいいな。

僕はいまだに氷室京介を卒業できていない

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この手の商品が次から次へと出てきては、てやんでい、今頃こんなもの出されたって、オイはなんとも思わねえぜよ!なんて思いながら、グググ...と、ついつい手を出してしまう。我慢ができない...。ファン心理というのは、なんて憎たらしくて、それでいて愛おしいものなんだろう...。

正真正銘、日本の伝説的バンドの最後の夜を完全収録したアルバムです。今から31年と3か月前の夜ですが、あの熱さは今も健在。布袋さんのギターも、常松さんのベースも、マコっちゃんさんのドラムも、これでなきゃBOOWYじゃないアンサンブルとグルーヴを産み出しています。

そして、ヒムロ。やっぱ、このボーカルは唯一無二ですなぁ...。

先月、リブマックスという不動産会社のテレビCMで、突然「LOVER'S DAY」が流れてきた時には、おおおおおっっっっっ!!!!!ヒム!!!とうとう動き出すのか!!!と思いましたが、なんてこたぁない、たぶん社長さんだか会長さんだかの趣味で制作されたようです...。紛らわしい...。

スピッツ「優しいあの子」の "あの子" って、誰のこと?

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なつぞら』主題歌でおなじみ、3年2か月ぶりのスピッツ新曲「優しいあの子」のフルPVが一昨日、ニューアルバム発売のアナウンスと共に突如としてYouTubeで公開されました。

マサムネさんの変わらぬ透き通った声もいいですが、僕としてはモーターワークスでもブイブイ言わせていたアキヒロさんのベースがたまらなく好きです。「こぉ~りぃ~を~散らす、か~ぜぇすぅら~」のBメロ部分で、まるでコーラスのようにドゥゥンドゥゥン唸りまくっているところなんか、歌詞の通りに氷雪を撒き散らす嵐のようで最高です。毎朝、聴いてても不思議と飽きない、スピッツの新たな名曲の誕生ですよね。

で、毎朝、聴いてて、ちょっと思いました。

優しいあの子の "あの子" って誰?

 

ネット上でも、その対象が誰であるかをいろいろ歌詞考察として分析されている方が多いですが、それを僕なりにも解釈してみようかな、と。

言いながら、スピッツの全曲を聴いている訳でもないので、ホント、大のスピッツファンからは、お前、なにトンチンカンなこと言ってんの?「ヒバリのこころ」から耳かっぽじって全部聴けや!と怒られそうですが...。

 

ズバリ、優しいあの子の "あの子" とは、奥原なつのこと!

どうだ、ファイナルアンサー!

...。

...。

...。

ブッブッー!

わぁ、いきなり間違えました。

 

なんだ、このやり取り...。

てな感じで、普通にドラマ主題歌として聴いていると、"あの子" というのは、なっちゃんのことを歌っているような印象を受けます。ドラマのオープニングアニメが、大人になったなっちゃんがチビなっちゃんを愛でているような、子供の頃の自分を振り返りながら、その楽しかったこと辛かったこと、転んだことや乗り越えてきたこと、広い世界に自然の美しさ、そんな自分の成長を愛おしみ、周りの動物たちと楽しく遊んでいたあの頃を懐かしむような、それが今の自分を産み出していると言わんばかりの、ほぼ歌詞に沿った世界が描かれているので、"あの子" はなっちゃんと思う人、もしくは大人のなっちゃんがチビなっちゃんに対して思っていること、と解釈する人がかなりいるのではないかと思います。

ただ、フルコーラスを聞くと、どうも "あの子" はなっちゃんじゃないような気がしてきます。じゃあ、誰なの?と問われると...。

 

まずは『なつぞら』主題歌に決まった当時のマサムネさんのコメントを抜粋します。「「なつぞら」は厳しい冬を経て、みんなで待ちに待った夏の空、という解釈です。」このコメントから、この楽曲が "冬から夏へ季節が移ろっていく情景" を描いていることがわかります。なので歌いだしは「重い扉」から始まるのです。それは雪が降り積もって重くなった扉かもしれませんし、人生のスタートと言う重厚な鉄扉かもしれません。いずれにしても、歌詞の主人公は、その扉を開けたのです。

さらに季節の移ろいを感じさせる、春の到来を感じさせるのが、

「氷を散らす風すら 味方にもできるんだなあ」

「芽吹きを待つ仲間が 麓にも生きていたんだなあ」

という1番2番のBメロの部分。雪解けを待つ植物たちを応援するように、春風が氷雪を吹き散らし、根雪の下でスクスクと育っていた仲間たちが顔を出す。そんな自然現象と同じように、人間の成長も辛い苦しい時だって、自分の肥やしや糧になる経験があるのだと歌っているのです。で、アキヒロさんがドゥゥンドゥゥンとその成長のうねりを表現していると。

で、「丸い大空」が夏の空。人生で言うなら、辛苦を抜けた解放感とでもいいましょうか。「寂しい夜温める」は秋の夜。夏を越えて、また冬が到来しそうだけど、そこには以前とは違う、経験を積んだ自分がいるんだと。ただ、主人公には「言いそびれた ありがとうの一言」が言えずにいます。それを "あの子" に伝えられるのは「日なたでまた会える」時だと語っています。

さて、では「ありがとう」と伝えたい "優しいあの子" とは誰なのでしょう。

 

それは「未熟だった過去の自分」ではないかと。

 

マサムネさんは過去の未熟だったマサムネさんに対して歌っていて、それを聴く僕たちも過去の未熟な自分について思いを馳せる。それはドラマの主人公なっちゃんにも当てはまります。人生を四季になぞらえて、冬の季節があってもがんばれよ、その先には夏の空が待っているんだから。そして、過去の自分を助けてくれた人たち、自分を成長させてくれた経験、そんな全てに感謝をしたい。言えずにいるけど、また春の季節が来たら、思いっきり「ありがとう」と言いたい。だから、また会おうね、自分。そんな歌ではないかと。ドラマのオープニングアニメともビッタンコ。

いかがでしょ。

拝啓、黒沢健一さま

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ミスチルは天下を取り、スピッツは朝ドラ主題歌を奏で、エレカシはもう好き放題に生きている2019年。そんな90年代を代表するバンドたちが、今でも古びれることなくこの令和の時代でも輝いているということは、同世代としてもスゴイ嬉しいことです。

しかし、この世代のバンドで僕が一番好きだったのはL⇔Rです。嶺川貴子さまが在籍していたポリドール時代も、黒沢兄弟&木下くんの3ピースバンドも甲乙付け難く、健一くんのソロ時代も最高だし、モーターワークスも最高、さらにはソロ復帰後も最高でした。そんな彼が、今から2年半前の2016年12月に突如として旅立ってしまったことは、本当に、本当に、本当に残念でありませんでした。

訃報の後、秀樹さんが語ったところによると、L⇔Rの代表曲である「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」の成功後、健一くんは "壊れてしまった" と表現していました。当時からのファンからすると衝撃的な告白でした。アスリートが金メダルの次は金メダルを期待されるように、アーティストもミリオンの次はミリオンを期待される、その重圧の恐ろしさを感じずにはいられなかったのです。

米津玄師が「Lemon」と同じように「海の幽霊」に期待がかかっていながらドマイナーな曲をリリースしているように、あいみょんが「マリーゴールド」の後に発表した「ハルノヒ」がまんま二番煎じだったように、今、新海誠監督の『天気の子』に『君の名は。』と同じような期待がかかり、ラッドの新曲にも期待が高まっています。

爆発的なブームが起きると、僕らはスゲー!と飛びついてしまいます。ミスチルは「CROSS ROAD」の一発屋になるのはイヤだと「innocent world」を発表し、その上を行く「Tomorrow never knows」をドロップしました。ミスチルが天下を取ったのは、この三段論法でグウの音も世の中に言わせなかった強みにあり、さらには活動休止したにも関わらず、またまたトップに躍り出た強靭なタフさがあった所以だと思います。これは聖徳太子徳川家康など本当に時代のテッペンに行く大スターにだけ認められるタフさだと思うのです。

スピッツも負けてはいませんが、マサムネさんが3.11のショックでPTSDになってしまったように、桜井氏のようなタフさ加減は持ち合わせていません。エレカシの宮本さんも再ブーム到来で、今は輝いていますが、それもエレカシ30周年の節目で何かがプッチーンとブチ切れたためと思われます。そこからの振り幅が凄まじい。

話が戻って、健一くんは、そもそも売れたいと思ってなかったところがあります。まったく売れないのは問題だけど、爆発的に売れることは望んでいなかった。そして、爆発的に売れることによって生じる重圧から逃れるためには、メインストリートから外れるしか選択肢がなかった。人々はそれを "一発屋" と揶揄します。

HEAR ME NOW

HEAR ME NOW

  • Various Artists
  • J-Pop
  • ¥2400

ここに収録されている曲たちを聞けば、彼が遺したトラックの数々が、決して一時だけの気まぐれでない事を如実に物語っています。そんな才能が潰えてしまったと言うのは、本当に残念で仕方ありません。

【連続テレビ小説「なつぞら」】第15週 何だか、ますますワクワクしてきました。

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物語を創作していく過程、イマジネーションを膨らましていく楽しさ、イノベーションを起こしていく情熱、そんな "想像力" や "人間の原動力" みたいなものが描かれていた今週の『なつぞら』。主人公なっちゃんのモデルである奥山玲子さんを始め、カチンコいっきゅうさんが高畑勲監督、今週から登場した神地くんが宮崎駿監督と、日本のアニメ界の重鎮たちが揃いあがったことで、俄然、尋常じゃない盛り上がりを見せ始めてもきています。今回はそれを一つ一つ振り返ってみたいと思います。

 

1.『ヘンゼルとグレーテル

新たな短編映画の原画をマコさんのサポートとして任されることになったなっちゃん。その方向性をどうするか決めかねているうちに千遥ちゃん問題が勃発。一路、突発的な北海道への里帰りとなったわけですが、そこへ夕見子ちゃんまで合流。久々の柴田家勢ぞろいになりました。

もともと勉強家でフェミニズムへの傾向も強かった夕見子ちゃん。床に転がっていたグリム童話に目がいき、なっちゃんに短編映画の原画を任された話を聞くや、すぐさま『ヘンゼルとグレーテル』に着想を得ます。ヘンゼルが家に帰るための道しるべに落としたパン屑が、奥原兄妹にとっては "絵" だった。道しるべであるパン屑を食べてしまった鳥は、さしずめ "時の流れ" で、兄妹は家に帰れずに大人へと成長していく。そんな着想になっちゃんは感銘を受けます。明美ちゃんにはチンプンカンプンだったみたいですけど...。

本当は恐ろしいグリム童話〈2〉 (WANIBUNKO)

本当は恐ろしいグリム童話〈2〉 (WANIBUNKO)

 

もう20年くらい前に出版された桐生操氏のベストセラー本のおかげというか、童話と呼ばれているものたちが、実際は子供向けにリアレンジされたソフトなものになっていて、原作もしくは初版ではかなり残虐な描写や痛烈な社会風刺が盛り込まれていたというのが、昨今では当たり前の認識としてあります。

なつぞら』で語られていた "継母" というのも第4版を出版する際に改編された部分であり、初版では "継母" ではなく "実母" であったことが知られています。そもそもグリム兄弟も、この物語の着想をドイツ・ヘッセン州で伝承されていた民話をベースに拵えたものだったようで、シェイクスピアが史実をもとにして数々の名作や名言を生みだしたように、芥川龍之介が伝承や説法などから数々の名作を編み出したのとなんら変わりません。中には、物語に登場する魔女が継母と同一人物であり、ドストエフスキーと同じように、この物語は "親殺し" を扱っていると解釈する人もいます。

いずれにしても、ドラマの中で『ヘンゼルとグレーテル』が登場した所以は、戦災孤児としての子供時代の投影、兄妹の絆、そして、奥山玲子さんの実際の映像作品が存在していたためと言えます。さらに高畑勲監督の長編アニメ第一作『太陽の王子 ホルスの大冒険』をねじ込んでくるとあっては、喝采を叫ばずにはいられません。

 

2.イデアとメタファー

90歳まで頑張ります!と高らかに宣言した村上春樹氏の最新作『騎士団長殺し』ではないですけど、作中作として創作されていく『ヘンゼルとグレーテル』には、数々のメタファーが盛り込まれ、それがイデアとして表現されています。その全てが初演出として奮闘している坂場イッキュウさんが生み出したものでした。まずは、それを羅列してみたいと思います。

ヘンゼルとグレーテル』の物語 → 奥原兄妹の投影

ヘンゼルとグレーテル → 広い意味での "子どもの戦い"

魔女 → 子供たちの自由や未来を奪う社会の理不尽さ

魔女から逃げる → 逃げても追いかけてくる社会の理不尽

悪魔が飼っているオオカミたち → 戦争や兵器の象徴

森 → 子どもたちが生きる世界、もしくは生活の場

魔女の魔法と木の怪物 → 子どもたちを守る存在

森に降り注ぐ木漏れ日 → 平和

こんな風に坂場イッキュウさんは事あるごとに作中のメタファーを説明し、その内容を確認した五十嵐...、いや、井戸原さんは「社会風刺か?」と一発で見抜きます。それもそのはずで、どう見ても戦争孤児をベースにしているとしか思えない内容であり、それもなっちゃんの原体験から発想されたものなので、それを支持した坂場イッキュウさんが編み出したものがそうなってしまうのは当たり前なのです。

この「アニメ作品にメタファーを注ぎ込む」というのは、今週から登場した神地くんのモデルである宮崎駿監督が得意としていたところです。そのフィルモグラフィーに合わせて、大雑把な作品テーマに隠されているメタファーを羅列してみたいところではありますが、それはまた時間のある時に。

 

3.働くという事

なっちゃんが働いている東洋動画スタジオでは実に様々な人が働いています。

モモッチのいる仕上課の女子たちは男漁りを目的にする子が多く、マコさんは最初なっちゃんもその同類だと思っていました。そんなマコさんは絵描きとしてのプライドが高いチャキチャキな職人肌。その下についている堀内くんは、言われたことは忠実にこなすけど、自分から何かをしようとは決してしない指示待ちくん、だけど文句は言うみたいな。茜ちゃんも堀内くんに近いところはあるけど、さすが女子なだけあって、その当たりはマイルドな感じ。そして、新人だろうがなんだろうが言いたいことはズケズケと言って、良かろうが悪かろうが行動あるのみの神地くん。人は口先だけより、行動を伴った人についていきがちですよね。

そんな人たちを束ねるのが下山さん。中間管理職みたいな立場で、下をまとめなきゃいけないし、上にもお伺いを立てないといけない、なかなか胃が痛くなりそうな立場です。そんな下山さんに「こんなんでどうする!」と激を飛ばすのが井戸田さん、「いいじゃん、面白い試みじゃん」と優しく見守ってくれるのが仲さん。上司として側にいてほしいのは仲さんだけど、井戸田さんのように激を飛ばす人がいないと締まらないのも事実。

見渡すと、僕の働いている職場にもこんな人たちがいっぱいいます。会議やミーティングでいつも発言する人と、いつも黙りこくっている人。自分で考えて仕事を組み立てなさいと教えても、次に何をしたらいいですか?と指示ばかり仰ぐ若い子たち。井戸田さんのような上司は、すぐにパワハラだと騒がれそうだし、仲さんのような上司ばかりになると なあなあ になりやすく、緊張感のかけらもない職場に陥りやすいです。フレンドリーなのはいいことだけど、仕事はフレンドじゃできないのです。友達同士のお金の貸し借りが曖昧になっていくのと同じで、そこに真剣さがなければ利益は生まれません。

ただ、大杉社長のように利益だけに目がいき、その利益の根本に何があるのかを見ずにいると、仕事は機械的になっていきます。映画が大ヒットしたのは作り手の想いが結実し、その宣伝効果も功を奏したからで、作れば売れるという単純なものでもありません。逆にそれでも失敗するケースももちろんあります。

今週の東洋動画スタジオ『ヘンゼルとグレーテル』制作班の動きを見ていると、アイデアがポンポン出てくる会議は実に生き生きとしていますが、そんなアイデアも行き詰まり、なかなか先が見えない状態になると、まあ、みんなダラけてきます。そして、最終的に「これは面白い!やろう!」となった時の一致団結は、たぶん誰にも負けないスーパーサイヤ人状態と言えるでしょう。

そんな姿を見ていると、仕事に必要なのは「"面白い"と思える目標」があるかないかのような気もします。しかも、常に "面白い" と思えるものを周りに見つけられるか。そんな技術というか、思いというか、意識というか、そういうものがあれば毎日が楽しくワクワクしてくるのではないかと。

うん。僕も、なにか "面白い" ものを見つけなきゃ、姐さん...。

ルイス・キャパルディはエド・シーランになれるのか?なれないのか?

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今、イギリスで売れに売れまくっているのが弱冠22才のシンガーソングライター、ルイス・キャパルディ!そのデビューアルバム「Divinely Uninspired to a Hellish Extent」が英オフィシャルチャートを席巻しています。

去年の11月にYouTubeで公開された「Someone You Loved」のMVが感動的すぎて、泣けるMVと巷では話題になりましたが、まあ、スゴイです。

最近の「なつぞら」はぜんぜん泣けないよぉ~!と思われている方は、どうぞ、このMVを観てギャンギャン泣いちゃってください。最近のYouTubeは対訳を載せてくれるので、英語の歌なんか、ぜんぜんわかんないよっ!という人も楽しめます。

余命わずかな妻から臓器移植を受けた若い母親に、命の希望と愛の深さを感じずにはいられない、わずか4分のショートフィルムですが、マジで泣けます。それもそのはず。ルイスの母親は看護師で、そこから臓器移植のチャリティ団体のことを知り、今回のMVでのコラボになったそうなんです。

他、アルバムからのシングルカットとなった「Hold Me While You Wait」がオフィシャルチャートの4位まで浮上。上にはエド・シーラン&ジャスティン・ビーバーエド・シーラン&カリードの最強2トップが陣取り、熱愛だとかなんだとかゴシップネタばかりのショーン・メンデス&カミラ・カベロのベロチューソング「セニョリータ」がトップに躍り出ています。この3バックを崩すのは、なかなか手強いんじゃないかと思いますが、そこを突破するには、またもや感動的なMVが必要な気もします。

 

しかし、スコットランド出身のルイス・キャパルディですが、なんでイギリスって国はこう次から次へと胸を打つようなシンガーが出てくるのでしょう。アデルもそうだし、サム・スミスもそうだし、エド・シーランもそう。しかも、みんな10代とか20歳で頭角を出してるんだから恐るべしですよ。

昨日、発売されたエドの最新作はもろヒップホップですが、ルイスに関しては、そんなブラックミュージックへの傾倒は皆無のようです。が、エドと同じように、決してイケメンではないルイスですけど...。まだ、エド・シーランの方が可愛げな愛嬌のある顔をしているのに対して、ルイスは...。

まあ、ノエルに「てめえの天下なんか15分ももたねぇよ!」とディスられ、「ヤベエ、ノエルにディスられた!やっほ~い!」と大はしゃぎしているルイス。それを受けて、ノエルの娘が将来ルイス・キャパルディみたいになりたいと言い出したら「あんなヤッコさんみたいなルックスになるのはオレ様が許さねえ!」とまたもやディスったりと...。イギリスって、こういう話題、好きだよねぇ。あ、日本も変わらないか...。

 

デビューアルバムのジャケットでいきなり黄昏ちゃってたり、お前のその中年太りみたいな腹はどうにかなんねぇのか!とイジられたりしながら、歌ではしっかり泣かせてくれるルイス。日本でも米津やあいみょんが注目され始めてからどんどん垢抜けていってるように、そのうちルイスもエドみたいになる日が来るのかなぁ。いやぁ...、どうだろう。どこか優男的な印象が拭えないので、かつてのダニエル・パウターやジェームス・ブラントみたいに一発屋で終わる確率が濃厚な気もします...。