that passion once again

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永井真理子『Brand-New Door Vol.2』

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永井真理子」というアーティストに抱くイメージとはどんなものでしょうか。そりゃ、デビュー時からの "元気" というイメージに決まってるだろう!とおっしゃる方が大半かもしれません。代表曲である国民的タイアップから "ミラクル" というイメージを思い浮かべる方もいらっしゃると思います。小柄な女性からは想像もできない "パワフル" なパフォーマンスを一番に推す方もいらっしゃるでしょう。なに言ってるんだい "やらかし" に決まってるじゃないかと親指を立てたあなたはTeam Mですw。

で、かくいう私はというとですね、少数意見になるとは思うのですが "自己対峙" というイメージがスゴイ強かったんです。たぶん亜伊林さんの歌詞の影響がかなり大きいと思うんですけど、とにかく真理子さんは常に自分と向き合い・自分と格闘し・答えのない答えを探しまくっているイメージだったんですね。で、同じように "生きる意味" を模索していた多感な思春期の私は、そんな姐さんの作品にふれることで答えが少しだけ見えたような気になり、ライブに参加することでかろうじて現実から救われたような気になっていたのです。

前作『Brand-New Door』から、ちょうど1年。ファン待望のセルフカバーアルバム第2弾『Brand-New Door Vol.2』に収録されている11曲ものナンバーたちは、そんな思春期の葛藤を一緒に乗り越えてきた大切な大切な曲たちのオンパレードとなっています。あの日、あの時。例えば、えぐられるような胸の苦しみを抱えて眠ることができなかったあの夜、もしくは途方に暮れてなにも考えることができなくなったあの夕暮れ、人とふれあう温かさに心がふっと軽くなったあの瞬間。そんな思い出の1ページをそっとめくっていくようにですね、この大傑作セルフカバーアルバムを1曲ずつ、愛でるようにひも解いてみようかなと思うのです。

1.23才

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オリジナルは1990年発売の大名盤『Catch Ball』からのシングルカット曲。作曲は前田先生、作詞は真理子さんと浅田有理さんの共作となります。先日のブログでも語りましたが、この痛切なまでの楽曲を今ここでカバーしたというのが、今作『B.N.D.2』の存在意義を端的に象徴しているのではないかと。

図太いリズムギターと重心の低いスネアが高らかに鳴り響くオリジナルのオープニング。この硬質なハードロックが誘導していく世界というのは、思うようにいかない現実をハンマーで叩き壊していくファミコンの「レッキングクルー」よろしく、今を生きていく私たちの原動力でした。CDをコンポやラジカセにセットして、プレイボタンを押したあとに響いてくるあのズゥーンという重低音が、アルバム『Catch Ball』を聴くときの一大高揚感だったのです。

今回のアレンジでは、その高揚感が違う意味で心に響いてきます。原曲ではギターの裏に隠れ気味だったフレーズが、エレクトロニカルな幸福のファンファーレとして、コロナ禍で結ばれた絆を称えるように私たちの目の前に広がるのです。≪誰かと出会いたい 苦しい出会いでもいいよ≫ と、現実を突破しようとするこの気概というものが、なんていうんでしょ、若さゆえの当たって砕けろ的なものではなく、感謝にあふれているんですよね、うまく言えないんですけど。冒頭の真理子さんのアカペラもそんな感じで。なんか感謝というか、幸せにあふれているんですよ。

復活後のアルバム『W』もそうなんですが、戦いの果てに深い海の底へと沈み、長い時間をかけて浮上したあとのこのきらびやかな世界が本当に感動的で。Vol.2なんですけど、前作の意味合いとはぜんぜん違う、あたしたちは幸せなんじゃーーー!!!!!という高揚感に、イントロだけで泣けてきちまうんです。この幸福感が、思うようにいかない冷たい現実をですね、成るようになるさという、あたたかで穏やかな世界へと導いてくれるのです。

2.LOVE MEAL

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1994年に発売された大傑作アルバム『Love Eater』のオープニングナンバー。もしくはそこからシングルカットされた「日曜日が足りない」のカップリング曲。アルバムver.はラジオのSEが大盛り上がりを見せますが、カップリングver.ではドラムとベースのイントロというとてもシンプルなものになっています。なんだけど、マイベストを作るときはカップリングver.がいい感じでつながるので、いつもこっちをセレクトしています。ラジオのSEもアルバムのオープニングを飾るにはこれ以上ないトラックで、もうどっちも大好きなんですけどね。

曲は姐さんとアニキの共作、詞はもちろんMariko Nagaiでございます。発売当時から、もうアホみたいに繰り返し繰り返し聴いてきたナンバーで、豪華絢爛なホーンセクションとファンキーなグルーヴのうねりが気持ちよく、「Let's Sax!」とシャウトする真理子さんに今でも聴く度にしびれ続けていて、もう、正座をした後のパンパンに膨れ上がった足のウラ状態みたいな。ちょいと愛を食べすぎちまってる感があります。

で、今回のアレンジですよ。去年の33ライブ~I'm happy to meet you~でも披露されていたので、耳なじみのある方も多いと思うのですが、もうね、このバージョンも大好きなの。まず、カッチョいいじゃん。で、さらにカッチョ・ブーじゃん。しかも、カッチョいいの最上級であるカッチョ・ビービーブーまでいっちゃうわけじゃないですか。たまらないですよね。

疾走感にあふれたグルーヴ、「Let's Dance!」とシャウトする姐さん、しかもアルバムの2曲目に配置されているというこのライブ感。そう!ライブ感ってやつがハンパないのです!さあ、踊りまくりましょう!

3.ピンクの魚よ

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1991年に発売された通算6枚目のスタジオアルバム『WASHING』。デビューから真理子さんの楽曲すべてのアレンジを手掛けていた根岸さんの手を離れ、吉川忠英大先生が作曲とアレンジを施したナンバーが「ピンクの魚よ」でした(ちなみに「Pocket」も忠英大先生なんですけど、ここはそういうことにしておきます)。

この牧歌的で雄大なイントロを聴くだけで、今から30年前の、あの夏の大きな大きな入道雲を思い浮かべてしまいます。空はどこまでも青くて、その先に広がる未来は希望にあふれていて、息を吸い込めば、夏草の香りが胸の奥まで染みわたりました。そして、そんな半径1mの世界とは裏腹に、海の向こうでは湾岸戦争が勃発し、ベルリンの壁が破壊され、ソビエト連邦が崩壊しました。テレビに映し出される数々の映像、それを眺めているなにげない日常を生きている自分。隔絶された世界とすぐそこに隣接している世界。日常と非日常。

当時の心境を比喩的に綴った歌詞は、水槽の中の魚とあの時に置かれていた真理子さんの境遇をリンクさせた内容になっています。逃げ場のない閉塞感、桃源郷を夢見る心、そして、諦め。美しいメロディーに乗せて、この相反する気持ちを力強く歌い上げるナガマリに、たぶん多くのリスナーが魅了されていたのではないかと。ややもするとメランコリックになりがちなアレンジも、バンジョーアコーディオンという素朴なインストを入れることによって、憧憬への柔らかい世界観を印象づけているところもあります。

アルバムからの先行配信として「23才」と共にリリースされた、この「ピンクの魚よ」ですが、一聴して感じたのは、なんて穏やかな世界に生まれ変わっているんだ!でした。アニキが紡ぎ出すイントロは、まるであの夏の大きな大きな入道雲がサーッと夕立を起こし、雨上がりのその雲間から幾筋もの夕日があふれているようです。"両方の手を" と姐さんが歌いだす声のやさしさといったら、オリジナルの力強さの100倍も1000倍も包容力を増しています。まるでスーッと吸い込んだ空気に、ほんのりと濡れたアスファルトの香りが混じっていて、日中の暑さを和らげてくれるような、今日一日の充実感を味わうような、そんな穏やかさに包まれているのです。

「23才」同様、ここには戦う真理子さんの姿がありません。「Mariko」の ≪自分になる旅に出る≫、「私の中の勇気」の ≪今の自分からはみ出したい≫、「私を探しにゆこう」の ≪心に眠っている未知数に賭けてみよう≫ と、今よりもっと、さらにもっとと自分を追い込み、「Angel Smile」の ≪理想と現実の間に住む涙≫、「ミエナイアシタ」の ≪迷いの先にのぞく晴れ間へ≫ と、手を伸ばしてもつかむことができない現実に歯がゆい思いをし、「あいのうた」で ≪理想に届かない毎日≫ へと埋没していきました。「life is beautiful」で ≪いつも後悔するのなら それに意味はないから≫ と ≪笑顔で終われる≫ ことを決意し、「ORANGE」でとうとう ≪答えなんてどこにもない≫ と ≪幸せがあふれ出して≫ くる境地へとたどり着いたわけです。相反する世界を揺れ惑いながら翻弄されながら泳ぎ続けてきた結果、真理子さんは "ピンクの魚" を【儚い】と表現したのです。

1991年から2021年までのこの30年間、わたしたちも激動の'90年代から9.11、3.11、そして、今のコロナ禍へと時代に翻弄され続けながら泳ぎ続けてきました。それでも一日は≪24時間≫ で、≪朝から朝になる≫ 毎日を過ごしてきました。一度は止まってしまった ≪それぞれの針 時計が動き出し≫ てみるとリズムが始まり、この揺れ惑っていた足跡でさえ愛おしく、その時その時の淡く消えていった想いたちを慈しむようにエンディングのフレーズへと物語は進んでいくのです。

あの夏の青空の向こう。遥かに続くエメラルド色の波。小さな水槽だと思っていた世界は、もしかしたら、既に大きな水槽だけど居心地のいい場所へと、いつのまにかたゆたってきたのかもしれないのです。姐さんとTeam Mのみなさんと共に。

4.レインボウ

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こちらも大名盤『Catch Ball』からの選曲。作曲は藤井さん、作詞は『B.N.D.2』では浅田有理さん単独になっていますが、たぶん、真理子さんとの共作だと思います。

今さら、わたしが何を語るまでもなく、多くの方にとって大切な大切な楽曲ではないかと思うわけでして。アルバムのエンディングを飾るにふさわしい大きなスケールと、それこそ「ピンクの魚よ」に通じる儚げな刹那を呼び起こすサビが、リリースされてきてからの30年間、いつもわたしたちの身近で共に泣いたり背中を押してくれたりした楽曲ではないかと。

そんな原曲のイントロのウラを取ったイントロで始まる今回のアレンジですが、小気味いいミディアムなリズムがホントとても心地よくて。聴き手ひとりひとりに語りかけるように歌う姐さんのボーカルは、まるでこの ≪空色のハートにかかる虹≫ を一緒に眺めているようではありませんか。どこか「I know right?」を彷彿させるのは、≪君がつらい時 すぐにわかる≫ や ≪どうか 涙を 閉じ込めないで≫ という詩世界が共通しているのと、やっぱり、この小気味いいリズムです。もう、いつまでも聴けます。

オリジナルのオーケストラを交えた御大層なアレンジも、もちろん身体の奥深くまで沁み込んではいるのですが、このシンプルで大人なロックサウンドは、なんて言うんでしょ。例えてみるなら、同じ虹でも、夏の夕立後に架かる大きな虹がオリジナルなら、林道を抜けた先に広がる滝のふもとに架かる幻想的な虹がセルフカバーみたいな、後者の方が自然のマイナスイオンと森林浴の相乗効果があるような、うん、言ってることがよくわからないですね。

5.ワイルドで行こう

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またまた『WASHING』からのセレクト。作曲は前田先生、作詞は我らの導師である亜伊林さんです。この強力タッグですぐに思いつくのは「Ready Steady Go!」ですが、他にも「Way Out」や「Step Step Step」など、まあ、今までお世話になりまくりの楽曲ばかりがズラリと並び、これがまたぜんぜん "色あせない" というのがね、はい。

オリジナルの疾走感は言わずもがな、自分がたまらなく好きなのは1番目のサビの ≪マイルドな その日から≫ の ≪その日から≫ のところでズドドド・ズドドドと響くバスドラでね。もう、山木秀夫さんのドラムさばきがパワフルで素晴らしすぎるんですよ。それを言うなら『WASHING』というアルバム全体が山木さんのリズムに支えられているところもあるんですけどね。このズドドド・ズドドドに勝るものはないです。

からの、アニキですわ。いやいやいやいや、どこぞのバンドの「Very Ape」並みのゴリゴリ感。Bメロでのヒステリックなグルーヴが織りなす無重力。そして、姐さんの楽しいーーー!!!!!って姿が目に浮かぶようなボーカル。ゴリゴリだけどポップで、グルーヴィーなんだけどパンクでもあるという。なんでしょう、マッシュアップというよりは、ジャンル:ナガマリみたいな、なんか唯一無二なところまできた感があります。

アレンジはあまりオリジナルをいじらず、もともと硬派だった楽曲をそれこそ "マイルド" にした感じ。しかし、亜伊林さんの ≪炎のように燃えて ただ走りたいだけ≫ とか ≪舞い上がるつま先に火花が散ってゆくよ≫ など、ぜんぜん "マイルド" じゃない歌詞って、あの'90年代の ≪マッハの速さで≫ 世紀末に突き進んでいく燃え尽きちまえ的な疾走感を表現していて、あまりにも "ワイルド" すぎると思いません?

ちなみに『WASHING』でのローマ字表記は「Wild-de Ikou」、『B.N.D.2』でのローマ字表記は「WILD DE YUKOU」になっています。ここもなんか "マイルド" ですよね。

6.Miracle Girl

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もう説明不要の永井真理子の代表曲。リリースは1989年。自身初のトップ10入りを果たしたシングル曲で、アニメ「YAWARA!」とのタイアップ効果もあり、国民的アニメソングとして今でも親しまれている楽曲。

作曲は藤井さん、作詞は亜伊林さん。このコンビは「ZUTTO」でもタッグを組んでいるので、姐さんのヒット曲を量産しているイメージがとても強いのですが、意外や意外、残りは「あの頃、哀しさは1/6」だけと、なんと全部で3曲しかないみたいなんですね。ただ、3曲中の2曲が代表曲って、どういうこっちゃねん!とも思うのですが。

しかし、不思議な曲だなぁとつくづく感じます。ビリー・ジョエルの「Uptown Girl」的なアダルト・コンテンポラリーをベースにしているかと思えば、バース部分でギターソロが入る。んでもって、日本の歌謡曲としてもしっかり成立しているという。普通ならとっちらけになりそうなものを、ちゃんと都会的な雰囲気でまとめ、それがアニメのイメージにもつながるという。この'80年代的なシュッとしたバランス感覚が根岸さんや金子さんのスゴイところだなと。

で、アニキですが、見事なまでにそこからビリー・ジョエル的なものを一切合切に排除しているんですね。例えば『1992 Live in Yokohama Stadium』に収録されているライブver.の時は、まだブルースなサザンロックの中に小野沢さんやマッシーがカントリー調な雰囲気を味付けしていましたが、『B.N.D.2』になると昨今のガールズバンド的なキラキラソングに大変身で、鍵盤の "け" の字も消えたギターロックになっているのです。

以前からライブでお披露目されていたアレンジですので、やっと音源化された感もあるのですが。と、書きながら思いました。前作の「ZUTTO」もそうですけど、代表曲ってこんなに軽々と新たなスタンダードに生まれ変われるものなんですか?この軽やかな一足飛びをしてしまうのがスゴイなと。それと、今まで同名アルバムタイトルとの区別のために「ミラクル・ガール」のカタカナ表記が一般的でしたが、今回はそれを英表記にされております。

7.夜空にのびをして

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「LOVE MEAL」同様、大傑作アルバム『Love Eater』からセレクトされた1曲。作曲はアニキ、詩は姐さんですが、今回の『B.N.D.2』のクレジットでは作曲がご夫婦の共作になっています。このセルフカバーver.でメロディーが追加されているわけではなさそうですが、まあ、姐さんがそうおっしゃるのならば、そういうことになりますので、よしとします。

オリジナルver.の編曲はご存じのとおり、みんなのマッシー。この7分半の大曲を感動的なまでに神秘的かつ躍動的にアレンジされています。キラキラ☆キラキラ☆と空から少女が降ってくるようなラピュ〇的な冒頭は「親方ぁ~、空から姐さんが!」と肉団子を振り回しながら叫びたくなるほどです。まあ、冗談はともかく、1994年当時、真理子さんのライブに足げく通っていたファンなら、この楽曲がステージで発していた特別なオーラ感を今でも鮮明に覚えてらっしゃるのではないかと。神々しいというか、荘厳というか、崇高なステージングは、あのナガマリがとうとうこんな領域にまで来てしまったと、大きなスケール感に圧倒されたものでした。

そんな大それた世界観をシンプルでスタンダードなバンドサウンドに凝縮することにより、夜空に浮き上がってしまいそうだったオリジナルの浮遊感を、地に足の着いたメッセージソングへと昇華させています。それはまるで「土に根をおろし、風と共に生きよう。種と共に冬を超え、鳥と共に春を歌おう」というゴンドアの谷の歌のようではないですか。≪扉を開け 空気を入れかえ≫ よう、≪夜空にのびをして眠ってね≫ ≪明日の河を今 作るため≫。その河の先には、いつだか語っていたように ≪空色のハートにかかる虹≫ がきらめいているはずなのです。

この夜に向けて...、この夜を見上げながら...。

8.うた

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東芝EMIへの移籍後、通算10枚目となるスタジオアルバム『you're...』を1998年にリリースした真理子さんですが、その先行シングルとして発表したのが「うた」でした。作曲はCOZZiさん、詩は真理子さんと村野耕治さんの共作、アレンジャーは中村哲さんです。

ちょうどその頃、マドンナが「Frozen」というシングルをリリースしていたのですが、そのビデオクリップが「うた」のMVみたいな荒廃的な感じで、どっちもカッコよすぎだなと、当時、思ったんです。自分の中では、そこだけ妙に両者がシンクロしてしまっているのですが、いずれにしても荒野を突き進んでいくようなアコギのストロークが ≪遥かな道を歩こう≫ という世界観にとてもマッチしていました。

そのストロークを曲の冒頭に掲げ、うねりまくるグルーヴが大爆発する今回のアレンジ。ライブで体感した時も、音の洪水に身をゆだねているだけで、この ≪悲しみも生きる強さに変えられるよう≫ な気がしました。しかし、もっとも印象的なのは、やはりアニキのギターリフではないでしょうか。オリジナルでは控えめだったリフが、まあ、いい塩梅の枯れた渋い味を出しています。ホント、最近さぁ、こういう音を聞く機会が少なくなったというか(て、言うほど、あれこれ聞いてるわけでもないんですけど...)、なんて言うんだろうな、こう "憧れる" ことができる人がいてくれることが嬉しいんですよね。

≪夜が深い時は弱さを勇気に変える≫ は「夜空にのびをして」、≪遥かな虹を探そう≫ は「レインボウ」と、キーとなるトラックを凝縮している部分も聞き逃せないです。もちろん "海" と "大地" という対比になっている「ピンクの魚よ」も無論です。なにが言いたいかって?曲順が最高すぎるということです!

9.Why Why Why

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通算3枚目のスタジオアルバム『Tobikkiri』に収録されていた燃焼系ソング。作曲は谷口守さん、詩は浅田有理さんです。姐さんのデビュー曲「Oh, ムーンライト」から「Slow Down Kiss」「Karma Karma」「自分についた嘘」など、初期の頃のあの曲この曲が谷口さんの手によるもので、特に『Tobikkiri』というアルバムは、谷口さんが大活躍した作品でもあります。

当時はCDよりもカセットで聴くことが多くて、特に「コンタクトレンズ・スコープ」から始まるB面の流れが大好きでした。で、哀しいかな、テープにダビングした時に、一部だけ音飛びしていたんですよ。それが「Why Why Why」の ≪みたいに黙っちゃ寂しいのさ≫ という部分で、≪みたいに黙っちゃ寂しいみたいに黙っちゃ寂しいのさ≫ てな感じだったんですね。なんで、ここでリフレインするの~と思いながら聞いていたんですけど、アルバイトを始めて、好きなCDを好きなように買えるようになった時のね、音飛びしない感動ときたらひとしおでした。

思い出として深いのか浅いのかよくわからないところがありますが、まあ、そんな音飛びさえも凌駕してくれるのが、今回のアレンジver.ですよ。カッチョいい!いやいやいや、カッチョ・ビービーブー!

でね、谷口さんのメロディーって、燃焼系でも不思議とちょっと切ないところがあるんですよね。こう、イケイケの中に "願い" があるというか、"祈り" があるというか、ちょっと胸を締め付けられるような気持ちにさせられるんです。それをうまく抽出してくれたのがアニキですよ。なんなんですか、このイントロ。誰か、この天才を止めてくれませんか。ヤバすぎです。

前作『Brand-New Door』の「好奇心」も最高のアレンジでしたけど、それに匹敵する名曲の誕生です。もう、こっちしか聴けなくなっちゃうんだよなぁ。

10.Dear my friend

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「Why Why Why」に続き、こちらも『Tobikkiri』からのミディアム・バラード。作曲は辛島美登里さん、詩は只野菜摘さんです。このアルバムがリリースされたのは1988年の9月なのですが、これ、わかります?姐さんって、デビューしてから、たった1年でこんなところまできてしまってるんですよね。しかも、アルバムリリース直前のライブ「元気一発HeartがDance」は日比谷野音ですわ。ネーミングのセンス!

オリジナルは、バラードベスト『yasashikunaritai』になんで収録されなかったんだろう?というくらい、隠れた名曲としてファンから愛され続けている楽曲。自分なんか「Dear my friend」と「Donnani」をプラスしたマイバラードベストをよく当時は作っていました。「黄昏のストレイシープ」とか「揺れているのは」とか「夕闇にまぎれて」も捨て難いんですけど、A面B面で分けた時にうまく配分しにくいんですよね。

まあ、そんなことはどうでもいいとして、もう、マッシーです。あの輝かしくも懐かしい'80sの雰囲気と、あれから30年以上を紆余曲折しながら共に坂道を歩いてきた、今、この時をですね、なんか頑張ってきたよねと労をねぎらい、こうして一緒にいられることって幸せなことだよねと祝福している、そんなセレブレイトなアレンジになっているのです。

≪おなじ時代に生まれたら 誰もが同じ星もっている≫

永井真理子」という星のもとにいろいろな人が集い、今、この時間を共有できていること。運命共同体ではないですけど、いい時も悪い時も、共に歩んできたこの "M's Way" を、これからも ≪君らしい歩幅で 遠く 遠く 歩き続けて≫ いきたいものです。

11.La-La-La

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1992年8月2日、日曜日。前日の雷雨は朝方にはおさまり、夏日が続いていた横浜地方は久しぶりの過ごしやすい気温となったものの、空を見上げれば、小雨がパラつくどんよりとした雲に覆われていました。日本全国のファンが、バスツアーや独自のルートで横浜を目指し、全52公演だった "HEART BEAT TOUR 91-92 ~WASHING~" から5ヶ月ぶりに開催される真理子さんのビックイベントの開始を、ここに集ったすべての人が今か今かと待ちわびていました。

あの日、あの夜。ライブの熱気で火照った体を、涼しげな潮風がやんわりと包み込み、ウェーブで一体となった3万人の大観衆が見守る中、ネオンが輝く夏の夜空に鳴り響いたのは、抑圧からの解放を求めるブルースハープの音色、そして、終わりなき幸福のシンガロングでした。

名曲「La-La-La」に耳を澄ますとき、いつも思い浮かぶのは、あの夏の特別な夜の匂いです。生まれたことの意味、そんなわかりきった答えをわからなくさせていたのも、あの若かりし頃の葛藤でした。わからないことが多すぎて、わかろうとしても追いつけなくて、自分がイヤになったり、それでも自分を大事にしたかったり。

まるで東の空がほんのりと明るみ始めていくようなイントロ、今日がまた奇跡的に生まれてくる中で、あの頃の自分にそっと語りかけるように歌う真理子さん。それが今回のリアレンジされた「La-La-La」でした。

ふと周りを見渡せば、愛すべき人がそばにいて、共に笑うことができる仲間がいて、目を見張るような景色に心を打たれ、目を覆いたくなる出来事に胸をえぐられ、どうしてもわかり合えない人、ただ単にすれ違うだけの人、そんな体感できるすべてのことを経験するために、わたしたちは自ら生まれてきたということ。≪もっと君を感じたい≫ と歌われているように、"感じる" ことができること。愛であったり、優しさであったり、悲しみであったり、苦しみであったり、そういったものを "感じる" ために生まれてきたんだということ。そんな感情たちを感動的なまでに歌い上げ、そのうたに呼応するように並走するCOZZiさんのギターは、聴く者のこれからの歩みを身軽にしてくれます。

ロック的なダイナミズムは、そのまま人生のダイナミズムであり、そんな人生を受容していこうと、抑圧からの解放を求めていたブルースハープは、決意を新たに、今日を生きていく奇跡的な朝を祝福するように感動のフィナーレへと鳴り響くのです。

あなたはあなたのままでいい。

わたしもわたしのままでいい。

まだまだです。まだまだ、わたしたちは新たな扉を開け、いっぱいいっぱい感動することができるのです。ここに収録された11曲、それをこんな風に感じることができること。それがいちばん幸せなことだと思うのです。